一年の恋。

なんでこうなった。

その日、僕は彼女に恋をした。

高校を三年に上がってから、クラスで順番に席を立っての自己紹介が始まった。

僕は二度噛んでしまい、失笑を買って、クラスの中くらいの真面目生徒、という立場を獲得した。
双子の伸也は、不良らしく赤いTシャツを覗かせながら、「こいついじめたら俺が出てくるんで」と調子づいた。僕は恥ずかしい。

自己紹介はたんたんと進んでいった。
「私は高校を卒業したら、アラスカへ行きたいと思っています」
そんな声がしたのは、終わりかけたころ。
女の子だった。見ると、黒髪が長い、銀淵眼鏡をかけた鋭い目つきの、ほっそりとした女の子。
「渡来直子です、最後なので、学級委員を務めたいと思っています。よろしく」
そう宣言すると、ぱちぱちぱち、と拍手が上がった。

「おい、あの子、お前にぴったりだよ」
伸也がそう茶化してきて、僕は赤面して「馬鹿なこと言うな」と怒った。
そりゃ僕も眼鏡だけどさ、格差があるよ。

なんたって、向こうはアラスカ行くんだもんな。
そう思っていたら、見事学級委員に当選した。渡来さんが、「よろしく、幸也君」とほほ笑んでくる。
僕は、「よ、よろしく」とまた噛んだ。

クラスのプリントを、放課後に取りに来てほしい。
担任からそう指示があり、僕らは二人で渡し廊下を歩いていた。
チア部がエイエイオーと踊っていて、それを吹奏楽部が音楽を奏でてはやしているのが上から見えた。

「元気よね、あの子たち」
そう渡来さんが言うので、「渡来さんは、やっぱり文科系なの?」と聞くと、「ううん、剣道部」と答えた。
これは恐れ入ったぞ。僕では敵いっこない。
言わずとも知れた、僕は文学部である。
部員は伸也と、その彼女。とその妹の大人しい女の子と一年の女の子たちが数人。
いつもきゃっきゃうふふと騒いで、文学どころではない。
雛のようにはしゃぎまわる彼女たちをしり目に、僕はロッカーに腰かけて本を読むのが日課になっていた。

その日はそれで別れた。
うちに帰り、昭和感丸出しな家へ帰ると、伸也がエロ本を顔に乗せてバランスボールに腰かけ、寝ていた。
けだものめ。
僕は「おい、邪魔だよ」と伸也を蹴飛ばし、自分の机の前に腰かけた。
大正時代に建てられたこの家は、あちこち昔風で、中庭にアジサイがあるのが自慢の母が、よく茶飲み友達を連れてくる。
今日も夕飯時だというのに、きゃーと笑う声が聞こえ、父が不機嫌にリビングでタバコを吸っているのが廊下からよく見えた。
家だけは大きいんだな。財布の事情は知らない。
この家を没収されたら、何にも残らないんじゃなかろうか。うちの家族は。

そう思いながら、数学の予習を始めた。数学だけは、どう頑張っても赤点だ。
「教えてやろうか」
伸也に小ばかにされ、なぜ双子なのにこうも違うのかと、本当に一卵性なのか疑った。
僕たちは、あまりにも真逆だ。


夏のある日、僕は渡来さんと今度の体育祭の出し物の件で、同じ机に座って窓際を陣取り、ああだこうだと意見を交わしていた。
「本当に違うのね、双子なのに」
渡来さんがそう言ってきて、彼女に目線を合わせると、一つに縛られた髪のからピアスをした耳が見えた。
「校則違反じゃない?」
それ、とペンで指し示すと、「ああ、これ、マジックよ」伸也君にいきなり書かれたの、と渡来さんが言う。

あいつめ、なんちゅうことを。

後で叱っとくよ、と言うと、ううん、と彼女は、「私、あなたたちのそういう関係性好きだわ」と言って笑った。
僕はどきりとしたが、それって伸也にも可能性があるってことじゃないか?
笑う彼女をしり目に、僕は内心焦った。

「た、体育祭が終わったらさ!」

と僕は勢いよく言い、「みんなで、飲みに行かない?」と誘った。
彼女は首をかしげて、「幸也君からそんな言葉が出るとは」と驚きもせずに行った。

「剣道一本勝負、今年もやるのね」
そう彼女が言い、「うん、恒例行事だからね」僕は答えた。

この学校には剣道部に一本試合を素人が申し込む、という伝統があり、勝てば家庭部の作った美味しいクッキーとぬいぐるみが授与され、負ければ豚汁を皆で食すことになっている。
そのぬいぐるみを彼女や気になる人に送り、「付き合ってください」と言うのが恒例ルールなのだ。
「今年、私も出るのよ」
ふふんと彼女が得意げに笑い、僕は「じゃあ、伸也に気合い入れとけって言っとくよ」と言った。
これが後で後悔を生むとは。


体育祭の日、組体操、リレー、ダンスと種目が次々と終わり、最後はとうとう、剣道一本勝負のみとなった。
伸也は意気込み、くまちゃんのプリントされた女子のTシャツを着て、「俺、絶対勝つから」と彼女の前でかっこつけている。
僕はカメラを片手に、「渡来さん、頑張って」と言い、振り向いたはかま姿の彼女をパシャリと写した。
渡来さんは「余裕」と不敵に笑った。

最初の一本試合、一年対一般のおじさん。
面一本、おじさんの勝ち。
「あのおじさん普通に強くないか!?」
僕たちはどよめいた。一般客に玄人が紛れ込んでいる。今までこんなことは無かった。
しかも、勝ちに来ている。
二本目、二年対おじさん。
籠手、おじさんの勝利。
「やばい、やばいぞ!」と伸也。

三本目、「私、行くわ」
渡来さんが立ち上がって面を付けた。
「渡来さん、ファイトー」と僕は拳を握った。
おじさんと渡来さんのにらみ合い。ふいに、「せえええいああ!」と渡来さんが活を入れた。その勢いで、籠手一本。
「くっそー」とおじさん。

「やった、やったぞ渡来さん!」
つえー、と伸也がつぶやいた。「こうなったら、あの手しかないな」
え、と聞くのも待たず、伸也は表舞台に出て行った。

四本目、渡来さん対伸也。
渡来さんが「せ、」と言いかけると、伸也が「あなたのことが好きです!」と叫んだ。
ぽかんとなる一同、渡来さんも時が止まった。
「てい」
伸也が面を一本入れた。
「き、きたねぇ!!」

男子どもにもみくちゃにされ、彼女から張り手を食らった伸也は、「にゃふふ」と笑って、それでも「はい」とぬいぐるみを彼女に手渡していた。
面を付けたまま、それを見ている渡来さん。

「渡来さん、ごめんねー、伸也が勝手に・・・」

そう言って顔を覗くと、なぜかふいと逸らされて、そのまま彼女は部活のメンバーのテントに戻っていった。
僕は嫌な胸騒ぎを覚えた。

後日、夏休みになり、渡来さんが急に、「私、アラスカに行けることが決まったの」と宿題を学校で済ませようとしていた僕の元に来て言った。
僕は、「は?」となり、「え、なんでなんで?」と、一旦落ち着こう、と渡来さんを座らせた。
この夏に、交換留学がある。
渡来さんは、叶わぬ恋をしてしまい、それが全然タイプじゃない男で、どうしようもない奴で、こんな状況にけじめをつけるために、交換留学に行くと言っているのだ。

「イヌイットの暮らしを学んでくるわ」
そういう彼女に、「好きです」とも言えず、僕は、「じゃあ、帰ってくるのを待ってるよ」それまでには、その恋心をどうにかしておいてね、と彼女と約束した。

出発の日、空港まで見送りに行き、「それじゃあね」と振り返りもせずに行ってしまう彼女に、僕は「とんでもない人に恋をしていたんだなぁ」と、さっき撮ったツーショットを確認するべくデジカメを覗いた。

すると、体育祭の時にはかま姿だった凛々しい渡来さんが写っていて、僕は「ああ、恋してたんだな」とそのアングルを見つめてよーく分かった。
窓ガラスの向こう、飛行機が雲を引いて飛んでいく。

一つの恋が終わったのだと、僕は前を向いた。
なぜか付いてきた伸也が、外国人と英語で話をして遊んでいる。
小さな女の子に「ユアキュート!」とほっぺにキスをされ、喜んでいる伸也。

死んでしまえ、と僕は、その様子をカメラに収めた。
カシャリ、とシャッター音の後、バッテリーが切れて画面が暗くなった。

一年の恋。

気持ちよく書きました。

一年の恋。

高校三年の夏、僕はとんでもない人に恋をした。

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更新日
登録日
2016-06-28

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