遠くの、あの人

秒速5センチメートルの主題歌「One more time,one more chance」のPVを僕に見せた友人は一言、
「これを見て思い浮かんだ物語をかいてほしい」
と言いました。そこで出来上がったのが、この作品です。


「あかり〜、待ってよ〜」
桜舞い散る、四月。二人の少年少女が元気よく坂を駆け下りて行く姿は春の日差しのなかに映える桜とあいまって、とても絵になる光景だった。少年がようやく追いついたのは、少女が踏切を渡り終えた時。踏切の向こう側で、雨も降っていないのに桃色の傘を振り回す少女を見て感じた、胸がキュンとするような思いが何かを少年がわかるようになるのは、もう少し後になってからだ。

俺の章

「引っ越す⁉︎」
「うん、お父さんが海外に転勤するけん、その間あたしはおばさんの家に行くことになるんだって」
明里の部屋で、彼女からそんな話を聞いた時の俺の心は「青天の霹靂」という言葉では言い表せないくらいの衝撃を受けていた。
考えてみれば、自宅が隣同士だった俺と明里は物心ついた時から行動をともにしていた。明里の母親は明里が生まれてしばらくして亡くなっていていたのもあってか、俺たちは兄妹のように育てられた。
一緒に幼稚園に通った、あの頃。幼稚園の卒アルには俺と明里がキスをしている写真がバッチリ入っている。
小学校の入学式で、明里は買ってもらったばかりのピンクの傘を、雨も降っていないのに持ってきてたっけ。ど緊張でカメラを睨みつけている俺とくしゃっとしたような笑顔を浮かべ、なぜか傘を持っている明里とのツーショットを見つけて笑いあったのはごく最近の話だ。
教室に「あかり♥︎たかき」と大書きされて始めて「恋」を意識したのは小学校六年生。教室で呆然と立ち尽くしていた彼女を見つけて外に引っ張って行ったあのときのことは、昨日のことのように思い出せる。あのとき、明里はないていた。その涙の理由を知るのはそれからだいぶ経ってのことだった。
こんな風に、俺の人生はいつも明里とともにあった。そんな明里が、転校……中学二年生の俺には信じられなかった。明里は、このままずっと一緒にいるものだと勝手に思いこんでいた。
「どこに、引っ越すん?」
そう聞くと明里は本棚から地図帳を引っ張り出して、二点を赤のマジックで結んだ。マジックの音がやけに長く感じた。
「ここ」
そう言って彼女が円をつけた場所には「横浜」という二文字が踊っていた。ここ福岡から、かなり離れたところだった。
「えらい遠いね」
「ちゃんと手紙、書くけんね」
そういう彼女の目は、とても寂しそうに見えた。
そのあとに明里はひと言、
「絶対泣かんよ」
といった。でも、
「ニコニコ笑ってバイバイやけんね」
という彼女の顔は、今にも泣き出しそうだった。

数日後。皆で玄関の外にでて彼女のバッグを車に入れたら、明里はもう向こう側の人だった。父親の隣で、明里は寂しそうに立っていた。親達が大人同士の挨拶をしている間、彼女は今にも泣き出しそうな顔をして、俺の方を見ていた。
そしていよいよ挨拶が終わると、俺の父さんはよせばいいのに、わざわざ俺達に向かってこう言った。
「おまえたちも、お互いにいい友達にめぐり合えて本当によかったな」
そして、
「本当に、楽しかったなあ」
とまるで自分の事のように付け加えた。
その言葉を聞いて、それまで必死にこらえていたのに、顔の筋肉が自分の意思に反して引きつった。
 もう遅かった。目頭から熱いものがジワーっと湧き出し、目の前の情景が急に歪んだ。俺の顔をじーっと見つめていた明里の顔も急にくしゃくしゃに歪んだと思ったら、俺達は、ほぼ同時にわぁっと大声を上げて泣き出した。
いったんたがが緩んでしまうと、止め処もなく後から後から涙が溢れ出した。明里は俺の方に走りよってきて、俺に抱きついた。俺はしっかり彼女を抱きしめた。俺の母親もそれをみてもらい泣きをして、目頭を交互にぬぐっていた。
ひとしきり泣いて少し落ち着くと、俺はまだヒクヒクしている明里に一言、
「絶対泣かんって言ったやん。笑ってバイバイ、なんやろ」
といった。彼女は、
「だって、貴樹くんが泣いたっちゃもん、つられちゃったやん、バカ」
といって笑い泣きした。
彼女は父親と一緒に車に乗り込んだ。俺達はもう泣かなかった。俺は角まで車を追いかけていった。そして、そのあと、ずっと向こうの角を曲がって見えなくなるまでそこに佇んでいた。そうして、
「ああ、行ってしまった」
と思うと、心にぽっかりと穴が空いたような気がした。

※ ※ ※ ※ ※ ※
「元気にしてますか?引っ越して早くも三ヶ月が過ぎ、こっちはだいぶ横浜の生活にも慣れてきました。横浜ってすごいんだよ!電車が三分おきに来るから乗り遅れても、あんなに長く待たなくていいの。
とかこんな風に楽しそうに書こうとしてみるけど、やっぱり貴樹くんがいなくて寂しい。お前も横浜に来いっ!笑。
また手紙を送ります。返信、楽しみにしてます。」

明里からの手紙を読みながら、思わず笑みがこぼれてくる。ちょっと前までは寂しいよ一辺倒だった彼女からの手紙にも、少しずつ元気が戻り始めていた。
明里は引っ越してすぐに手紙を寄越してくれた。見慣れない「神奈川県横浜市中区」の文字を見て
「明里は引っ越してしまったんだな、"区"ってかっこいいな」
とか、そんなことを思ったあの日から早くも三ヶ月。俺は表面上はなにも変わらない体を装っていた。友達から
「彼女がおらんくなって寂しいっちゃろ」
とか言われて
「そんなんじゃねえよ、バーカ」
なんて返していたが、実際は図星だった。
  明里がいなくなった喪失感は、想像以上のものだった。まず一緒に登下校するひとがいない。これは都会なら笑い事で済むかもしれないが、片道二キロを無言で延々と歩き続けるのはとてもきつかった。
友達はみんな部活にいって、放課後一緒に過ごす人もしばらくはいなかった。明里より信頼できて、仲のいい友達はどうやってもできっこなかった。俺は想像以上に明里とべったりの生活をしていた。
だから明里との手紙のやりとりは、遠いところに打ち上げられた衛星との定期連絡のようなものだった。
「聞こえてますか?元気ですか?」
という程度の、他愛のないものだったが、その程度の連絡で満足だった。
もちろん、電話をしたこともあった。でも電話だと相手の息遣いをじっと聞いておきたくなって、切るタイミングを逃してしまう。時には一時間以上も無言で電話の子機を離さなかったこともあるし、切ったら切ったでとてつもない喪失感に苛まれる。明里は公衆電話だから、そんなに長々と話すわけにもいかなかった。そんなわけで、手紙にするのが一番よかった。
明里とはこのあとも、ずっと連絡を取り合った。ときには悩みを相談したり、将来のことを語り合ったり。福岡にいた時と同じくらい、いや、それより濃密な話もたくさんした。時折同封されている写真の中の明里は、どんどんきれいになっていった。
そうして俺たちは中学を卒業し、高校生になった。俺は一番近い公立高校に進学し、明里は横浜の女子校に進学した。

※ ※ ※ ※ ※ ※

「付き合ってください」
そう言われたのは高校二年生の二学期を過ぎた頃のこと。時折校庭から聞こえてくる笛の音や応援の声が程よいBGMとなって耳に届く。空はほんのりと紅に染まり、秋の訪れを感じさせる。ドラマで出てきそうな告白のワンシーンだった。
相手の女の子は同級生。でも、俺は躊躇うことなく言った。
「ごめん、好きな人がいるんだ」
明里のことを好きだとはっきり言ったのは、この時が初めてだった。

「篠原明里さま
元気ですか?
今は夜の9時で、僕は自分の部屋でこれを書いています。誕生日に会える時に、この手紙を渡そうと思っています。
いま、窓の外からは甘木線の走る音が小さく聞こえます。
明里の部屋ではどんな音が聞こえて、どんな暮らしをしているんだろう。
僕には、うまく想像ができません…」
ぴゅうぴゅうと木枯しの吹く夜。俺は突然の手紙への返信をしたためていた。

高校生になった時、俺たちはケータイを持つようになった。でも今までの手紙生活が長すぎて、簡単に連絡を取れるケータイには、なぜかはわからないが、幾分の嫌悪感を感じていた。それに俺は明里の字にほのかに感じる息遣いまで、大切にとっておきたかった。
明里が俺の誕生日祝いに、帰ってくる。この間の手紙にそう書いてあったのを見て、俺はいてもたってもいられなくなった。誕生日は十二月の十四日。明里が来るのはそれから十日後の、二十四日。指折り数え、その日がやって来るまではとてつもなく長く感じた。

※ ※ ※ ※ ※ ※

その日は、とても寒い日だった。今日、明里が帰って来る。慣れ親しんだこの駅に、再びおりてくる。俺は明里とよく話していた待合室で、彼女を待った。
やがて電車が到着する。一時間に二本しかないワンマン電車だ。俺はさして多くもない降車客の中に、彼女の姿をすぐに見つけた。明里は、都会の女性そのものになっていた。

「でね、こないだ近所で阿部寛がロケやっとってさ、めっちゃでっかかったんよ」
明里はいつになくハイテンションでまくし立てている。俺はそんな明里の話に時折相槌を打ちながら聞く。あの頃と同じだ。小さい頃も明里のわがままはだいたい俺が折れてたし、話すのもいつも彼女の方が多かった。彼女は話すのが楽しそうだったし、俺は聞いているのが楽しかった。明里はこれから、三日間だけこっちにいる。
三日間は、夢のような時間だった。一緒にご飯を食べて、絶え間なくしゃべる。明里がそこにいる。その感触を感じたくて、ずっと一緒にいたような気がする。俺は当たり前の時間を、しっかりと噛みしめていた。約束の三日間は、あっという間に過ぎていった。

最後の夜。俺たちは隣同士の布団に入ってはみたものの、なかなか眠れなかった。あれは、たぶん夜中二時か三時を回った頃だろうか。彼女が、俺との最後の思い出を作りたいといった。俺達はごぞごぞ起きだして、服をきて、ジャケットに身をつつむと、物音を立てないようにそうっと真っ暗な外に飛び出した。
十二月ももう下旬なのに、真夜中の空気は思ったほど冷たくなかった。ピッタリとくっついていたせいだろうか。俺達はいつも遊んでいた場所をもう一度回った。普段は比較的交通の激しい向こう側の道路も今は車が一台もなく、物音一つしないのが不思議だった。町中が、眠っていた。俺達は学校まで、ひたすら歩いた。
学校の校舎は、真っ暗闇にたたずんでいた。校舎の端の入り口を試しに引っ張ってみると、意外な事にすっと開いた。中に入って真っ暗の階段を上って、六年生の時の教室に行く。夜の校舎の中は、いくら高校生とはいえ、不気味だった。俺達は暗い教室に足を踏み入れた。
同じ教室が、夜だったせいもあってか、あの時見たのとは全然違う場所にみえた。明里は俺たちが隣り合って座っていた席までいくと、机と椅子を、まるで大切なもののように撫でた。そして机にちょこんと腰掛けると、俺のほうに向かって両手を差しのべた。俺は立ったまま彼女をぎゅうっと抱きしめた。
しばらくして、彼女は口を開いた。
「この黒板にいたずら書きされた時のこと、覚えとる?」
明里はこの三日間で、すっかり博多訛りが戻っていた。
「うん、お前みんなの前じゃあ強がっとったのに俺が教室から連れ出したら泣き出しちゃってさ」
「やっぱり覚えとったんやね。あの時貴樹くんが来てくれて、ホッとした。強がっとったわけじゃなくて、何も言えんかった。でも貴樹くんを見たら、なぜか涙がこぼれてきた。今考えたら好きな人をからかわれてなくってのもおかしい話やけどさ。
それまでもそれからも、なんか困ったことがあったらいつも貴樹くんが助けてくれた。貴樹くんがいてくれて、本当に楽しかった」
そう言って彼女は再び俺に抱きついてきた。いきなり、どうしたんだろう。そう思う間もなく彼女は
「あたし今でも貴樹くんのこと、大好きなんよ」
と言った。俺は彼女の温もりを忘れないように、いつまでも抱きしめていた。
学校を出た時は、もう既に東の空が少し薄明くなっていた。俺達は、冷たい空気の中を、手をつないで無言のままゆっくり歩いて家の方へ向かった。
「こんどは絶対泣かないよ」
と明里はポツリと言った
俺は、
「だってまた会うっちゃろ」
と強がっていった。彼女はしばらく考え込むようなそぶりを見せた後、
「絶対やけんね。忘れないように指切しよう」
といって、立ち止まって小指を突き出した。俺達は、子供みたいに指切りをした。
俺達が家につく頃には、空はすっかり明るくなっていた。俺達は体が冷えたのか、急にさむくなって服を着たまま布団にもぐった。二人とも知らないうちに眠ってしまった。
騒々しい物音で、目が覚めた。母親が雨戸を開けて、
「ほら、もう起きなさい」
といった。明里は俺のすぐ横でまだスヤスヤと寝息を立てて寝ていた。
母親は、俺たちが服のまま寝ていたのに気がついて、
「あれ、パジャマはどうしたの?」
といったが、俺が答えに窮しているのをみるとそれ以上詮索せずに、
「明里ちゃん起こしてあげてね」
といい残して部屋から出て行った。
俺は、明里の寝顔があまりにもかわいかったので、じっと見とれていた。

※ ※ ※ ※ ※ ※

「じゃあ、元気でな」
西鉄甘木線、大城駅。最後の日は、雪が降った。福岡の交通網は雪に弱い。そんな中でも健気に走る青緑色の電車が、今日ばかりは憎らしかった。お前が止まってくれれば、明里はもう一日くらいこっちにいるのに。
俺は、今回は泣かなかった。でも明里は、やっぱり泣いた。俺は何も言うことができず、彼女を、昨日のように、ずっと抱きしめていた。何か言ったら自分も、また会うって分かっていても泣いちゃいそうだったから、俺にはそれしかできなかった。小さな駅の、空調もない小さな待合室で、俺たちだけが温かかった。

※ ※ ※ ※ ※ ※

あの再会以来、明里からの返信が、途絶えた。何か悪いことでも言っただろうか。だんだんと間隔が空いてきて、いまは二週間後に返事が来ればいい方だ。また会うって、言ったじゃないか。俺は、あまり気が進まなかったが、ケータイで
「元気ですか?最近返信こなくて、心配しています」
と短く送った。彼女から返信のメールが届いたのは、それから数日後のことだった。

「お久しぶりです。ずっと手紙の返信が滞って、ごめんなさい。
突然だけど、貴樹くんには、ちょっと距離をおいて欲しいと思います。
考えてみれば、私はいつも、貴樹くんと一番くっついていました。幼稚園、小中学校、そして引っ越してからも。
そのおかげかあなたのことだけを『好き』と思っていたような気がします。
でも、『好き』ってなんだろう。友達に聞いてみたら
『男友達との距離が、徐々に徐々に近づいて行くことだ』
と言われました。
あなたのことは今でも好きです。
でも私たちはきっと
1000回もメールをやりとりして、
多分心は1センチくらいしか近づけませんでした。
できれば誤解しないで欲しいのですけど、
私は何かを遠野くんのせいだといっているわけではありません。
さっきも書きましたけど、
私は今でも遠野くんのことが好きです。
でもあんなことを言われた以上、
本当に好きなのかと疑問が浮かんできています。もしかしたら、
もうこれ以上近づけない距離にいるのかもしれないし。
もしそうなら、嬉しいな。
少し、頭を整理しようと思います。
半年後までに結果を出します。
それまでは、すみません。」

読んだ後、俺は頭が真っ白になった。また会うって約束したやん。指切りしたのはどっちや。大体、千回もメールしてないやん。そんなことを考えると、怒りと悲しみで胸が張り裂けそうだった。そして何より、こんな簡単に別れを告げられたことが、ショックだった。いくらなんでも、わがまますぎるだろ。半年後。会えるかどうかもわからない分、この前よりもはるかに長く感じそうだった。

※ ※ ※ ※ ※ ※

この半年間、いろいろなことがあった。一番大きかったのは推薦入試を受け、横浜にある大学に受かったこと。志望動機は大学に惹かれたことだ、と言っておこう。明里が横浜に住んでいたからと言うのが本音、というわけではないということにしておく。
ともあれ、これで明里と一緒になれる。俺は真っ先に明里に報告したかったが、あいにく半年が経っていなかった。俺は律儀に期限を守り続けていた。明里の
「あたし今でも貴樹くんのこと、大好きなんよ」
というあの言葉を信じて、溢れ出てくる色々な感情を堪えて、半年間じっと待った。

しかし、明里からメールがくることはなかった。

見慣れない番号からの着信を受けたのは、あのメールから半年と少し経ってからのことだった。普段はそういった電話は取らないのだが、なぜかこの時は電話を取った。
「遠野貴樹くんだね」
それは明里の父親からだった。

車窓から田園風景を眺めながら、俺は急展開で起こったことを整理していた。

明里は病気だった。ワルド病、というのが病名らしい。発覚したのは約一年前。故郷の大城に戻ってくる少し前だそうだ。俺はそんなことも知らずに再会を喜び、また会えるなどと呑気に言っていたのだ。俺は今更、自分の発言を悔いた。
「だってまた会うっちゃろ」
「絶対やけんね。忘れないように指切りしよう」
……その言葉の残酷さが、今なら痛いほどわかる。

明里は、今朝息を引き取ったそうだ。
「遠野くんには私が死ぬまで連絡しないでください」
と、彼女は言っていたらしい。

俺は今から、初めて明里の街へ行く。

※ ※ ※ ※ ※ ※

羽田空港に降り立った俺を迎えてくれたのは、明里の父さんだった。おじさんと最後に会ったのはもうだいぶん前だが、すぐに見つけてくれた。
「すまないね、こんなことになってから呼び出して。ずっと君を呼んだらって言っていたけど、頑として聞かなくてね」
おじさんは、ずっと喋っていた。喋っていないと胸の中の物が溢れてくるような気持ちは、俺も同じだった。だからおじさんの話に大げさなほど相槌を打ち、話が途切れないようにしていた。
移動は、全て電車だった。明里が言っていたように、こっちの電車は途切れることなくやってくる。俺はおじさんの後ろを離れないようについて行き、ようやく病院にたどり着いた。
明里は多少むくんだような顔をしていたが、すやすやと寝ているようにみえた。
俺は、分かっているはずなのに、わけが分からず、
「明里」
と呼んだ。彼女は何も言わなかった。
触ると皮膚がひんやりと冷たかった。でも今にも目を開けて
「あ、貴樹くん。来てくれたんやね」
って言って笑ってくれそうだった。
俺はもう一回
「明里」
と呼びかけた。でも彼女は目を開けなかった。
俺には信じられなかった。あのとき
「あたし今でも貴樹くんのこと、大好きなんよ」
といってくれた明里が冷たくなって息をしていないという現実を受け入れることができなかった。
俺は、でも、それが変えようの無い現実なのだと言う事に気がついたとたん、両目から滝のように涙がこぼれ落ちた。俺は大声を上げて泣いた。
「明里、なんで?なんで?なんでだよ?」
とやりどころの無い気持を、声に出して泣いた。冷たい明里の亡骸の上に覆いかぶさるようにして泣いた。泣いたからといって明里が帰ってくるわけではなかったけど、どうしようもなかった。俺は
「明里、半年したら返事くれるって言ったやん」
といって泣きじゃくった。
「どうして、どうしてだよ?なんで死んじゃうんだよ」
俺は泣いて泣いて泣きつかれて、涙腺が乾ききるまで泣いた。その間、明里のお父さんはそっと肩を抱いてくれた。おじさんもまた、声を殺してないていた。
お葬式が終わった後、俺は彼女の住んでいた部屋に案内してもらった。彼女の部屋は実に彼女らしい、こざっぱりとした部屋だった。制服の上には、俺が贈ったセーターが置いてある。本当に、毎日学校に着て行ってくれていたようだ。机の上には、俺の知らない友達との写真。その中でも彼女は、ちゃんとセーターをきてくれていた。彼女の生きていた証を感じて、また涙が出そうになった。

帰り際、おじさんは俺に一通の手紙を渡してきた。
「明里が、もしもの時に貴樹くんにって言ってたんだ。帰ってから、ゆっくり読んで欲しい」
封筒は、分厚かった。俺は礼をして受け取り、大切にバッグの中にしまった。
明里の家を出たのは、次の日の朝だった。駅までの道を、踏みしめながら歩く。この桜木町という町で、明里は俺の知らない年月を歩んでいた。近くにある、大きなビル。あれの名前がみなとみらい21だってことは俺も知ってる。他にも大城じゃ、いや、市内でも考えられないようなおしゃれな建物が立ち並んでいた。明里は、こんなところに住んでいたのか。俺はもういないはずの明里を、こんなところでも見つけようとしていた。
「明里」
俺は空に向かって、もう一度呼んでみる。晴れ渡った空のどこからか、明里が微笑んでくれたような気がした。

私の章

「前略、タカキくんへ。
お返事ありがとう!嬉しかった。
もうすっかり秋ですね。こちらは紅葉がキレイです。
貴樹くんのくれたセーターをおととい私はだしました。
セーラー服の上に切るクリーム色のセーターはかわいくてあたたかいです。
私の好きなかっこうです。
貴樹くんの制服姿、どんな風なんでしょうね。
きっと大人っぽく見えるんだろうな。
最近は部活が早いので、今この手紙は電車で書いています。
この前、髪を切りました。
耳が出るくらい短くしちゃったから、今度あっても
私ってわからないかもしれませんね。
貴樹くんもきっと少しずつ変わっていくのでしょうね」
いつものように貴樹くんに手紙を書く。こんなことをして、早くも四年が経つ。でも、手紙を送るということもできなくなりそうだった。
始まりは全身がだるくなり、胸のしこりが大きくなってきたことだった。まあ潰してもらおうと軽い気持ちで病院に行ったら、難しい顔をしたお医者さんに
「ワルド病、限りなくⅢに近い、ステージⅡです」
と告げられた。どうやら、がんの一種らしい。五年生存率は、三十パーセント。本当は今すぐにでも治療を開始しないといけないらしいが、抗がん剤治療では当然副作用で痛みや見た目の変化も伴う。その前に、私はどうしても貴樹くんに会っておきたかった。十二月。冬休みが始まってすぐ、私は貴樹くんに会いに行く。

四年ぶりにきた天神は、あの大きな空きビルが『パルコ』というファッションビルになっていた以外は、あまり変わっていなかった。ここから大牟田線に乗って、途中で小さなワンマン電車に乗り換える。私は眼下に広がる畑を車窓から見ながら、言いようのない懐かしさに襲われた。横浜の都会にどっぷり浸っていた私は、故郷の風景をすっかり忘れていた。
「次は、おおき、おおき。この駅は無人駅となりますので、前の扉から出て、運転士に切符を提示してください」
窓の外を見ると、懐かしい顔が見えた。貴樹くんはあの時よりも、凛々しい顔になっていた。

※ ※ ※ ※ ※ ※

「でね、こないだ近所で阿部寛がロケやっててさ、めっちゃでっかかったんよ」
私はいつになくハイテンションでまくし立てた。貴樹くんといる時間を、少しも無駄にはしたくなかった。貴樹くんはそんな私の他愛もない話に、時折相槌を打っている。あの頃と同じだ。小さい頃も私のわがままを貴樹くんは笑って受け入れてくれて、私の話を興味深げに聞いてくれた。私は話すのが楽かったし、貴樹くんは聞いているのが楽しそうだった。私はこれから、三日間だけこっちにいる。貴樹くんと会うのは、多分、最後だ。これが終わると、私の闘いがはじまる。それまでに、楽しい思い出をいっぱい作りたいと思った。

三日間は、夢のような時間だった。一緒にご飯を食べて、絶え間なくしゃべる。貴樹くんが、そこにいる。当たり前の時間を、しっかりと噛みしめる。私がわけのわからない病気にならなければそこにあったはずの小さな幸福を、私は一つとして見落としたくなかった。約束の三日間は、あっという間に過ぎて行った。

最後の夜。私は貴樹くんの隣の布団に入ってはみたものの、なかなか眠れなかった。時々わざとのように寝返りを打つ貴樹くんも、きっと同じなのだろう。私はそっと、大好きな彼の名前を呼ぶ。
「貴樹くん」
「ん?」
「眠れんっちゃけど」
「俺もだよ」
「最後の思い出作り、行かん?」
「どこに?」
「六年の時の教室」
私がそう言うと、貴樹くんははごぞごぞ起きだして、服をきて、ジャケットに身をつつむと、物音を立てないようにそうっと真っ暗な外に飛び出した。私は慌てて後を追った。
学校の校舎は、予想以上に不気味だった。街灯も全て消え、暗闇が夜を完全に支配している。貴樹くんが校舎の端の入り口を引っ張ると、意外な事にすっと開いた。中に入って真っ暗の階段を上って、六年生の時の教室に行く。木製の扉が意外と大きな音を立てて開き、私は貴樹くんの後ろから暗い教室に足を踏み入れた。
同じ教室が、夜だったせいもあってか、小学校時代とは全然違う場所にみえた。私は貴樹くんと隣り合って座っていた席までいくと、机と椅子をゆっくりと撫でた。ここでのことを、噛みしめるように。そして机に腰を掛けると、貴樹くんのほうに向かって両手を差しのべた。貴樹くんは立ったまま、私をぎゅうっと抱きしめてくれた。
しばらくして、私は口を開いた。
「この黒板にいたずら書きされた時のこと、覚えとる?」
私はこの三日間で、すっかり博多訛りが戻っていた。
「ああ、お前みんなの前じゃあ強がっとったのに俺が教室から連れ出した途端泣き出しちゃってさ」
「やっぱり覚えとったんやね。あの時貴樹くんが来てくれて、ホッとした。強がってたわけじゃなくて、何も言えんやった。でも貴樹くんを見たら思わず涙がこぼれてきた。今考えたら好きな人をからかわれてなくってのもおかしい話やけどさ。
それまでもそれからも、なんか困ったことがあったらいつも貴樹くんが助けてくれた。貴樹くんがいてくれて、本当に楽しかった」
そう言って私は再び貴樹くんに抱きついた。そう、私を守ってくれたあの時、私は心底貴樹くんに惚れたんだ。ただの幼馴染から関係が変わったのは、間違いなくあの時だった。私は
「あたし今でも貴樹くんのこと、大好きなんよ」
と言った。あとちょっとでお別れせんといかんっちゃけどね、という言葉は飲み込んで、再び貴樹君の腕の中に入った。貴樹君の温もりを、いつまでも感じていたかった。
学校を出た時はもう薄明かりがさしていた。私たちは手をつないで無言のまま、ゆっくり歩いて家の方へ向かった。
「こんどは絶対泣かないよ」
私はポツリと言った。貴樹くんは、
「だってまた会うっちゃろ」
とい、笑いながらった。
貴樹君は、知らない。私を巣食う、病気のことを。そして私がもう、本当に会えないかもしれないということを。でもここでそんなことを言って、貴樹くんに余計な心配をかけたくなかった。不安を抱え込むのは、私一人で十分だった。だから私は、
「絶対やけんね。忘れないように指切しよう」
といって、立ち止まって小指を突き出した。私たちは、子供みたいに指切りをした。三割の方に、少しは期待をしたかった。

西鉄甘木線、大城駅。もう少しで来る電車に乗ったら貴樹くんとは、恐らく二度と会えない。昨日まで「泣かない!」
とか意地を張っていた私だが、結局泣いてしまった。貴樹くんは何も言わずに、そっと私を抱きしめてくれた。小さな駅の、空調もない小さな待合室で、私たちだけが温かかった。
やがてホームに、小さな電車がやってくる。ドアがしまって電車が出てからも、貴樹くんはいつまでも手を振ってくれていた。今まで、本当にありがとう。でもこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないよ。
結局、病気のことは貴樹くんに言わないままだった。私は自宅に帰ってすぐに、抗がん剤での治療を始める。先生には
「相当キツく、苦しいと思います。見た目にも変化が出てきます」
と再三言われ続けていた。それでも、少しでも治る可能性があるなら。そう思って私は治療を受けることを選択した。それは本当にキツくて苦しい闘いだった。

貴樹くんは、それからも変わらず手紙を送り続けてくれた。私は合間をぬっては返信を書き続けた。何度も自分の病気のことを書こうと思ったけど、貴樹くんに心配をかけたくなかった。ただ手紙に、返事を出す。そんなところでも隠し事をしている自分が、時々すごく嫌になった。気づけば貴樹くんへの返信は、回をますごとに間隔を空けるようになっていた。
貴樹くんからメールが来たのは、それからしばらくしてからのことだった。
「元気ですか?最近返信こなくて、心配しています」
という短い文面だったが、普段使わないメールを使うことからも、彼がどれほど心配してくれているかは痛いほどわかった。

もう、潮時かもしれんね。

これから、返事をかける機会もますます減ってくるだろう。貴樹くんのことだ。心配して、来てくれるかもしれない。でも私は治療でやつれ切った顔を見られるのが嫌だったし、なにより貴樹くんの重みになるのは耐えられなかった。私は意を決して、一番大切な人と、一番大切だからこそ、離れることに決めた。

数日間練り上げた最後のメールは、とてもベタな、自分の想いとはかけ離れたものになった。文の内容は、ネットから引っ張ってきたりしたものばかりだ。好きってなんだろうなんて、考えるわけないやん。私が好きなのは、ずっと貴樹くんだけだ。私には貴樹くんと別れる理由なんて、何も思い浮かばなかった。

ごめんね、貴樹くん。

私はメールの送信ボタンを押した。画面に「相手にメールが届きました」の文字が表示される。これで、よかったんだ。
送った後で私は、貴樹くんと指切りしたことを思い出した。結局、また会うというあの約束も、果たせないままになりそうだった。あんな約束さえ果たせずに、さらに一方的に別れを告げるという最低の裏切りをしてしまった自分が、とてつもなく嫌だった。

私が倒れたのは、それからすぐのことだった。

その日私はいつものように学校を出て、帰りの電車に乗っていた。電車の喧騒の中でだけ、私は普通の人になれた。病気になってから周りが自分を病人として見ることに若干辟易していた私にとって、この時間は唯一ホッとできる時間だった。
抗がん剤治療が始まってから、全身がだるくなることと、髪の毛が抜けること以外には特に変調はなかった。髪は帽子でどうにでもなったし、できるだけ普通の生活をしていたかったので周囲の反対を押し切って学校に通い続けた。だがそれが良くなかったらしい。私は電車の中で急に意識を失い、気がついたらベッドの上にいた。病気は想像以上に進行していて、身体中を蝕んでいた。即日入院を言い渡されたが、数日間だけ自宅に帰る猶予が与えられた。その期間で、私はどうしてもせねばならないことがあった。

「貴樹くんには、私が死ぬまで何も言わないで。それからこれ、もしもの時に、貴樹くんに渡して」
そう言ってお父さんに手紙を託したのは、入院する一日前のことだった。この手紙には、私の想いが全て詰まっている。できれば開ける機会は来ないで欲しいのだが、倒れたあの日に私の生存率は大幅に下方修正された。先生の言葉から諸々のことを感じ取った私は、最後はできるだけ苦しくない、見た目にもあまり影響のでない治療を選ぶことにした。それは逆に、治る見込みがかなり少ないということも意味していた。
手紙を受け取ったお父さんの目は、虚ろだった。お父さんはお母さんを亡くし、そして私も、多分もうすぐいなくなる。ごめんなさい。私は小さく呟いた。部屋を出る時に見えたお父さんの背中は、とても小さかった。

病院に入ってしばらくして、抗がん剤治療をやめた。もはや手が付けられなくなっているのは、素人の私が見ても明らかだった。私はいま、痛み止めをうち続けてもらっている。痛みを感じない量と意識を失わない量の、微妙なラインだ。だからいつも、夢と現実の間をゆらゆらと行き来している。

※ ※ ※ ※ ※ ※

「あかり〜、待ってよ〜」
二人の少年少女が元気よく、桜の舞い散る坂を駆け下りて行く。その先にあるのは、踏切。少女が踏切を渡り終えた時、遮断機が降りた。反対側に残された少年は、心配そうな顔をしている。
そんな二人の間を、青緑色の電車が走り抜ける。小さな列車はすぐに通り過ぎ、再び遮断機が開く。
でも少年は反対側に行くことはなく、少女の瞳をじっと見つめていた。少年の目は、さっきにもまして、どこか寂しそうに見えた。
「貴樹くん?」
少女がつぶやく。少年はピクリと体を反応させたものの、その場から動くことはなかった。少女と少年はしばらく見つめあっていたが、やがて少女が、蜃気楼のようにゆらめいたと思うと、姿を消した。
残された少年は、立ち尽くしていた。表情のない少年の目から、一筋の涙が流れ落ちた。

終の章

「貴樹くんへ
お元気ですか?貴樹くんがこの手紙を読んでいるということはもう、私はいないということなのでしょうね。こんなことになるまでいわなかったご無礼をお許しください。
病気になった時、貴樹くんに言うかどうかでずっと悩みました。あの冬私は大城に行き、全てを決めることにしました。
結局、私は言わなかった。自分でも受け入れたくない現実を貴樹くんに認められるのは嫌だったし、目の前で貴樹くんが悲しむ姿を見たくなかった。だから私は、最後は笑ってバイバイしたいと思ったんです。
でも、やっぱりできなかったね。私が泣いた時、貴樹くんはずっと抱きしめてくれた。小学校の頃のようになにかいうこともなく、黙って私を包んでくれた。闘病中、
『貴樹くんがここにいてくれたら』
と、何度も何度も思いました。でも貴樹くんに重荷を背負わせないって決めたし、それに抗がん剤で変わった私の姿を、貴樹くんには見られたくなかった。
病気のことを隠しておくのは、本当に辛いことでした。あのあとも、何度もあなたに打ち明けようとして、そのたび、手紙を一枚ボツにした。そうして変わりない日常を送っているという嘘をつき続けることが申し訳なくなってきて、次第に返信は減っていきました。
そうしてあなたからメールが来た時、私はそれでも、知らないうちにあなたの重荷になっていることに気づきました。もう、潮時だ。そう思って私は、一番大切な人と、一番大切だからこそ、離れることに決めました。
最後のメールを送るのは、すごく辛かった。自分の気持ちが一通のメールの中に、1センチくらいしか入っていないのが、本当に苦しかった。
『私は今でも遠野くんのことが好きです。』
あの一文だけが、私の本心です。私は今でも、遠野くん、いや、貴樹くんのことが大好きです。
もっといっぱい、貴樹くんと一緒にいたかった。結局、制服姿も見られないままだったね。
私のいない世界で貴樹くんはこれからどんな人と出会い、どんな人生を歩んでいくんだろう。どんな人を好きになって、どんな家庭を築くんだろう。この目でそれを見ることができないのが、すごく残念です。いままでは手紙でかすかな息遣いを感じることができたけど、もうすぐそれもかなわなくなってしまう。私の知らない世界を、貴樹くんは生きていくんだね。ちょっと羨ましいです。
だから、私の分まで精一杯生きてください。貴樹くんなら、私のいない世界でも、元気にやっていけると思います。貴樹くんなら、きっと大丈夫。あの時私を守ってくれたように、貴樹くんは誰かの力になり続けるはずだから。
さっき私は、
『…どんな人を好きになって、どんな家庭を築くんだろう』
と書きました。貴樹くんと一緒に生きるのが私だったら、どれはど幸せだったろう。そう思わなかった日はありません。でも、結局それは叶わないんだよね。
私のことは、心配いりません。あっちから嫉妬したりしないから、やりたいように生きて、他の人と恋もして、私の分まで思いっきり楽しい人生を過ごしてください。そして、時々は、泣き虫な幼馴染のことを思い出してください。
貴樹くんのおかげで、すごく楽しい人生だった。本当はこの言葉を、貴樹くんがおじいちゃんになって、私がおばあちゃんになった時に言いたかったけど、叶わないから今言うね。貴樹くん、今まで本当にありがとう。

そろそろ、きつくなってきました。私はこの手紙をお父さんに預けて、入院します。

これから、きついことや苦しいことがあっても、くじけないでください。私は、いつも貴樹くんを見ています。私は、貴樹くんが大好きです。だから何があっても、貴樹くんの味方です。そのことを、どうか忘れないでください。

では、そのときまで、さようなら。

篠原明里」


二○一四年、春。俺はあの時の明里と同じように、横浜に向かう。明里のいない世界で、俺はこれから、生きていく。

おじさんに言われたように、明里からの手紙は、自分の部屋で、一文字一文字を噛み締めながら読んだ。その重みに、耐えられなくなりそうなことが何度もあった。そのたびにこれを書いた時の明里の気持ちを思い、耐えた。
でも、
『では、その時まで、さようなら』
という一文を読み終えた時、目の前の景色がにじんだ。これが本当の明里とのバイバイなんだ。そう考えると、あの時と同じように、涙がボロボロとこぼれてきた。
『いかんよ、貴樹くん。笑ってバイバイ、やろ』
明里がどこかから、そう言っているような気がした。

※ ※ ※ ※ ※ ※

出発の前、俺は町を一回りすることにした。十八年間生きたこの町には、思い出がいっぱい詰まっている。そのほとんどは、明里と一緒に過ごした思い出だ。

近所のお酒屋さん。入る時にセンサーが作動して
『ピーンポーン』
大きな音が鳴る。その音で、母屋からおじちゃんが降りてくる。明里はいつもびっくりして、俺の後ろに引っ込んでた。おじちゃんはそんな俺たちにニヤニヤしながら
「いつも仲良いな、お前ら」
とか言って、瓶にはいったオレンジジュースをくれた。
そこから曲がったところにあるのは、見渡す限りの草地。小さい頃はここでオニヤンマやらシオカラトンボやらをとって遊んだ。歳を重ねるにつれてそこに入ることは少なくなり、明里と一緒にここを横切って登校するようになった。考えてみれば毎日片道二キロの距離で、よく話題が尽きなかったものだ。俺は明里と話しているというだけで、楽しかった。
さらにしばらく直進すると、筑後川にかかる橋にたどり着く。眼下に広がる大きな川で俺たちは泳いだり、釣りをしたり、舟に乗ったり、色々した。
「タカキくん、あれ、うなぎじゃない?」
「いや、タオルが流れてるだけやろ」
「絶対うなぎだって」
そう言って彼女が釣ったものは、やっぱりスポーツタオルだった。本当に、まだ小さい頃の話だ。この大城の町の全てが、明里との思い出でできていた。
やがて俺は、小学校にたどり着く。校庭でドッジボールや鬼ごっこをしている少年少女の姿が目にはいる。
「タッチ!タカキくん、鬼ね」
そう言って逃げていた明里に、校庭の少女を重ね合わせた。俺は、一人で、校舎へと向かった。

六年の頃の教室に、向かう。俺はあの時明里がしていたように、俺たちが隣り合って座っていた席までいくと、机と椅子を、大切なもののようにそっと撫でた。六年の時のこと、そしてあの夜のことを思い出す。
「あたし今でも貴樹くんのこと、大好きなんよ」
そう言ってもらえた時のことを思い出すと、今でも背筋がむず痒くなる。このとき初めて、俺は明里に
「好きだ」
と言っていないことに気がついた。

※ ※ ※ ※ ※ ※

春のうららかな日差しに包まれながら、電車が走り出す。十八年間生きたこの町とも、しばらくはお別れだ。俺は窓の外の風景をぼんやりと眺めていた。無意識に俺は、明里の面影を探していた。
川だけじゃなくて、海に行きたいと言っていた明里。向こうに海はあるのだろうか。
俺とバイクで二ケツしたい、と、バイクを買ったことを報告した時に書いてくれた明里。そんな明里と俺を、車窓から見えたバイクに乗ったカップルに投影してみる。窓の外を見ているだけで、こんなにもいろいろな思いが溢れてくるとは思わなかった。明里、大好きだ。おれはその言葉が言えなかったことを、激しく後悔した。電車のアナウンスは、もうすぐ天神駅に着くことを知らせていた。

※ ※ ※ ※ ※ ※

羽田空港に到着したのは、その日の夕暮れ時だった。ここから京急線に乗り、桜木町へ向かう。予定ぴったりにやって来た電車は、大勢の客を吐き出し、大勢の客を乗せて走り出した。明里は、毎日こんな電車に乗っていたのだろうか。俺は早くもこの人混みで、息が苦しくなっていた。

もし明里が病気になることもなかったら、将来一体どんな生活をしていたのだろう。電車の人混みからようやく解放された俺は、目の前にいる子連れの夫婦を見ながら、そんなことをぼんやりと考えていた。あの夫婦みたいに真ん中に子供を挟んで、幸せそうに暮らしていたのだろうか。あの夫婦みたいにお互いの左手薬指には、指輪が入っていたのだろうか。
考えるだけ、虚しくなってきた。もうここに明里は、いない。俺は、この世で一番大切なものをなくしたんだ。いい加減受け入れろよ。そう自分に、言いきかせる。
でも言い聞かせたところで、納得できるわけがない。俺はいつまでも明里の姿を探し続けた。交差点ですれ違う女性。踏切が開くのを、じっと待っている女性。そんな一人一人の女性に、明里の姿を重ね合わせていた。

なあ、明里?

もしできるなら、俺は明里のところに行って、あの時みたいに全身で抱きしめたい。そしてあの時言えなかった
「大好きだ」
という言葉を伝えたい。そして、もっともっと、明里と一緒にいたい。俺は空に向かって、愛しい名前を呼び続ける。


明里?




明里?

遠くの、あの人

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遠くの、あの人

幼なじみの二人。ずっと一緒にいると思っていた二人を引き裂こうとしたのは、転校、というイベントだった――秒速5センチメートルの主題歌「One more time,one more chance」のPVから着想を得た作品です。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-23

Copyrighted
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  1. 1
  2. 俺の章
  3. 私の章
  4. 終の章