【柿綴り】

楪 花梨

 愛知県豊田市の猿投(さなげ)地方は、県内随一とも言える果物の生産地だ。
 梨、桃、葡萄、ブルーベリー、イチジク、苺を始め、様々な果樹園が延々と広がり、それぞれの収穫期には山盛りに果実を積んだ軽トラが、のんびりと公道を走っている長閑な地域である。とりわけ有名な果実は、梨である。中でも、稀に3kgをも軽く超える猿投の愛宕梨は、世界一大きな梨として、ギネス社に公式認定されているほどだ。
 JA豊田の梨部会には、現在六十件ほどの梨農家が在籍している。しかし、リスク軽減の為、梨だけを栽培している農家はない。殆どは、同時進行で栽培出来る桃も栽培しているのだが、他にもお米を作っている農家もいれば、露地栽培で様々な冬野菜を手掛けている人もいる。
 彼ら猿投の梨農家に唯一共通していることは、数世代前までは、柿農家だったということだ。

 猿投地方は、かつて日本有数の柿の生産地だった。
「桃栗三年柿八年」と言われるように、柿は収穫出来るまでに時間が掛かる果実だ。実際の所、プロが上手く育てれば、五~六年目から多少の収穫は可能だが、職業農家として必要な生産を得るには、やはり十年近く掛かる果樹なのだ。つまり、新たに柿農家になろうと思っても、それだけだと十年近くは収入が見込めないということになる。
 しかし、もっと大きな柿の欠点は、典型的な隔年結果の樹木であることだ。隔年結果とは、簡単に言えば「当たり年(表年)」と「外れ年(裏年)」が交互に繰り返されるということだ。
 つまり、豊作の翌年はあまり実がならず、その翌年はまた豊作……そういう生態を持った樹木なのである。
 もちろん、そのメカニズムは解明されている為、摘果や剪定、施肥などの栽培技術で裏表の差を少なくすることは可能であり、それこそ柿農家の技量の見せ所なのだが、完全に平均化させることは不可能だろう。つまり、職業として栽培するには、柿はちょっと手が掛かる果樹なのだ。
 また、これは長所でもあるのだが、柿の木は、他の果実と比べ、寿命がやたらと長い。梨で四十年、桃に至っては十五年しか収穫出来ないのだが、柿は短い物でも八十年、天然の自生木だと、四百年以上という記録もあるぐらい、長寿の果樹と言えよう。

 さて、もし柿農家だとすれば……なかなか新しい樹木に植え替えようとは思わないだろう。まだ何十年も収穫出来るわけだし、切り倒して植え直すと、十年近く収穫出来ないのだから、当然の話である。
 ところが、柿の値が暴落してきたらどうだろうか?
 そもそも、柿は日本では普通に自生している樹木だ。その多くは渋柿だが、まぁ、山に行けば誰でも柿を採ることが出来るのだ。また、庭木としても、古くから人気があり、「柿なんて買ったことがない」という家庭も、決して珍しくないであろう。
 そう、柿は日本でもっとも身近な果実でもあり、職業として取り組むのでなければ誰でも容易に育てられる。そして、わざわざ買わなくても手に入れ易い果実なのだ。
 その結果、柿の値は、年々下がっている。

 さて、もし柿農家だとすれば、やはりそのまま続けるだろうか?

 その昔、たくさんの柿畑が広がる地域で、ある農家が突然自分の柿の木を切り倒し始めた。その農家の名は、松下と言う。
 親の代からの変わり者で、常に地域のトラブルメーカーだったのだが、大胆な発想と行動には、良くも悪くも、皆一目置いていた。
 ところが、突然のこの松下の行動には、他の農家は唖然とした。早まるなと戒める人、気がふれたのかと心配する人、無関心を装う人……農家の反応は様々だが、松下の真意を理解した者は皆無だった。
 さて、自分の畑にあった、計二百本の柿の木を全て切り倒した松下は、その畑を天地返しして、新たに二百本の梨の木を植え始めた。

「あーあ、梨など始めよって。素直に柿やってりゃ、幾らか金になるのにのぉ」
 柿部会の長老を始め、最初は、皆呆れていた。しかし、松下は黙々と梨を植え、念入りに育てた。貯金を切り崩し、栽培棚も作り、梨農家へと転身しようとしたのだ。

 三年後、松下の梨畑から、始めての収穫があった。とは言え、一本の木から、せいぜい三十個しか実が採れず、全部で僅か数千個のみの収穫……農家達は陰で嘲笑った。
 柿だと、一本の木から、平均して二百~三百個収穫出来るのだ。

 しかし、その翌年には、松下の梨は倍以上収穫出来た。
 それでも、柿と比べたら……と、農家達はまだ馬鹿にしていたのだが、松下の羽振りは見るからに良くなっており、少しずつ異変に気付き始めた人もいた。
 その翌年、松下は農地を拡張し、更に百本の梨を植えた。収穫量も、更に倍になり、一本辺り百個以上採れるようになった。松下は、見るからに羽振りがよくなり、生活も派手になり、大掛かりな設備投資もし、休耕地を買い漁り始めた。

 柿農家の若手、久保という男が、思い切って松下の元を訪れた。話を聞くと、驚くべき答えが帰ってきた。梨は、柿の五倍以上の高値で売れるそうだ……
 最初の数年は苦労したが、いまは柿をやってた頃の倍以上、儲かっているとのこと。いや、そればかりか、更にあと二年ぐらいは倍ずつ収入が上がることが予想され、最終的には、柿をやっていた時の十倍近い収入が得られる見込みらしいのだ。
 こりゃ、皆に教えねば……久保は、柿部会の会議で、早速梨の話題を持ち出した。
 ところが、柿部会の長老達は、猛反発した。
「梨なんか、やってられるか!」
「貴様、オレに柿を捨てろって言うのか!」
 仕方なく、久保は一人で転身することにした。松下に教えを請い、二人は協力し合った。すると、数年後には、久保もかなりの収穫をあげるようになり、収入も激増した。
 反面、柿の暴落は歯止めが効かず、今や柿と梨では十倍もの価格差が付いていた。松下だけでなく、久保の成功までを目の当たりにした柿農家は、半数以上が梨に転身すると言い出した。

「これ以上、柿なんてやってらんねぇ!」
「これからは、梨でしょ!」

 しかし、頑固な長老達は、あくまでも柿に拘った。先祖代々受け継いできた柿畑に、執着したのだ。
 やがて、柿部会のメンバーは半数以下に減り、柿部会を抜けた者は、新たに出来た梨部会へ異動した。梨部会は、松下と久保といった若手を中心に、年配者が従う構図なので、皆遠慮なく話が出来、楽しく盛り上がった。
 また、梨を始めて数年間は苦労したものの、その後は皆一様に収入が増え、表情も明るくなり、風通しの良い健康的な部会になった。
 一方の柿部会は、老害蔓延る古い体質から脱却出来る筈もなく、やっぱり梨をやりたいと考え直したところで、今となってはとても言い出せる雰囲気ではなくなり、辛気臭く貧しい部会に成り下がった。柿の値は下がる一方で、収入も激減し、愚痴や陰口ばかりが飛び交う集まりになった。
 必然的に、その僅か数年後には、柿農家は殆ど消滅した。後継者が継がずに廃業した農家もあれば、後継を上手く利用して梨に転身した農家もあったようだ。

 梨農家は、ますます繁栄した。切磋琢磨し合いながら、様々な品種も取り入れ、猿投地方は日本有数の梨の名産地となった。

 しかし、梨の寿命は四十年ぐらいなのだ。真っ先に耐用年数に達したのは、当然ながら松下農園だった。今は、梨革命を起こした松下の長男が経営している農園だ。
 皆、四十年前の梨革命の話は知っている。だからこそ、松下の動向に、皆が注目した。
 松下は、梨を半分植え替え、残りの半分は桃を養生した。

 数年後、耐用年数に達した農家は次々と植え替え作業に取り掛かった。
「桃なんてやってられるか!」と言う頑固者も中にはいたが、大半の農家は桃と梨を同時に栽培するようになった。その結果、梨の名産地として有名な猿投地方は、「猿投の桃」というブランドを立ち上げ、梨と桃の二大品目が名産になりつつあるようだ。

 トヨタ自動車の某工場の駐車場は、昔、広大な柿畑だったそうだ。工場建設の話が出た時、ある農家に農地を売って欲しいと話があった。梨革命の時、最後まで頑なに反対した、柿畑の長老だ。
 長老は、既に疲れ切っていた。収入は下がる一方で生活に窮していたが、意地もあり、今更梨には変わることは出来ない。とは言え、先祖代々受け継いで来た畑を簡単に手放すことにも抵抗がある。
 それに、まだ長老は引退したくなかった。何もしないで、老いていくだけの生活は、想像しただけで受け入れられなかった。
「では、駐車場の守衛をやってくださいよ」トヨタ自動車から、そう打診された。
 更に、「息子さん、農業を継がなかったのですよね? 失礼ですが、今は何を? いえ、実は、本社に重要なポストが空いていましてね、もしご興味あればと思いまして」と来た。
 長老は、結局農地を売り払った。

 とある工場の駐車場の一角に、樹齢六十年を超える三本の柿の木がある。昔、そこは柿畑だったそうだが、駐車場へ造成される際、辛うじて裁断されずに済んだ木々らしい。
 しかし、その際に土壌も環境も変わった上、今はもう、誰も全く手入れしていない為、葉は虫に喰われ放題だ。それでも毎年、時期が来ると花が咲き、放っておいても実が成るのだから、植物の生命力は凄まじいものがある。成った柿は、時々工場の社員が採って帰る以外、大半は成りっ放しで放置されている。もちろん、摘果もしていないので、そこそこ数は成るが、全部小振りだ。

 今年は、表年のようだ。落葉してもなお、まだまだたくさんの実が成っている……真っ赤な実が、名残惜しげに枝にしがみついている。来年は裏年……実がならない年ではなく、表年に向けて、体力を温存するのだ。農家の栽培技術を施さなければ、柿はこうして隔年結果の樹木になる……自生している柿と同じだ。
 でも、これこそが、柿本来の姿なのかもしれない。

 葉のない枝で真っ赤に熟した柿の実を、カラスがついばんでいた。



(了)

【柿綴り】

【柿綴り】

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-15

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