隣人

半分実話

夕方六時半。
隣人が帰ってくる時間だ。
彼女が引っ越してきたのはちょうど二年前。
六月の雨音のうるさい日だった。俺は帰宅がたまたま遅くてちょうどその時家にいなかった。
帰ってきてドアノブをひねろうとしたときに、ぶら下がった小さな紙袋に気づいた。
「隣に引っ越してきた○○です。どうぞよろしくお願いします」
中には小さな手紙と洗剤が入っていた。
律儀だと思いつつも俺はその紙袋ごとそのままゴミ箱へ捨てた。
他人のものが汚くて触れない。得体の知れない隣人と仲良くなろうだなんて気持ちはさらさらなかった。
俺は潔癖な上に聴覚過敏症だ。
だから仕事でもうまくいかなかった。
食べ物をそこら中に撒き散らしあまりにタイピング音がうるさい同僚にブチ切れて半年前にクビになった。
今は無職だ。
一日のほとんどを家で過ごしている。
だけども自分の家なのに少しも気が休まることはなかった。
耳をすませば鳥の鳴き声、近所の公園で遊ぶ子供や大人の話し声、車が通る音。
何処にいても雑音が気になって頭がおかしくなりそうだった。
俺は引っ越す決意を固めた。
誰もいない、防音設備が抜群の部屋に住むことにした。
それまであと数ヶ月の辛抱だ。
そして俺が引っ越したいもう一つの理由。
毎晩のように聞こえる電話の音。
壁の向こうでひたすらぶつぶつと誰かと話す声が聞こえる。
時折恋人と喧嘩してるのかドン、と壁を殴るような音も聞こえる。
そしてそれは延々と続く。
急いでヘッドフォンで耳を塞ぐ。
五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い。
音量を最大にして静かになるまで待つ。最低でもそれは夜の十二時まで続く。
隣人の電話が鳴り止むか、俺の神経が磨り減るのがさきか。
我慢比べだ。
毎晩のように寝不足が続いた。悪夢の様な日々だった。
そして迎えた引越し当日。やっとあの騒音から開放される。
俺は晴れやかな気持ちで大家さんに別れの挨拶に行った。
鍵を返し、雑談中に俺は今までの仕返しの意味を含めて大家さんに隣人の騒音について暴露した。
しかし大家さんは訝しげに眉をひそめてこう言った。
「○○さんなら半年前に引っ越したわよ」
その言葉の意味に気づいたのは引っ越して数日たった後。
ついに俺は一度もその「隣人」に会うことは叶わなかった。

隣人

隣人

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-28

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