雨音
「雨、降りそうですね…」
そう言って僕は目の前の怪しい曇り空を一瞥しため息をついた。
「ため息をつくと幸せが逃げちゃいますよ」
「むぅ…」
そう言われて僕はちょっと剥れるように顔を伏せた。隣には眼鏡と三つ編みが特徴の見た目がいかにも“学級委員長”な同い年の女の子が立っている。
この子は幼稚園の頃からの幼馴染であるが、クラスが別なので喋るのは登校時や下校時ぐらいだ。幼馴染なのになぜ敬語なのだと問われれば、平常語で喋れるのだがこの方がお互い喋りやすいからである。とは言っても昔はこんな敬語ではなかったのだが…
「でも…確かにこれはため息が出そうですね」
「そうでしょ?だからこれは仕方のないことなんです」
「そんな得意気に言わなくても…」
そう彼女につっこまれ苦い顔を作るが徐々に綻んでゆく。すぐに自分でも顔が綻んでいると実感して彼女に見られないように慌てて顔を伏せる。
「昼までは晴れてたのに…」
「でもさすがに降らないと…あら?」
ふと素っ頓狂な声が聞こえて伏せていた顔を上げると頬に雫が落ちる感触がした。
「うわ、ほんとに降ってきた」
「とりあえずどこか雨宿りをしましょうか」
その言葉が耳に入る前にはもう足が動いていて、徐々に強さを増していく雨を避けるための場所を探した。場所はすぐに見つかった。
「近くに駅があってほんとによかったですね」
「少し濡れましたけどね」
「すぐ乾きますよ、多分」
「すぐ止んでくれればなぁ…」
「ふふ、きっと止みますよ」
雨はしばらく止む気配はなく、この雨の中を走って帰る気持ちも湧かず、暇を持て余すべく僕らはもう少しだけ話をした。
「けっこう時間経っちゃいましたね」
「そんなに経ちましたか?」
駅の時計を見ると違和感を感じた、というのも無理はなく僕らは学校からの帰り道の途中で突如雨が降ってきてしまい雨宿りの為にこの駅に駆け込んできたのだ。僕らが学校を出た時間は午後十六時、なのに駅の時計の針は十二時十分くらいを指している。つまりあの時計が示しているのは…
「…壊れてますね」
「…ですね」
少しだけ拍子抜けをしてしまった。それは彼女もきっと同じだろう。
「携帯で見ますか」
「最初からそれで連絡すれば良かったんじゃ?」
「雨如きで連絡するわけにはいかないでしょ、よっと」
そう言って僕は肩にかけていた通学用鞄を近くのベンチに置いて携帯を探す。
「あったあった、今何時…え?」
「どうかしたんです…あら」
今度は僕が素っ頓狂な声を上げてしまった。なぜなら…
「折り畳み傘持ってたなら早く言ってくださいよ」
「僕も知らなかったのにそんな事言われても…」
「じゃあなんで鞄の中に?」
「…さぁ?」
なぜ折り畳み傘が入ってたのはどれだけ考えてもわからなかったが、これでやっと家に帰れるんならそれでよかった。
「なんとか二人入れるか…?」
「私は大丈夫です、走って帰ります」
「いや、それは駄目だよ」
「でも…」
「じゃあ一緒に帰りましょうか」
「それは君に悪いですよ」
「何が悪いの?こういう時はお言葉に甘えるべきだと思うよ」
「…いいの?」
「拒否する理由がないよ」
「…じゃあお言葉に甘えて…ありがとう…」
そう言って彼女はたどたどしく僕の隣に来て律儀にも頭を下げた。
「こうして二人で一緒の傘に入るなんだか懐かしいな」
「すごい懐かしいね、私憶えてるよ」
「…僕は詳しくは憶えてないなぁ」
「あの時傘壊れて慌てて走ったんだよ?」
「あぁ、はは、思い出したよ。そのままずぶ濡れになっちゃって次の日風邪になっちゃったっけ」
「一緒に休んだよね」
心なしか駅に居た時よりも会話は弾んでいて、普段の丁寧口調も無くなってまるで昔に戻ったかのような感覚に陥る。
「雨、やっぱり止まなかったね」
「そうだね、でもいいじゃん、こういうの」
「こういうのって?」
「雨だよ、濡れちゃうんだけど雨の音はけっこう好きだよ」
「あ、少しだけわかる」
ポツポツと傘を叩く音が響いていく。ちょっとは弱まっただろうか、そう思った時呟くように彼女が言った。
「私も、好きだな」
「それは良かった」
「…今の聞こえてたの?」
「うん、まぁ…」
「え、いや、なんでもないよ?」
「そ、そうか…」
「そうだよ」
「じゃあそういう事で」
「うん、よろしい」
気のせいか彼女は顔を赤らめながら否定していたが僕にとっては一体何がよろしいのかあまりわからなかった。だが彼女に僕の好きなものを好きになってくれたって思うと自然と嬉しい気持ちになる。いや、これはただ僕の自己満足に過ぎないのだが…
歩きながらお喋りに花を咲かせているうちに家に着き、傘を貸して別れの挨拶をした。
「また明日ね」
「またな」
彼女の後ろ姿が遠く見えないところに行くまで確認して家に入り真っ先に自室のベットに寝そべった。今日みたいな会話はほぼ毎日しているのだが何かが引っかかっていた。
「“好きだな”か…」
あの時の…と考えている内にだんだん視界がぼやけているように感じた。
「まぁ、いっか…」
また明日会うから…と思考を徐々に停止させてそのまま眠りについた。
雨音