時間を超えてこんにちは
宛名を見て凍りついた。お世辞にもきれいとは言えない字が、傾いて封筒に張り付いている。
私はこの字を良く知っている。
何故なら、それは私の字だからだ。
一体、何が起こっているのだろう。
封筒に印字された懐かしい名前を見て、合点がいった。十年近く前に卒業した高校の名が刻まれていた。
それは「十年後の私」が「十年後の私」に宛てた手紙だった。
封を開けた。が、開けただけで中を見ることは断念した。
何を書いたのか、全く覚えていない。その内容を想像するのも恐ろしい。
バックの奥底にしまい込んで、忘れた振りをした。
「アレ、どうしました?」
「アレですか?」
「まだ読んでないんですか?」
ネイリストは爪先を器用に削りながら言った。
「まだなんですよ。何か、すいませんって感じで読めないんですよ」
彼女は笑った。
「えー、なんでですか?」
「だって、夢とか希望とかがいっぱい詰まってたら申し訳ないなって。今の私を見たら、十年前の私は残念がりますよ。きっと」
私は自嘲気味に笑った。そこに何が書かれているのか、知りたくもない。
ネイリストは小さなキャンパスに鮮やかな色彩を描いている。
「そんなことないですよ。しっかりしてるじゃないですか」
彼女はよそ行きの私しか知らない。
本当の私は何だろう。考えるが、到底良い答えなど見つかるわけもなく、事実に打ちのめされる前に変化していく爪先に没頭した。
本当のことを言うと、一度だけ手紙を広げた。最初の一文を読んですぐに封筒にしまったが。あまりにも稚拙な文章に自己嫌悪以外の何者でもない感情が私を覆った。
朝から雨が降っていた。
外に出るつもりもなく、部屋の中で暇を持て余す。
ふと、私が私に宛てた手紙の存在を思い出した。
それは探すまでもなく、無造作に床に放り出されていた。
過去の自分に向き合うには、良い日じゃないか。
雨が屋根瓦を叩いて奇妙な音楽を奏でている。
私は手紙を広げた……
造作もない。大したことなど書いていなかったのだ。今となっては読むのをためらっていたことを不思議に思う。
内容?それはあまりにも馬鹿馬鹿しくて、とてもじゃないが公表できない。
言えることは、「十年前の私」が抱いていた感情と「十年後の私」に対する願いだった。けれどその願いは、「今の私」にとって既に過去のものだった。
「彼女」は最後に言っていた。
「この手紙を読み終えたとき、私は私の元に帰る」のだと。
それはどうだろうか。「彼女」が私の元に帰ってきた感覚はない。それはたぶん、「彼女」は私にとって既に過去だからだろう。
切り取られた過去の一部が懐かしい想いを僅かに残して、急速に色を失っていく。
そうして、過去に取り残された「彼女」を不憫に思った。
どこにも帰ることなく、ただそこに居ることしかできない。
「彼女」はその中では、きっと幸せなんだろう。それで良いじゃないか。
叶えられなかった想いへの謝罪の意を込めて、私は「十年前の私」に返事を書く。
きっとそれは、決して開かれることはないだろう。
「十年前の私」に寄り添う「今の私」は、いつしか時間の中に取り残されていくに違いない。
私は書いたばかりの返事を、時を超えてやってきた封筒の中に私に宛てられた手紙と共に入れた。
さて、これをどうしようか。
考えながら、私は「未来の私」に宛てて手紙を書いていた。
今度はちゃんと、未来に希望を託せるように。
時間を超えてこんにちは
半分フィクション、です。
十年後に手紙を届ける学校側に感服です。
もうちょっと中身のあるものを書けなかったものか……。