独白 2 前

『誰も私の気持ちなど察してはくれないものなのです。それはたとえ実の親でさえ見失うほどに。それでもあの頃の私は、まだ傍にいる人達を愛していたのだと思います。誰一人として私を愛してはくれなかったとしても、私は精一杯彼等を救おうとはしたのです。誰も喜んではくれなかったけれど(城谷直樹 独白 希望などなかったあの日々に)』

 地元の商業高校に進学した城谷直樹は、最初の一ヶ月を過ぎる頃で不登校になる。そのあたりの事情についての記録は少なく、その一時期を知る者もろくに見付け出す事は出来なかった。だが、後の彼の事情から察するに、おそらくこの時期は崩れかけていた家庭が最も複雑で危機的な状況にあったのだろうと推測する。何故ならば不登校でほとんど欠席していた高校一年の中頃、彼は家庭の事情を理由に高校を自主退学しているのだ。

ここからは城谷直樹に最初に訪れた大きな不幸の一部始終である。病気がちだった城谷直樹の母親は彼が高校に入学してすぐに、それまで以上に激しさを増す荒れようであったようだ。理由はというと、何年もの間単身赴任で不在だった夫からの離婚の申し出、そして赴任先での夫と若い同僚との不倫、不倫相手の妊娠という事実、それによる夫の失業、まったく予知する事のなかった残酷な現実を、突きつけられたためであった。彼の母親は三ヶ月もの間、離婚の調停で彼の父親と衝突し、離婚後は生活費も養育費も約束通り保障される筈もなく、彼と幼い兄弟と、自分名義のカードローンなどの借金だけを残されていた。湯水の如く使い続けて水泡と化した金と子供に対する責任が重く圧し掛かる。当時、彼の母親はそれに耐えられる状態ではなかった。

事情によって母親はすぐに自己破産し、生活保護を受ける生活になるが、元々精神疾患を抱える母親は離婚後再び浪費癖が増し、ただでさえ細々とした家計を苦しめた。その上、彼の母親は幼い彼の兄弟達にも手を上げ、汚く罵るようになる。城谷直樹自身も日常的に酷く折檻を受けていた。最初のうちは耐え凌いでいたものの、想像を絶する虐待は日に日に激しさを増すばかりであったのが遺書の内容からは窺えた。やがては彼自身も滅入ってしまう。母親による兄弟への虐待の事実を児童相談所に匿名で密告したのは、実のところ城谷直樹によるものだ。母親が半ば強制的に精神科病院の隔離病棟に入院したのは、それから間もない頃の事だった。それが最良だと考えて、彼はこの時にも自ら孤独を選んだのか。

その後の彼と両親との親子関係であるが、実父は失踪したまま行方知れず、城谷直樹と実母も、再会する事はついに二度となかった。この数年後、城谷直樹によって数々の事件が起こり世間から騒がれるようになる頃、長男の有様を何処かで(或いは誰かから)聞き知っての決断か、実母は隔離病棟の病室にてひっそりの死を選んだ。

 当時彼の母親を隔離病棟にて担当していた看護師は、素性の秘匿を約束に取材に応じてくれた。それによると、社会復帰出来ず数回の入退院を繰り返していた患者との関わりで、最も印象に残って忘れられない一言があったという。息子の、優しいあの目が怖いのだ、と。酷く怯えていたそうだ。実母と関わりのあった看護師でさえ、やはり城谷直樹に対するイメージは大衆と相違ないものだった。やはり彼は人ではないのだろうか、という呆れるほどに聞き飽きた見解。私も、おそらく彼の手記による遺書を実際に読むまでは同様の見解だった。彼も我々と同じ一人の人間に過ぎないのだという当然の事実を、結果として起きた事態の大きさと影響によっていつの間にか忘れ去っていたのだから。そう、誰もがいつの間にか事件の裏に隠れた彼の人物像を見失っていた。少なくとも、高校時代までの彼は、荒んだ家庭で育った不幸な少年でしかなかったというのに。

 我々は彼の心の片隅に潜んでいた黒ずみが、ゆっくりと塗り潰していった漆黒の影しか認識出来ず、彼が如何にしてそのように変貌したのかなど、まるで知る由もなったのだ。実際に彼に触れた関係者でさえも例外ではない。ぼんやりとした人物像に秘めた優しさを、どれだけの人が察してやれただろう。

『ようやく誰かと親しくなれたとしても、何故だか私はその共有している時間にも、空間にも息苦しさを覚えて、やがては何処にいてもその苦しさに耐えられなくなってしまうのです。そんな私の居場所なんかが、本当に何処かにあるのでしょうか。「私はその答えを探していたのかもしれない」今ではそんな風に思えるのです(城谷直樹 独白 希望などなかったあの日々に)』

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凶悪犯罪者の遺書を読み、真実を明らかにしようとする記者は何を思うのか。

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更新日
登録日
2012-06-06

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