遠野の天狗
世の中には予期せぬ出来事が起こる。
遠野の天狗
遠野に向かう列車のデッキで、これから帰るよと故郷の姉に電話した。
すると「・・・それとね、アキラくんが亡くなりましたって・・・」と訃報を知らされて、ぼくはうなずくだけだった。アキラが亡くなったのは先月のことらしい、享年30歳だった。
ぼくは幼いころ山で天狗を見た。山に遊びに行くとはるかに高い枝から隣の樹の枝へ飛び移る姿があってまさに天狗だった。その天狗は降りてきて、今度同じクラスだねと言った、それがアキラだった。
幼馴染のアキラからぼくはいろいろ教わったのでなんと言っていいかわからぬくらい感謝している。彼は川で遊べば遠野のカッパといわれるくらい泳ぎがうまく、走っても飛んでも小学校の記録を残した。ずば抜けた身体能力のほかに、小学校から微分積分を独学で理解する俊才だからオリンピックの体操の技などは力学を解きながら自力で習得していたくらいだ。
5年前に研究者としてメーカーに勤めてすぐ彼女とハイキングに行ったが、降りた途端にバスに断崖を突き落とされて脊椎を損傷した。
当時アキラの事故を知り病院を訪ねると窓口は「先週彼は伊豆の温泉療養所に移りましたよ。リハビリでね」と言うので、そうですかと言ってその住所を聞いてからくるりと踵を返すとぼくの背中に窓口の声が追っかけてきた。「それと彼の怪我は第七脊椎だよ。」ぼくは窓口が何を言っているのかよくわからないので振り返って「え?なんですか」と聞くと「いまの医学では治せない箇所なんだよ」
窓口のくせに余計なことを言わなくてもいいと思った。あのアキラがもう再起できないってことは信じられなかった。神経が生き物ならば、アキラの並外れた身体能力でリハビリすれば切れたものもつながる可能性は十分あるだろうと、遠野の天狗をなめるなよと思った。
病院出口でタクシーを拾って駅で降りた。しかし訪ねたものの会えなかったことや突然の移転を知らされてぼんやり立ってるとタクシーは9千円のおつりを返さずに走り去っていった。ぼんやり立っているようなぼくは都会ではいいカモだという現実を思い知らされた。
昼過ぎに伊豆に着くと療養所で出迎えてくれたのはアキラの彼女の幸恵さんだった。「ここですよ、と案内された部屋を入ると、ベッドに横たわっているアキラが安堵の息を吐きながら「ああ~~よくきたねえ・・・」と胸を撫でおろすように言った。そんな彼の癒しの表情は珍しいらしく、その瞬間から幸恵さんもぼくを特別視したようだ。
不器用なぼくをアキラが毎日遊びに誘ってくれた理由はよくわからないが、ぼくは彼にとっては話しやすい存在だったようだ。川や山で忍者のような軽業遊びを毎日しているうちに一年たつとぼくもアキラの真似事ができるようになった。それ以来彼は素直な気持ちをぼくに吐露するようになった。
「元気かい」と言ってベッドの横に座ると彼は話し始めた。二人でバスの後部トランクから荷物を取り出しているときにバスがバックして谷底に突き落とされたらしい。
「それで彼女は助かって、ぼくはこんなになって・・・」
でも・・・それはおかしいとぼくは思った。猫は反転して怪我もなく着地できる。アキラなら猫よりうまく着地できるはず。彼女が無事だったならアキラが怪我するのはおかしい。ぼくの怪訝そうな質問を察してアキラは言った。
「、、、腕を彼女の背中に回したんだよ、そのあとはわからない。覚えていないんだ」
両方怪我するか、それとも一人助けて一人犠牲になるか、その瞬間にできる限りのことをするしかない、それが選択肢だったのだ。現実ってのはあまりに厳しく過酷だ。
その話を病室の外で立ち聞きしていたのだろう、幸恵さんは先ほどの楽天的な顔つきに陰りが見えた。ぼくが訪ねなければ偶然の怪我という出来事だったのに、ぼくが来たために内緒が内緒ではなくなってしまった。
それから3年して故郷に戻ると彼は車椅子で市街を移動していた。ぼくは彼を訪ねた。
「どうだい?リハビリは?」
「足の先からだんだん蝋化してゆくのさ。そして」そう言いながらアキラは手を心臓のあたりに置いて言った。「蝋化がここまで来ると死ぬんだ」
聞くにはやりきれない思いだった。そして2年。
世間で使われる言葉で、善人は早死にするというのがあるが善人は自己犠牲も惜しまないからそうなるのか、ぼくは自問しか残らなかった。
遠野に向かう列車のデッキで、ぼくは脱力感に包まれながら「わかった、もうすぐそっちに着くから」と言って携帯を切った。
遠野の天狗は一陣の風を残して去るという。そのとき天狗は娘をさらってゆくともいう。アキラの瞬時の早業は天狗から娘を守ったのだろうか。
遠野の天狗
この年になるといままで遭遇してきたいろんな不条理なことを思い出します。