いぬかぶり 第2話
いぬかぶりの2話です。
ここでちゃんと題名の意味が分かるようになります。
お楽しみくださいな。
「犬の被り物をした人が自己推薦でこの事務所に入りたいと、おっしゃったまま事務所にいらっしゃるのですが…。」
小さな芸能事務所“カローム”。そこの社長室に飛び込んできたのは、スカウト担当のスタッフだった。社長は新聞紙から目を上げた。様々な条件が自分の事務所では初めて聞くものだったからだ。この事務所は小さく、最近何人かの所属俳優が映画に出てくる程度に成長してきたぐらいで、世間的には広くは知られていない事務所だった。そのため、事務所に志願してくる人はこれまでいなかった。そんな事務所に自己推薦でやってくる人物。社長は少し気になった。しかも、犬の被り物をしているという状態。
「なぁ、そいつは今どうしているのかい?」
「はい。今は、会議室Bにて待機してもらっています。」
「よし。今から、そいつに会いに行くぞ。」
歩きだす社長。まだ年齢は35とだけあってフットワークは軽い。そのあとを追いかけ始める、スカウト担当の男性スタッフ。急いで社長を引き留めようとする。
「え…社長、本気ですか?相手はどのような人かわからないのですよ?まだ、履歴書さえもらっていないし…」
社長は足を止めて振り返る。
「なんで君はそんなものさえもらってきていないのかね?そのくらい常識じゃないか?」
立ち止まったスタッフの顔に、困惑の色が浮かぶ。社長こそ、まっすぐ相手に会おうとしたじゃないですかという言葉が口から出てきそうになる。
「聞いてくださいよ、社長。私は、あの人にせめて履歴書ぐらい提出するように言ったんですよ。そしたら、あの人は『社長が出てきたら社長に渡す。』って言ったんですよ。しかも、自分と社長の一対一じゃないと駄目だ、って言うんですよ!」
普段はおとなしいスタッフが珍しく語尾を荒げる。
「待たせたのは、君の責任だからな。…そいつがどんな奴かは、まぁ賭けといったところかな。」
社長はそんなスタッフを見て左手をヒラヒラさせながら軽く笑った。右手で軽く自分の顎鬚をいじりながら、少し考える素振りを見せる。
「まぁ…幸か不幸か、この事務所はまだ小さい。存続に最も気をかけるべきなんだろうけど、反対に割と自由に何でもできるという側面もあるんだ。だから、君はこの問題に関して気に掛ける必要はないんだよ。だって、そうだろ?君が、今から私が会う人を拒否していたら、私は犬の被り物をした人物に会うことができないんだ。」
ニコニコしている社長。私の好奇心の勝ちかなと小声で付け足していた。
「ということで君、自分の席に戻っていていいよ。だって、犬の被り物の人物には私単独でしか会うことができないんでしょ?」
「ありがとうございます。」
スタッフは自分が自然にお辞儀をしていることに気が付いた。この社長のよくわからない懐の広さにはいつも驚かされるものがあるな…そんなことを考えていた。
犬の被り物…これに関して社長は自分の顔がまだ見える状態の物を想像していた。
「…え?」
部屋に入って目に飛び込んできたのは、遊園地などで見かける着ぐるみの犬の頭部のみをかぶった女性(たぶん)だった。その人物は社長が入ってくると座っていた椅子から立ち上がってお辞儀をした。丁寧なのは分かるのだが、かぶっている犬の顔は割とユーモアな感じだった。ニコニコしながら舌を出している犬が丁寧にお辞儀をしているという状況が出来上がってしまっていた。社長はあえて突っ込みを入れなかった。
机の向こうに見える人物の体型はどう見ても女性の物だった。…いろんな手術を経た状態でなければ、という条件付きだが。
「じゃあさ、せめてその被り物を外した状態で話そうか。」
社長は手で相手に座るように示しながら言った。
【この被り物を外すことはできません】
女(?)は、テーブルの下からホワイトボードを取り出して、きれいな文字でそう書き記した。文字を書くその手はきれいなものだった。
「で、君はこんなわがままを言っておきながら芸能事務所に居たいってわけ?」
【はい。】
「じゃあさ、せめて名前だけでも教えてくれないかな?」
【犬飼直里】
「それって、本名?」
【そんなわけあると思いますか?顔を一切でしていない人が本名を出すなんて考えるなんてこの人社長なのにお頭が悪いのかな?】
一瞬この目の前の人物に殴りかかろうかと考える社長。しかし、ここで子に人物をこの事務所から遠ざけるのは何となくもったいない気がした。
「ふーん。君はものすごく身もふたもない物言いをするんだね。なんというか…強心臓だね。仮にも今、君の目の前に座っている人物はこれから君がお世話になる人なんだけど。」
【思ったことを書いたまでです。】
社長の顔が引きつる。
「今日は、埼大通り沿いにあります、ラーメンショップ“車輪亭”にやってまいりました!そして、今日は特別にゲストを招いています!」
「そうですか!どなたですか?」
「はい!今日のゲストは突如現れた謎の被り物、犬飼直里さんです!犬飼さん、こんにちは!」
【こんにちは】
「…えーっと、スタジオには音声しか届かないので、何を言いたいのか一切わからないので、菜緒ちゃん、ちょっと犬飼さんが何を言っているのか話してくれませんか?」
「…あっはい!そうですね。先ほどまで、ホワイトボードには「こんにちは」と書いてありました。今は…それを消して…っ「そんなこともわからないようなスタッフがいるんですかね。もしくは、レポーターがそのくらい理解できると期待していたのにもかかわらず、レポーターがそれを裏切ったっていうとこですかね…。」って…ちょっと!!そこまで言わなくてもいいじゃないですか!しかもこれ、自分で読むから余計心に刺さります!」
周りの見物客は苦笑い。
「菜緒ちゃん、頑張って負けないようにレポートを続けてください!」
「はい。えーっと、とりあえず店内に入りますね。ここの店内は広いですね。犬飼さんも簡単に通れます!―こちらが店長の木下さんです。こんにちは!」
「こんにちは」
「ここの看板メニューはなんですか?」
「車輪ラーメンです。」
「こちらが車輪ラーメンですね。乳白色のスープが特徴的です!」
「菜緒ちゃん、犬飼さんはそれを食べられるの?」
「はい。犬飼さんの着ぐるみは特殊な作りになっていて、犬の顎に当たる部分が開いてものを食べられるスペースができるので、大丈夫です。」
「そうですか。」
【食べられなかったら、この仕事引き受けない。】
「では、店長いただきます。」
【いただきます。】
犬飼も頭を下げて食べ始める。
数口食べて、犬飼はペンをとる。
「うーん!おいしいです!麺は細麺ですね!食べやすいです!…おっと、犬飼さん…「ゴマと魚類の味が上手く合わさっていてあっさり味で、女性でも非常に食べやすい味です」…ですって。店長、スープの決め手は?」
「はい。特性ゴマソースと煮干し・鰹節に複数の野菜を煮込んだものに、味噌ベースのたれを組み合わせたものです。」
「非常にヘルシーな感じですね!女性におすすめも頷けます!」
「おいしそうですね!食べたくなってきました!」
「…なんですか?犬飼さん。「店長が自分好みじゃないことを除けばものすごくいい店」…って、おい!」
「はは。」
「私は、店長さんは渋い感じでとても良い方だと思いますよ。」
「この人、すごく味覚いいわね。」
「…あ?えーっと、犬飼って言う人?初めて聞いたけど。」
カフェの中に置かれた小型ラジオがFM放送を流していた。
「だれ?その人。うちのカフェの電源使っているんだから、それくらい調べてくれるよね?」
「…あー。犬飼直里。芸能事務所カローム所属。デビューは2年前。年齢・素顔・声、ともに不明。女性であることは明かしている。きつすぎるコメントが特徴。」
「ふーん。」
会議室Bでは、テーブルを挟んで犬の着ぐるみ人間と社長が向かい合っている。
「えーっと、君は顔出しNGなの?」
【はい。】
「…君のさっきからの態度を見ると何となく分かるよ。それでいて、本名は明かさない…かぁ。」
社長は椅子の上で伸びをする。やっぱり、この人はいろんな条件が意味わからない。
「ちょっと、気になったんだけど…。全身を見せてくれないかな?」
犬飼は頷いて、立ち上がる。ものすごくプロポーションがいいことが分かる。犬飼は即座に、手元のホワイトボードを手に取る。
【顔出しできない人間に、水着姿を要求するようなまねなんて、大人であるあなたならしませんよね?】
「ははは。まさかね…グラビアなんてね…。」
両手を振る社長。そして、腕をおろし胸の前で組む。足は今朝聞いていた音楽のリズムを刻んでいる。
「あのさぁ、君のこれまでの話を聞くと、わが社に入ったところで仕事は入ってこないと思うよ。確かに、入ったら売り込むように努力はするけどさ。あまりにも、制約が多くて…難しいんだよな。だからさ、今日はもう引き返してくれないかな?」
【私を受け入れないのであれば、こちらにも考えがあります。】
「何のことかね?」
犬飼は会議室の中をくまなく調べ始めた。もちろん、着ぐるみはかぶったまま。
【この部屋には防犯上の観点から、防犯カメラ・盗聴器その他の、この部屋の様子が記録されるものはないですね?】
「…え、ああ。そうだが。」
【では、こちらの考えを示す。この話を週刊誌にばらされたくなければ私を受け入れてください。】
「何の話だ?」
犬飼がホワイトボードを社長に見せる。社長は途中まで読んで固まった。
「犬飼さん…あなたはなんですか?なんで、このような話を知っているんだ。びっくりしたよ。」
【社長さん。私は、あなたの決断を求めているのですよ。】
「ああ、分かった。採用だ。しかし、給料は歩合制だ。いいな。」
【平気です。あと、もう一つ。】
「なんだい?」
【私の正体を明かすような真似をしないでください。ろくな目にあいませんよ。…あと、勝手にやってもらっても構いませんが、何が起きてもこちらは保障しません。】
「…せめて、男か女かだけでも教えてくれ。」
【女です。そのくらい私の体型を見ればわかってもよさそうなんですが。最近は、そうとも言い切れなくなってきているからかな…。】
座ったままの社長は小脇に抱えたファイルから一枚の書類を取り出した。
「ああ。そうか。分かったよ。じゃあさ、これ契約書。これを一週間以内に持ってきてくれ。そしたら、正式にわが事務所の所属の人になる。」
犬飼は頷いて、お辞儀をした。
「今日はもう帰っていいから。」
犬飼は丁寧にお辞儀をして部屋を出た。…丁寧にお辞儀をしているのは分かるのだが、着ぐるみの顔は誰がどう見てもふざけているとしか思えないものだった。
「あの子、悪い子じゃあなさそうなんだけどな。どうすればいいんだろ。」
「社長!あの人、結局どうしたのですか?」
会議室から出てきた瞬間に社長はすぐに先ほどの男性スタッフにつかまる。社長はまっすぐ自分の仕事部屋に戻る方向に進む。スタッフは、それを追いかける格好になる。
「うちで採用することにした。しざるを得なくなったって、言った方が正確かな。」
笑いかける社長。歩く速度に変化はない。
「あ、そうだ君。すぐに一人担当マネージャーを決める様にしてくれないかな。あと、プロモーション担当。」
「わかりました。早急に手を打ちます。」
社長は何かを思い出したようにスタッフに振り返る。メモを取っていたスタッフは、不思議そうな顔をする。
「そうだ、彼女に関係する人には『絶対に正体を見破るような真似はするな。破ったら、何が起きてもおかしくないぞ。』って、伝えておいてくれ。厳重にだ。」
語尾を強くする社長。
「何かあったんですか?」
「こっちの用事だ。」
社長は社長室の扉の前で立ち止まり、よろしくなと手を上げた。そして、すぐに部屋の中へと姿を消した。
「まってよ…。あの人、あのまま帰るのかなぁ。―あー、そうだ。正体は見ちゃいけないんだっけ。ありゃりゃ。」
スタッフは回れ右をした。
いぬかぶり 第2話
芸能事務所…自分にはまったくもって無関係の世界。
そのせいか、仕組みがいまいち分かっていない感じがしてなりません。
本当は、ちゃんと勉強してから扱うべきだったのでしょう。
ごめんなさい。全部想像です。
この話がどのようにつながっていくか…。
これからもよろしくお願いします。