八芒星(オクタグラム)は死を招く

(ご隠居)と(はなび)が共同で交互に執筆します。
2人の合同執筆者名が【月里まつり】です。

この作品は私立高校を舞台にしたミステリー要素のある長編作になります。

興味のある方はぜひ読んでやってください。
気軽に感想などいただけたら嬉しいです

prologue  -私立鳳凰学院-

 いきなり突き飛ばされ、斉藤光太郎の身体が宙に飛んだ。

 視界いっぱいに星空が広がるが、次の瞬間には星が大きく傾く。
 耳元で誰かが笑っていたような気がする。
 お前など死んでしまえ、と叫んでいたような気がする。
星空が裏がえり世界が逆さになったような感覚。地上がぐんぐんと近くなってゆく。
「うわぁああぁあああああああああ!!」
 ゆっくりと落ちていく。
 地表が目前に迫り、深い闇の中にも関わらず地面に葉を広げるアオバコの藍がリアルに浮かび上がり思わず目を瞑った。
 地に身体を打ち付けた瞬間、全身に激しい痛みが走った。
 その痛みが光太郎の意志を完全に呼び覚ます。
 光太郎は勢いよく上体を起こすと激しくかぶりを振った。汗でじっとりと濡れた全身に心地悪さを感じながらも、しばらく床の上でへたりこんだまま動けずにいた。ベッドから転がり落ちたらしいと分かるまでにしばらく時間が掛かった。
「なんだよ……夢……かよ。ったく……勘弁してくれよ」
 張り付いた前髪をうざったそうに掻き揚げ、何気なく枕元の目覚まし時計に視線を移す。
「まだ7時50分じゃねぇか……」
 欠伸が飛び出し、両手を上げて大きく伸びをした。
「しちじ……ごじゅ―――」
 伸びをしたままもう一度、時計に視線を移動させる。
「やっつべぇぇえええええええ!!」
 勢いよく立ち上がると、パジャマの上下を脱ぎ捨てる。ハンガーにいい加減に引っかけたワイシャツとズボンをひったくると高速で身につけ上着を慌てて羽織る。
 学生鞄を抱えて階段を2段飛ばしで一気に駆け下りるとキッチンに飛びこんでいった。
「おい!! なんで起こしてくれねぇーんだよ!!」
 光太郎は声を荒げるがキッチンは無人だった。
 テーブルの上は1枚の皿のみを残して綺麗に片付けられている。皿の上には食パンを丸1枚焼いたトーストと、目玉焼とウィンナーが乗っていた。さらにトーストにはケチャップ文字で(おそい!!)と書かれていたり。
 光太郎は目玉焼きとウィンナーをあぐあぐと口に押し込み、トーストをくわえると玄関に向かって走り出す。
 靴をつっかけ扉を勢いよく開け放し転がるように外に飛び出すが、しかし頼みの綱である自転車はいつもの場所から消えていた。
「チクショ。姉貴のやつ自転車ぐらい置いていけってーの」
 光太郎はトーストをくわえたままロケットのような勢いで家からかっとんでいく。

「光ちゃん、また遅刻?」「遅いよ、光ちゃん」
 平和な朝の住宅街を駆け抜ける光太郎に近所の主婦から声がかかる。すれ違いざまに片手を上げて「ひゅっへきまふ(いってきます)」と挨拶する。
 交差点の信号待ちを利用してトーストをむしゃむしゃと頬張り、200kcalを補充したところで信号が青に変わった。
 ここから学校までは一直線。すでに登校中の生徒の姿はない。
 横断歩道の白線を陸上競技場のスタートラインに見立て、スターティングポーズをとると、これが陸上の100m計測ならば新記録と思われるような見事な走りで横断歩道から通学路を一気に駆け抜けてゆく。
 やがて光太郎の通う私立鳳凰学院の正面門が見えた。始業の鐘の音が耳を掠める。
 門が近づいてくると門の前で腕組みし仁王立ちになり待ちかまえている風紀委員の女子生徒の姿を視界に捉えた。
 あの鐘の音が鳴り終わるまでに門の中に入ればギリセーフ。自分の位置と門までの距離を軽く目測。
 まだ間に合う、とニヤリ笑みを刻み、光太郎はさらに加速した。
 しかし光太郎が門より手前2mに到達したところで風紀委員は容赦なくガラガラと門を閉めはじめる。
 しかしここで諦める斉藤光太郎ではない。門の手前で鞄を放り投げるとそのまま立ち止まることなくさらにスピードUPして閉まりかけの門を勢い駆け上り、向こう側に飛び越えた。
 3点着地したのと鐘が鳴り終えたのとほぼ同時だった。
「セーフ!!」と高らかに叫んだが、不意に背後から「アウト!!」と鋭い声が飛んできた。光太郎は振り返る。
「斉藤くん、生徒手帳」
 風紀委員の3年の女子生徒だ。いつもは2人1組なのだが今日は1人しかいない。
「なんでだよ。鐘が鳴り終わるまでに門の中に入っただろ」
「勝手にルールを作らないで。予鈴が鳴る前に門の中に入っていないとアウトですから」
「毎回、云ってることが違うじゃんかよ。それに鞄は鐘が鳴り終わる前に門の中に入れたぞ」
「はぁ? うちは駆け込み寺じゃないんですけど」
 女子生徒ははぁと大袈裟にため息をつく。
「この間もルール説明はしたはずでしょ? 風紀委員間で認識の違いがあるという事は理解したので次回の議題のテーマにあげておきます。と、いうことで生徒手帳」
 女子生徒は掌を光太郎に突きつける。
「ルールの再認識ができるまで今日は保留って事じゃダメ?」
 光太郎の交渉に女子生徒は強く首を左右に振った。
「頼むよ、ねーちゃん。今日だけはお願い!!」
 光太郎は両手を合わせて拝みはじめる。
 目の前の3年の女子生徒、斉藤ゆかりは風紀委員の委員長でもあり、光太郎の実の姉でもある。
 ゆかりは光太郎を強気な表情で見据えた。
「甘いよ。私は公私混同はしないからね」
「っだよ!! ねーちゃんが起こしてくれないから寝坊したんだろ」
「昨日の夜にちゃんと云ったよね? 今日は週番だから起こせないって。自分で目覚ましかけて起きなさいって。どうせこんな事だろうと思ったけどね。ほんのちょっぴりだけど期待した私がバカだったよ。新学期も始まったばかりだっていうのに全くほんとにどうしようもないね」
 ゆかりは強い口調で言葉を返す。光太郎は腹立たしげに生徒手帳を取り出すとゆかりの掌に叩きつけるようにのせた。ゆかりは光太郎の生徒手帳を手持ちのビニール鞄に邪険に放り込む。
 4月から7月にかけて。そして夏休みも終わり、2学期が始まるという今日に至って頻繁に行われているこのやりとりのせいで既に光太郎の生徒手帳は傷だらけなので、年季が入っているように見える。
「ほら、ほら、いつまでもここにいない。本鈴が鳴る前に教室に行きな」
 容赦なく言い捨てると踵を返し校舎に向かって歩きはじめる。そしてふいに立ち止まり、光太郎を振り返った。
「なんだよ、まだなんかあるのかよ」
 語気荒く光太郎は言い放つ。
「パン屑が口についてる」
 Coolに指摘すると再び、校舎に回れ右する。天然ウェブがかかったセミロングの髪がはねあがり、シャンプーのいい香が光太郎の鼻孔を掠めた。
 「わかってるよ」と半ばヤケクソで叫ぶ斉藤光太郎を2階の校舎の窓からじっと見つめる視線がある事に彼はまだ気付いていない。


◇◇◇◇◇◇◇


 斉藤光太郎は私立鳳凰学院に今年の春、入学したばかりのピッカピッカの1年生(死語)だ。
 A県O市にある開校71年目の私立鳳凰学院。
 20年前の最盛期は各学年15クラスの日本最大のマンモス私立高校だったが、20年前、市内に新しい近代的な私立高校が設立されるなどの影響により人気も下降し、現在では各学年5クラスにまで縮小された。
 昭和初期に当時、この地に住んでいた豪商が私財をなげうって設立したのが端緒で以来、様々な分野に人材を輩出している。
 敷地内にある旧校舎は明治中期の歴史的建造物で、元を辿れば日本文化にかぶれた旧ドイツの資産家が終の棲家としてこの地に建てた建物となる。一時は迎賓館としても利用されたとか。同じく敷地内に聳えるやたら巨大に育ったハルニレの木と同様に町のシンボルとしても認められているが、その中に市民や観光客が入れることは無い。
 20年前までは年に2回程、一般開放されていたらしいが建物が老朽化し現在では生徒達ですら立ち入りを禁止されている。もっとも生徒数が減った今、25年前に建てられた新校舎に全学年の生徒達が収まっているので旧校舎がなくても問題はないのだが。
 過去にみられた勢いはすでにないが敷地面積は無駄に広く日本最大であり、歴史的価値も高い為、軒並みに近代化された私立高校にはない魅力に惹かれ、県外からの受験者も多い。
 それが鳳凰学院のセールスポイントでもあったが、ライバル校曰く、「それだけが取り柄」らしい。

 昼休みを告げる鐘が鳴った。
 教師が教壇から降りると同時に、机から立ち上がる者、後を向いて雑談をはじめる者などお馴染みの賑やかな昼休みの風景が繰り広げられる。
 お弁当をもって外で食べる生徒は多い。教室の中はまばらだった。
 両親は忙しく共働きの為、光太郎が弁当を持参することは滅多にない。学生食堂か、売店でパン争奪戦に参戦するか、のどちらかだ。
 鐘が鳴り終わってもまだ教室内にいるという事はすでにパン争奪戦を見送り、今日は学生食堂に行くつもりなのだろう。それを見越して光太郎の周りに佐倉浩明と諏訪宗次が集まっていた。3人は連れ立って教室をあとにする。
 幼馴染の佐倉と中1の秋、関西から関東に引っ越してきた諏訪。中学、高校と同じクラスなので自然とつるむことが多かったが、常に一緒というわけでもない。
「しっかしお前も懲りないよなぁ。家から学校まで徒歩で行ける距離なのにさ」
 佐倉は行った。
「仕方ないだろ。姉貴が起こしてくれないんだから」
 光太郎は機嫌悪そうに返答する。
「ゆ、ゆ、ゆかり姫に起こしてもらうだとぉ!!」
「お前、なんちゅう贅沢なやっちゃ」
 2人は興奮気味に騒ぎ立てる。
「バカかよ、お前等。なにがゆかり姫だよ」
 美人で優等生の斉藤ゆかりは中学時代からの2人の憧れのヒロインだ。
 光太郎を餌にしてなにかにつけてゆかりと親しくなろうと日夜、策を巡らしている。
 中学時代の光太郎の成績では家から徒歩20分内にあるこの学院はよほど努力をしないと合格圏内には遠かったが、比較的、成績のよい佐倉と諏訪が勉強会という名目で斉藤家に通いつめ、詰め込み学習を施したおかげで合格ラインギリギリで入学する事ができたのだ。
 もちろん2人の目的は中学時代を楽しく過ごした光太郎と共に新たなるステージ(薔薇色の高校生活)を謳歌しようとか、そういった美談では勿論ない。
 2人の目的はあくまでも斉藤家にいるゆかり姫に自分の存在をアピールすることであった。
 2人の涙ぐましい努力の甲斐あってゆかりに名前を覚えてもらうことに成功し、そして弟がいつもお世話になっているお礼、としてバレンタインデーにチョコケーキまでプレゼントされた。
 このことにより光太郎の家庭教師どもはさらにヒートアップし不可能を可能にせしめたのである。
 ゆかり姫と同じ学校に通うことになった2人にとっての新たなステージはメルアド交換!! だった。

 鳳凰学院の学生食堂は旧講堂を利用している為、校舎から外にでなければならない。
 六角形が特徴の旧講堂はかつては木造建築の体育館だった。すでに前世期の遺物であるがクラシックなその外観を学院関係者が気に入っており、取り壊される事なく学生食堂として生まれ変わったのだ。
 六角形の大ホールの中に丸いテーブルが散らばり、スタッキングチェアがやはり適当に並べられていた。その造りはアーケードのフードコードを思わせる。
 光太郎はカレー、諏訪はラーメン、佐倉はうどんをそれぞれトレイに載せると、奥のテーブルへと移動してゆく。
「そういえばこの学院の中に理事長の孫娘がいるんだってさ」
 其々の餌を目の前にして戦闘の火蓋が切って落とされた。と、その時、呑気な口調で佐倉が云った。
 ラーメンのスープをずずっと啜っていた諏訪は丼から顔を上げると、ああ――――。俺もそんな話きいた事あるわ。確か上級生やなぁ、と頷いてみせる。
 光太郎はすでにカレーにスプーンを突っ込み、がっつきはじめていた。
 ふいにピンポンパランポンのチャイムが部屋のスピーカーから流れてくる。

『1年2組の斉藤光太郎に告ぐ。放課後、薔薇の園に来るように。繰り返す、1年2組の斉藤光太郎に告ぐ―――』
 
 2回目の放送で光太郎はやっと気づいたらしい。スプーンを口に咥えたまま、きょろきょろと周囲を見渡す。すでに諏訪と佐倉が光太郎を注視していた。佐倉は頭上のスピーカーを指し示す。
「嗚呼、気の毒に。お前もとうとう年貢の納め時やな」
 諏訪が思いっきり声を落とす。光太郎を見つめる視線に同情の色が濃く漂っている。
「お前と過ごした短い日々は忘れない。成仏しろよ、光太郎。後のことはまかせてくれ。とくにゆかり姫のことは僕が引き受ける」
 佐倉は自分の胸をとんと突いた。
「いやいやいや、ゆかり姫のことはこの俺が引き受けるから。それ以外のことは佐倉がやってくれるわ」
「なんでだよ。ゆかり姫は僕が引き受けるっつーの」
「お前、紳士協定はどうしたんや!? 抜け駆けしようなんてそうはさせかんからな」
 2人がにらみ合う中、光太郎が割って入った。
「ちょっと、ちょっと、なんなんだよ。どゆこと? 薔薇のなんちゃらってナンデスカ」
「へ?」
 2人は同時に光太郎を見る。
「お前、知らないの? 素行の悪い生徒は生徒会室に呼び出されて拷問にかけられるって噂」
「拷問……?」
「薔薇の園ってのは生徒会室の別名らしい。噂では10階建ての高い塔で中にはあらゆるトラップが仕掛けられていてそこから逃げ出すことは不可能らしいぞ。呼び出された生徒の中で生きて教室に戻ってきた生徒はいないっていうぜ」
 あそこに足を踏み入れたが最後……と佐倉はテーブルに身を乗り出し、片っぽの箸を自分の首筋に走らせる。
「かわいそうに、光太郎……」と拝みはじめる諏訪。
「塔にトラップって……なんの【ドラゴンファンタジー】なんだよ、そりゃ―――」
 日々、愛と情熱を注いでいる新作ゲームが頭を過ぎる。実は今日、遅刻したのも夕べ、ほとんど徹夜で【ドラゴンファンタジー】で遊んでいたのが原因なのだが。
「つまり、オレは選ばれた勇者って事か?」
 スプーン一杯にのせたカレーを口の中に放り込む。
「お前、どんな脳内変換したらそんなかっこよくなるねん……。遅刻常習犯の村人Aのくせに」
「でも、ちょっと羨ましいかもな。今期の生徒会長って超美人って噂だし、うまくやれば、これを機会にお近づきになれるんじゃねーの?」
 このっ、このっつ!!と佐倉は肘で光太郎の肩を小突く。
 一方、光太郎は入学して早3ケ月経つのにも関わらず、この学院に生徒会が存在していた事すら知らなかった。
 薔薇の園の生徒会長、放課後の呼び出し……しかも超美人……

 薔薇のなんちゃらの扉を開けると優雅なクラシック、曲名はよくあるイロハニホヘ調34番みたいなやつが流れ、床には真紅の薔薇の花びらがまるで絨毯のように引きつめられている。
 いたるところに薔薇が飾られ室内は甘い香りに満たされ、光太郎の鼻孔をくすぐった。
「今日は突然、呼び出してごめんなさいね。でも斉藤くんがこんな素敵な人だったなんて思わなかった」
 美人の生徒会長は光太郎を見つめると、しなやかな細い両の指を光太郎の首筋にからませた。
「今日は家になんて帰してあげないんだから。私がたっぷりお灸をすえて あ げ る 」
 光太郎の耳元で熱い吐息を吹きかけるように囁くと、その唇を光太郎のそれに重ねあわせようとする。
「ちょ、ちょっと、待った。いきなりこんな……」
 光太郎は慌てたあまりに後に仰け反った。そして次の瞬間、腰部に激しい痛みが走る。
 食堂の椅子からひっくりかえった光太郎は現実に引き戻され、周囲の生徒たちのクスクス笑いを浴びることになる。しかし床に座りこんだままの光太郎の表情は夢みるように輝いていた。

「これ、ひょっとしてオレの新しいステージ(薔薇色の学院生活)のはじまりってやつか―――」

(執筆者:はなび)

第1話・薔薇の園

眩しすぎるほどの初夏の日差しが網膜を焼く。数種類の蝉の声がファンファーレよろしく薔薇の園へと向かう光太郎をせきたてていた。足取りも軽い──結果、不恰好なスキップとなっていて、見ている人がいたなら恐らく笑われていたろうが、幸い、薔薇の園へと向かう光太郎を見咎める人はいなかった。
 生徒会役員室のある特別管理棟──通称薔薇の園──は新校舎とは少々離れた場所にある。新校舎を出て敷地の中にある木立の中を歩いて5分ほどのところにある、一般生徒にとっては謎の建物がそれだ。
 勿論不良とは一線を画した、単なる不真面目生徒であるところの光太郎は行ったことなどある筈がない。鳳凰学院における深遠などと佐倉あたりは散々脅してくれたが、光太郎の意識に恐怖感は然程に無かった。それよりもなによりも。
「美人のおねーさーん♪」
 先月の末に行われた生徒会役員選挙で新たに就任した生徒会長が美人だという噂に浮ついていたのだ。

 歴史ある学校らしく瀟洒な佇まいの石畳の道を歩くこと暫し。周囲を植物に囲まれた中に、ひっそりと佇むように特別管理棟はあった。
 二階建ての古めかしい印象の、オリーブドラブ色の木造の建物。とても十階もあるようには思えない。これで実は地下八階まであるんです、というようにもとてもみえない。
 やはり佐倉の言っていた噂は根も葉もないものだったようだ。建物の周囲に丁寧に配置された蔦棚があって、よくよく見るとその蔦には棘がある。これが薔薇の園の由縁となった薔薇の花の棚なのだろう。
 玄関の前に立ち、光太郎は迷う。呼び鈴のようなものが見当たらないからだ。古めかしいドアノッカーがついていて、これを使っていいものか──迷いながらも恐る恐るノッカーに手を伸ばしたところで内側から扉が開かれた。そこに立っていたのは、校章から二年と察せられる男子。身長は光太郎より少し高いくらいか。眼鏡をかけており、そのせいだけではなかろうが、随分と怜悧な印象を与える。
「あ、あのぉ……」
「斉藤 光太郎くんだね。待っていた。入りたまえ。会長がお待ちだ」
 相手の高飛車な態度に光太郎は一瞬虚をつかれた。美人だという会長で2人っきりにならないのか、というガッカリ感も覚えたが、さっと踵を返し、階段を上にあがったその男の先輩の後を慌てるようについていく。

 建物自体は相当の年数を経ているようだが、随分と手入れが行き届いているらしく、清潔感すら感じられる。土足のまま、階段をあがっていくが、土足で上がるのが躊躇われるほどの掃除の行き届きっぷりだ。
 光太郎は物珍しげにあたりを眺めた。
 卒業生が描いたのだろう絵画が飾られていたり、ガラスケースの中にこれまで鳳凰学院が獲得してきたのだろう賞状が並んでいたりしている様は古い建物を利用して作った博物館のようにも思える。古い蛍光灯の明かりしか光源がないせいか、何処と無く雰囲気は陰鬱で暗い。
 光太郎の脳裏に諏訪と佐倉による脅しの言葉が踊った。

「素行の悪い生徒は生徒会室に呼び出されて拷問にかけられるって噂」

 ひょっとしたらこの館には地下室があって。頑丈な鉄格子の檻の中に閉じ込められたり、目耳口を塞がれ全く身動きも取れないように全身を拘束されて某食人鬼よろしく矯正を促されるのだろうか。
 冗談じゃないぞ──ゾゾッと光太郎の背筋を氷塊が滑り落ちる。素行悪いっていったって、遅刻がちょっとばかり多いだけじゃないかよ。今時、基本的人権を全く無視したような拷問なんかが行われる、そんな筈ないよな。
 この館に来る前の心境は明後日の世界に飛んでしまっていた。先導している先輩の男子生徒の後ろについていきつつ、これは今からでも逃げるべきか、そう考え始めたところで先輩生徒の足が止まり、クルリと光太郎に向かって振り向いた。
 考えていることを見透かされたのかと光太郎はギクリとしつつ、恐る恐る扉を見る。生徒会役員室、扉にはそうプレートがあった。コンコン、と先輩男子生徒はノックをする。
「会長、加賀美です。斎藤光太郎が出頭してきました」
「どうぞ」
 扉の向こうから凛とした声が響いた。出頭という言葉に違和感を覚えるまもなく、加賀美というのだろう先輩男子生徒が扉を開く。
 中は20畳くらい。内装はこの古めかしい建物によく調和された一級のもの。ただ、部屋の隅にある会議机とパイプ椅子とパソコンの組み合わせだけが奇妙な違和感を発している。
 よく光の差し込む窓際に映画などで見るような重厚そうなつくりの机があり、これまた偉そうな社長が座るような椅子に、偉そうに腰をおろしている女生徒。
(これが、生徒会長?)
 と記憶を弄るも、回答は出てこなかった。長いストレートの髪、切れ長の瞳には、意志の強そうな光が宿っている。間違いなく、超一級の美人だ。美人には違いないだろうけれど、ちょっと性格が強すぎな印象。彼女から受ける印象を一言で表すのなら「孤高」ではないか。
 光太郎を案内した加賀美はポカンとしている光太郎を無視し、その会長の椅子の斜め後ろに足を進めるとカツと靴を踏み鳴らして光太郎に振り返った。両手を後ろ手に組んで背筋を逸らしている姿はまるで旧世代の軍人のようだ。
「会長。これが、斉藤 光太郎です」
(──これ!?)
 加賀美のあまりな物言いに光太郎は思わず身じろぎをする。人に対してこれ呼ばわりはないんじゃないか、そう声を上げかけて果たせない。
 理由は簡単。冷たく値踏みするように光太郎を見ている美人生徒会長の視線の強さに、射すくめられたような感覚を覚えたのだ。
 間違いない。この美人生徒会長はどSだ。
 根拠も無く、光太郎はそう決めつけた。蛇に睨まれた蛙、という表現があるが、まさしく蛇蝎のような冷たい威圧感を伴う視線の強さに光太郎は身震いをした。あいにく、光太郎はどMではない。美女だけなら大歓迎ではあるが、鞭を振るわれて悦ぶような嗜好の持ち合わせはないのだ。
 生徒会長は光太郎をしばし値踏みするように眺めた後、大して気もなさそうにため息一つ。
 正直。
(──感じ悪っ)
「加賀美。報告を」
 光太郎の内心を忖度する気配も無く、冷たい表情に見合った冷たい感情の籠もっていない声が会長の口から発せられた。
「1年2組、斉藤 光太郎。16歳。本日、50回目の遅刻をしました。風紀委員から報告があがっています」
「50回……1年、よね?」
「はい」
 そんなに遅刻してたっけかな、と光太郎は小さく考える。いやまあ、高校の合格が決まってから遊びほうけるようになり、そこで狂った生活リズムが入学してからも続いてまあそれなりに遅刻はしているかもしれないが、それだけの回数遅刻して──いたかもしれない。
「遅刻するのが趣味なのかしら」
 その問いかけは光太郎に向けられたものというよりは半ば以上に呆れた感情をそのまま乗せただけの呟き。
 そんなわけあるか、単に俺が自己管理できてないだけだ──と、あまりにも情けない叫びをあげるのを光太郎はさすがに踏みとどまった。
 要は今日、この場に呼び出されたのは、遅刻が多すぎるペナルティを言い渡されるためだと気づいたのである。であればあまり感情に任せて大声をあげて喚き散らすのは得策ではない。少しでも心証をよくして罰の内容を軽くしよう、という打算くらいは働く。
 そういえば教職員用のトイレ掃除やら校門の草むしりなど、これまで光太郎はペナルティらしきものを受けてもいる。それでも改まらないものだから直接生徒会室に呼び出された、というわけだ。
「更生させる必要すら認めないけれど」
 うげ、と光太郎は冷ややかな視線でこちらを見る生徒会長を見返した。彼女であればボンデージファッションに身を包んで更生の為と称して鞭と蝋燭とを振るう──本気でしそうだ。というか似合いすぎな予感さえ漂う。そういう破廉恥な恰好をしている女性を見たい気持ちはあるが、鞭や蝋燭は御免蒙りたい。

「以外なことに、朝のHRの欠席率はとびぬけて高いものの、授業の欠席は無し。自らを律する意識が薄いだけで、学業への熱意はそこそこにキープしていると思われます」
「成績は?」
「下の中といったあたりでしょうか。全教科平均して低く、辛うじて赤点を避けているレベル。先の期末考査では180人中168位でした」
「な」
 そのものズバリの順位を言われて光太郎は鼻白んだ。
(おいおい、これって個人情報保護法違反じゃあないんですかぁ!?)
 そうクレームを心の中で叫んでみるも、厳密にはその個人情報保護法とやらがどういうものなのかは正直、あまりわかっていない。
「部活動などへの所属はナシ。これまでに課せられた遅刻へのペナルティは、ほぼ、達成しています。任務・責務への責任感は、ある程度信頼できるかと」
「──今までこなしてきたからといって、今後二ヶ月、彼が我々の業務に精励する、その保証がされたわけではないわよ」
「……ですぎました。ご容赦を」
 鷹揚に頷く会長。
 あまりにも異質な雰囲気に、光太郎はこのまま回れ右をして退室すべきかを本気で検討し始めた。目の前の椅子に座る美女が生徒会長で、その脇に立つ加賀美も生徒会役員なのだろうが、今この場での雰囲気は生徒会というよりはやり手の女性社長と秘書、そしてダメダメな新人サラリーマンという構図のようだ。
「他には」
「姉に、3年、斉藤ゆかり」
 今まで変化に乏しかった会長の表情が、始めて少し歪んだ。といっても、少し眉をひそめた程度だが。
 と同時に、光太郎の心の中に強烈な怖気が走る。
(──姉貴ィ! 何やってくれちゃってたのよぉぉぉぉ!?)
「……そう。あの斉藤さんの、弟さんなの」
 ニコリと口角をあげて笑む生徒会長。ただ、ニコリというよりはニヤリというものだったようにも思えるのは光太郎の被害妄想が齎したものだろう。
 思わず視線を逸らした光太郎の目に、歴代生徒会長の写真が目に入る。最新のものは勿論目の前の女性。
 北杜真奈。
 ──漸く、遅刻大魔王は彼女の名前を理解した。

(執筆者:ご隠居)

第2話・嵐

「と……ゆーことで……」
 光太郎は軽く前髪をかき上げると、フッと口元に笑みを刻む。
「自己紹介も終わったようなのでこれで……」
 光太郎は何事も無かったかのようにドアに向かってクルリと方向転換し、自由な世界へと一歩足を踏み出した。さらに2歩目を踏み出した時、ふいに足元に突き出された物体にけつまずき同時に世界が一回転。次の瞬間、強かに打ちつけた右足首に激痛が走る。
「……って、いってぇええええええ!!」
 しばらく蹲り足首をさすっていたが、やがて上体を起こしたままの姿勢で顔だけ上げると既に涼しい顔で定位置におさまっている加賀美を睨みつける。
「だっ~~~っつつ!!なにしやがるっつ!加賀美っつつ!!」
「誰が帰っていいといった。まだ話は終わっていないぞ」
 加賀美はどこ吹く風で言い放つ。
「この平和だったこの学院に嵐が吹き荒れようとしているわ」
 ふいに頭上より会長の言葉が零れてきた。
 感情を読みとらせないポーカーフェイスでゆっくりと、だが一語一語かみ締めるように言葉を綴る。
「あ、嵐?」
「そうね。あれは……そう。あなた達、新1年生が入学する一週間程前の事だったかしら」
 生徒会長はもう光太郎の存在など目に入らないように窓の外に視線を投げ、でもその眼差しは外の風景を飛び越えて、どこか遠くを見つめているようで……
 黙ってりゃなかなかの美少女で通るのに。
 そんな心の呟きを聞き取ったかのように会長はふいと顔を上げると光太郎に向きなおった。視線がもろにぶつかり、ふっと視線を逸らす小心者の光太郎。
「第69代生徒会……つまり前生徒会メンバーと美化委員、そして一部の生徒達によって新入生を迎えるための校内清掃が行われたの。でも当日、清掃の範囲外である旧校舎で事故が起こった」
 旧校舎は光太郎も知っている。
 新校舎から行くには中庭を通らないとたどりつけないかなり距離のある不便な場所にジュラ紀に建築されたんじゃないかというぐらいのとにかく古い木造校舎が建っている。
 学院が作製した学院紹介パンフレットによると歴史的価値の高い建築物らしいが校舎の中は立ち入り禁止で生徒はもちろん教師さえも中に入ることは出来ない。
 加賀美……と視線で促されるままに副会長が言葉を次いだ。
「清掃は午後の時間をつぶして行われた。しかし当日、4人の生徒達が清掃をさぼるために旧校舎に侵入した。さぼりの4人を探すために4人の生徒が旧校舎に入り込んだ。8人は放課後になっても教室に戻らず。夜間の旧校舎内で彼らの捜索が行われた」
「あれ、その話……どっかで」
 光太郎は驚きの表情で加賀美を見る。
「旧校舎に入った8人が全員、意識不明の状態で校舎の中で倒れていた」
 確かに同じ話をどこかで聞いた事があった。
 斉藤光太郎は記憶の中の引き出しをかたっぱしから開けはじめる。
「あなたのお姉さま、斉藤ゆかりさんはそのさぼりの生徒を探しにいって巻き込まれたのではなかったかしら」
 真奈の言葉に光太郎は思わず、あっ! と声をあげる。
 6ヶ月前の記憶が光太郎の中で呼び起こされつつあった。
 夜の20時ぐらいだっただろうか。学校から連絡が入り、両親が慌てて病院に駆けつけたたのだ。あの出来事のおかげで晴れて高校生になる長男をお祝いしましょうイベントが遙かイスカンダル(ふるっ!!)の彼方まで吹っ飛んだ事はいうまでもない。
 精密検査のために数日間、市内の大学病院に入院した斉藤ゆかりは旧校舎内での記憶をいっさい失っていた。
「その日を境に彼らは記憶障害を抱えている」
 加賀美は云った。
 正確にいえば、記憶障害が起こっているのは6人の生徒だった。斉藤ゆかりも事故当時の記憶を失ってはいるものの、それ以外の記憶は喪失してはいない。
 保護された7人の身体には擦り傷以外の外傷はない。翌日から病院にて精密検査を受けさせたが7人に身体的な異常は見られない。だが斉藤ゆかりをのぞいた7人の性格、言動、記憶には明らかに異変が生じていた。
 7人は4月、5月と休学し、検査、治療の日々。病院を変え、治療法を変え、を繰り返していたがそれでも結局、原因は分からずじまい。
 家族の希望もありとりあえず7人は6月、7月と学院に登校する事になった。そこで徐々にだが回復の兆しをみせはじめたのだ。
 7人に共通して一切の過去の記憶は失っているのに学院に在籍していた事、学校内の設備、施設の配置等、少しずつだが思い出しはじめていた。
 すべての病院で下された診断は集団で激しいショック症状に陥り、自己防衛のために自らの記憶を封じたというものだったが学校の記憶だけは封印されてはいなかった。
 もちろん同級生や友人、教師の事は覚えていないし、これとて記憶と呼ぶには漠然としたスケッチ程度のものにすぎないのだが、とりあえず前進はしている。
 学院が元凶である事故をきっかけに転校を考慮した家族もあったが、わずかでも記憶を取り戻しつつある彼らを学院から切り離すべきではないという医師の意見に従い転校を断念した。
 7月になり学院は夏休みに入り、7人の家族達は家族会を結成。
 記憶を失った原因はあくまでも学院にあるとして来学期以降、7人が元に戻らなければメディアに公表し、法的手段に訴えると学院に揺さぶりをかけてきたのは夏休みも後半に差し掛かった頃だろうか。
「4人の生徒は自業自得だとしても、あとの4人には完全に非はない。それでも彼らを区別して考えることはできないと理事長はお考えよ。学院にはメンタルケアの医師もいるけど現状、彼らをもてあましている」
 北杜真奈は3拍の間を置き、言葉を次ぐ。
「そこで斉藤光太郎。あなたにやっていただきたいことは8人の調査。あれが演技なのか、演技だとしたらなにか意図があるのか」
「意図って……記憶喪失とかは演技ってことか?」
「そういう可能性も否定はできないという事ね。その真偽をあなたに確かめていただきたいの」
「そんな事……なんでオレが? 生徒会でやればいいだろ」
「私たちで出きる事ならばあなたなんかに頼みはしない」
 北杜真奈は苛ついた口調で云った。思いっきりあなたなんか呼ばわりされた光太郎は思わずは? と聞き返す。しかし真奈は華麗にスルーしてその先を続けた。
「彼らは生徒会を拒んでいるの。私たちには決して心を開かない。8人は元々、生徒会に対して反発していた人や、生徒会ではなくてこの学院そのものに良い感情を抱いていない人たちがばかりなのよ。これが果たして偶然かしら」
 真奈ははっきりと8人といった。姉もその中の一人だということを暗に示している。
 記憶喪失? ナニソレ美味しいの? 
 斉藤光太郎の中に大量の疑問符が蝶々のように飛び交っている。
 確かに姉の斉藤ゆかりは事故当時の一切の記憶を失っている。しかし性格に異変が生じているという部分は生まれた時から発症してるといえなくもない。
 心当たりはあった。
 光太郎は意識したこともないが、ゆかりはかなりな美少女と評判である。それなのに全くといっていいほど男気がないのもおかしい。駅前のカレー屋の30分以内に全部食べたら無料の大盛りカレーライスをただ一人、15分で完食したのも性格異変のなせる技かもしれない。そしてなにより今時、塾にも通っていないのに勉強している気配もみせずに校内実力テストでは毎回上位5位に入っているという恐ろしい事実。
 あれもこれも思い当たることがたくさんある! いや、ありすぎる! とひとり納得しはじめているこいつは生徒会長の言葉をなに1つ理解していないのは間違いない。
 斉藤光太郎のパニックをよそに真奈は淡々と言葉をこぼす。
「前生徒会長も真面目な生徒だったのに……今ではすっかり変わってしまった」
「変わったって……?」
 訊ねる光太郎にお前には関係ないと視線で告げると真奈はその先を続けた。
「あなたなら生徒会とは全く関係のない立位置で彼らに探りをいれることができる。私達には手足が必要なの。ご理解いただけて?」
「ご理解するのもかなり難しいけど、オレにはお力になれそうもないね」
 残念だけど……と付け足す言葉の意味とは裏腹に1ミクロンとて残念じゃなさそうに光太郎は言い切った。
「これほどお願いしてもダメかしら」
 いや、最初からあんたお願いしてねーし、と光太郎は心の中で突っ込みをいれる。
「ほら、オレってご覧の通り内気で華奢な1年生でしょ。そういう狙われた学園みたいな正義感なヒーロー役はおよびじゃないんですよね」
 あはは、と快活に笑ったつもりだがかなり白々しい笑いだと自分でも認めている。
 北杜真奈はしばらく斉藤光太郎を哀れむように見つめていたが、やがてゆっくりとかぶりを振ると、深いため息をこぼす。
「それほど退学になりたいのなら仕方がないわ。加賀美、お引き取りいただいて」
「そうオレってばそんなスパイもどきよりも退学に……」
 クルリと背中を向けCoolに立ち去ろうとした。実際に生徒会室の扉を開けるところまでいったが瞬時に身体を回転させて元いた位置にワープ!0,1秒後には元位置に戻り、力まかせにテーブルをぶっ叩いていたり。
「退学~~~~~~っつ!! なんじゃ、そりゃ」
「この学院の理事長の名前はご存知かしら?」
「へ? 名前……?」
 理事長の名前って確か……
「なんだっけ?」
 一応、考えようという姿勢をみせるものの諦めるのも早かった。真奈はため息のあとに「北杜清秋」と告げた。
「あ、そうだ。北杜! 確かにそんな名前だった……って、あれ? 北杜? 北杜ってどこかで……
 答を探しすかのように視線は床へ、天井へ、明後日の彼方へとさまよい、やがて目の前にいる生徒会長に視線が行きついた。

『そういえばこの学院の中に理事長の孫娘がいるんだってさ』

 佐倉の陽気なあっかるい声が斉藤光太郎の脳内で3重のエコーがかって響きわたる。
 にっこりとたおやかな笑みを浮かべている生徒会長。

 斉藤光太郎はひきつり笑みを浮かべたまま凍り付いた。


(執筆者:はなび)

第3話・加賀美からの差し入れ

「NoooOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!」

 空を茜色に焦がし眩しい夕陽が斉藤家の窓硝子に反射し輝いている。
 幾条もの光の筋が硝子をすり抜け部屋の中へ差込み、リビングを淡い橙色に染めあげていた。
 そのリビングの中央にはムンクの叫びように両頬を掌で包み込み、絶叫する少年が一人……

「ねぇえぇえええええ~~~~~~!!」

 その少年、斉藤光太郎は叫ぶと同時にバサバサと騒がしい音をたてカバンの中身をフローリングにぶちまけた。しかし掃除と断捨離に人生の全てを賭けているといってもいいほどの綺麗好きな母親が特に力を入れてピカピカに磨きあげたリビングの外観を損ねる破壊分子がカバンから大放出される前にすでにフローリングは壊滅状態である。
 帰宅してからこれまでの少年の戦いを物語るようにソファは倒れ、クッションが遥か彼方に飛ばされ、波を打っているゴブラン織りの絨毯の上にマガジンラックの本がちらばり、テレビのリモコンは水槽の中でグッピーと一緒に泳いでいる。
 カバンから躍り出たウォークマンが床に叩きつけられた衝撃でパカッと開きCDを吐き出したまま、壁までスライディングし激突した。
少年ジャンプがバウンドし、羽根を広げた蛾よろしくページが開いた状態で床に沈みDVDが背面捻り技で着地。クーラーのリモコンがスティックターンしながら宙を踊った。
 ふいに光太郎の後頭部に少年ジャンプが飛んでくる。本の角がもろに頭にぶち当たり、あでっつ!と短い悲鳴を上げる。光太郎が本の飛んできた方向に向き直るのと、その方向より鋭い怒声が空気を震わせ飛んでくるのがほぼ同時だった。
「ちょ、ちょっとお!ナニやってんのよ!あんた母さんに殺されるわよ!」
 声の主、斉藤ゆかりは光太郎を鋭い眼差しで睨みつける。
「俺のこれまでの汗と涙と愛がてんこもりのメモリアルがねぇえっつっっっっつつ!」
「なによそれ」
「PS3のメモリーカードがねぇえんだよ!ラスト手前までセーブしたってのによぉお!」
 今までその存在さえ知らないに等しい生徒会からはなにやらわけのわからない難題を押し付けられ、今の光太郎にとって唯一の心のよりどころ、現実逃避の素敵なアシスであったはずのゲームのメモリカードは消えている。
 神も仏もいねぇのかよっぉおっつ!と絶叫する光太郎。しかしその問いかけに返ってきたのは無常な一言だった。
「知らないわよ。どうせそこらへんにほっぱらかしてたんでしょ!」
 反論しようと口を開きかけた光太郎の頭上にさらにゆかりのヒステリックな声がとんでくる。
「と・に・か・く!片付けなさいよ!」
 恨めしそうにゆかりを睨み、そして改めてリビングを見やる。
 そして今、自分はマグニチュード7の地震が斉藤家のリビングを襲った後はこんな感じになるだろうと予想される仮想空間の中に立っている事に改めて気付く。
「手伝っておねぃさまぁ」
「甘い!!母さんがこないか見張っててやるからその間に片付けな」
 ゆかりはピシャリと鋭い口調で云った。
 腕組みしてリビング入口で仁王立ちしている姉の監視下の元、光太郎は数々のアイテムが散乱したリビングを片付け始めたのであった。
「まだあそこらへんのCDが回収できてないわよ」「ほら、ほら!くだらないコミックがそっちに転がってる!」「あんたDVDまでカバンの中にいれてんのぉ!しんじらんな~い!まさかAVじゃないでしょうね!」
「うるせぇな!気が散るから黙っててくれよ!」
「風紀委員委員長である私の弟がカバンの中にガラクタ詰め込んでるなんてガッコに知れたらおねーちゃんの恥なんだからね!」
「へ~へ~へ~……」
 どのみち姉にはかなわないのだ。諦めたように気の抜けた返事を返す。その直後、ふいに光太郎の身体の動きが止まった。
「ああ…ねーちゃんさ。今は風紀委員だよな」
 いわゆる学校と呼ばれる機関には授業以外の学校活動として常任委員会が存在するのがもはや一般的になっている。もちろん鳳凰学院としてそれは例外ではない。
 生徒会が生徒の意見を反映させて活動しているものならば、常任委員は生徒達の意見を学校側に伝え、学校側の取り決めを生徒に伝え、さらに上手に取りまとめていく、云わば学校と生徒間との連絡係的立場にある。
 各クラス毎に一人ずつ委員の委員長が選出され、学校全体の委員毎の会議に代表として参加するなどの役目を任される事になる。
一般的なのは風紀委員、図書委員、放送委員、保健委員等がある。そして美化委員。
「風紀委員の前は、美化委員とか?」
 さりげなく口にする光太郎。ちらりと上目使いに姉の表情を伺う。しかし姉の反応は「ほらほら、無駄口叩かないで清掃しな」と見事に素っ気無いものだった。
 そしてリビング上の散らばったアイテムをすべて片付けさせられること30分。
 姉の鋭い見立ての下にリビング復元94%あたりで光太郎はやっと解放されることになった。
 「待ちなさいよ!」
 「なんだよ!ちゃんと元通りにしたろ!」
「これ忘れてるわよ!アンタのでしょ!」
 ふいに胸元に軽い衝撃を受けた。一冊のフォルダーファイルを光太郎に押し付けると、「ああ~~疲れた!まったく汚すことしかしらないんだから!馬鹿な弟を持つと苦労するわ」と怒りを撒き散しながら2階の自室へと戻っていった。
 姉がテレビのリモコンの在り処に気付くのはまだまだ先の話である。

 「ヒス女め!」と悪態をつきながらも残りわずかな体力でリビングのソファにダイビングした。ソファに深く身体を沈ませ、ふうっと長い息をつく。
珍しく疲れた表情でしばらく目を閉じていたがやがて姉から押し付けられたファイルフォルダーを抱きしめている事に改めて気付く。
「ったく!こんなも------」
 光太郎はフォルダーを掴んだ腕を振り上げ寝転んだまま投球フォームをとった。その時、フォルダーの表紙がキラリと光った。
「ん・・・・・・・・?」
 ベッドからだるそうに上体を起こし、改めてファイルフォルダーを探るように見た。フォルダーの表には羽を広げた鳳凰のエンブレムが金色文字で印字されている。さっき反射したのはこのエンブレムだったのだ。
 「れ? このフォルダー……俺、こんなもの知らないんだけど……」
 だがそのエンブレムには見覚えがあった。しかも、つい3時間前に見たばかりだ。
 生徒会の重たい扉に飾られていた金属製のエンブレムと目の前のファイルのそれとが重なる。
 自分ではカバンにこんな色気のないフォルダーは入れた覚えがない。と、いう事は差し詰め加賀美辺りが入れたものに違いない。光太郎はフォルダーを開いた。
「こりゃあ……一体」
 ファイルの中にはA4サイズの厚紙用紙の束が入っている。光太郎はその中の一枚を手にとってみる。
 上質紙の右上方には顔写真が貼り付けられていた。鳳凰学園の制服を着た男子の姿がそこにあった。
 1枚の書式に収められたそれには氏名・生年月日・住所・自宅連絡先・家族構成・そして、本人に関するこれまでの履歴・学歴から現在の状況が詳しく記載されている。
「オ~イィイイ…これって、超個人情報流出なんじゃねぇの……」
 全て同じ書式できっちりとまとめられた経歴書の部数は全部で7枚あった。
 新入生を迎えるために行われた清掃イベント。
 加賀美の話によればこの頃はすでに3年生は卒業しており学校には在籍していない。
 参加したのは前生徒会メンバーから2人、美化委員から2人、そして一般生徒が4人。
 この人数から想定するに決して大がかりな大掃除でないことは分る。

 加賀美からのとてつもなく嬉しくない差し入れ。
 多分この経歴書はイベントに参加したメンバーに関するものなのだろう、とさすがの光太郎も察しがついた。
「マジ………か……………?」

もしかして、もしかしたら、本当にもしかしたら、これまでの事は全てなにもかも悪い冗談で、明日になったら「驚かしてごめんなさいねぇ。あれはキミをビックリさせようと思って企んだことなのぉ」と生徒会長が可愛くペロッと舌だして、いたずらっぽい笑みを浮かべてくれるなんて事も……と、心の片隅で願っていた光太郎だったが、この8枚の経歴書をみてその甘い思考はすべてふっとんだ。

(執筆者:はなび)

第4話・姉

「変な話だねー、とくらぁ」
 光太郎はリビングのソファにだらしなく寝転がり、下手くそな創作歌を口ずさみながらファイルと向き直っていた。生徒会の加賀美の手による、今回の話の遡上にある生徒のプロフィールなどが書かれているファイルだ。
 これこそ個人情報保護法違反な代物なのだが、光太郎はそのあたり全く意識していない。そこに深淵なる考えがあるから──そんなはずはない。単に無警戒なだけだ。
「品行方正学業優秀、おまけに美人。非の打ち所がないねぇ」
 光太郎がしげしげと眺めているのは1人の女生徒の写真。前生徒会副会長・笠原紗智とプロファイルには刻まれている。
 嫌味という名の中身を美しい見た目で覆い隠した陰険生徒会長からふりかけられた難題。遅刻がおおすぎることから課せられたペナルティとしては一風変わったそれ──勿論光太郎も最初、やる気は無かった。
 第一、話の中身的には探偵などが調査するような内容だ。単なるオバカ高校生の光太郎には荷が勝ちすぎる。適当に調査するフリをして停学や退学を回避さえすればあとはなんとでもなるだろう。そう考えていたのだが………。
「こんな美人とお近づきになれるかも知れないと思えば、まあ悪くないかも」
 思いっきり俗物である。
 とりあえずやる気は沸いたが、任務に精励しようという気はさらさらない。適当にやっていればそのうちなんとかなるでしょ、と光太郎は思う。光太郎が生まれるよりはるか昔の歌謡曲でそんなことを言っていたような気もするし。
 前生徒会副会長のプロファイルを穴が開くほど見つめてから光太郎はページをめくる。次の男子生徒──スルーした。個人情報満載なファイルではあるが、さすがに体重だのスリーサイズだのは載っていない。そこいらは残念だ──しみじみ光太郎はそう思う。
「んーまあ、姉貴はさておいて」
 その次にあったのは、姉・ゆかり。実弟だけに姉の情報はある程度わかっているから流し読みで十分だ。それにしても写真面だけなら我が姉ながら美人だよな、と光太郎は思わないでもない。中身はとんでもない暴君なのだが。
「問題は、こっちか」
 さらにページを繰って光太郎は顎に手をやって考え込んだ。ファイルの中にあるのは7人ぶんのプロファイル。内訳は男性3女性4で、光太郎の視線の先には線の細い女生徒。しかも薄い記憶ではあるが見覚えがある。
「まさか留年していたとはね……橋本さん、か」
 橋本可奈。光太郎の同級生だ。6月から登校してきた彼女は病気の為に休んでいた、とクラスではなっていたが、実際は例の騒動に巻き込まれていたという。
 彼女は病気というのも間違ってはいない。一年間、一年生として学校に通っていたものの、身体が弱く休みがちで、単位がギリギリ足りなくなっていたのだ。そこで清掃会に参加することで単位を補う形としていたのだが事件に巻き込まれ、事務手続きの遅れが発生して進級させそこなったともいう。
 彼女の親は、一人娘を転校させようと強く考えていたそうだ。体調が原因とはいえ留年ともなれば体裁が悪すぎる。親としては転校させて心機一転新しい学校で、とも考えていたそうだが、事件後、わずかでも記憶を取り戻しつつある彼らを学院から切り離すべきではないという医師の意見と、なにより当人が転校を強硬に拒絶して渋々ながらも二度目の一年生をしているという。
「んー……しかし、どう接触したモノかしらんらんらん」
 困ったほどに光太郎と彼女とは接点が無い。いや同じクラスという接点はあるが、これまでクラスの中で彼女と会話した記憶はない。
 留年生だとまでは知らなかったが、確かに橋本可奈はクラスでも浮いた存在だ。クラスの中で覚えている彼女は、線が細く病弱な気配を漂わせながらも芯が強い──というか芯を通り越して我が強かったようにも思う。誰かと群れることもせず、同輩からいじめのようなものも受けているようだが我関せずを決め込み、いじめている生徒を馬鹿にしたような態度をとって火に油を注いでは悦に入っていた、そんな面倒くさいタイプに見えていた。
 そんな橋本可奈と光太郎に接点があろうはずはない。席も遠いし。
 光太郎は顎に手をやりながら橋本可奈のプロファイルに視線を落とし続ける。
「見た目は悪くないんだけど……どうにも、おっぱいが」
 はっきり見てわかるほどに、無い。そこそこの美人と接点を掴めそうなのだが、それが残念でならない──光太郎は、ある意味健全な男子高校生なのだ。
「おっぱいが、なんだって?」
 急に降り注いだあまりにも冷たいその声に光太郎はビキッと凍り付いた。手にしたファイルをそぉっと下げる──般若がそこにいる、もとい。
「お、おぅ、姉ちゃん。2階で勉強してたんじゃないの?」
 ゆかりは両手を腰に当て、どうしようもないほどに穢れたモノを見ているような冷たい視線を刺している。
 怖い。
 暴虐な姉を持つ可哀想な弟という生き物は、こんな表情の姉に逆らう危険性を重々承知している。エアコンがきいていて快適な空間なはずのリビングだというのに、冷や汗がだーらだらと止まらない。
「……光太郎」
「は、はい。なんでしょう」
「あんたも青少年だから、女の人の胸が気になるのは仕方ないけれどさ。帰ってきた瞬間にリビングに寝転がっている弟が、おっぱいおっぱい言っているのを見た姉としてはどうしたらいい?」
 連呼した記憶はないが、そこをツッコめば藪蛇になるのは疑いない。虎の尾を踏むにもタイミングというものがある。ソファに寝転がっている状態では逃げ出すにも齟齬がある。下手にからかったら光太郎の男としての人生が早くも終わりを告げてしまうだろう一撃がくることを光太郎はよく知っていた。
「え、えーと、そうですね。そっとしておくのがよろしいかと」
 はぁ、とこれみよがしにため息をついてゆかりはくるりと振り返った。ふわりと女性特有の柔らかい香りを感じ、光太郎は思う。同じ家に住み同じものを食い同じ石鹸を使っているのに、どうしてこんなに違いがあるのだろう、と。
「で、光太郎」
「うぁい」
「生徒会に呼び出しくってたでしょ」
「う゛」
「何しでたかした」
「な、なんもしてねぇ」
「嘘つくな。なんもしてないなら呼ばれる必要も無いでしょ」
 あっさり看破され、光太郎は渋々、本当に渋々。
「……その、あれだ。遅刻多いって、お小言くらった」
 嘘はついていない。ただお小言ばかりではなくペナルティをくった事を話さなかっただけだ。
 ゆかりは、はぁ、ともう一度ため息。
「もう少し自己管理して欲しいものだわ……。風紀委員長の弟が遅刻常習犯だなんて、聞こえ悪いったらないんだから」
「……しーません」
 少なくともこの件に関して、光太郎は強く言えない。
 ファイルを閉じ、脇に置いてソファに座り直し、姉・ゆかりに視線を向けた。ゆかりは冷蔵庫から麦茶を取り出しごくごくと飲み干している。細い喉が何度も動く様をぼんやりと眺めつつ、光太郎はぼんやりと考えた。
 事件に巻き込まれた8人のうち、このゆかりだけは軽い検査だけで普通の生活に戻って来た。他の7人は同級生や友人の事すら覚えていなかったというのに、この姉だけはそこいらの記憶はしっかりしていたからだ。
 ただ、清掃会の途中に旧校舎に赴いてから、病院のベッドで目覚めるまでの数時間の記憶は欠落してもいる。
 この姉と、他の7人との違いはなんであろうか。そしてまた他の生徒のように、この姉は以前までと変わったところは──。
「……なにジロジロ見てんの? 気味悪い」
 ぼんやりと考え込みつつじろじろと無遠慮に注がれていた視線にさすがに気付いて、ゆかりはいかにも気味悪そうに弟に視線を返した。気味悪いと言われて若干凹みつつ、光太郎はなんとか自我を取り戻し。
「なあ、姉ちゃん」
「ん?」
「姉ちゃんは、今の生徒会長と……どうなん?」
 ゆかりの流麗な眉毛が小さく歪んだ。光太郎は怖気を覚える。わざとボヤかして質問をしたのはわざとだ。あとはゆかりが勝手に考えてくれる。
『元々、生徒会に対して反発していた人や、生徒会ではなくてこの学院そのものに良い感情を抱いていない人たちばかり』
 生徒会長は姉ゆかりも含んでの発言をしていた。つまり、この姉もまた、生徒会に反発しているということ。
 ゆかりもまた直接の返答はせずに、麦茶を飲みほしたコップをテーブルの上に置いた。コツン、と甲高い音がリビングに響く。
「なに。あの薔薇の園の高飛車サマはあんた相手に私の嫌味でも言ったの?」
「まあ……似たようなもんかな」
 あまりにもズバリな毒舌に光太郎は心中で小さく苦笑いをした。成程、高飛車サマ──いいあだ名に思う。
 ゆかりはハン、と鼻で笑って。
「正直、あわないわ。理事長の孫娘だか知らないけど、何につけても上から目線で、周囲が従うのが当然と思っているのが、あわない」
 その姉の意見には全く同意せざるを得ない。
 そうまで口にしてからゆかりはふと眉に籠っていた力を抜いた。あまり陰口ばかりを叩くのは彼女の性質に合わない。
「いちおう、物事の筋はちゃんと通すんだけれど、『これで文句は言えないでしょう?』と言わんばかりの態度が、ちょっとね。へりくだるとまではいかないにせよ、同輩や先輩にするような態度をちゃんとすれば、私もそこまで反発はしないんだけど」
 結局、フォローにはなっていない。
 ゆかりは光太郎と違い、自己を律し、正道を歩んでいる。前生徒会副会長の笠原紗智も品行方正学業優秀ではあったが、ゆかりはそんな彼女に伍する存在だ。かといって融通の利かない堅物というわけでもない。その見た目から男子生徒の人気も高いが、それ以上に女生徒にそのシンパは多いともいう。
 つまり、現生徒会長の北杜真奈にとって、目の上の瘤なんだな、と光太郎は理解した。
「光太郎」
「ん」
「あんたが遅刻魔王で私生活だらしなくて勉強も体育も底辺を這いずり回っていて、褒めるところの全くない愚弟だとしても」
「……今は毒舌が痛いですおねーさま」
 光太郎のクレームをさらりと無視して、ゆかりは堂々と言い放つ。
「私は、あんたの味方だから。高飛車サマに何か言われても、放っておきな」
 そんなこといわれても、もう巻き込まれているんだけど。
 最後まで光太郎はそのことを言えなかった。

(執筆者:ご隠居)

第5話・吉住烈

「あらぁ、珍しい。光ちゃん今日は早いのね。ゆかりちゃん先にいったみたいよ」
 近所の主婦が声をかけてきた。光太郎は自転車に乗り、おはようございます、とすれ違いざまに挨拶を返す。
 今朝、珍しく早起きした光太郎は久々にテーブルに座ってゆかりの作った朝食を2人で食べた。もちろん、ゆかりは雨が降る、台風がくる、と大袈裟に驚いてみせたが……
「なにが台風だよ。そうそう来てたまるかっつーの」
 むんっ! とペダルを踏み込みスピードを加速させると一気に住宅街を走りぬけた。
 開けた十字路を左折し下り坂になると光太郎はさらに勢いをつけ自転車をすっ飛ばす。通学路手前の横断歩道に到着すると同時に信号は赤に変わった。光太郎は慌ててブレーキをかけ、その反動で危うく転倒するところだった。
「あっぶね……」
 大きく安堵の息が漏れる。
「あんた、なにやってんの! 自転車こわさないでよね~」
 聞き覚えのある甲高い声が横断歩道の向こうから聞こえてきた。顔をあげるとすでに横断歩道を渡り切った側に姉、ゆかりがいた。
「うるさいな。早くいけよ」
 光太郎はしっしっ、と手で追い払う仕草をする。ゆかりは子供っぽい仕草であかんべーをする。だが次の瞬間、ゆかりは自分よりさらに前を歩く男子生徒に気付き、その生徒を慌てて追いかけると肩をポンと叩いた。
 振り返った男子生徒。同時に光太郎の心臓の鼓動が激しく高鳴る。
 吉住烈――――
 斉藤光太郎のクラスメート。正確には橋本可奈と同じく2年に進級できず1年2組に再編成された1歳年上のクラスメートだ。
 さらに吉住も校内清掃に参加した8人の中の1人だった。
 つまり光太郎の身近に今回の事件の中心人物が2人、いや。ゆかりを含めると3人が存在している事になる。橋本同様、吉住と接点はなにもない。ファイルを見るまではどちらも留年生だとは思わなかったぐらいだ。
 普通なら上級生を通じてこの手の留年情報はあっという間に広がってもおかしくないはずだが、よほどデリケートに手厚く保護されているのか、生徒会からの箝口令が未だに解かれていないらしい。

 光太郎が久々にまともな朝飯にありつき門を飛び越えずに登校してきたのは何ヶ月ぶりだろう。
 気分よく鼻歌交じりで2組の教室に入ると、その存在に気付いたほとんどの生徒達が驚きの表情で光太郎を見つめた。
 よぉ、と軽くひらりと手を振り、光太郎は自分の席へと移動していく。その間に教室のいたるところに小さなグループが1つ、また1つと作られた。
 斉藤光太郎を遠巻きに見て、あらさまにはっきりとヒソヒソ、ボソボソと囁きあう声が聞こえてくる。光太郎は不審な表情でその小さな幾つかの塊りをぐるりと見回した。 そしてやがて、とある事に思い当たる。

 そうか……

 そうだったのか……

 オレが生徒会に頼られるスペシャルなナイスガイだってことがみんなにばれっちまってるのか……!!

 額にかかる前髪を指先で軽くかきあげ、ざーとらしく笑みなどを浮かべて各グループに視線を投げた。
 本人にとっては憂いある微笑みのつもりらしい。笑みを向けられた各グループの生徒達は見てはいけないものを見てしまったように慌てて視線をそらす。
「彼、生徒会からすごい頼りにされているらしいわよ」「光太郎くんって素敵だものね」「やっぱり彼にはどこか普通の人にはない風格があると思っていたのよね…」と、聞こえるはずもない周囲の囁きがなぜか自分の脳内から聞こえてきたり。
「光太郎……おぉ、お、お前……」
 ふいに背後から恐怖に震える声音が聞こえてきた。光太郎が振り返るとそこにいたのは諏訪である。まるで生き返った死人でもみるような目で光太郎を見つめていた。
「光太郎……お、お、をぉまえ…………」
「まぁ、みなまで言うな……オレだってまさかあんな展開になるなんて……」
 光太郎はかぶりを振りつつ、ため息まじりに言葉を漏らした。しかし後の言葉は恐怖が限界に達したような諏訪の絶叫によってかき消される。
「どないしたんやぁああ!! お前が! お前がこんな時間にここにいるなんて……」
「ヘ・・・・・・・・・・・・?」
「光太郎……お前、どうしたんだ!? なにかあったのか?」
 小さなグループを掻き分けて教室の入口から佐倉が飛び込んできた。諏訪を押しのけるようにして光太郎の前に回りこむと心配そうな表情できょとんとしている光太郎の顔を覗き込んだ。
「……生徒会の奴らからロボトミー手術を施されたという噂は本当だったのか」
「もう、昨日までの光太郎やないんやな……可哀想になぁ」
 諏訪は無念そうにかぶりを振った。
「おまえら、あんだよっつ! オレが早く学校にきちゃそんなに不気味なのかよっつつつ!!!!!!!」


                               ◇◇◇◇◇◇◇


 今は2時限目の古典の授業の真っ最中。すでに教室内に気だるげな空気が充満している。
 光太郎は大きな欠伸をした。すでにかみ殺す努力も放棄したらしい。頬杖をつき、老教師がボソボソと音読する「秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに……」をラジオから流れるどうでもいいBGMのように聞き流しながら、ぼんやりと天井を仰ぐ。
 光太郎が珍しく早起きしたわけは夢見が悪かったせいだった。しかしどんな夢をみたのか、さっぱり思い出せない。
 誰かに罵倒され、誰かに突き落とされたような気もするし、その夢をみたのは初めてではないような気もする。
 皮膚に染み込むような冷たい地面の感触を思いだし、光太郎は怖気をふるった。
 突き飛ばされ、仰向けに倒れた自分が最後に見た光景は……ふと光太郎は無意識に顔をあげた。そして視線の先に吉住烈の横顔がみえた。
 吉住とはほとんど話をした記憶がない。いつも1人で行動し、他人を寄せ付けないオレに構うなオーラをいつも発散させているかっこよくいえば一匹狼だ。悪くいえばただの変人。
 クラスの中で唯一の例外は橋本ぐらいだろうか。幾度か放課後、屋上やグラウンドの隅っこで2人でひっそりと話しているのを見かけた事があったがカップルがじゃれあうような和気藹々な雰囲気は微塵も感じられなかった。
 今までは同じ変わり者同士、気が合うのだろうぐらいにしか考えていなかったが橋本と吉住は同じ進級遅れというハンデを背負っている仲間であったのだ。そしてもう1つ2人には共通した出来事を体験している。
 そう、3月の清掃会の事件だ。
 光太郎は加賀美のファイルを思い出していた。

 鳳凰学院の生徒会の任期は2年の7月から3年の7月迄。
 生徒会メンバーは7人。
 メインの生徒会長、副生徒会長、書記、会計、広報といった役職で構成されている。そして1年の中から2名が補佐役(早い話が雑用)として加わり、この7人で運営されていくのが鳳凰学院生徒会だった。
 夏休み前、学期末テストも終わり、一学期も終わりに近づきつつある頃、生徒会選挙は行われる。
 去年の7月に選ばれた5人の2年生。そして1年の中から選ばれたのは北杜と加賀美であった。(因みに北杜と加賀美は中学時代から共に生徒会で会長、副会長として活躍していた間柄である。どちらが生徒会長であったかを想像するのは容易いはずだ)
 例年通りならば今学期もそうなるはずだった。
 しかし清掃会の事故のおかげで、7月に行われるはずの70期生徒会選挙は特例として4月に行われる事になった。
 生徒会長と副会長の2名が3月の清掃会の事件をきっかけに現役続行不可能に陥った為だ。
 そういった事情があるとは知らず入学したばかりの1年坊に投票権を与えてどうしろっていうんだ、と苦笑する1年生を後目に生徒会選挙は行われ、そして北杜真奈が70代目の生徒会長に、加賀美が副会長に選ばれたのである。もっとも従来、補佐役の1年生2人が来期の生徒会長戦でTOPのポストを与えられるのはお約束のコースなのだが。
 それにしても事故に巻き込まれた昨年のTOPの2人は運が悪すぎた。
 新入生を迎える為の清掃会……といえば聞こえはいいが、実際は留年生徒救済、そして問題の多い生徒に対する懲罰を目的とした生徒会恒例の罰ゲーム的なイベントにすぎない。生徒会枠で参加を強いられるのは本来は1年当時、補佐役であった北杜と加賀美のはずだったのだが、北杜は親戚の不幸で出席できず、そして加賀美も急性盲腸炎で入院となり欠席。
 書記、会計、広報担当者も春休みの私事にて連絡がつかず、やむなく生徒会長と副会長が参加する羽目になった。
 北杜真奈が生徒会長に立候補したのはこの時の責任を感じているからだろう、といい方に解釈する真奈シンパの生徒もいるが、勿論、彼女が立候補したのはそんな理由とはほど遠い。
 話を清掃会に戻そう。大掃除の当日、強制参加した面子の中に吉住烈も入っていた。
 1年の時、吉住はブラスバンド部だったのだ。
 2学期が始まったある日、学院傍にある楽器店で万引きを疑われた。吉住は否定したが、元々、ブラスバンド部には素行の悪い生徒が多かったこと、そして過去に万引き現行犯で捕まった部員が実際にいたために吉住にかけられた疑いは最後まで晴れることはなかった。警察沙汰にこそならなかったがその代償としてブラスバンド部は廃部になった。
 吉住はブラスバンド部を廃部に追い込んだ生徒会を恨み、そしてその怒りは当時、クラスメートであり末端とはいえ生徒会の一員であった加賀美にも向けられた。
 クラス内で事あるごとに加賀美と衝突し、他のクラスメートともいざこざを起こし、授業をエスケープする回数が増え、いつしか他校の不良とからむようになり欠席も多くなった。
 当時、吉住をかばい、最後まで信じていたのは斉藤ゆかりだけだっただろう。当時、ゆかりは美化委員の副委員長であり、吉住は美化委員だった。
 これは私が見聞きした事を含めた私見になるが……と前置きの後に加賀美が吉住烈のプロファイルに綴った内容は、吉住は2年の斉藤ゆかりに憧れていたようだ、ということ。ゆかりが美化委員なので吉住が美化委員になったのか、美化委員になってから好意を寄せるようになったのかは分らないが……。
 珍しく登校してきた吉住と屋上で話し込む斉藤ゆかりを加賀美は一度だけ見かけた事があった。その時の斉藤ゆかりは明らかに怒っていたように見えた、と。
 いかにもねーちゃんらしいな‥‥と光太郎は思う。
 きっと清掃会に参加するように吉住を説得したのもゆかりなのだろう。説得した手前、自分も美化委員代表として清掃イベントに参加したに違いない。貴重な春休みの1日を掃除なんぞに駆り出されたいと思うやつはいない。ゆかりの立候補は美化委員メンバーにとってまさに天の助けだったに違いない。美化委員としてはあと11人生贄を差し出せばいいだけの話なのだから。
 オレってけっこう冴えてる!! と不気味にほくそ笑む光太郎をじっと見つめる視線があった。
 吉住烈その人である。
 斉藤光太郎が遅刻のペナルティで生徒会に目をつけられたことはすでにクラスの噂によって知っていた。現にあの呼び出し放送を吉住も聞いている。
「あの連中になにを吹き込まれてきたんだか……」
 吉住烈はひっそりと呟いた。


(執筆者:はなび)

第6話・探り合いのランチタイム

「カレーは偉大や」
 諏訪はそう言ってカレーうどんを美味そうに啜った。光太郎と佐倉はそんな諏訪から少し離れている。カレーうどんは悪魔の食べ物、いかに工夫しようと汁が飛び散ってしまう。自分で選んだ結果ならいざ知らず、とばっちりをくうのは御免だ。
「カレーが入ることであの関東の真っ黒い色が消え、味もからいだけやのうてなんやこう、まろやかになるっちゅうか……おい、聞いとるか?」
「あ? スマン、聞きたくなかったから聞いてない」
「なんや、友達甲斐の無い。冷たい男どもや」
 光太郎は苦笑する。
 諏訪は美意識の問題や、と言って頑なに関東出汁の掛け蕎麦やかけうどんを食べようとしていない。まあ諏訪の言う美意識とやらは、美女が「私、この色のお蕎麦好きなの」と囁いた時点で崩れ去るようなものでしかないだろう。実際、諏訪が転校してきて、仲良くなっていったなかで「あんなもん、人間の食うもんやあらへん」と言っていた納豆を、ゆかりが好きだと知って、涙ぐましい努力の結果で食べれるようになった――そんな逸話もあるのだから。
 余談だが、関東と関西のかけ出汁の違いは当時の昆布の流通網と、水の違いが大きいと言われる。関西、特に最先端を行っていた京都では昆布が珍重されていたが、それらの多くは北前船、つまり日本海まわりでもたらされていた。太平洋側まわりの流通網は小さく、関東、江戸近郊の入荷量が少ないつまりは値段が高かったのも一因ではあるが、そもそも関東圏の水は昆布で出汁が取り辛い硬水がほとんどで、足りないグルタミン酸を補う為に醤油が足された、その為にあの色になっているのだ。関東でも京都程度の値段と量で昆布が出回っていたとしても、関西の色味とはならなかったであろう。
 閑話休題。
「ほんで? 昨日の薔薇の園からの呼び出し、なんやったん?」
「いや、その……遅刻多いから、このままだと退学もあるぞ、って脅された」
 ギクリと身をそびやかしつつ光太郎は嘯いた。嘘は言っていない。ただ、ペナルティとしてしち面倒な調査案件を押し付けられた事を話していないだけだ。加賀美はこの件に関して、必要以上の情報漏れがないように軽くだが光太郎を脅している。悪友と呼べる間柄の佐倉と諏訪ではあるが、どうにもこの件を話す気にはなれなかった。いかんせん、この悪友どもは軽すぎる。
「まあなー。光太郎の朝のホームルームの出席率は20%割るもんな」
「……そんなに低い?」
「低い低い。まだ一年の2学期がはじまったばかりだってのに、遅刻ペナルティどれだけ食らってるよ」
 ケラと軽く佐倉は笑う。学業を全うする気がないと判断されて停学退学も当然なレベルだと夏休み前、ペナルティとして用務員の老人と一緒に放課後に校庭の草むしりをやらされた際にその老人から苦笑混じりで言われた事を光太郎は思い出す。昔ならとりあえず停学だったよ、とも言われたが、かといって光太郎の遅刻癖は簡単に治ったり反省したりは無かった。
「まあ、お前がゆかり姫の気を引くためにそんな愚行をしているとまでは思わんが」
 親子丼を勢いよくかっこんで、佐倉は箸の先をビシリと光太郎に向ける。大変、行儀が悪い。
「……ゆかり姫の迷惑になるような真似は許さんぞ?」
「な、佐倉。抜け駆けしようたかてそうはいかへんで?」
 光太郎はげんなりと突っ伏した。この二人が姉ゆかりに対して懸想しているのはどうでもいい。諦めた。あの姉がこの二人に靡くとも思えないし。ただそれでも諦めない二人は光太郎を起こすという名目で家に通ってくるのではないか、少しでもゆかりとの仲を深めようと画策している、と気づいたのだ。
「……頼むから朝起こしにくるのはやめてくれ。何が悲しくてむっさい男に起こされなきゃならないんだよ」
「「お前がちゃんと自分で起きれば済む話だろ! この遅刻魔!」」
 ごもっとも。両サイドからの至極尤もなツッコミに光太郎はぐうの音も返せなかった。

 そんな一見コントな光景を緊張感をもって見ている一組の男女がいることなど、三人は知る由もない。
 優雅にA定食を食べ進める3年生女子はパッと見、しとやかなお嬢様といった風情だ。長めの黒髪はキューティクルばっちりで、その美貌は落ち着いたもの。その後背で椅子を背後に傾けている男子生徒の風体はいかにもなヤンキーで、一見するとこの二人になんらかの関係があるとはついぞ思えない。いかにもなお嬢様風のいい女である三年生に怖いもの知らずな一年生ヤンキー男子がちょっかいをかけようとして無視されているようにしか見えない。が、その実、二人は周囲に気づかれぬよう、それとなく会話をしていた。
「あれが、昨日、生徒会から呼び出しをくった?」
「ああ」
「……大した男にも見えないけれど」
 三年女子の呟きは呆れの成分が籠っている。確かに佐倉と諏訪に挟まれて机の上に突っ伏している姿は間抜けそのものだ。
「油断しないにこしたことは無い。あんなのでも、『姫』の弟だぞ?」
「へぇ……」
 笠原の流麗な顔が歪んだ。傍目には一年生ヤンキーに絡まれて辟易しているようにしかみえないが、見るものが見れば、そして昨年までの彼女をよく知っている者であれば怖気を覚えたであろう。その表情は憎しみという言葉がしっくり乗るほどに厳しいものだったから。
「『姫』の弟、ともなれば、あの男が生徒会から何か吹き込まれた可能性も高い」
「『姫』の目覚めには、まだ早い」
「わかってるよ。……どうする?」
 つきあわせの切り干し大根の煮物を箸先でいじくりながら、笠原は鬱陶しげに自らの長い髪の毛をかきあげた。これだけの美女がすると絵になる光景なはずなのだが、どこかぎこちなさがある。
「少し探りを入れるか。目覚めの時までまだ間はある。あまり問題になりそうなら、少し脅しておいてくれ、あ……吉住」
「わかった」
 ガコン、と音を立てて吉住は席を後にする。彼らは曲がりなりにも油断なく、しかもそれと気づかれぬよう斉藤光太郎に視線を向けていて──まさか自分たちが監視されているとは思っていなかった。

「かかった」
 学食は旧校舎の体育館をそのまま流用して作られた施設だ。よって何かと空間が広い。ただ、旧校舎時代の渡り廊下部分に小部屋があることを知るものはさして多くないだろう。元は放送部用の小部屋だったが学食となってからは閉鎖されているはずの小部屋に、端整な顔立ちの眼鏡をかけた男子生徒が双眼鏡を片手に潜んでいた。
 その男子生徒は小さく口角を歪めながら双眼鏡を片手に手元では素早くメモを走らせている。双眼鏡に写り込んでいるのは全生徒会副会長・笠原紗智の口元。
「いえ……姫、か」
 第七〇代生徒会副会長・加賀美である。生徒会長・北杜真奈の文字通り腹心として陰に日向に活躍をしている。彼の父親は警視庁あがりのエリートで現在はこの方面の署長を務めており、その息子もまた父親の仕事に誇りを持つ高潔さと有能さを兼ね備えていた。読唇術もおてのものだ。
「通称としての姫、ではないな」
 斉藤ゆかりを指して姫と呼ぶ生徒は相当数いるのは加賀美もよく知っている。学園三大美女の一角として人気も高い。なお他の二人の片方は加賀美も信奉している現生徒会長・北杜真奈で通称は女王。もう一人はまさしく今双眼鏡におさめている笠原で、こちらの通称はお嬢だ。
 ただ、加賀美としてみれば三大美女だの通称がどうのだの、馬鹿らしい。北杜真奈の美しさ、聡明さ、高潔さに敵う存在など、この町どころか、国中にはいないのに。
 そうも真奈を崇拝する一方で、加賀美は自身が真奈の例えば彼氏だとか、将来、夫として隣に立つだとかは考えてすらいない。自身では手に届かぬ高嶺にして絶対孤高の存在であると認識し、崇め奉っているのだ。
「何か別の意味が……いや、一人で判断するのは危険か。それに、目覚めの時……?」
 双眼鏡から目を離し、笠原が見ている三人の一年男子にチラリと目を向けて加賀美は口の端をあげてニヤリと笑う。
「せいぜい餌として役にたってくれたまえ、斉藤光太郎くん」

 様々な陣営が錯綜している学食のヒトコマ──また一方で学食ではなく、教室で弁当を食べている生徒たちも勿論いる。俎上に上がっていた斉藤ゆかりもそのうちの一人だ。きびきびはきはきこざっぱりな言動をする私立鳳凰学院の姫にして風紀委員長はすでに弁当を食べ終えていて、難しい顔を張り付けていた。
「なぁんか匂うのよねぇ……」
 ポツリと呟かれたゆかりの声に一緒に弁当を食べていたのだろう女生徒が慌てた顔で己の服、次いでまだ3分の1ほど残っている自分の弁当箱の匂いを嗅いだ。
「やぁだ、違うわよ」
 友の思わぬ奇矯にゆかりは笑うも、再びその笑顔は曇る。らしからぬ友の言動に戸惑っているのは此方も同じだ。プチトマトを箸で摘まもうとしてツルリと滑って舌打ちしつつ、その女生徒は友の浮かない顔の理由は言い当てる。
「弟くんのこと? 昨日、薔薇の園に呼び出しくったんだっけ」
「そう……。全く、あの愚弟は」
 ゆかりは風紀委員長という立場もあってどうしても生徒会とはある程度のやり取りをしなければならないが、昨日光太郎に言及したとおり、現生徒会の在り様にはかなり憤りを抱いていた。仕事は出来る。無駄も少ない。だがやることなすこと万事が高圧的でやや陰湿。開校以来続いていた伝統行事を無駄、の一言でやめさせるそんな冷酷さが目につくのだ。そんな生徒会が光太郎に目を付けた──疑うのも当然だろう。呼び出しをかけておいてお小言で済ます、そんな穏当なタイプではないのをゆかりはよく知っている。清掃委員から風紀委員とこなしてきたなかで高圧的な運営に終始する現生徒会と揉めたことなど、一度や二度ではきかないのだ。
 ただ、そもそもの原因は光太郎の遅刻癖にある。ゆかりも気にかけてちゃんと朝起こすようにはしているのだが、あの二度寝癖はなかなか治ってはくれなかった。
「あー、やめたやめた。考えるの向いてないわ」
 思い切り伸びをして迷いをおいやったゆかりに漸く弁当を食べ終わった友人女生徒が笑いかける。
「ゆかりって頭いいのに、行動派だよねぇ」
「考えるより先に体が動いちゃうのよ」
「やだ、なんか卑猥」
「とぉ」
 気の抜けた掛け声とともに脳天から竹割を叩き込むゆかり。もちろん手加減はしている。だが叩き込まれた側はややオーバーリアクションで頭を押さえてのたうち回った。
「やー! 今の衝撃で脳細胞一万個死んだー! 午後イチの授業の英語の予習ぶんの記憶がー!」
 友人の再びの奇矯にゆかりは小さく笑う。この友人とは肩の力を抜いてやり取りが出来る。後輩の男女問わずして姫様呼ばわりで慕ってくれるのは嬉しい一方で、重くなりがちで困るのだ。この友人が何を望んでいるのかを理解したゆかりはゆかさず自分の机から目的の物を取り出す。
「はい、ノート。どうせ予習って嘘なんでしょ?」
「おぉう、名探偵。ありがとゆかりんー。愛してるー」
「はいはい」
 サラリと冗談を受け流す。この場合は本当に冗談だからいいが、異性同性関係なく、冗談にならない告白も幾度となくうけている──ただ、一度もOKをしたことはない。
「まあ今はノートを写して誤魔化せても、受験で泣きを見るのはあんただからさ」
「あ、愛が痛いよゆかりん」
 あまりもの正論に机に突っ伏して苦情を言う友人にゆかりは笑ってからもう一度大きく伸びをした。
「まあ、放課後だ」
 斯くして。
 遅刻魔、姫の弟、餌、愚弟。様々に呼ばれる男を中心に、物語は動き出す。

(執筆者:ご隠居)

第7話・狙われた学園

 グラウンドでは野球部が練習している。
 ノックの音にまじってどこからか交響楽が流れてくる。吹奏楽部の演奏だろうか。
 それは、どこにでもある高校の平和な風景そのものだった。
 そして、斉藤光太郎は吉住烈に屋上に呼び出されていた。他者の視線をもってすれば彼もまた平和な学校生活の風景に溶け込んでいるようにみえるのだろう。
 烈はフェンスに両腕をのせ、そこに軽く顎をのせてぼんやりと中庭の風景を見ていた。
「で、なにさ?」
 烈は云った。光太郎に背を向けたまま烈は云った。
「なんかいいたいことあるんだろ?」
「は? 呼び出したのはそっちだろ」
 烈は身体の向きを変えると、フェンスに背中を預ける。そして改めて光太郎を見た。
 初めてまともに 烈の顔をみたような気がする。そしてはじめて声を聞いた。もちろん 烈は無口な少年ではない。光太郎がからんだ事がないだけでクラスではいたって普通だ。橋本のように孤立しているわけでもなくクラスでもいつもつるんでいる友人たちも存在している。むしろ昨年、1年の後半、ヤンキーだったという事実のほうが信じられないくらいだ。
「じゃなくてさ、今日に限ってお前とよく視線があうような気がするんだけど。これって俺の気のせいじゃねーよな」
「気……のせいじゃないの?」
 光太郎は指先で右頬をぽり……と掻いた。
「おまえっさ……姉貴とぜんぜん違うのな」
「容姿がってこと」
「そんなの当たり前だろうが」
 アホの子なのかよ、お前は……とでも言いたげな冷たい視線を浴びせられる。
「おまえっさ。なんでそんなに警戒してるわけ?」
「警戒なんてしてねーよ」
「生徒会に云われたか。オレたちが狙われた学園もどきの悪事を働きそうだから警戒しろ、監視しておけってか」
 数秒の沈黙のあと光太郎は口を開いた。
「ねらわれた学園って……なに?」
「そういう小説あるだろ。今、映画が流行ってるじゃん」
「いや、知らないけど……」
「学園にもぐりこんだ宇宙人が生徒たちを洗脳して地球征服をたくらむとかそんな感じの話らしい。俺も読んだことないからよく知らないけど」
「ベタな設定だな、それ」
「要するにさ、生徒会の奴らはオレたちがなにかを企んでるとかって疑ってんだろ」
「そんな事はないと思うけど」
「オレたちが掃除をさぼって旧校舎にってのも生徒会が勝手にでっちあげた話だぜ。オレたち誰もあの日の記憶がないのにどうしてさぼったなんて分かるんだよ」
 光太郎は何かに気づいたようにあっ、と声をあげる。
 確かにそうだ。姉でさえあの日、24時間分の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。掃除をさぼったというのは加賀美からの一方通行の情報でしかない。
 第一、清掃会は救済の意味もあるのにそれをさぼったりするだろうか……さぼるのなら最初からこなければいいのに……と光太郎自身が思っていたことだ。
「あんまさ、関わらないほうがいいぜ。あいつらによ」
 別に関わりたくて関わりあってるんじゃない、と光太郎は心の中で反論する。
 その時だった。先生、こっちです! と鋭い声が下から聞こえてきた。2人が手摺り越しに見下ろすと男子生徒を先頭に3人の教師が中庭に向かって駆けてゆく姿が見えた。
「なんだ……?」
 烈は呟く。
「さぁ……」
 光太郎は中庭のアーチをくぐる集団に視線をやりながら首を傾げる。



 中庭には園芸部や料理研究部が管理している花壇があり、過去に卒業生によって植えられた木や観察用の池があり、そして兎の飼育小屋もあ
る。
 飼育小屋は縦幅横幅共に4mほどの長さがあり、全体が檻になっている。この檻の中で3匹の兎が飼育されていた。
 兎の世話は1年生の仕事だった。
 係になった生徒は2人一組で放課後、小屋の清掃や餌やりをするのが務めだった。1学年全体の生徒数が160人として年に1回、運が悪ければ2回はこの係につくことになる。もちろんよほどの動物好きでもない限り、喜んで仕事をする生徒達はいない。
「どこだ……」
 男子生徒はだまってウサギ小屋の中を指さした。
 小屋の下に引かれた砂や藁が黒く変色している。
 血の痕であることは間違いがない。
「ウサギはいないのか」
「います。すみっこです」 
 3匹いたウサギはそれぞれ小屋の中の離れた位置に、まるで襤褸切れが打ち捨てれたように無残な姿で死んでいた。その異常な死に方からいって自然死ではないのは明らかだ。
 ウサギの身体は元の毛色が分からないぐらい血で赤黒く染まり、四肢がまともに揃っているものは一匹もいなかった。その中の一匹は頭部と胴体が完全に切り離されている。
 ウサギ小屋の中は一面、どす黒い血で染めあげられ、異臭を発していた。
「ひどい……」
 英語の教科担当である女性教師はやっとの思いで言葉を吐き出す。
「ここは先生たちにまかせて、キミ達はすぐに下校して」
 男教師は男子生徒を見た。男子生徒は気遣わしげにベンチで横たわっている女子生徒をみる。
「あの子は大丈夫だ。先生が家まで送ってゆく」
「はい」
 男子生徒は空返事すると、踵を返した。その後姿にせっかちそうな眼鏡の男教師が声をかける。
「この事は誰にもいうなよ」


「狙われた学園ねぇ」
 老人は老眼鏡を掛け、あらためてクリップボードにはさんだ分厚い紙束をめくりはじめた。
 放課後、校内放送にて下校を促す放送が流れた。帰宅部だけではなく部活動中の生徒も例外なく下校せよ、といういつになく強制的な指示により、光太郎も烈も話を中断せざるを得なかったのだ。光太郎は校門から出たその足で学校近くの商店街にある小さな書店に立ち寄っていた。
「新書では出てないねぇ。息子が戻ってきたら分かるかもしれないけど」
 各出版社から配布された新刊リストなのだろう。細かい文字で印字された紙面にはところどころ赤いボールペンで入荷と書き殴られている。
 昔はこの老人が店の主人だったが7年前に息子に店を譲り、今では息子が留守の間、店番をしている姿を見かける程度だ。
「漫画なの?」
「いや、小説だっていってたけど」
「それ、新書じゃないよ」
 ふいに光太郎の背後から声がきこえた。振り返るとそこには一人の女子生徒が立っていた。女子生徒は鳳凰学院の制服を着ている。最も、この商店街から学院まで徒歩で15分ぐらいの距離なので、この書店に立ち寄る生徒は多いのだが。
「20年前の小説だから、今は古本屋にしか置いてないんじゃない」
「ああ、そうなの」
 と、いうわけだから、と短い言葉で切り上げると新刊リストをレジ下の棚に戻し、ほぼ同じタイミングで掛かってきた電話の受話器をとり、電話の相手と話しはじめた。
 光太郎は女子生徒に軽く会釈する。 
 胸の名札の色から2年であることが分かる。しかし名札を確認するまでもなく光太郎はこの女子生徒を知っていた。
 小早川早希。清掃会に参加した女子生徒だ。
 姉貴と同じ美化委員で、事件当時は1年生だった。生徒会の話を信じるならば、ゆかりと同じく巻き込まれた側の生徒という事になる。
 光太郎は店を出る。小早川早希も光太郎の後について外に出た。
「キミはひ……斉藤ゆかりさんの弟さんだよね」
「……姉の友達ですか?」
 光太郎の言葉に早希はぷっ、と吹き出した。
「ごめん、ごめん。なんかあまりにも棒読みだったからさ」
 早希は面白そうに光太郎を見る。
「まぁ、そんなに警戒しないでよ。ボクは2年の小早川早希」
「あ、オレは斉藤光太郎です」
「うん。知ってる」
 光太郎は驚いた表情で早希を見やる。その視線の意味に気付いた早希は笑みを浮かべる。
「この間、写真付きで掲示板に張り出されてたよね。遅刻常習犯なんだってね。優等生の姉に遅刻魔の弟って噂されてるし、それらの話を総合するとキミしか該当する生徒はいないもん」
 ああ、そういう事か……と納得する。
「狙われた学園を探す?」
 くるくるした瞳で早希は光太郎を見た。
「え?」
「探してるんじゃないの?」
「あ、別に。探してるわけじゃないんだ。ただ今、映画が流行ってるって聞いたから」
「そうなの?」
「オレもよく分からないけど、クラスの誰かが云ってたような」
「流行って時間を置いて繰り返されるもんなのかな」
 光太郎は視線で問いかけるが、なんでもない……こっちの話、と軽くかわされた。
 商店街のアーケードをずっと2人で並んで歩いていたが途中、ふっと歩を止めた。
「うち、ここだから」
 立ち止まった早希の背後にはカフェがある。イーゼル型の木製看板には《止まり木》とある。小枝を使って文字を拵えてるいるのがお洒落に感じられた。
 個人経営の店らしいが町の喫茶店といった野暮ったい感じではなく、明るい内装で店内ではベーカリーも販売しているらしい。
 今、どこの喫茶店も流行のフランチャイズのコーヒーショップに押されて苦戦しているらしいが、このカフェは学生や主婦で賑わっていた。
 出来立てベーカリーと本格派コーヒーが味わえるカフェがあるという噂は光太郎も聞いた事がある。もしかして、ここのカフェの事かもしれない、と気付いた。
「よかったら、寄っていく?」
「あ、いや。いいよ。オレも今日、早く帰らないと」
「そか。じゃ今度、遊びにおいでよ。かあちゃんも喜ぶから」
 じゃね、と手を振ると早希は店の脇にある階段を駆け上がってゆく。
 光太郎は困惑した表情でその背中を見送った。
 プロフの写真ではおしとやかそうなイメージだったが、かなりボーイッシュな、というのが第一印象だった。
 だが、それよりももっと殺伐とした、なんとなく気味の悪い連中を想像していたので、そっちの期待が裏切られかなり拍子抜けしていたのだ。
 これなら、調査も楽勝じゃないか……。
 少しだけ心が軽くなったような気分で、光太郎はアーケードを歩きはじめた。

八芒星(オクタグラム)は死を招く

八芒星(オクタグラム)は死を招く

創立71年目を迎える私立鳳凰学院に入学した斉藤光太郎。 遅刻常習犯である光太郎がある日の放課後、生徒会に呼び出された事から彼の学校生活は大きく変わってゆく。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-06-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. prologue  -私立鳳凰学院-
  2. 第1話・薔薇の園
  3. 第2話・嵐
  4. 第3話・加賀美からの差し入れ
  5. 第4話・姉
  6. 第5話・吉住烈
  7. 第6話・探り合いのランチタイム
  8. 第7話・狙われた学園