数学VS文学
「どうしてまた、文学部なんぞを志望するのだ。理学部がイヤなら、工学部はどうだ」
「進路は自分で決めていいって、父さん言ってたじゃないか」
「おまえが小説好きなのは知っとる。だが、それは趣味だろう。進路は真剣に考えなさい」
「ぼくなりに真剣に考えた結果だよ」
「小説なんか研究して、いったい何の役に立つというのだ」
「じゃあ、父さんのやってる数学はどうなんだよ。日常の生活に、四則演算以上の計算なんて使わないよ」
「バカ者!数学は真理を追究するのだ。日常生活のための学問じゃない」
「それなら、文学も同じだよ。追究するのは、真理じゃなくて真実だけどね」
「そんなものは屁理屈だ。だいたい、文学、文学というが、おまえのいつも読んでいる小説は、さし絵だらけじゃないか」
「あれはライトノベルという、最新の小説の形態なんだ」
「ふん、最新なものか。あんなもの、江戸時代の絵草紙と同じだ」
「へえ、意外なこと知ってるじゃないか。まあ、もっとさかのぼれば、平安時代の絵巻物とかもあるね。だったら言い直そう。古代から現代まで受け継がれる、文学の源流さ」
「源流だか支流だか知らんが、よくまあ、あんな絵空事を書いたり読んだりできるものだな。現実はそんなに甘くないぞ」
「わかってるさ。現実が、つらかったり、つまらなかったりするからこそ、虚構の世界で息抜きする必要があるんだ。ああ、もちろん、エンターテインメントだけが目的じゃないよ。現実に埋没していては見えてこない、人間の真実を描くのさ」
「真実、真実と言うが、そこにどんな法則があるというのだ。どんな客観性があるというのだ。十人十色の個人的な感想があるだけで、万人が納得するような、唯一無二の真理など、どこにもないではないか」
「それでいいんだよ。読んだ人間それぞれが、独自の受け止め方をすればいいんだ」
「それでは研究する意味がなかろう。そもそも、小説の定義とは何だ」
「定義なんかないさ。小説というのは、もっとも自由な形式の文芸なんだよ」
「いや、そんなことはない。わしに言わせれば、小説とは一次元の記号列だ」
「何それ」
「小説を構成する最小単位は文字だろう」
「まあ、そうだね」
「したがって、文字が幾何学で言えば点ということになる。この点の連なりが小説だ」
「ええっ、それじゃ、一本の線になっちゃうじゃないか」
「そうだ。だから一次元だ」
「でも、実際には」
「そう、実際には、これを改行して二次元にし、さらにページを分けることで三次元にして、本という立体になっている。だが、それは便宜上そうしているだけで、本質は一次元だ。読み取りは、常に一つの方向のみで、改行された文を横切って読んだりはしないからな。まあ、一次元の情報を折りたたんでコンパクトにするのは、遺伝子DNAも同じだが」
「それは形式だけの話だろ。父さんの定義じゃ、デタラメに並べた文字だって、小説になってしまうよ」
「そのとおりだ。文字の種類が有限個である以上、有限な長さの順列組み合わせは、どんなに巨大な数になっても、たかだか有限だ。その中に、古今東西すべての小説は含まれる。証明終わり」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それはそうかもしれないけど、デタラメな文字の列と、小説じゃあ、全然違うよ。文字が集まって文になって、文が集まって文章になって、文章が集まって小説になるんだ」
「ほう、集合論か」
「違う違う。形式の問題じゃないんだ。意味だよ、意味」
「意味論か」
「違うって。いったん、数学を離れて考えてみようよ。うーん、そうだなあ、例えば、一人の高校生が進路に迷っている、としよう」
「文章問題か。それは数学というより、算数だな」
「いいから聞いて。自分の志望を父親に否定された彼は、家出してしまう」
「ああ、わかったぞ。東京を出発した高校生と、大阪を出発した父親が、どこで出会うかだな。問題は、向かい風があるかどうかだが」
「まじめに聞いてくれないと、本当に家出しちゃうぞ。まあ、いいや、続けるよ。家出した彼の前に、絶世の美女が現れる」
「美女の定義は、時代によって変わるものだが」
「じゃあ、時代を超越した美女だ。彼女が言うには、彼の本当の父親は別にいるらしい」
「そんなことはないぞ。おまえは確かにわしの子だ、と思う。あれ、もしかして」
「父さん、これはフィクションだよ。で、その本当の父親というのが、世界的な大富豪なんだ」
「いや、そんなはずはない、と思うが、ひょっとして」
「だ、か、ら、フィクションだって!いいかい、続けるよ。さて、その大富豪が亡くなって、彼には莫大な遺産が転がり込んだ。ところが、彼を狙って、海外の犯罪組織が殺し屋を送り込んでくる。さらに、殺し屋から彼を守るため、謎の宇宙人が出現し、ついに、銀河系全体を巻き込む陰謀が明らかになる。と、まあ、わかりやすいようにエンタメ系の話にしたけど、こんな感じで話が展開していくんだ。ね、こういう小説なら、面白そうだろう」
「ふむ、いいだろう。おまえの志望する学部に行くがいい。ただし、一つ条件がある」
「え、何、条件って?」
「今の話をちゃんと書いて、わしに読ませろ。続きが気になる」
(おわり)
数学VS文学