闇を抱えてる系主人公にはもう飽き飽きだ

第1話 田村さん

“でも……こんなこと言ったら、引いちゃうでしょ……?”
“気にしないさ、何でも言ってごらん”
“実はね、私……中学のとき、いじめられてたの……”

 ああ。またこの手の流れか。高橋美咲は溜め息をついて漫画本を閉じた。
 実は虐待されてたの。親が離婚したの。治らない病気なの。昔の夢を諦めたの。恋人が自殺したの。等々。フィクションの世界はいつもそう。誰かしら特別な闇を抱えた人物が登場する。すぐ隣に居そうな普通の登場人物の、心の奥に秘めた闇や秘密が明らかになる。そんな場面になった瞬間、それまで ページを次へ次へと進めていた共感の気持ちが、すうっと離れていく。

 私は一見普通の高校生に見えて、本当に普通の高校生だ。特別な背景もトラウマも何もない。都心まで1時間弱のベッドタウン。父は中小企業のサラリーマン。母は近所のスーパーのパート従業員。女子大に通うリア充の姉。円満な家庭に育って、地元の小中学校では、とくにいじめや犯罪に巻き込まれることもなくフツーに楽しい毎日を送った。受験勉強はそれなりに大変だったけど、射程圏内の偏差値55の地元の公立高校に一般入試で無事合格。成績は平均点の上と下を行ったり来たり。クラスでは、3つある女子のグループのうち、派手でもなく地味でもない、運動部の子が集まるグループでつるんでる。ダンス部所属。彼氏はいないけど、この学校じゃ、いない方が多数派だし。憧れは、よく部活で応援に行く野球部のエースの先輩。まあ高嶺の花なのは分かってる。
 もちろん、今の日本社会じゃ、そういうフツーの生活が、最早ハードルが高くて普通じゃないってこと、もう高校生だから、それくらい知っている。家も車も持っていて、両親とも揃っていて、学力さえ問題なければ大学に行ける余裕があるなんて、羨むような生活なんだろう。
 でも、私は同じくらい、それを知った誰もが同情するような「設定」がある人が、あなたが特別な人であるという証に語れる「闇」がある人、つまり「闇を抱えてる系主人公」が、羨ましいとこっそり思っている。
 そんな私の日常も、いたってフツーだ。朝は父や姉よりも早く起きて朝練、授業前にその日の小テストの勉強をして、テストの結果に一喜一憂。昼はいつもの仲間とお弁当を食べて、午後は眠たい授業に耐える。放課後はまた部活に行って、帰宅したらご飯食べてお風呂入ってLINEして寝る。部活が休みの日は、テスト前じゃなきゃ、友だちとカラオケやプリクラに行ったり、駅前のマックかサイゼで、誰と誰が付き合ってるとか、先輩の愚痴とか、流行りのドラマの話をしたり。そして家に帰って、いつまで遊んでるのなんて小言を聞き流して、またご飯食べてお風呂入って……
 ……って、これじゃ、いつまで経っても物語が進まないじゃん!
 私に何かひとつでも、語れるような物語があるかな。強いて言えば、部活の先生が厳しくて大会前にみんなで泣いちゃったとか、いつものグループの中に1人空気の読めない奴がいて、そいつ抜きのLINEの方が盛り上がってるのが最近本人に気づかれそうとか、ついにお呼びがかかった数学の補習でさえついていけなくて隣の男子に笑われたとか、私の生活の中のドラマって、せいぜいそんなもんだ。そんな卒業文集の作文以下の話でだらだらと画面を埋めてもしかたない。じゃあどうする、これからどうやってこの下の白い画面を埋めればいい……?

「美咲っ、いつまでぼーっとしてんの? 更衣室行くよ~」
 いつものグループの友達、彩佳に呼ばれてハッとする。その隣には、優香と奈々。みんな体操着の入ったショップ袋(ファッションビルとかで買い物したときに服を入れてくれるアレだ)を持っている。気づけば3時間目の英語の授業が終わり、次は体育だった。
「ごめんごめん」
 そう言って私も、机の横にぶら下げた one*way の袋を持って立ち上がる。

 今日の体育はバスケ。準備運動が終わると、2人組になってパスの練習をする。一緒にやろう、とわざわざ声を掛けなくても、こういうときはいつも彩佳とペアになる。他のペアとボールがぶつからないようにと、体育館の後ろまで広がろうとすると、同じクラスの田村さんと目が合った。田村さんは、見ないでとでも言うようにぱっと目をそらし、隅の方へ行ってしまった。
 田村さんは3つある女子のグループの、どれにも属していない。重たい長い黒髪(体育のときは結んでいるが)にぶ厚い眼鏡。手入れしてないボサボサの眉毛。制服のスカートはきっちり膝丈。業間休みには自分の席で本を読んだり何かしている。まあどこのクラスにも1人くらい居るであろうそういう奴。でもうちのクラスの女子は偶数だから、こういうときは、うちら5人グループの1人、智子(例の1人空気読めない奴。委員長だからクラスをまとめる義務感も多少あるんだろう)がペアになってあげてる。けど智子は、さっき居ないと思ったら、毎月の腹痛が特にひどいみたいで、今日の体育は見学してる。
 そんな訳で田村さんは、壁を相手にパス練習を始めてしまった。おーい誰か気づいてあげて。先生も気づかない振りしないでよ。田村さんも自分から誰かに声掛ければいいのに。こっちから声掛けてあげるべき? でも面倒だし、彩佳も嫌だろうし……。なんて考えているうちに号令が掛かった。
 でも、こういう奴が、「闇を抱えてる系」なのかな。小中でものすごいいじめを受けて人が信じられなくなったとか? それとも発達障害とかいうやつ? もしくは家が怪しい宗教に入っていて、人と関わるなと教えられてるとか……
 そうだ。面白いこと思いついた。
 私はどこまで行ってもフツーの高校生で、私の日常をこれ以上語ってもしょうがない。だから代わりにフツーじゃない人を探そう。そりゃあ、宇宙人や未来人や異世界人が居ればいいとか、昔のラノベの主人公みたいなことは考えないけど、でも、探せばきっと、漫画やドラマのヒロインみたいに、特別な闇や秘密を抱えている人は、周りにいるかもしれない。私の知らない、そんな特別な世界を、探ってみたい。

 そうと決まったら、まずは田村さんから注意して観察してみよう。
 田村さんは、他のチームの試合の見学をしている間も、体育が終わって更衣室へ向かう間も、更衣室で着替えるときも、そのあとトイレに行くときも、1人で行動していた。壁とのパス練習がさすがにキツかったのか、眉間に皺を寄せて、何だか辛そうだった。やっぱり闇抱えてそうだなーなんて思いながら、教室へ戻って、いつもの仲間と机をくっつけてお弁当を広げようとしたときにふと気づいた。
 あれ? そういえばお昼のときどうしてるんだ? そもそもいつも教室にいたっけ? どこ行ってるんだろ? まさか便所飯とか?
 ……と、思ってると本人が現れて、うちらの机の固まりのすぐ前にある自分の席に、体育着の入ったエコバッグを置いて、机の脇に掛けてあるランチバックを取ると教室の外へ出て行った。
 いつもの友達とお昼を食べる日常より、好奇心が勝った。私は立ちあがる。
「ごめん、更衣室に忘れ物したかも、先食べてて」
 一緒に見に行こうかという彩佳に、いいよと声を掛けて、急いで教室を出る。見渡すと、階段を上がっていく田村さんの後ろ姿を見つけた。距離を開けて後を追う。2年生の教室のある2階、3年生の教室のある3階、特別教室のある4階へと、上から下りてくる上級生をよけながら、迷わず進んでいく。そして、4階をも通り過ぎて、さらに上へと向かっていく。
 ぐるぐると階段を追いかけながら、嫌な予感がした。屋上。体育館での拒絶するような目。更衣室での眉間の皺。まさか、まさかとは思うけど、さっきのを苦にして、飛び降りようってんじゃ……
 すうっと寒気を感じ、階段を駆けのぼる。手すりに手をついて踊り場を曲がって、階段の上を見上げると……
 そこにいた3人が一斉に私を見下ろした。1人は田村さん。あとの2人は、確か別のクラスの女子2人。2人は屋上に出るドアの前の僅かな空間に座り込んで、弁当箱を広げていた。
「あ、どうもー……」
 何がどうも、だ。自分でツッコミながらも、この状況にどう対処していいか分からず、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「何?」
 田村さんは怪訝そうな顔をしている。確かクラスでも背が高い方で、階段の真上に立って見下ろされると、かなりの迫力だ。
「楓ちゃん、クラスの人?」
 弁当を広げている方の1人が、田村さんに呼びかけた。田村さん、下の名前は楓っていうんだっけ。呼びかけたのは、男の子みたいなショートカットに黒縁メガネの女子。そうだ、この子見たことある。どこのクラスだか知らないけど、この子もよくトイレとか廊下とかで1人で歩いてるわ。
「よかったら、一緒に食べる?」
 もう1人が、私に笑いかける。色白でぽっちゃりした彼女も、ウェーブのかかった髪型は垢抜けているが、同類か。
「い、いや、違うの、邪魔してごめんねっ」
 だから何が違うんだ。そうツッコミながら、その場から逃げるように階段を駆け降りた。数秒前に頭をよぎっていた妄想を思い出して、かあっと顔が熱くなる。
 そういえば、屋上って立入禁止だったわ……

 その夜、田村さんからLINEが来た。
「今日どうしたの!? まさか体育のアレで同情したとか?……って、そんな訳ないよね。私だってつるむ相手くらい居るしーw」
 そのメッセージの後には、白くて丸い人が指差して笑っているスタンプ。ちょっとイラっとしながら、既読をつけた以上は「ちげーし」のスタンプを返しておいた。そんなんだから、あんたはクラス内に友達できないんだよ。

 翌日の体育では、智子が復帰した代わりに、田村さんが見学していた。そうか、昨日の苦しそうな顔は、あんたもそれか。そんなことを考えていると田村さんと目が合ったが、速攻でそらされた。
「いっしょにパス練してもいい?」
 智子が相変わらずのイラっとする笑顔で、私と彩佳に呼びかける。
 結局は、これがいつもの日常で、これ以上のドラマは起きないんだなあ……。

<続>

第2話 舞愛

「続いては、少女たちを取り巻く少女売春の実態に迫ります……」
 物々しい声のナレーション。顔をモザイクで覆われ、ヘリウムを飲んだような甲高い声に加工された“女子高生”が映る。モザイクの下の髪は、金色。ヒョウ柄の服にギラギラしたアクセ。
「もう1カ月くらい家に帰ってないですー。パパがいっぱいいて、みんな優しくしてくれるから……」
 そんな女子高生どこにいる。メディアに踊らされるんじゃないよ。美咲は溜め息をついて、テレビを消そうとリモコンを探した。あれ? これ、この間と同じ展開じゃん。
 この間も、結局、クラスの変わり者だって、普通に友だちがいて、普通にウザいだけの人だったし、ものすごい闇を抱えたヒロインみたいな人なんて、そうそう身近にいる訳ないんだ。
「そして、少女売春はJKビジネスという形で、今や“普通の女子高生”にまで浸透してきています……」
 リモコンは見つかった。けど、そのセリフが気になって、リモコンをテレビに向けたまま、つぎの展開を待つ。
「はじめは、普通のバイトのつもりだったんです。前にバイトしてたコンビニは時給が安かったので、勉強と両立できるように、短時間で効率的に稼げるところを探していて……」
 今度は、黒髪で、清楚系のブラウスを着た子が喋ってる。
 勉強と両立とか、偉いなあ。私なんか、バイトこそ校則違反だからしてないけど、部活決めるときとか、勉強のことなんて一切考えなかったわ。
「最初は一緒にカラオケ行ったりとか、ご飯食べたりとかだったけど、みんな裏オプションやっててすごい稼いでるし、だんだん感覚がおかしくなっちゃって」
 みんなやってる、ねぇ。そんだけちゃんとした子でもやってるってことは、自分の周りに1人ぐらいそんな人がいてもおかしくなかったりして。

 次の日。昼休みにさり気なくその話題を出してみた。
「あー、そのテレビ私も見たわ。お父さん気まずくなってチャンネル変えちゃったけどね」と彩佳。
「でもテレビじゃそんなこと言ってても、実際あんな人まわりにいないよね」と智子。
「あーでも」奈々が声をひそめた。「言うなって言われたんだけどさ」
「なになに?」みんな一斉に食いつく。
「女バレの友だちが言ってたんだけどさ、舞愛(まいあ)が援交してるかもって」
「マジかよ」思わず前のめりになって聞きかえした。
「ホテル街でオッサンと歩いてるの見たんだって」
「えー」「やだー」「つか目撃した人もなんでそんなとこ居たのさ」
 声を潜めながらも、こういう話題はみんな一気にテンションが上がる。
「シーッ、この話、内緒だからね」「ハイハイ」
 舞愛は、クラスの中でギャル系の子たちが集まってるグループの1人だ。グループの中で唯一髪は染めてないけど、長い黒髪は逆に大人っぽいし、背も高くてスラっとしてる。長くてくるんってしたまつ毛とか、ピンクのリップを塗ってるぽってりした唇とか、同じ女子でもドキッとするくらい、大人っぽいというか、艶っぽい。帰宅部らしくて、いつもさっさと帰ってるから、放課後何してるかは確かに知らない。
 さり気なく、教室の前側に集まっているギャル系グループの方を見る。茶色い頭のグループの中だと逆に目立つ黒髪。(まあ、私らも黒髪だけど)本当かは知らないけど、オッサンやオタクにはその方が喜ばれるってゆーよね。そういえば舞愛、カバンとか時計とか、やけに高くてオシャレなの使ってるよね……
 今度は、面白いネタが見つかるかもね。

 タイミング良く、その次の週はテスト前の部活停止期間だった。本来なら、部活休んで勉学に勤しみましょー、という時期なんだけど、そんなのはまあ気にせず、HRが終わると、こっそり舞愛の後をつけていった。
 舞愛は、同じく部活停止の意味を無視して遊びに行こうとしている茶髪組とは分かれて、1人で駅に向かっていた。何となく、それもまた怪しい。
 最寄り駅に着くと、上り方面のホームへと階段を上がっていった。私にとっては、帰りに遊びに行くときしか使わないホーム。舞愛を追って、タイミング良く来た上り電車へ乗りこむ。
 同じ制服は、嫌でも目立つ。隣の車両の端っこに立って、車両の間のドアから、舞愛の様子を伺うことにした。幸い、舞愛はスマホに夢中で、隣の車両になんて目もくれてなかった。あの指の動きは、最近クラスで流行ってる、あのゲームかな。
 うーん、これって私、もしかしてストーカー? 不審者? まあ、最悪気づかれても、部活休みだから買い物に行くところって言えばいいか。
 電車のドアが開く度に隣の車両をチラ見してたけど、結局、終点のひとつ手前の駅でも舞愛は降りなかった。電車を降りたら、見逃さないように気をつけないと。でも逆に、こんなところで同じ制服の人がいたら、それこそ目立つよなあ……。
 と、考えながらドアの前に立って、開くのを待っていると、ドアの向こうに並んでいるサラリーマンと目が合った。後ろのドアが開く音がした。
 あーしまった。田舎者がバレる。慌てて出ようとするけど、やっぱり田舎者だから、座席からドアに向かう人の流れに負けて、思うように進めない。
 ホームに降りて、周りを見回しながら改札へ向かったけど、同じ制服姿はどこにも見当たらなかった……。

 ……そんなんであきらめる私じゃないから!(誰)
 と、言う訳で、翌日も懲りずに上り電車に乗っていた。
 我ながら何やってるんだろうと思う。でも、家に帰ったら、狭苦しい部屋で机に向かって、家族でご飯食べて、遅くまでまた机に向かって寝るだけで一日が終わるんだ。もし同じ教室で過ごしてる人の中に、全然違う時間を過ごしてる人がいたら、それを見てみたい。それだけで、退屈な日々から解放される気がする。
 今日は降りる方のドアから一番乗りで降りた。少し前を、同じ制服姿が歩いてるのが見える。
 舞愛は、改札のいちばん左端を進んで、JRの駅構内に入る。人混みを掻き分け掻き分け、舞愛を見失わないように進んでいく。
 何線に乗るんだろう。そう思って進んでいると、何線にも乗らなかった。舞愛はそのままJRの改札を出ていった。
 え? これ、改札出れるの? 私、定期じゃないけど大丈夫かな? おそるおそるパスモを近づけると、改札はちゃんと開いた。
 舞愛は迷いもせずに歩いていく。頭上には、「歌舞伎町方面」の案内。
 地上へ上がると、駅前の広場を進んでいく。
 すぐ近くから、聞いたことのあるバラードが聞こえてきた。アコースティックギターを抱えた男の人が、弾き語りをしている。横には、本人の顔写真の入ったカラフルなポスターとかチラシとかCDが並んでる。有名な人なのかな。ちょっとした人だかりになってる。ほとんど女の人だ。みんなうっとりした顔で彼を取り囲んでる。
 自分まで見とれてしまいそうになって、あわてて舞愛に視線を戻そうとした。そしたら、足元で何かがもぞもぞと動いた。あとちょっとで悲鳴をあげるところだった。ボサボサの髪と髭のおじいさんが、横になっていたのだ。真っ黒に日焼けしたおじいさんは、まるで景色の一部みたいに、誰の目にも入っていないようだ。もしかしたら、心のきれいな人にしか見えない妖精なのかもしれない、なんちゃって。
 信号で舞愛に追いつく。舞愛は時計を見た。待ち合わせかな? 信号が青になると、早足で進んでいく。私も見失わないように追いかける。
 少し進むと、舞愛は、スタバとTSUTAYAとカラオケ屋のあるビルに入って、エレベーターのボタンを押した。さすがにエレベーターの中までついていく訳にもいかないから、外から様子を見る。舞愛がエレベーターに乗り込むと、すぐにその横の階段を駆け上がった。2階で様子を見たが、ここで降りた気配はなさそうだ。3階まで駆け上がると、空のエレベーターが閉まるところだった。カラオケ屋の受付がある階だった。カラオケ? 一人で?
 でも、店内を覗くと、カウンターの店員がひとり、電話をしてるだけで、他には誰もいない。舞愛の姿はどこにもなかった。
 試しにエレベーターのボタンを押してみたけど、空のエレベーターがすぐに開いただけ。カラオケ屋に入ったのは間違いなさそう。でも、お店入ったらまず受付とかするよね? なんですぐに消えちゃったんだ?
 受付しないってことは、やっぱり待ち合わせ? 先に誰かが受付してるとか。
 そういえば、この間のテレビで、援交してる子が、一緒にカラオケ行くのが最初だったとか言ってたな……

 やっぱり気になる。とりあえず1階のカフェに入ってみて、待ち伏せしてみることにした。ビルの外に出れば必ずこの前を通るはず。そんなすぐに出てくるとも思えないけど、しばらく経って何もなさそうならしょうがないや。ちょうど甘いものも食べたかったし、教科書もあるから勉強してよう。
 何か長い名前のコーヒーとケーキを食べ終わって、しばらく教科書と店の前を交互にチラチラ見てたけど、舞愛は出てこなかった。
ヒトカラだとしたら、せいぜい1~2時間くらい? もしも本当に援交してるとしても、2人ならそんなに何時間も歌うことないと思ってたのに。それとも……本当に援交してるとしたら……一瞬だけ頭に浮かんだ思春期少女の妄想は、内緒にしておこう。
 とにかくこれ以上お店に居座る訳にもいかないし、今日のところは撤収しよう。
 正直、ここまででも結構楽しかった。こんな街中に出てくるのも、みんなで約束して遊びに行くときくらいだ。誰も知らない、ひとりだけの内緒の冒険をしてるみたいで、ちょっとワクワクした。
 道路を挟んだ向こう側に、ブックオフがある。ちょうどいい、参考書を探そう。教科書見ても、宇宙語にしか見えないし。帰ったら勉強しなきゃ。

 使えそうな参考書を探すまで、かなり時間が掛かってしまった。
 ブックオフを出て交差点に向かおうとすると、信号が点滅し始めた。走ろうか諦めようか迷いながら道の向こうを見た瞬間、ハッとした。
 同じ制服姿の黒髪。
 交差点の向こうに、舞愛がいた。
 そしてその横に、スーツの男がいた。スラリとした舞愛とは対照的に、お腹の出た、中年の、いわゆるオッサン。背は舞愛とあまり変わらない。
 カラオケ屋から出てきたところだろうか。オッサンは、舞愛の髪に触り、舞愛のカバンを持って、舞愛に歩道側を歩かせた。
 この光景を求めて来たのに、この光景が信じられなかった。
 点滅していた信号が赤になる。慌てて渡ろうと駆けだしたけど、目の前をフライング気味のバイクが通り過ぎた。その後に、トラックがガラガラと音を立てて続く。
 トラックが通り過ぎると、2人の姿はもうなかった。

 テストの出来は散々だった。
 衝撃の光景を見たあの日の夜、せっかく探し出した参考書も、結局手に着かなかった。
 次の日、昨日見た光景をみんなに話したかったけど、言えなかった。そもそも尾行なんてしてること自体、言えたもんじゃないし、あの光景が、あまりにリアルすぎて、簡単に噂や笑い話にしちゃいけない気がした。
 それでも、何かの間違いかもしれないという思いもあった。交差点の向こうだし、もしかしたら、見間違いかも。
 なんでなんだろう。テレビに出てきた女の子の話を思い返してみたり、「援助交際 理由」でぐぐってみたり。それでも、どうして、という気持ちだった。
 冒険なんて言っていた自分が恥ずかしい。舞愛はきっと、もっと複雑な気持ちであの場にいたんだ。
 テストの間、席は出席番号順で座る。舞愛は、同じ列のいちばん後ろ。毎時間、いちばん後ろの人がその列の答案を集めて前に提出するんだけど、舞愛が近くに来る度に妙に意識してしまう。答案を渡す手もぎこちなくなる。まるで、好きな人が視界に入る度に意識しちゃうみたいに。いや、そういう指向ではないけど。
 まあ、そんな訳でテストにも身が入らなかった訳だ。え? そもそも普段授業聞いてないから? 違う違う、そんなことないって。たぶん。
 ……結局、そんな訳で、テストも終わったというのに、救済措置のノートまとめをやっている。提出締切日の朝、朝礼前の教室で。いや、本当は昨日中に終わるはずが、気付いたら朝だったんだって。え? テスト前にやっとけ? うるさい。
「ああーーーっ」
 と、突然、舞愛が大げさに頭を抱えて絶叫したので、ドキッとして舞愛の方を向いた。
「どした」隣にいた茉莉花(同じギャル系グループで舞愛といつも一緒にいる奴)が笑いながら聞く。
「英語のノート忘れた……」
 あーあ……。ちな英語のノートってのは、私が今必死にやってる今日締切のやつね。
「うそぉ! それヤバくね?」茉莉花もそれは笑えない、という感じだ。
「絶対忘れないように、玄関に置いといたら忘れた……死にたい」
「なぜ玄関に置くし! カバン入れとけよ」
「だって前に違うカバン持ってっちゃって忘れたことあるんだもんー。あー……」
 舞愛はぐしゃぐしゃっと髪をかきむしった。
 かわいそうに。英語の荒井さんは、絶対に締切なんか延ばしてくれない。テストが悪かった人向けにわざわざ設けてくれた救済措置なら尚更。
「どーしよ、取りに帰ろかな」
「いいんじゃね? 次頑張れば」
「いや本当テスト死んだんだって」
「絶対私の方が死んでる」
「いや本気で真っ白だから」
 ……と、お約束のやり取りをする舞愛と茉莉花。
 そのとき、ガラッ、と、教室の後ろのドアが開く音がした。
 振り返って驚愕した。危うく今度は、私が大声をあげるところだった。
 お腹の出た、中年の、背の低いオッサン。
 あの日、カラオケ屋の前で舞愛とイチャついてた奴だ。
 舞愛は立ち上がって、そのオッサンに向かって駆け寄り、呼びかけた。
「……父さん!」
 …………はっ!? 父さん!?
「何でこんなトコいるんだよ」
「舞愛ちゃん、忘れ物したでしょ、ほら」
 そう言って、オッサンは、カバンからノートを取り出した。
「昨日遅くまで勉強してたし、玄関に置いてあったから、忘れちゃいけない物なんだと思って」
「それでわざわざ来たのかよ。公務員ってそんなにヒマなんだ……ま、ありがと」
 舞愛がノートを受け取ると、オッサンは舞愛の髪を撫でた。あの時の、カラオケ屋のときみたいに。
「ほら、また髪の毛ボサボサじゃないか。女の子なんだから、もっと気を遣わないと」
「ばっか……学校なんだからやめろよ! さっさと帰れ!」
 そう言って舞愛はドアを閉めてオッサンを追いだした。
 そして、恥ずかしそーに、茉莉花のところに戻ってきた。
「よかったじゃん」
 小刻みに震えながら、茉莉花が笑った。「つーか、今のお父さん? 仲良いね。」
「うっさい、別に仲良くないし」
「でも、似てねーな」
「私もいまだに本当にあいつの子か疑ってる」
「一緒に歩いてたら、援交だな」
「うっさい」
 それを聞いて、斜め前にいた奈々が「あっ!」という顔で、こっちを見た。
 私はどんな顔をしていいか分からず、苦笑した。
 いや、私だってね、ちょっとは考えたよ? 年齢的に親子くらいだって。でも、似てな過ぎでしょ。そりゃ間違えるって! もー、この数日は何だったのさー! あの時間とテストの点を返せー!
 え? 自分の頭の悪いのを人のせいにするなって?
 ……うるさい。

 放課後、ギャル系グループのみんなが、聞く気がなくても聞こえる大声で、テストの打ち上げの話をしていた。どうやらカラオケに行くみたいだけど、
「舞愛のバイト先、割引とかないのー?」という声が聞こえてきた。
 ……ん?
「あるけど都心までの交通費の方が高いぞ」と舞愛。
 舞愛が、都心の、カラオケで、バイト?
 ああ、なるほど。そういうことか。
 つーか、バイトって禁止じゃん。あ、だからあんな都心に通ってる訳か。

 さらに後日知った話。
 親子なのは分かったにしても、なんであのオッサン……もとい、舞愛のお父さんはあんなところにいたのかっていうと、どうやらあのカラオケ屋の近くにある区役所に勤めてるらしい。あんなところに役所がある訳ないだろ、と思ってグーグルマップを見たら、本当にあったからびっくりだ。

 ある月の、世間が給料日で潤った日の翌日、舞愛は聞いたことないブランドの新品の鞄で登校してきた。
 持ち物が高価なのも、バイトが理由だったという落ち。
 でも、そんな高価な持ち物が似合う、大人っぽくて艶やかな顔立ちは、それでも何か秘密を持ってそうな香りがするのだった。

<続>

第3話 鳥羽くん

 私も、もう懲りた。根拠のない思い込みとか噂話で人のこと探るのは、もうやめよう。
 勝手な思い込みとか、早とちりはもうしない。
 でも、それが、学年全体に向けて張り出されてる、客観的な数字なら話は別だ。しかも、それが、同じクラスの、隣の席の男子だとしたら。
 私は平均点をかなり下回った今回のテスト。各教科の点数と、全教科の合計点の、それぞれ上位10位までが、廊下に張り出された。
 合計点1位に載っていたのは、隣の席の鳥羽靖一(とばせいいち)だった。
「ねえ」
 数学の授業中、先生が板書してる間、こっそり鳥羽くんに話し掛けてみた。
「どうしたらそんな頭良くなれるの」
 鳥羽くんは、いきなり話し掛けられたことにちょっと驚いたみたいだ。
 天は二物を与えず。糸みたいに細い目に、そばかすだらけの顔。くしゃくしゃした髪は、ろくに手入れしてないんだろうな。鼻筋はスッとしてるのに、ちょっと勿体ない。多分女子に話しかけられたこと自体あまりなさそう。
「……別に、普通に勉強すりゃいいだろ」鳥羽くんはノートに目を戻して答えた。
「えー、なんかもっと特別なコツとかないの?」
「とりあえず授業中しゃべってないで、ちゃんと授業聞くことだな」
 ごもっともー。私は何も言えず、右手に鉛筆を持ったまま、机に突っ伏した。
 鳥羽くんのノートが目の前に見える。字は汚いけど、スラスラと、意味不明の数字とアルファベットの羅列が続いていって、答えらしき数式に行き着いた。そこで鳥羽くんの手が止まった。
 私は、突っ伏した姿勢のまま、顔だけ黒板を見上げた。
 あれ? 先生は、まだ数式の途中を書いている。
「なんで先生より板書早いのさ」
「自分で先を計算してんだよ。まさか高橋、文字をそのまま写してるだけじゃないだろな」
 まさかも何も、それしかないし。天才には、凡人の気持ちなんか分かんないよ。
 こいつの頭の中は、どうなってるのかな。
 天才にしか分からない苦悩。親が教育ママだったり、周りの期待に押し潰されそうになったりするのだろうか。
 いやいや、今度は勝手な思い込みとか尾行とかしない。
 けど、それだとこの後の話が進まない。
 だから、単刀直入に聞く。

「ねえ、そんだけ頭良いと大変じゃない?」
「は?」
「われわれ凡人には分からない苦悩とかあるんじゃない?」
 次の英語の授業中、隣とペアでの音読の時間、懲りもせず鳥羽くんに聞いてみた。
「何言ってんの?」
 鳥羽くんは明らかに怪訝そう。さすがに、単刀直入すぎたか。
「だってさ、そんな頭イイ人が隣の席にいるなら、いろいろ聞きたいじゃん。天才の頭の中が分かれば、頭よくなる秘訣も分かるかなって」
「何なんだよ、高橋。さっきから」
 呆れ顔で、それでも満更でもなさそうに、鳥羽くんは答える。
「私も心を入れ替えたんだよ。今回のテストで反省して、もっといい点取れるよーになりたいなーって」
「んなこと言っても、頭良くなる秘訣なんてある訳……」
 鳥羽くんは、一瞬何か考えるそぶりをした後、思いついたように言った。
「いやあるよ、テストで高得点とれる秘訣なら」
「なに、あんの? あんなら教えてよー」
「うーん、ただ教えても身にならないだろ」鳥羽くんはいたずらっぽく言った。
「今度の小テストで俺に勝ったら教えてやるよ」
 はあ?
 何調子乗ってんのこいつ。何様。無理だし。
 秘訣ってのもどうせ、「俺様に勝てたってことは、その勉強法がいちばんの秘訣だ」とか何とか言うんでしょ。
「何その話……」
 溜息交じりで答えると、鳥羽くんはちょっと残念そうに眉を下げた。その反応に、口元がにやける。
「……おもしろいじゃん」

 普段ならそんな話、鼻で笑うだけで相手にもしなかっただろう。でも、いまの退屈な私は、とりあえず日常と違うことがあれば、なんでも乗ってみたかった。調子乗ったインテリの妄言でも、万年平均点の私には無謀な挑戦でも。
 と、いうわけで、部活を終えて帰宅すると、1週間後の小テストに向けて早速教科書を開いた。
 要は単語と熟語の暗記だ。覚えりゃいーんでしょ。覚えりゃ。単語をひたすら単語帳に書き写す。最初はやる気だが、単純作業に、だんだん、眠くなる……。
 はっ、と気付いたら、お母さんに背中をさすられていた。なかなかお風呂に入らないからって心配して見に来たとか。時計を見ると、もうすぐ日付が変わる時間。たぶんLINEの未読も溜まってる。
 お母さんは、「急にどうしちゃったの? テストもこれくらい勉強してくれればよかったのに」だってさ。

 次の日、通学の間じゅうずっと、私は単語帳を繰り返し眺めた。その日の夜は、前日終えることができなかった単語帳への書き写しを終えることができた。次の日、私は電車の中で単語帳を開いた。単語帳をめくればめくるほど、単語の意味が記憶されるようになった。
 早くも勉強の効果が出てきたのか、英語の授業で、先生が黒板に書いた例文の意味が、すっと頭に浮かぶようになった。私は先生に指し示されて、見事に正解を答えることができた。英語がもっとも苦手な教科のひとつだったということが、もはや信じられない。
 なんか、私の語り口までもが、英語の授業みたくなってきた。
 まあ、この分なら、満点も行けるかも。でも問題は、鳥羽くんだって満点を取るんじゃないかってことだ。それじゃ勝てないじゃん。同点も条件に入れてもらうべきだった。
 テスト前日。毎日単語帳見てるし、もう完璧だろうと思いつつ、復習がてら単語帳の日本語の方を見ながら、英単語をノートに書き出してみた。
 が、あんなに毎日見てたはずの綴りが出てこない。この単語だってのは分かるけど、ここaだっけ? uだっけ? ってのが、どんなに思い起こしても出てこない、みたいな。recieveじゃなくて、receiveなのかよ、とか。
 やばい。これ勉強した気にだけなって、実は頭に入ってないってやつだ。私は、慌てて単語の書き取りを始めた。一通りやって、また最初みたいに日本語を見ながら英単語を書き始める……。

 そして、とうとう小テスト当日。いつもは、部活の忙しさを言い訳に、当日の朝になって慌てて教科書を開いてるところが、今回は単語帳を復習するだけ。昨日、あの後の勉強の甲斐あって、綴りも大分頭に入ってきてる。
「どしたの、美咲。単語帳なんか用意しちゃって」
 彩佳が驚いたように聞く。
「ま、こないだのテストで私も反省したわけだ」と私は笑う。鳥羽くんとの勝負のことは、笑い飛ばされるだろうから内緒。
 2時間目の英語の時間。
「勉強してきた?」と鳥羽くんはいたずらっぽく笑う。
「もちろん」と私はピースサイン。
 テスト用紙が配られる。いつもは、分かる問題を探すところから始まるけど、今日は違う。順調に問題を解き進めていく。あっ、ここ昨日やったとこだ。自信満々で receiveと書く。何度も見直して、テスト終了。
「どうだった?」
 鳥羽くんが自信ありげに聞く。
「バッチリ」と私も負けないくらい自信満々にピースサイン。
 テストが終わったら、急に眠気が襲ってきて、その後の授業は半分くらい寝てたけど。

 そして、運命のテスト返し。
 私はニヤニヤしながら、テスト用紙を鳥羽くんに見せた。
 満点。
 鳥羽くんは驚いてテスト用紙を見つめる。
「私だってやればできるんだよ」と私はまたもやピースサイン。
「で、鳥羽くんは? でも、鳥羽くん頭いいし、どーせ満点かなー?」
 鳥羽くんは下唇を噛んだ。ちょっと渋ってから、テスト用紙をこっちに突き出す。
 丸印が並んでいる中に、ひとつだけ✓マークがあった。そこに書いてあった答えは「recieve」。吹き出しそうになったわ。
「しょーがねーな。約束は約束だからな。なんだっけ? そうそう、テストで高得点とれる秘訣って言ったな……」鳥羽くんは勿体振ったように言う。そのわざとらしい口調が面白い。
 私は笑いながら言った。
「分かってる、鳥羽くんに勝てるだけの点数取れたんだから、もう秘訣は必要ないよ。繰り返し勉強したり、紛らわしいスペルなんかは、書くといいって分かったし」
 鳥羽くんはキョトンとしてる。私は続ける。
「その代わり、天才にしか分からない苦悩教えてよ。こないだははぐらかされちゃったけど、天才少年の頭の中とか、興味あるんだよね」
 鳥羽くんは、呆れた目でこっちを見た。
「あのなあ……高橋、お前こないだからやけに持ち上げてくると思ってたけど……本気で俺のこと天才とか思ってるのかよ」
 今度は私がキョトンとした。鳥羽くんは、頭の悪い子に言い聞かせるように言った。
「高橋、ここが偏差値真ん中の学校って知ってるだろ。俺だって中学じゃせいぜい真ん中よりちょっと出来るくらいだったし、もっと頭いい奴はもっと頭いい高校に行ってるんだよ」
 そうだった……。いや、それくらい分かってたよ? それでも私から見たら天才なんだってばー。
「俺はたまたま部活もやってなくて、勉強する時間あるだけなんだよ。だいたい、このレベルのテストなんて、まともに勉強すれば点数取れるんだって」
 確かに。私は満点のテスト用に目を落とす。
「ま、定期テストともなると、勉強するにもコツがあるけどな。あーあ、せっかく俺に勝ったんだから、約束通り、家庭教師の兄貴直伝の勉強法教えたろーと思ったのに 」
 なんだ、頭いいのはお兄さんが理由かい。っていうか本当に教えてくれる気でいたとは。
「何それ知りたい」
「いいや、高橋の態度が気にくわないから教えない」
「ずるい! 教えてよ!」
「おい、お前らうるさいぞ!」
 思わず声を荒げたら、先生の一撃。
 あーあ、せっかく勉強がんばったのに、何なのさー。またこんなオチなのー!?

<続>

第4話 尾崎くん

「今度の土曜日、18:00、アルタ前広場!」
 クラスのLINEで、レポートの話の流れをぶった切って、こんなメッセが流れた。
「突然ですが、ヤス&ジュン1st路上ライブやります!!」
 メッセの主は、尾崎康之(おざきやすゆき)。軽音部のチャラ男。いつもギターを持っている。
 あ、ちがうちがう。軽音部は「音楽性の違い」とか何とか言って辞めたんだっけ。でも、とにかくギターはいつも持っている。ジュンが誰だかは知らない。他のクラスか、他校の奴か。
「レポート用紙って、サイズ指定あったっけ?」と舞愛。尾崎くんの突然の告知は何事もなかったかのようにスルーされた。
「オリジナル曲もやります!」
「B5でもA4でもOK」
「来てねー…」
「よかったー。ありがとう!」
 尾崎くんは、ことごとくスルー。
「みんな! 尾崎くんに注目してあげてw」と、ようやく拾ってあげたのは、智子。
 でも、その話題はそれっきりで、いつも通り他愛ない話に戻ったのだった。

 次の日。朝のHRが終わって、先生が教室を出ると、尾崎くんは勢いよく教壇に上がった。
 ほどんど金髪に近い明るい茶髪。ズボンからわざと出したシャツに、ずり落ちそうな腰パン。首には金の十字架のネックレス、自慢げな薬指の指輪。
 尾崎くんは、教室中に向かって呼びかけた。
「みんな、昨日のLINE見てくれた!?」
 前の方の席にいる舞愛が、苦笑しながら答える。
「見たよ。宿題の話してたら、なんか雑音入ったなーって」
「ひでーっ」尾崎くんは大げさに頭を抱える。
「気合入れてんだから、みんなにも見てもらいたかったんだよ! 俺が作曲したオリジナル曲もあんだよ! 土曜18時、よろしくな!」
 最後はクラス中に向けて声高にアピール。
「うっせーよ」と、同じくチャラい系の男子が教壇に乗って頭をはたいた。そして2人して大声で笑う。
 うーん自由だ。てか、男子はこういうのノリでやってもクラスで生きていけるのが羨ましい。

 路上ライブに、作曲か。
 舞愛を追いかけたときに見た、弾き語りの男の人を思い出す。別世界の存在だと思っていたけど、同じクラスの男子が同じ場所に立つとは。ああいうのって、どっかに許可取ってやってるのかな。さすがに勝手にやったら怒られるもんね。
 作曲だって、音楽の授業でもやったけど、ただ鼻歌うたってりゃいいってもんじゃなくて、音階とか何拍子とか難しいんだよね。人前で歌うものを作るって、きっと才能あるんだろうなー。
 でも、鳥羽くんの「ここが偏差値真ん中の学校」って言葉を思い出す。ただの高校生が、プロみたいにキャーキャー言われたり、本当の歌手みたいな曲を作れたりする訳ないか。
 それでも、同じクラスの高校生が、形だけでもそんな世界に飛び込もうとしてるとか、すごいよなあ。
 尾崎くんなんて、ただのチャラいだけの奴かと思ったのに。一見何も考えてなさそうに見えて、本当は陰ですごい苦労や努力をしてるのかもしれない。
 土曜18:00か。部活の後行けば間に合うな。とか考えてしまった。

 部活の休憩中、携帯がないことに気付いた。そういや授業中、LINE見てるのバレそうになって、慌てて机にしまってからそのままだ。
「すぐ取ってくるわ」と彩佳に声を掛け、体育館を出た。
 渡り廊下を通って校舎に入ると、かすかに歌声が聞こえてきた。廊下を進むほど、歌声は近くなる。ギターの弦をはじく乾いた音も聞こえてきた。
 声は、うちのクラスからだった。
 誰だか予想はつくけど、ドアの横の壁に身体をぴったりとくっつけて、ドアのガラスを横目で覗く。
 窓のフチに腰掛けて、尾崎くんがギターを弾いていた。
 聞いたことあるバンドの曲。尾崎くんが歌うとこうなるんだ。本人より上手いかも。
 さてどうしよう。携帯取りにいきたいんだが。
 尾崎くんも、どうしてこんなところで歌ってるのか。しっかし、気持ち良さそうに歌ってんなー。
 後でまた来ようかな。そう思ったとき、歌が止まって、尾崎くんがこっちを見た。
 あ、どうしよ。
 いや、ここで帰るのも不自然だろ。私はドアを開けた。
「邪魔してゴメン。携帯忘れちゃって」
「ああ、さっきブーブー鳴ってたの、高橋のか」
 教室へ入って、自分の席から携帯を取る。それだけで帰ればよかったのだけど、
「すごい楽しそうに歌ってるね」好奇心で話し掛けてみた。
「そりゃ楽しいもん」意外にも、尾崎くんは笑顔でそう答えた。
「俺も歌ってて楽しいし、俺の歌をもっといろんな人に聞いてほしい!」立ち上がって、力強い声で続ける。
「だから高橋も、土曜来てくれるよな!」
 私は苦笑した。
「……考えとくね」

 そんな訳で、私はまた、上り電車に乗っていた。
 土曜日、部活が終わると、適当な理由をつけて彩佳たちと別れて、反対のホームに向かった。
 「もしかして路上ライブ行くの?」なんて聞かれることはなかった。多分、みんな忘れてるんだろう。
 そうして、ちょうどいいタイミングで来た準特急に乗り込んだのだった。

 終点に着く頃には、空は暗くなっていた。
 舞愛の尾行をしたお陰で、いつも迷ってた東口へもすんなり行き着くことができた。
 階段を上がって外へ出ると、早速音楽が聞こえてきた。おお、本当にやってる。しかもアンプを通してるみたい。本格的。
 テンション上がって、自然と早足になる。こういうの、待ってたんだ。
 とはいえ、クラスメイトの晴れ舞台を目の前で聞くのは、ちょっと気恥ずかしい。他のお客さんの後ろからこっそり覗こう。そう思いながら、待ち合わせの人の間を抜け、音のする方へ近づく。
 でも、ロータリーを回って、目に飛び込んだのは、誰も見ていない中で歌う、2人組の姿だった。
 「他のお客さん」はいなかった。広場に人はいるけれど、どこかへ向かって歩いてたり、歌なんて耳に入ってないみたいに何人かで話してたり、関係ない方を向いて携帯をいじってたり。
 拍子抜けして、広場へ入る。とりあえず、そんな人たちの一部として紛れながら、横目で2人組を見た。
 尾崎くんが、教室で歌っていたあの歌を、ギターを弾きながら歌っていた。もう一人、見たことない男子が、横でキーボードを弾いてる。こいつが「ジュン」だろう。
 尾崎くんの歌声は、この間はプロ以上に聞こえたけど、緊張しているのか、ちょいちょい音が外れてる。マイクを通すと、却って耳障りだ。キーボードも、ところどころ鍵盤を踏み外してるのを、勢いで誤魔化してる感じ。
 足元には、「ヤス&ジュン1st路上ライブ」と書いてあるスケッチブックが立ててある。黒の油性マジックで書いただけの汚い字。最後の方はもはやインクが切れかかってる。かすれてバーコードのようになった線で何度も重ね書きをして、ようやく文字が見えるくらい。
 うーん、なんかちょっと、思ってたのと違うかも……。
 道行く人は、立ち止まりも振り返りもしないで、2人の目の前を通り過ぎる。2人の姿は、まるで景色の一部のように、誰の目にも入っていないみたいだ。
 一曲歌い終わっても、もちろん拍手はない。めげずに尾崎くんはマイクに向かう。
「ありがとうございます。続いては、ジュンが作詞、僕が作曲した曲です。なんと、本日が初公開です! 少しでも聞いていただけると嬉しいです! それでは歌います、『フェアリー・ナイト』」
 キーボードとギターの前奏が始まり、尾崎くんが歌いだす。歌い出しが少し裏返った。尾崎くんは汗だくだ。
 あれ? この曲って、オリジナルなんだよね? この甘ったるいメロディは、どっかで聞いたことあるような……。そうそう、さっき歌ってたバンドの、少し前に流行った曲にそっくりだわ。
 そうだよね。やっぱり作曲とか、難しいもんね。パクったのか、好きだから自然と似たのか、どっちかは分かんないけど。
 帰ろうかな。そう思ったときだった。紺の帽子に、紺の制服、腰に無線を下げた男の人が2人、尾崎くんたちに近づいた。警察だ。
 なんだ、許可も取ってなかったのか。
 尾崎くんたちは、警察に何か言って抵抗してたみたいだけど、結局かなわなかったのか、その場を片づけ始めた。
 今度こそ帰ろうとすると、向かい側から歩いてくる女の人が、汚いものを見る目で尾崎くんたちの方を見ていた。
 どうやら彼らは妖精ではなかったようだ。


 私は一見普通の高校生に見えて、本当に普通の高校生だ。だから、普通じゃない人たちを見てみたかった。
 でも、いい加減気付きはじめた。どうせ周りのみんなも、普通の高校の、普通の高校生で、ドロドロした闇を抱えてる訳でもなく、飛び抜けた才能がある訳でもないんだ。
 駅の通路で、ふと、映画のポスターの煽り文句が目に止まった。
「謎めいた隣人の正体とは……」
 だから人は、そういう作り話を求めるのかもしれない。
 携帯を出して、ポスターを写メった。
 近くの映画館でやってるか、調べてみよう。

「路上ライブ、途中であえなく撤収。公権力に屈しました、、、俺らがうますぎて苦情入ったみたい(笑)」
「ジュンと反省会中(笑)もう2ndの計画たててる」
 その夜のクラスLINEで、こんなメッセが流れた。その後には、お店の料理の写真。写ってる飲み物は、多分ビールだ。
 これはもしかすると、一見何も考えてなさそうに見えて、本当に何も考えてないのかもしれない。

 翌週。
「美咲、何かあった?」
 みんなで話していると、唐突に彩佳に聞かれた。
「何って、何もないよ? どうして?」
「だって最近美咲、つき合い悪いんだもーん。さびしいよーっ」彩佳はとつぜん大袈裟に両手で顔を覆う。優香が彩佳の頭をはたきながら続く。
「まあ確かに、小テストで満点は取ったときは、真面目キャラになっちゃうのかと」
「こないだは尾崎くんのライブ行ったんでしょ」と奈々。
「なんで知ってんの!?」
「尾崎くんが言ってたもん」
 なんで言うんだ。自慢できるようなライブでもなかったくせに。てか気付いてたのか。
「心境の変化? 何か隠してるー!?」彩佳が私の顔を覗き込む。
 3人の目が、興味深そうに私を見てる。それは、私が、田村さんや舞愛や鳥羽くんや尾崎くんを見てたときの目と同じだった。
 私は、おかしくなって吹き出した。
 さて、どうしてこの疑いを解いたものか。
 それとも、もうちょっとだけ変わり者のフリをしていようかな。
<終>

闇を抱えてる系主人公にはもう飽き飽きだ

特に「最終話」とか書かなかったけど、美咲の物語は、これにておしまいです。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
2話と4話を書くために、夏日の昼間に、新宿をうろうろしていたのは良い思い出。

闇を抱えてる系主人公にはもう飽き飽きだ

私は一見普通の女子高生に見えて、本当に普通の女子高生だ。私に語れる物語なんてない。羨ましいのは「闇を抱えてる系主人公」。もしかしたら、私のクラスにも、そんな人がいるかもしれない。そんな中二病女子高生の日常。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第1話 田村さん
  2. 第2話 舞愛
  3. 第3話 鳥羽くん
  4. 第4話 尾崎くん