翠玉色の天使
ふわりと草木の匂いがする季節。
森の中にある古城には、大国の姫がゆるりと穏やかな生活を送っていた。
「姫様、御髪はどうなさいますか?」
侍女にそう問われた姫は、少し頬を桃色に染めながら言った。
「可愛くしてほしいわ」
「ふふ、今日は騎士様がおいでになられるからでしょう?」
侍女が微笑むと、姫は更に顔を赤くさせた。しかし、すぐに憂いを帯びた瞳にかわる。
「ダメだとはわかっているの」
「姫様………」
「身分違いと………それよりも私のような病弱な姫では、あの方にご迷惑がかかると分かっているわ」
侍女が何か言おうとする前に姫は小さく首を振る。
「だから、遠くから見てるだけで満足なのよ?でも、時々、どうしても触れたくなるの。」
困った顔で、それでいて泣き出しそうな瞳で、姫は、私ったらダメねと笑った。その表情があまりに切なくて、侍女は堪らず言葉を紡いだ。
「いいえ、ダメではありませんわ、姫様。いいのです。姫様は、お美しく聡明です。何もダメな所はありませんわ。」
必死な侍女をみて、姫は、自分はどうしてこんなに恵まれているのだろうと思った。
大国の姫でありながら、その身は病に侵され、そう永くは生きられないことを幼い時に宣告された。外に出ることも叶わず、嫁いでいくことも出来ず、ただその死期が来るのを待つだけのお荷物の姫。
それなのに、お父様もお母様も私に沢山の愛情をかけてくれた。そして、こんな私にも慕ってついてきてくれる侍女もいる。
「恋まで出来るなんて、もったいないくらいよ」
触れれない。身分が遠すぎて会話さえままならない。部屋から出ることは叶わないから見るだけしかできない。それでも、姫という身分でありながら、自由な恋ができた。
それなのに、どうしてここで止まってくれないの?
触れてほしいと思ってしまう。会話したいと願ってしまう。そんな願いは、思ってはいけないのに。
喉の奥から出そうになる自分の願いを必死に押しとどめて、姫は侍女に笑いかけた。
また騎士様とは会話さえできないのだろう。それがどれほど悲しくても、この想いは忘れなければならないのだと騎士様が来るたびに思った。
そんな1日が終わりを告げて、またふわりと草木の香りがして姫は目が覚める。
まだ私は生きていると確かめてから起き上がろうとした時、今日はいつもと違う朝だということに気づいた。
草木の香りとは違う香りがする。同じ植物ではあるが、この森にはない香りだ。
ふと窓の方をみると、窓に寄りかかって座り、読書をしている青年がいた。
驚いて声も出ずにその青年を見つめていると、青年はゆるりと姫を見ては尋ねてきた。
「名前は?」
「え、?」
「名前。………ああ、ごめん。こっちが先に名乗らなきゃ失礼だよな。」
彼はこっちの返事も待たず、勝手に完結すると、窓から降りて、深々とお辞儀をして名前を姫に告げた。
「俺は、エスメラルダ。よろしくね、お姫様。」
「エスメラルダ、?宝石の名を持つの?」
「ああ、そういえば、そうだね。女性に多い名前だから、お姫様も興味あるのかな?」
彼は独特の雰囲気をもつ青年だった。姫は自分の部屋に男が忍び込んでることをすっかり忘れて彼に話しかけていた。
朝早くで、侍女たちもまだ起きていない時間だった。
「それで?お姫様の名前は?」
「アンジュ。あまり呼ばれないけれど、ね」
「ふむ、天使って意味だね。」
天使………確かにそういう意味だった気がする。唯一名前を呼んでくれていた両親はこの古城へは来ない。侍女たちは私の名を呼ばない。だからなのか、自分の名前に対してあまり執着がなかった。
「え、ええっと、ここへはどうして?………あ、ここ私の部屋よね、?」
すごく今更ではあるが。
「警戒心は強いのに、抜けてるね。」
そういって笑われると、何も言えない。
「アンジュ、君の体を治しに。」
さらりと姫の名を呼んで、そしてアッサリとそう告げた。
あまりに突然の言葉で、ぽかんとするしかなかった姫は頭の中で必死に言われた言葉を反芻していた。
「なお、す?私の、?」
あり得ないことだった。幼い時に宣告された死期はかえようもないし、姫自身も覚悟していた。
「そう、治しに。俺は薬師だからね。」
「無理よ。どんな高名な医者でさえ、私の病は治らないと言ったわ!」
思わず声が大きくなる。
「じゃ、その人達が、その程度の医者だったってことだよ。」
事も無げに言われて、また言葉を失う。
「俺は治せるよ。その病について知っていて、薬も作れる。なぜなら、君がそう願ったからだよ。」
え?と首をかしげる。願った?
「そう、治してほしいって願ったでしょ?騎士様とお話ししたいってさ。」
意味ありげに彼が笑って、ますますわからなくなった。けれど、彼の瞳には強い意志が宿っていた。
「わかったわ。お願いね。」
だから、信じてみようと思った。ただの直感。
姫の意志がわかったのか、今度は穏やかに笑って、彼は姫の手の上に小さな紙を乗せた。
「1日1回。朝起きたら飲んで?毎日欠かさず飲むこと。1年後には治ってるよ。」
彼が何者か分からない。これで治るかどうかも定かではないけれど、治らないと言われていたものが治るかもしれない。そう考えると、嬉しくなって自然と笑顔になった。
「ありがとう。」
たとえ、治らなくて死期を迎えても、彼の言葉を信じたことを後悔しないだろう。それくらい嬉しかった。何より彼が治るとただその一言言ってくれただけで、十分だった。
「笑顔になってよかった。」
「スイのおかげね。」
「スイ、?」
思わず、愛称で呼んでしまった。
「ごめんなさい。エスメラルダって翠玉のことを言うのよね。だから、スイって愛称に………。」
「なるほど。うん、いいね。アンジュは俺のこと、そう呼んでよ。気に入った。」
そう言って彼が笑うから、安堵して、姫は彼の名前を呼ぶ。
「ありがとう。もっと話したいけど、行かなくちゃ。」
おもむろに立ち上がると、窓に向かって歩き出す。窓から帰るつもりだろうか、?
「かえるって、」
「俺はアンジュの願いを叶えにきただけだから。」
彼はそういうと、にこっと笑って窓から飛び降りた。慌てて駆け寄って窓の下を見ても彼はどこにもいなかった。
それから、3年の月日が流れた。
姫の病はスイがいった通り、1年ほどで治った。両親も大喜びしたが、スイはどこを探しても見つからなかった。
もう一度あって、ちゃんとお礼が言いたいのに。
そして、今日は婚約式だ。
やっぱり騎士様とは結ばれなかったし恋心も伝えなかった。それがいいと思ったし何より今まで心配をかけてきた両親に自分のワガママなどいえなかった。だから、今回の婚約も一切文句など言わなかった。それが姫としての本来の務めであり、どんな方でも添い遂げる自信があった。
ただ、スイにもう会えないことが心残りではあるが………。
「アンジュ。」
「はい、お父様。」
「アンジュと婚約する方は、同じ大国の第一王子だ。聡明で民にも慕われている方だと聞いた。きっとアンジュのことも幸せにしてくれるであろう。」
民にも慕われて………そんな方と結婚できるなんて、やはり私は恵まれた環境にいるのだろう。
「ありがとう、お父様。そのような方と結婚できること、幸せに思いますわ。」
ひょっこりと顔を出したお母様が、
「あら、でもその方、少し前まで行方知らずだったそうよ。」
と言う。
行方知らず、?
「3年くらい前にふらっと帰ってきて、王位に就いたそうなの。それでも素晴らしい方で、民からの信頼もすぐに得たとか。」
3年まえ、?
もしかしてという思いが捨てきれないまま、お父様たちに促されて、婚約する方の部屋へと足を運ぶ。部屋の前に着くと、お父様たちは、2人でゆっくりお話してみなさいと言った。どうやら両親の信頼も勝ち得ている方らしい。
部屋のドアをあけ、中へ入った。
「やっぱり貴方だったのね。」
「おや?もうバレてたのかな?」
ニコニコと笑う彼………スイをみて苦笑した。
「王子だったの?」
「一応そういう身分だったね。」
「私のこと、知ってたの?」
スイは、穏やかな笑みをみせて、しっかりと頷いた。
「そもそも王子って柄じゃないんだ、俺。そういうのは、優秀な弟に任せればいいやと思ってたから。」
そこで一旦区切ると、でもと続ける。
「アンジュの噂を聞いた。病で臥せっているが、とても美しい姫がいるって。それで、どれくらい美しいのか気になってね。」
「だから、薬師をしてたの?」
「そう。君と会うには、君の病を治せるくらいないと会えないだろうと思ったからね。」
なんて人。私と会うためだけに、そこまでするなんて。
「俺の友達に薬師やってる奴がいて、そいつから少しだけ教えてもらったんだ。君の病についても聞いた。案の定知ってたよ。治し方も薬の原料も。」
「それで、薬をつくったのね。」
「うん。そういうこと。それで君と会って、そのあとは、王位についた。………アンジュが欲しかったから。」
スイは苦笑していた。まさか、自分でもここまでするとは思わなかったって笑っていた。
「ありがとう。あの時、すごく嬉しかった。だから、お礼も言いたかった。」
頭をさげる。3年間探してまわって、もうお礼が言えないかもしれないとも思った。それでも、諦めきれなくて。
「本当に、ありがとう。」
何度いってもきっと足りない。私の人生全部使っても感謝しきれない。
「お礼を言われることは何も。俺はアンジュ欲しいっていう私欲のために自分の立場を利用しただけだから。でも、その、そんな俺の元でもいい?今だったら、君の好きな騎士のところへも連れて行けるよ?」
「ううん、いいの。最初から諦めるつもりだったの。それに今は、貴方がいいの、スイ。」
あの時とは反対に今度はスイが言葉がでずに驚いている。
「貴方じゃなきゃダメなの。だから、私をスイがもらってくれる?」
そういうと、彼は大きくため息をついた。そして、ゆるりと笑って言った。
「俺も君じゃなきゃダメなんだけど?」
これで、お終い。
2人は末永く幸せに暮らしたし、彼らの時代の国はとても穏やかだった。
時々、俺のところに遊びにきては、姫は俺にお礼を永遠いうし、エスメラルダは少し不機嫌になる。本当に困った親友だ。
そんな親友たちももうこの世にはいない。そろそろまた彼らの魂をもった人間が生まれてくる頃だろう。
彼らが大きくなって、また出会って、俺と会うことになったら、それはそれで楽しみだ。
だから、彼らとまた運命が交わるその時まで、ゆったりと旅に出よう。
翠玉色の天使
なんだか、ぐだらっとなってしまった。でも、楽しかったです!
少し裏な設定を言うと、最後に出てくる薬師は、涼乃です。僕の作品の『真澄のアオ』にでてくる主人公です。エスメラルダとは親友同士で、愛姫とはもう別れた後の話です。