いや、そうじゃないだろ。
「死にたい。つらい。」
「なんで私だけこんな目に遭わなきゃいけないの?私が何したっていうの?」
「もうやだ、居場所がない。」
「死ぬ勇気がないから死ねない。弱虫」
ネットに溢れかえる見知らぬ人の声。
午前2時、布団に潜り込んでただただ眺める僕。
携帯の画面が煌々と光って目がしぱしぱするけど、特に眠気も来ないから見てる。
「死ぬ勇気がないから死ねない。弱虫。」
ふっ、乾いた笑いが布団の中に篭もる。
死ぬ勇気がないから死ねない?なにそれ、笑える。
死ぬのに勇気とかいるの?いらないでしょ。
僕は、この言葉が一番嫌いである。
それって結局言い訳じゃないか、と僕は思うのである。
死ぬ方法なんていくらでもある。死ぬタイミングだって今までにたくさんあったはずだ。
それなのに勇気がないから死ねないだなんて、「恥ずかしいから告白できない」と同じだと思う。
...例えが下手でごめん。
別に死んでほしいわけじゃない。
ただ、僕は死ぬのに必要なのが勇気じゃないってことを言いたいだけなんだ。
死ぬのに必要なのは「この世への諦め」なのだ。勇気じゃない。
「この世界で生きていくのはもう無理だ、死んでこの世からいなくなってしまいたい。この世に未練なんか無い。」
「この世界に生きていても確実に、幸福を感じることはない。''死''以外に自分を楽にしてくれるものは無い。」
生きることへの諦め。死ぬにはこれが必要なのだ。
''勇気''はむしろ、それだけあなたを苦しめているこの世界を、
このままずっと生き続けるほうにこそ必要だということを、僕はあなたに気付いてほしい。
''生''には強い勇気が必要なのである。
とまあ、これはただの僕の持論なんだけども。
そんなこんなを考えていたら、微かにカラスの鳴き声が聞こえてきた。
もう朝なのか、また無駄に睡眠時間を削ってしまった。
睡魔よ、ちゃんと来てくれよ...
また一日が始まる。
楽しい一日か、辛い一日か。
どちらにせよ、どんな一日にするかは自分次第ってところですかね。
いや、そうじゃないだろ。