雪桜

 何となく今の自分が嫌で、書き始めました。この小説は僕のあやまちと希望を表した小説です。頑張って書きますので、最後までどうかお付き合い願えると幸いです。

                                    雪の降る朝に

                                      1

 
 二月の上旬、雪が降っていた。
 耳障りな音が聞こえる。
五畳という狭い部屋に鳴り響くアラーム音がだんだん激しさを増しだした。気だるく布団から顔を出し、それをかぶったまま時計を探った。何度か畳を叩いた後、ようやく見つけた。手のひらで勢いよく叩きつけた。
 アラーム音が消える。
 暗くて、静かな空間になった。
 そうなると、いつも同じことを考える。今日も平凡な日が始まるのだと……。
 僕はこの世界が嫌いだ。薄汚れた記憶が染みついた場所だからだ。僕はもうそれに染まっていて、仕方なく従いながら生きている。考えてみれば、どれも強制的なものばかりだ。通いたくもない学校に通い、友達とだべり、面白くもない家に帰り、また寝て、朝が来る。それは一般的な生活行動の一環に過ぎない。固定され、縛られた窮屈な世界の中で生き続けることに慣れてしまっているからだ。今だって学校を退学しても、構わない。でも世間から見たら、批判される存在として生きることを余儀なくされてしまう。そうなるのが嫌だからこうして時代に流されながら生きている。
 僕も頑張ろうとしたことはあった。でもどれも中途半端で終わってしまう。勉強も、運動も、何もかも人並み、またはそれ以下。何か熱中することでもあれば、ちょっとはましにになるのだが、長けているものなんて何もない。だから、自分を統制しようとするためにまたそれを、繰り返す。
わざわざ辛い思いをしてまで、生き続ける意味はあるのだろうか? そんなことをしていていつか何かが変わるのだろうか? こんな世界を好きになることなんてできるのだろうか? 
 今日は日曜日だ。だからと言って、何をするわけでもない。単純で、同じ、ワンパターンな暮らしをするだけだ。そんな面白みのない生活を十七年も続けている。何も変わらない。世界が変わるわけでもない。何かが動くわけでもない。生きることが面倒くさい。そう、生きているだけだ。
「はぁ~、もう九時か」
僕は力が抜けた声で、時計に話す。その刹那、
「優矢! 起きてるんなら急いで食べちゃってよ。片付かないから」
 と母さんが寝起き早々、怒鳴られる。
「はいはい! わかってるって、まったく」
 畳に手をついて起き上がると、布団もしわくちゃになった。適当に布団をたたんで、押し入れに放り込んだ。
 五畳という狭い畳部屋だが、勉強机に青い回転いすが収納され、漫画とライトノベル小説でぎっしりと詰まった二つの本棚が机の真後ろに置かれており、どうにか布団が敷けそうなスペースがある。
 僕は上着と厚手の靴下を履き、ヨタヨタしながら、この部屋にあるベランダに出る窓のカーテンの裂け目を放った。窓にかかっているロックを解除した。窓を開けた瞬間、部屋の暖気が外の冷気にかき消される。ベランダにあるかかとを踏んだ黒のランニングシューズを履き、白の塗装が剥げた手すりを持ち、ベランダの向かいにある住宅街の路地をボォーと眺めた。あたり一面雪に覆われており、今でも粉雪がひらひらと舞い降り、少しずつ降り積もっていた。僕が住んでいるのは平成十年に完成した新興住宅街にある。ベランダから見ても屋根ばかりが密集しており、赤、黄、灰色さまざまな屋根のグラデーションがある。でも、十三年たった今では黒ずんだ汚れが屋根についていた。
「今日も雪かぁ」
 呼吸するごとに白い息が空に舞った。すると、頭の上に雪が積もりながら、重たそうな旅行用のピンクと黒のラインが入ったバックを引きずるようにして女の子が見えた。女の子はストレートのロングヘアーで、白いコートを着て、皮のロングブーツを履いていた。身長は百六十センチほどだった。粉雪が降っているので、顔まではよくわからない。だが、僕はその子になぜか目が止まった。いきなり胸の鼓動が大きくなっているのが自分でもわかった。
 何だろう? 胸に霧が現れたようにモヤモヤしたこの感じは……。
 僕はベランダの手すりを掴み、口を開いたまま知らぬ間に、じっと見つめていた。  
 これはもしかして……。
 驚くことに、その子は僕の家に方向を変え、門を押して入ってきた。
「まさか!」
 無意識のうちにランニングシューズを脱ぎ捨て、休日定番の黄色いラインの入ったジャージへと急いで着替えた。
 ただ単にこの家に用事があって、来ただけでも、間近であの子を見たかった。この目に焼き付けたかった。
 インターフォンが鳴った。あの女の子が来たのだろう。
「いらっしゃい」
 母さんの陽気な声が壁伝いに聞こえた。
 もう来てるんだ。
 部屋のドアを開け放ち、階段を二段飛ばしで駆け下り、玄関に顔を出した。心臓の音が自分でもわかるくらいドキドキして、顔が赤くなっていることに気づいた。
 玄関という空間だけ時が止まったような気がした。
 世界が変わり、少し目の前のものが光って見えた。それはやがて手をかざしてしまうほどの輝きを僕に見せた。何か見えないオーラ、空気、雰囲気、そういう非現実的な何かを感じた。
 かわいかった。これほどにないほどに。
「ほら、あいさつくらいしなさい」
 ポカァーと口を開いていた僕に母さんは制した。そのことに気づき、焦ってあいさつをした。
「こ、こんにちは」
 ドキドキしていながらも、何とか口を開けた。少し震えていたかもしれない。
 顔全体の輪郭は小さく、毛先まで痛んでいないロングヘアーは輝いている。瞳からは深く透き通った目を放っていて、すべてを見透かされているような強い目をしていて、瞼は優しい弧を描き、鼻筋は細く美しいライン。それに何より優しい感覚があった。
 でも、
「………」
 その子は何も言わなかった。
「えっ?」
 僕は思わず言ってしまった。
 何秒かの沈黙を裂くように、母さんは何のためらいもなく話し始めた。
「この子、久城真希ちゃんって言ってね。両親が他界したショックでしゃべれないみたいなの」
「そ、そうなんだ」
 笑ってみたものの、うまく笑えていない感じがした。思いがけない母さんの言葉に驚きを隠せなかったのかもしれない。
 二、三秒の後、母さんは続けた。
「だから、身内で一番近い親戚にあたるこの家が引き取ることになったの。話してなかった?」
「聞いてねぇーよ、そんなこと」
「そういえば優矢、真希ちゃんと一度会ったことあるけど……覚えてない?」
「覚えてないよ」
 僕は言った後、少し間を置き、静かにトーンが下がった声で母さんは言った。
「父さんの葬式の日に……」
 そのことを話した途端、真希は目を丸くして、旅行鞄が手から離れ、手が震えだした。まるで何か恐ろしいものでも見るかのように。明らかに様子がおかしい。僕は駆け寄り、立ち尽くしている真希の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
 真希は僕の顔を見て、笑顔で首を縦に振った。だが、それが作り笑いなのだとすぐに気づいた。それに対して、母さんはその言葉をごまかすかのように淡々と言った。
「きっと長旅で疲れたのね。立ち話もなんだから、居間に行きましょ。暖房ついてるから」
 バックを玄関に置き、ブーツの脱ぎ、靴棚の端に申し訳なさそうに置いた。母さんはバックを持ち、真希は母さんのあとに続いた。
 僕は真希の後姿を見ていた。真希がドアを閉めようとしたときに、涙が伝っているのが見えた。やがてドアが閉まり、姿が見えなくなった。
「優矢! あんたまだご飯食べてないんだしょ。早く食べちゃってよ」  
 と母さんは言った。
「わかった!」
 僕は明るく返事をしたが、母さんと真希との間に何かあるに違いなかった。僕はそう確信を持った。いろいろなわだかまりが渦のように僕を取り巻いていた。
 
                                      2

 次の日。今日はいつも通り学校に行かなければならなかった。七時起床し、洗面所で顔を洗い、居間に向かった。
 久城真希がいる。
 しかも僕と同い年だ。
 うれしいに決まっている。そう感じるのが普通だ。昨日、真希はほぼ物置として使われていた部屋の片付けや荷物の整理を行っていた。僕も「手伝おうか?」と言ってみたが、断られた。その時、家族ということでメールアドレスを交換した。どれも申し訳なさそうで、遠慮しているようだった。だからメールアドレスを交換した後も、素直に喜べなかった。
 一日たった今でも、真希が僕の家で朝食をとっている姿が幻のようだった。僕は真希とは反対側に座り、テーブルに鎮座したご飯とみそ汁を「いただきます」と言って、食べ始めた。
 一昨日までは、一人っきりで朝食をとっていた。一緒に朝食をとることなんてここ何年かなかった気がする。母さんは仕事だし、休みの日でも僕よりも先に食べてしまっていたからだ。
 母さんはというと、ここ秀北市内の病院で看護婦として勤めに出ている。帰宅するのは夕方の五時くらいだ。つまり、僕と真希は朝二人っきりという形になる。
でもそれはそれで困ったものだった。食卓には暗い雰囲気が漂ったからだった。その雰囲気とは対照的に女性アナウンサーが天気予報を伝えていた。
「今日は全国的に晴れが多いでしょう。雪の多かった先週でしたが、今週は雪も停滞し、過ごしやすい気候になるでしょう」
 と言っていた。それで僕は心の中でため息をついた。
 いざ面を向かってみると、何を話せばいいのかわからなかった。どうにもきっかけというものがつかめなかった。それに何かしらの意識をしているせいで、余計に話しづらい。気になっていることといえば、昨日の玄関の出来事だが、もちろんやめておいた。でもこの雰囲気を打破しようと重たい口を開いた。
「あ、あのさ」
 俯いていた顔が上がった。
「今日って学校には行くの?」
 焦っていたので、ばからしいことを言ってしまったと後悔した。それは真希の服装で理解できた。真希は僕の通う秀北高校の制服を着ていたからだ。当たり前なことを聞いてしまった。恥ずかしくなって、おのずと俯いた。
 すると、真希はミッキーとミニーが描かれた水色のメモ帳と黒のボールペンを胸ポケットから取り出した。僕は顔を上げた。そして書き終わり、僕に見せた。
『うん。私ね、ここに来る前から秀北に行くって決めてたの。それと、もしよかったら一緒に行かない?』
 ここに来てからこんな真希の笑顔を見るのも、まともに会話したのもこれが初めてだった。そして作り笑いではなかった。ただ普通に頬が上がって、笑っていただけなのに、僕は安堵と喜びがあふれだした。またそれが眩しくて、目を背けたくなるくらい眩しくて……僕の意識はどこか遠い彼方に飛んでしまっていた。
「……別に、いいけど」
 少し遅れて、照れながら答えた。
『ありがと! 実はまだこの街のことあんまりよくわかんなくって」
「そうだったの」
『うん。ありがと』
「そんな大したことじゃないって」
 その言葉を境にまた沈黙の時が流れ、そのまま僕たちは朝食を食べ終えた。たった一度の会話だったけど、心のもやが少しだけ晴れた。
 僕たちは「ごちそうさま」と言った後、同時に台所に向かった。そこで真希は自分を指差した。『私が洗い物するよ』と言いたいようだ。
「じゃあ、任せるよ。ありがとう」
 真希はうなずいた。袖をまくって、洗い物を始めた。
 僕は居間に戻って、洗い物をし終えるのを待っていた。そんな真希の後ろ姿を見て、思わずつぶやいた。 
「将来は、こんな人と結婚できたらなぁ」
 小声で言ったつもりだったが、それに反応して真希は僕を見て首をかしげた。
「なんでもない。独り言だよ」
 すると、何でもなかったかのように流し台に目を落とした。幸いにも、聞かれてはいなかったようだ。洗い物が終わり、居間に真希が戻ってきた。時計を見ると、八時十分を指していた。
「そろそろ時間だし、行こうか」
 僕は紺色のコートを着て、真希は白のコートを着て、それぞれカバンを持った。
「準備はいい?」
 真希はうなずいて、僕たちは靴を履いて、家を出た。
 一面雪に覆われていた。今でも雪がちらついていた。朝起きた時と変わりはなかった。
「今日も雪か。真希は雪好きか?」
 真希は顔を上げて、濁った空を眺めていた。いや、その先。もっと遠くを見つめていたかもしれない。それを僕は少し戸惑った。何となく聞いてはいけないようなことだと察したからだ。そして目を細めたまま真希はゆっくりと書いた。
『好きだけど……嫌い』

                                         3

 秀北高校は僕の家から徒歩十五分ほどで着く比較的近い高校である。けれど、交差点が多く、信号に引っかかりやすい。駅の近くにあるので、八時頃の通勤ラッシュ時には、人でいっぱいになる。だから、人に当たらないようにここを通るときには、携帯電話でメールやゲームをすることもままならないのだ。
 僕は家の門を開けた。住宅の路地へと一歩前に踏み出したところで、
「おーい、優矢おっはよー」
 その声に反応して、僕たちは後ろを振り向いた。
「あぁ、おはよう」
 と僕は小さく言った。
 滝沢繁人。僕と同じクラスの二年一組で、いつもナンパ、合コンとかをしている女たらし。いわばチャラ男だ。ズボンは規定よりも下に下げ、本当は左右一・五という視力のくせに、気分によって伊達メガネを掛けたりもする。ちょっとでもかっこよくいたい、女子にモテたいというオーラを丸出しにしている。でも周りの空気を感じ取り、人に対する洞察力はずば抜けていて、外見からは感じられない優しさを持っている。
 今日の繁人は第一ボタンを開けていて、ズボンはいつもの腰パン。でもめずらしく伊達メガネを掛けていなかった。それを外しているので、パッとしない感じだった。
 繁人はものすごい勢いで、僕の腕を掴んだ。そして電柱の端へと連れて行かれた。
「おい! なんだあの女の子は! まさかお前あの子と付き合ってんのか?」
「違う違う。付き合ってるとかそんなんじゃねぇーよ」
「じゃあ、なんなんだよ」
 疑うように繁人は言った。
「久城真希ちゃんっていうんだけど、最近両親亡くして、一番身内で近い俺んちが引き取ることになったんだ」
「………」
 柔らかな表情が急にこわばった。
「なんか知らねぇーんだけど、そのショックでしゃべれないって」
「………」
 少し間が開いた後、繁人が言った。
「ごめんな。付き合ってるとかそんなこと言って」
「別にいいよ。謝んなくって」
 いつでも自分ことのように考える繁人は、僕にはできないことだった。いつもはちゃらちゃらした女たらしでも、僕が困っているとき、大変なときは相談に乗ってくれた。励ましてくれた。アドバイスをくれた。そんな内面だけはとてもじゃないけど僕には真似できない。言うのは恥ずかしいけど、自分にとってはかけがえのない友達だ。気が合うし、なんだかんだ言っていつも隣にいる存在だった。
 僕は微笑んだ。繁人も微笑んだ。終えると、繁人は真希に向かって走りながら言った。
「ごめん、真希ちゃん待たせちゃって」
 相変わらずの馴れ馴れしさに少しイラッときた。でも羨ましい気もした。こんなに僕は馴れ馴れしくできないからだ。ナンパ、合コンとかをしているからできるんだろうけど、繁人ほど人と接するのが上手い奴なんているのかと思ってしまうくらいだ。僕も繁人みたいになれたら、ちょっとは楽しい高校生活を過ごせたかもしれない。そうすれば、真希とももっと朝のひと時が楽しくなるかもしれない。そんなことを思いながら、繁人を追った。
「真希ちゃん、メアド交換しない?」
 それにうれしそうに携帯電話を差し出す真希。赤外線受信しているようだ。
「やめっ、まぁいいか」
 僕伸ばした手を引っ込めた。
 受信を終え、一歩歩いたところで真希が僕の肩を突いてきた。僕は後ろを振り向いた。
 なぜかわからないが、腕時計を指していた。少し高級感のある白を基調としたかわいらしいものだった。
「どうした?」
 と言いながら、腕時計を凝視する。それに反応し、繁人も覗いた。
 八時二十五分。
 僕と繁人の頭上にクエスチョンマークが浮かんだ。
「やべぇ」
 僕と繁人がそう叫んだのは同時だった。
 秀北高校の遅刻者決定時刻は八時三十五分。タイムリミットは十分。僕たちはいつの間にか、十五分もの間話していたのだ。まだ僕の家から百メートルも離れていない。二十分だったとき日は、校門をダッシュして切り抜けることができたが、教室までは間に合わなかった。恐ろしいことに二十分という最高遅刻時間を五分も上回っている。
 無理だという言葉が脳裏をかすめる。
 正直言ってそうだ。ふだん八時十分に出て、三十分に到着する程度だ。しかも駅前の通勤ラッシュ時で、通勤者の多くが駅を目指しているに違いない。信号の数も秀北高校に着くまで七つもある。
「これ、間に合ったらおかしいよな」
 繁人は深刻そうな顔をしていた。
「あぁ」
「十五分も何話したんだろうな?」
「さぁーな」
 ため息まじりの弱弱しい声で言った。
 真希がメモ帳とシャーペンを取り出した。僕が間に合わないとか言っているうちにセカセカ書いていた。
『初の登校日に遅刻しちゃ、いけないよね?』
 それに僕は答えた。
「でも、たぶん間に合わないよ。ごめん」
『別にいいの。だから謝らないで』
 でも真希が間に合わなかったら、どうなる。初めての転入最初が遅刻。初めの印象というものは結構大切だ。もし遅刻すれば、先生たちにいやな目をされてしまうだろう。このままじゃだめ……だよな。不安なのは僕じゃない。真希なんだ。自分の都合を言い訳にして、やめてはいけない。僕は少しずづ変わらなきゃいけない。何でもいいから変わらなきゃ、中途半端な自分のままだ。
「繁人! 間に合わなくてもいい。でもここであきらめたらダメだろ。自分にためにも……真希のためにも」 
 と僕はすごい剣幕で言った。
「そうだな。やるだけやってみなきゃな」
「じゃあ、行こう」
 僕は一歩前に踏み出した。
                 

雪桜

雪桜

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-06-04

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