熱帯魚

くらげみん

白い光の線と揺れる水面を下からただただ眺めながら沈んで泳ぐ、魚になりたいと私は何度思ったことだろう。

「ねえ、聞いてる?」

ふと、窓の外を見ると辺り一面が灰色に変わっていくのが分かった。雨雲が近づいているようで、ずきんと目の奥に痛みが走った。

「聞いてるよ。」

「反応が遅いよー。それでね…」

もう何度目かの友人の愚痴話も、今日はザーザーとした雑音にしか聞こえない。こんな日は静かに眠るのが一番なのに、わたしはどうして此処に居るのだろうと考える。

「あいつ、私に内緒で女の子と連絡とってたの。あり得なくない?」

心持ちがまるで水中にいるようで、このまま体も重力に逆らってプカプカと浮いてしまわないかと思った。

「前も言ったと思うけどさ、いつもこうなんだよね!隠し事は無しって言ってるのにそういうことするから…」

このカフェのカウンターの横にある、名前もわからない熱帯魚が泳ぐ水槽の中のように、私もあの狭い6畳半の水槽の中でゆっくりと沈んで眠りたい。この開放的でお洒落なカフェは息ができない。あの水槽の中へ戻らないと、私は生きて行くことができない。

清々しい顔で、また近いうち会おうねと手を振る彼女は愛らしい。きっと満足してくれたのだろう、そう思えるようにしてくれるから、私は彼女が好きでもある。

終電間際のホームはいろいろな人がいる。酔っ払って項垂れている人や、これから愛し合おうと思う男女、イヤホンを耳に携帯眺めている人、スーツ姿のくたびれた人。誰もかれも、自分の水槽の中へ帰るのだろうかと思う。己の背びれや尾びれ、鱗を傷つけてすり減らして、それでも水槽の外へ出て行こうとするのかと思う。そう思ううちに電車のドアが開く。私は一歩を踏み出すことができず、閉まるドアと急ぐ電車を見送った。

私は何処へ帰るのだろう、帰る場所は何処なのだろう。とにかく息がしたい、ハッキリ分かるほど吸ってため息と共に生命を感じたい。

そろそろ次の電車が来る。私の後ろに人が並ぶ。足を踏み出したら最後、もう私は宙を泳ぐ熱帯魚になる。

熱帯魚

熱帯魚

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-08

Copyrighted
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