【Voce di canto indimenticabile】
1996年の初冬。私がナポリで働き出して、数ヶ月経った頃……
まだまだ私は、言葉と文化の壁に苦しんでいたが、何とか絶望期からは脱し、とても会話とは言えないにしろ、最低限のコミュニケーションは取れるようになっていた。
その日は、コンサートにレンタルするグランドピアノの調整を、ショールームで行っていた。丁度シェスタの時間で、事務員は一旦帰宅しており、また同僚のイタリア人技術者は外回り中だったため、店内には社長と私しかいなかった。
その時、おそらく予め予定されていたのだろうが、社長に来客があった。数人の男性が、社長室に入っていくのを横目で確認した。社長室では、何やら大声で楽しそうに談笑していたが、内容を把握する程の語学力も興味もなく、私にとっては仕事の邪魔にしか感じなかったのだが……
数分後、一人の男性が社長室から出てきて、にこやかに話し掛けてきた。「君、日本人か?」といった感じで。「はい」とだけ答えると、何やら一人で話し出した。「日本には何度も行った」「とても良い国だ」「日本人が好きなんだ」……私も分かる範囲で返事はしていたが、仕事に集中していたので、勝手に喋らせておいた感じだ。
そして、彼は改まって私に質問した。
「イタリアは好きか?」
実は、この質問には、ナポリ在住中に数え切れない程出会った。初めて会う人は、必ずといっていい程、「イタリア(またはナポリ)は好きか?」と聞いてくるのだ。「No」なんて答えると許さないぞ、というニュアンスを感じていたのは思い過ごしかもしれないが、それでも少しでも親睦を深める為に、「Si (Yes)」と答えるに越したことはない。
少しの嘘を含む場合もあるにしろ、当たり前じゃないか、というニュアンスを含みながら「Si」と答えるクセが付いていた。
その時も、無条件反射的に笑顔で「Si,certamente!(はい、もちろん!)」と答えたのだ。
すると、彼は「じゃあ、一曲歌ってあげよう!」と言うなり、いきなりアカペラで歌い出した。「Che bella cosa~」……有名なナポリ民謡の、「オ・ソーレ・ミオ」を。
彼と一緒に訪問していた男性達もいつしか傍にいて、社長とともに唖然としていた。
私は、あまりにも圧倒的な声量に呆然とし、太く美しく伸びやかな歌声に、本能的に震え上がった。技量や感性をも超越した、まさに神憑り的な歌声に、ただ驚愕するしかなかったのだ。そして、サングラスと帽子を着用した男性の顔を、改めてじっくりと確認した。
何故、それまで気付かなかったのだろうか……?
その男は、なんと……ルチアーノ・パバロッティだったのだ!
そう、パバロッティはその日、私一人の為だけに歌ってくれたのだ。ワンテンポ遅れて、鳥肌が立つぐらいの感動が押し寄せて来た。
「じゃあ、頑張れよ」と言い残し、取り巻き(多分SPかな?)と一緒に去っていくパバロッティを、何も言えず、ただ呆然と見送った。
パバロッティにとっては、珍しいことじゃないのかもしれない。
たまたま気分が良かっただけなのかもしれない。
ちょっと気が向いただけかもしれない。
昔、ナポリで日本人調律師のために歌ったことなど、全く覚えてないかもしれない。
その時期、ナポリのサンカルロ劇場では、プッチーニのオペラ「トスカ」が公演中で、パバロッティは得意のカヴァラドッシ役で出演中だった。
しかし、プライベートでは不倫疑惑でパパラッチに追い回される毎日。精神的にも時間的にも、何故その日に来社するゆとりがあったのかは定かではない。ましてや、初めて会う、ろくにイタリア語も話せない異国の人間に、一曲歌うなんて……どういう意図があったのかなかったのか、覚えているのか否か、今となっては、もう確認しようがない。
2007年9月6日、パバロッティは71歳で亡くなった。
自分の声の価値、歌の価値を、彼自身知らないはずはない。でも、それ以前に、きっと彼は歌うことが好きだったのだろうな、と今は思っている。
気分が良い時など、誰でも歌いたくなる時はある。無意識に口ずさんでいることもある。きっと、彼もそんな感じだったのでは……ただ、あまりにも才能に溢れていた為に、それに商業的な付加価値が付いてしまっただけ……
だからこそ、周りの人は唖然としたが、彼にとっては、単に歌いたくなったから歌っただけなのだろう……そう、至ってシンプルだが、それが今だからこそ思う、私なりの解釈だ。
また、彼にとっての音楽の原点は、きっとそこにあるのではないだろうか。
名指揮者チェリビダッケは、次のような言葉を遺した。
「農夫が髭を剃る時に口ずさむ歌に、敵う音楽はない」
歌いたくなったから歌った……
気付いたら、つい口ずさんでいた……
その時に現れる音楽こそが、真の音楽かもしれない。音楽の素晴らしさを凝縮しているのかもしれない。
そして、まさに私が聴いた音楽も、そこから生まれたのだろう。その音源が、たまたま“パバロッティ”だったのだ。
当時、まだ修行中の私は、慣れない異国での一人暮らしによるストレスと、技術習得への執着から、ピアノと向き合うことが精一杯で、完全に音楽を見失っていた。
伝説とも言える巨匠との僅か数分間の出会いは、大切なことを思い出させてくれたのだ。
「音楽」と向き合えないのなら、ピアノの仕事なんて出来るはずがない。
ピアノの先には常に音楽があることを、パバロッティは教えてくれたのかもしれない。
【Voce di canto indimenticabile】