カトリーナ
カトリーナ・メディアルジョの家に1人の青年が訪ねてきた。
「母さん。お会いしたかった。再婚されたんですね。父はもう死んでしまいました。親戚も音信不通になってしまい、母さんがただ1人の肉親です」
カトリーナは一目見て、青年の顔をあの気にくわない男と重ね合わせる。本当につまらない男だった。バカで、アホで、マヌケ、おまけに文字も読めないときている。お人好しで、すぐに他人のためにお金を使ってしまい、カトリーナにはプレゼントの一つもできない。今は実業家の妻となったカトリーナに何の用だろうか?カトリーナは、正直、お金持ちになってから、他人へお金を与えることにうんざりしていた。彼らは、すぐに賭け事や、無駄なことに浪費してしまって、どうしようもないのだ。この青年に、あの男の面影が重なったからといって、真実である証拠など何もないのだ。カトリーナは態度を決めた。
「私に息子などいませんよ。何かの間違いでしょう。すいませんが、お引き取り願えますか」
丁寧に言って、ドアを閉めようとするときの、青年と目があった。青年の目を見て、カトリーナは鏡を見ている錯覚にとらわれた。目尻がそっくりなのだ。そして、青年の目は幾分悲しげに見える。家に入って、信頼できる召使いに夫には秘密にするように言って、あの青年を調べさせた。
翌月になって、召使いは資料を持ってきて、青年がカトリーナの息子であるいろいろな証拠を持ってきた。これらを見せつけられて、カトリーナは顔をしかめる。嫌な予感があたったのだ。そこで、召使いに命じて、あらゆる裁判のための証拠品を破棄させた。この召使いというのは、昔からのカトリーナの甥にあたる人物で、荒くれごとや、裏ごとに通じていたので、カトリーナは安心して眠りにつけるだろうと寝床に入った。夫に知られたくない過去など全て消し去ってしまえばいい。
3ヶ月後、あの青年がまた訪ねてきた。今度は以前よりもみすぼらしい格好になっていた。つぎはぎだらけの上衣に、破れかけのズボン。その日、カトリーナの夫が家にいたので、カトリーナは慎重にことを運ぶ必要があった。カトリーナは20ドル紙幣を差し出すと、「もうこれっきりよ」と冷たく言った。青年は何か口をひらきかけ、結局、何も言わずに玄関を出て行った。夫が下からおりてきて、カトリーナに聞く。「誰だい?」「物乞いですよ。本当に困ります」カトリーナは、眉をあげて返事する。「その手に持ってる20ドルは何だね?物乞いにあげなかったのかね?」カトリーナは手でしわくちゃになった紙幣に気づいて、慌てて、言う。「変な物乞いよね」
翌日からカトリーナは気分の悪い日が続いた。周りの人間にあたりちらし、皆カトリーナに近寄らなくなった。カトリーナ自身、なんでこんなにいらいらしているのか、わからない。「君の子供が欲しい」あの日、あの男が言った言葉が頭を離れない。あの憎むべき感情を忘れたいと願っていた。そして、忘れたはずだった。それが、今になってもう一度亡霊のように蘇ってくる。召使いに命じて、カトリーナは青年の身辺を調査させた。
青年は、画家を志しボストンで、いつも公園にいるということだった。カトリーナは、水曜日に車で、ボストンのリンカーン公園に行った。そこに、確かにあの青年がいた。青年の周りに3人の男女が集まっていた。「そらそら、もっと良くみなさいよ。あんた」「そんなんじゃ、あんたの母親は、振り向いてくれないよ」カトリーナは、胸騒ぎがして、遠くの木陰から隠れて青年を見ていた。「あれ?もしかして・・・・・・」その様子を見ていた公園の老人が、カトリーナに声をかける。「なんですか?」「ピッタラ君のお母さん??」カトリーナは青年の名前がピッタラと知っていたが、何故老人がそのことを知っているのか不思議に思いながらも、立ち去ろうとする。「待って!」老人は、そんなカトリーナの腕をつかむ。「離してください」その騒ぎに青年ピッタラが気づき、カトリーナのもとにやってくる。
「母さん。いや、カトリーナさん。どうして、ここに?」ピッタラは驚いて、聞く。「たまたま通りかかっただけだよ。私はもう帰る。それなのに、この老人が離してくれないんだよ」カトリーナは怒って言う。「すいません」老人は、すまなそうにカトリーナの腕を離した。「ただ、私は、カトリーナさんが、ピッタラ君に会いに来てくれたんだと」老人は、そう言って肩を落とす。「言ったでしょ。たまたまです」ピッタラの笑顔に見送られながら、カトリーナは公園の駐車場に向かう。ちょうど、道路にさしかかったとき、後からピッタラが追いかけてくるのが見えた。「カトリーナさんにご迷惑はおかけしません。私はあなたの幸せを願っているのですから。ただ、父が書いたあなたの肖像画を持って帰ってくれませんか?遺品なんです」カトリーナはピッタラが差し出した、小さなキャンパスを見た。そこには、『愛するカトリーナ』という文字と女性の絵が描いてあった。まぎれもなく若い頃のカトリーナだった。
「さようなら」カトリーナはピッタラに言う。
「さようなら」ピッタラも言う。笑顔だ。
カトリーナは車を発進させて、家に向かう。途中のハイウェイで、もらったキャンパスを窓から投げ捨てる。そして、カトリーナは家に帰り着くまでの間、ずっと泣き続けた。
カトリーナ