短冊二葉 ~生と死のハザマで安楽死を考える~
[ちる桜ちらぬ桜もちる桜]
良寛さんの句以上のインパクトがある、この短冊をくれた人はすでに亡くなった。今度はとうとう自分の番が来た。恐くなってそこから逃げたい気持ちが湧きあがり、いままでは他人事だった「安楽死」に関心を持つようになった。一刻も早い法制化を願うばかりだ。
私が発病したのは70才になった頃で、左肩のだるさから始まった。不安をもって様子を見ていたら半年ばかりで左の腕があがらなくなり、歩くのも不安定になった。大学の神経内科を受診した結果、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された。
それから2年になる。今では両腕ともあがらず、歩けないので車椅子を押してもらっている。在宅ケアも受けている。確かな治療薬がないのでこれから先どうなるか。全身の筋肉萎縮は進んで食事や会話も出来なくなり、しまいには呼吸も苦しくなり死に到る。
何もしなければ発症後3年程度の命らしい。私は担当医から病名を告げられると同時に「呼吸が出来なくなったらどうしますか、気管切開して人工呼吸器をつけますか、そうすれば延命はできます、でも一旦つけたら取り外す事はできませんよ」と訊かれた。いきなりで、返事に迷い、「その時にならないと分かりません」と答えた。医師は私の希望に添った治療をするため聞いたのだろうが、「一旦つけたら外せない」の言葉に違和感を覚えた。外す、外さない、はこっちで決めること、と思ったからだ。
記述を読むと、人工呼吸器をつければ5年、10年、生きられると書いてある。しかし、覚悟がいるようだ。この段階になると、胃ろう、尿路カテーテル、紙オムツの生活になる。病人は紙オムツの屈辱に耐え、家族は先の見えない介護に苦労しなければならない。
私は妻と二人暮らし。近くの子供と孫たちも「生きていてくれ、出来るだけがんばって、そのうちよい薬ができるから」 と励ましてくれる。皆が親切に面倒をみてくれる。私も立ち直って、もう一度家族のために役立ちたいと思うが、今のところは「ありがとう」と言うばかり。
もうトシだから諦めろと言われても仕方ないが、それでも一回限りの人生を大事にしたい。仕事を辞めたあとは悠々自適のつもりだった。ここで人工呼吸器をつければ、もうしばらく孫の成長を見たり、友人たちとインターネット碁をしたり、家族と花見に行ったり出来るだろう。其れだけでも有難い。
オット、自分の事ばかり考えてはいけない。妻だって充実した楽しい老後を予定していたのに、そうはいかなくなった。日常の仕事以外に病人の介護をする羽目になったのだ。彼女の体は丈夫でないのでこの様な負担を負わせたくないのだが、きっと疲労困憊して倒れるまで頑張るだろう。私は自分と家族の今後を想像して、その状況の中でどこまで耐え得るかと、こんな事を考えて悶々としている。
私は最近「安楽死」について考えている。致死薬を使って、文字通り安らかに楽に死ぬということだ。決めたらスパッと逝きたい。長生きはしたいが、苦しいおもいをするのは嫌だ。家族も解放してやりたい。
よしっ、決まったぞ、人工呼吸器の件で最終決断を迫られた時の回答だ。「もう少し生きていたい、薬が無いなら呼吸器をつけてくれ、あまり苦しまないで過ごせるように緩和薬もほしい、頼んだ時には確実に安楽死させてくれ、最後まで守ってくれ」と言おう。でも、肝心の安楽死だけは出来ないと断られたらどうしよう。
私は、個人の権利として安楽死を認めている国をうらやましく思う。選択は自由だし、咎めも受けない。尊厳をもって人生を終えることがでる。インターネットで実際の動画を見たが、当人は幸せそうだった。本物であるなら、私が思い描いたのと同じ情景だった。
残念ながら、わが国では殺人とみなされたり、死ぬことを誘導されるおそれがあるということで認められていない。しかし、叡智と寛容と健全なモラルを兼ね備えた我々の社会では解決できない問題ではないと思う。すでに脳死問題は解決されたし、昔は切腹時に介錯するという「武士の情け」があったではないか。
私にはもう時間が無い。この先がとても心配だ。残された時間を生きるために呼吸器はつけてみたい。しかし、それによる私達家族の辛さはどれほどか見当がつかない。絶望的になってしまう。もし人生投了と思う時期に安楽死という切り札があったらどうだろう。私は安心して闘病生活が送れそうだ。かえって、「もう少し頑張ってみよう、死ぬのは何時でもできるから」という気持ちになる。救いの手がいつでも用意されていれば、悲観的な考えを捨て、まだまだ勇気を持って生きていけそうだ。私にとっては「安楽死」は「生きる支え」なのだ。
[もう駄目だと思う向こうに道がある]
この短冊もその人からいただきました。
2016年4月28日
短冊二葉 ~生と死のハザマで安楽死を考える~