Rosemary ( 前 )

Rosemary ( 前 )

   
    
    
ただもう一度だけ、会いたかった。

ただそれだけだったはずなのに、会えば話したくなった。
一言だけでいい、あいさつを交わすだけでも良かった。

だけど人はやっぱり欲深い生き物で、私は彼に触れていた。
    
    
    
    
    
    
     
     
     
      
--- “ あなたの願いはなに?”


-「わたしの、ねがい?」


--- “ そう。あなたの願いをひとつだけ叶えてあげる。
何かやり残したことはない?”


-「……あいたい、
かれに、もういちどあいたい!」


ーーー “ その願い、叶えましょう。
ただし、一つ条件があります。
それはーーーーー ”





目の前にはもう一人の自分がいた。
左右対称の自分の鏡姿を何度も確認した。
ふわりと巻かれたロングヘア、まつげのカール、ピンクベージュの口紅、あの時の冴えない自分はもうそこにはいなかった。

ローズマリーの花びらのような半色のAラインのワンピースは、裾に向かってフレア型になっており、膝とふくらはぎの中間の丈は少しだけ大人に魅せてくれるかのようだった。
胸元を飾るバテンレースのフォーリング・カラーは紅茶染めをしたかのような風合いで、鎖骨を綺麗に見せてくれる。
小さい古着屋で購入してから随分と経っていたが、数回ほどしか袖を通せていなかった。



姿見の前に立って全身を見ていると、はっと気がつき、引き出しから丁寧に畳まれていたそれを、ゆっくりと取り出した。

リネン素材で角にゴールドの糸で私のイニシャルが刺繍された真っ白なハンカチは、彼に拾ってもらったあの日以来、ローズマリーのドライフラワーと一緒にずっと引き出しの中に閉じ込めていた。

ドライフラワーに触れると、かさかさと乾いた音がした。
乾燥しても甘美な香りは鼻先をくすぐり、髪やワンピースに染み付いた。

ハンカチでローズマリーを包み込むようにバックに忍ばせ、玄関のドアを開けると、部屋中に漂っていたローズマリーの香りが空へと舞い上がった。



午後二十時三十五分、地上から階段を降り、地下へと続く道を歩いて、黒い大きな柱をすり抜けると、現れたアンティークゴールドの重厚な扉を開けた。

ちりんと風にさらわれたようなベルの音から導かれるように足を進めた店内は、木造の落ち着いたブラウンを基調としたカウンター席が七席ほどあり、壁に沿うように二席だけテーブル席があった。

カウンターの奥に並べられた古いレコードや、ブリキのおもちゃに、タイムスリップしたかのような錯覚さえ覚える。

いらっしゃいませ、と声を発したカウンターの奥にいたマスターはやはり若かったが、黒いワイシャツがオレンジ色の照明に照らされ、手元に落ちた影から落ち着いた印象を受けた。

促されたのは、いつも彼が座っている席の一つ隣のカウンター席だった。

ゆっくりと腰かけ、手渡されたメニューを一通り見終わると、モスコミュールを注文した。

マスターの返事にメニューを右手側のテーブルに置くと、扉のほうからちりん、と音が聞こえた。

ふと目を向けると、思わず息を止めてしまった。

「いらっしゃいませ」

『マスター、いつもの』

「かしこまりました、こちらへどうぞ。」

長い脚でゆっくりと私の後ろを通り過ぎると、二つ左横に座り、長い指先でネクタイに手をかけて少し緩めた。

ずっと見つめていたことに気付き、手元のグラスへと視線をそらす。

彼が金曜日の夜、二十時過ぎにここに来ることは分かっていた。
だからこそ今日を選んだはずなのに、頭では彼が目の前に現れたことについていけず、描いていたはずのシナリオが、白いペンキをこぼしてしまったかのように真っ白になってしまった。

一目見るだけで良かった、そうしたら私はここから素早く立ち去るはずだった。
なのに、足が硬直してしまったかのように動かなかった。

『あの、』

左側から視線と肉声を感じ、唾を飲み込んで視線をそちらへと持っていく。

彼と交わる視線に、身体が熱を持つ。
じわじわと心臓の奥から湧き出す感情に、掌がじんわりと汗ばむ。

「はい、」

動揺しているのを気づかれないように、目をそらすことなく、ゆっくりと返事をした。

いつの間にかスーツのジャケットを脱いだ彼は、緩んだワイシャツの間から覗く肌が、照明に照らされて艶めかしかった。
捲り上げられたシャツから見える腕から指先にかけてのラインは、彼の線の細さを際立たせるようだった。

『気のせいだったらすみませんが、さっき俺のこと、見てました、?』

少し気まずそうに視線をそらしては合わせを繰り返しながら言った彼に、顔がかっと熱くなる。

「えと、その、………」

『すみません、俺の気のせい、ですよね。
本当にすみません。』

彼の焦ったような謝罪に、思わず口が開いた。

「見てました、!」

『……え、』

口走った台詞に後悔し、咄嗟に口元を両手で覆う。

「す、すみません、変なことを、言ってしまって、」

あぁ、こんなことを言ってしまったら、私は変な人だと思われてしまうだろう。
彼の中には、あの日の私なんてこれっぽっちも、記憶の端ですら存在していないというのに、発せられた言葉に後悔をした。

『いや、全然、!
聞いたのは俺ですし、その、…ちょっと嬉しかったです』

「…っえ、?」

『いや、なんか、店に入った瞬間、綺麗な人だなぁって思って、しかも視線を感じたので、……つい声をかけてしまいました。すみません』

照れたように眉尻を下げて笑う彼に、心臓が波を打つ。

「いえっ、こちらこそ、すみません」

頭を少し下げて、彼に返事をする。

すると頭の少し上から、笑いの漏れる声がし、顔を上げると、彼が笑っていた。

『なんか俺たち、謝ってばっかりですね』

あの時と同じ笑顔に、固まっていた緊張の糸がほぐれて、私もそれにつられて笑った。



どのくらいの時間が経ったのだろう。
彼とは話題が尽きることなく、ちょうどいい速さでずっと話をしていた。

『じゃあ、家はここから少し離れてるんですね。』

「とは言っても、二駅ですけどね。
どちらかと言うと西寄りなので。」

『そっか、じゃあそんなにでもないね。
俺はここからすぐなんだ。だから毎週金曜日にここに来て二、三杯飲んで帰るのが習慣なんだ。』

" 知ってます。ずっと見てたから "

『え?』

「…何でもないです。
いいですね、こんな素敵なお店の近くに住んでるなんて」

『うん。俺もお気に入りなんだ。
雰囲気といい店内といい、自分の家みたいに落ち着くから、ついつい長居しちゃうんだ。』

「いつもニ、三杯じゃ終わってないですからねぇ」

目の前にいたマスターがグラスをクロスで磨きながら、少し呆れ顔で彼の言葉に対抗する。

『こんなに居心地の良いお店を作るマスターが罪な人だと思うけど?』

「それは褒め言葉として受け取っておこうかな」

二人の掛け合いから、思わず笑みが溢れ口元に手を添える。

この楽しい時間がもっと長く続けば良いと、心の底から思ってしまった。
彼の隣がこんなにも心地が良いだなんて、知ってしまった蜜の甘さに身体中が酔いしれるようだった。

ふと視線を感じると、彼が私を見ていた。

「どうか、しました、?」

『…ううん。やっぱり綺麗だなって思って。』

「えっ、」

彼の言葉に鼓動が高まっていく。

『仕草とか、話し方とか、雰囲気とか、隣にいると落ち着くっていうか、…って、いきなりすみません』

「い、いえ、…」

緊張の糸が張り詰めたように、私と彼の間に流れる空気が変わった気がした。
意識している、彼が、私を。
そう思うだけで、血液が逆流しそうなほど熱くなる。



それだけで私の願いは叶ったはずで、

頭の中でこだまする理性の声に、くらりと

彼の姿を一目見るだけで、それだけで良かったはずなのに。

それなのに、私は、ーーーーー



『もっと、知りたいです。あなたのこと。』

彼のその言葉に、私の理性は粉々に砕けた。

Rosemary ( 前 )

Rosemary ( 前 )

ただ、それだけだった

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-06-13

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