悲しくて悲しくて
とある屋敷での寸劇。
とてもじゃないが、やりきれない。
私は悲しかった。
私の愛するケヴィン・ヒュガーと言う往年の大物俳優が亡くなり、私は皿を割ってしまい、婦長から大目玉を食らって、泣きながら片づけをしていた。
すると、ボールが飛んできて、後ろの中国から買い付けたというなんたら焼き、という東洋の大きな花瓶を倒し、割った。
「やーい、お前が悪いんだぞ」
そう坊ちゃまに言われて逃げられ、私は母国の言葉で「ああああああ」というような意味の嘆きの言葉を叫び、嘆きに嘆いた。
これで私の首は決定。
母国の父よ母よ病気の弟よ妹よ、姉はふがいない人物であった。すまん。
すると、旦那様の可愛がっているシャムネコのキティがよろよろと歩いてきて、私の目の前でぱたりと倒れ、「なーん」とそのおやじ臭い声で今わの際の言葉を残して、消沈した。
私はまた「ああああああ」と嘆き、その様を見つけた料理著が包丁、を手に持ちながら、「タイさん、どうしたよ」と驚き、驚くと同時に足元を滑らせ、ワックスのかかった廊下をあーっと滑って行って壁に激突、包丁が胸に深々と突き刺さり、絶命した。
私はこの状況を誰にどう説明しようか迷い、「ああああああ、ああああああ」とシャムネコを抱きながらそこら辺をさまよい歩いた。
私を始めてみた奥様は、「まるでお化け屋敷のようだった」と言って今でも胸の前で十字を切る。
「あなたはほんと、天然で馬鹿で、面白いわ」
何故あんなことが立て続けに起こったのか、科学者が解明しようと何やら機械を持って計算したり、私の精神状態を調べたりしたが、どこにも異常はなかったらしい。
今でも私は、皆に「ああああああ」と真似され、からかわれる。
料理長の代わりはすぐ来て、意外とすぐ皆馴染んだ。
人の命とは、儚いものだ。
私は往年のケヴィン・ヒュガー氏の作品を見直しながら、一人涙を流し、勢いよく鼻をかんだ。
悲しくて悲しくて
どいつもこいつも笑。