太郎の家で次郎が夢見て、次郎の家で三郎が夢見る。それなら、太郎はどこで夢見たらええんや?(2)

二 身長百七十センチの男現る

 高橋は変な男に二度と声を掛けられないように、急ぎ足でその場から立ち去る。すると、高橋の右側に男が並んだ。高橋が右を向くと、男が左を向いた。お互いに顔を見つめ合うかっこうになった。知らない男だ。偶然に並んだだけか。これだけ人が多いと、偶然に並ぶこともあるよな。さっき、声を掛けられたのも偶然なんだ。大都会は偶然で成り立っている世界なんだ。高橋はそう思い直すと、そのまま歩いた。
 だが、男は引き続き、高橋に並んで歩き続ける。何だこいつは。偶然じゃない。意識的に俺と並んで歩いている。もう一度右側を向く。男は左側を向く。顔と顔が向かい合わせとなる。フェイス・ツー・フェイスだ。今度は、男の顔をじっくりと見る。やはり知らない男だ。第三者から見れば、友人二人が仲良く歩いているように見えるだろう。どこまで一緒に来る気だ。
 よし。高橋は急に立ち止まると、左に直角に曲がった。すると、隣の男も高橋の体から離れないように左に直角に曲がる。
やはり、こいつは俺をつけている。いや、つけるとは普通、離れて、しかも、隠れながら、気付かれないように後ろから着いてくることだ。こんなに正々堂々と横並びでつける奴なんかはいない。それとも、大都会では、こんなふうにして人の後、いや人の横をつけるのか。さっきの勧誘と言い、都会は変な奴ばかりだ。
 高橋はまた、左に直角に曲がった。すると隣の男も左に直角に曲がった。高橋からあくまでも離れようとしない。ぴったりとくっついたままだ。高橋は立ち止まった。男も立ち止まった。二人仲良く並んでいる。足をひもで結ばれていないけれど、まるで二人三脚だ。高橋が右を向いた。男が左を向いた。
「あなた、誰なんですか。なんで、私と並んで歩くんですか」
 高橋は思い切って、少し怒りを込めながら隣の男に向かって言った。ただ、ひょっとしたらナイフを持っているかもしれないと思い、手で腹をガードする。
「いやあ、すいません。少し、確かめたいことがあって、並んで歩かせてもらったんです」男は平然と答える。
「確かめたいと言って、何を?」
「あなた、身長は百七十センチでしょう?」
 いきなり見知らぬ男から身長のことを尋ねられた。訝しげに思いながらも
「そうです。百七十センチですが、それがどうかしたんですか?」
「いやあ。やっぱりそうでしょう。実は私も身長が百七十センチなんです。ほら」
 男は右手で、自分の頭のてっぺんと高橋の頭のてっぺんを平行移動させる。同じ身長であることを確認するためだ。
「ぱっと見たときから、同じ身長だと思ったんです。それを確かめるために、横に並んだんですが、あなたが歩くのが早くて、なかなか確信が持てなかったんです」
 こいつは何を言っているんだ。そりゃあ、これだけたくさんの人が歩いていたら、同じ高さの身長の人は一人と言わず、十人でも、百人でもいるだろう。それに、百七十センチと言えば、日本人の男子では平均身長だろう。それが同じだからと言って、それがどうしたんだ。何かいいことでもあるのか。
高橋は返事もせずに、男を無視して早足で歩き始めた。男は高橋が歩くのが早いと言ったので、男を振りきれると思ったからだ。だが、男も高橋に合わせて早足で歩く。それも、口笛を吹きながらだ。余裕綽々だ。
 話が違うぞ。高橋は男を横目で見た。同じ身長だが、どちらかと言えば、男の方の股下が長い。ベルトの位置がかなり上だ。つまり、男の一歩が高橋の一歩より広いのだ。その差は十センチ近くはある。高橋が一歩六十センチならば、隣の男は七十センチだ。たかが十センチと思わないで欲しい。十歩歩けば、十センチが一メートルとなり、千歩歩けば百メートルの差となるのだ。やがて、高橋が地球を一周する間に、隣の男は二周しているかもしれない。そのせいか、男は、余裕で高橋に着いてくる。
 ハッ、ハッ。ハッ、ハッ。高橋の息が先に荒くなった。口先呼吸だ。普段、仕事ではデスクワーク中心なので、早足になるとすぐに呼吸が苦しくなる。週一回程度はジョギングをしているが、体力の向上にはつながってはいない。隣の男の顔を再び、横眼で見る。口からは息をしていない。高橋の一生懸命のスピードも男にとっては、鼻呼吸、鼻歌だけで対応できるスピードなのだ。
 体力があまりにも違い過ぎる。高橋は男を振り切ることをあきらめた。いつも通りの歩くスピードに戻す。男も同じスピードにギアチェンジをした。高橋がトップをセカンドに変えたとしたら、男はセカンドをローに変えたぐらいなのかも知れない。男は高橋の息が元に戻るのを待ってから、話し掛けてきた。
「これは、失礼。名前を名乗っていなかったですね。名前も知らないのでは話はできませんよね。私は松本と言います」
男は自己紹介をしたけれど、名前を名乗られたからと言って、話をするわけではない。見知らぬ男に話し掛けられて、いちいち反応していたのでは、体がいくつあっても足りないし、松本と名乗ったところで、本当に松本なのかどうかもわからない。信用する証拠がないのだ。さっきの自称高橋も、自分と話をする時は、高橋と名乗ったけれど、おばさんには佐藤と名乗っていた。高橋が相手にしていないにも関わらず、松本はしゃべり続けた。
「名前だけでは信用できないと思います。私はこういう者です」
 松本が歩きながら名刺を差し出した。手慣れている。いつもこうして歩きながら名刺を出しているだろう。高橋は立ち止まった。いくら見知らぬ男でも、歩きながら名刺を受け取るのは、社会人としては失礼だからだ。松本は両手で名刺を持った。
「身長百七十センチ同盟 身勝手代表 松本 豊 ですか」
 高橋はじっと名刺を見つめ、顔を上げ男の顔を見た。
「身勝手代表ですか?」
「ええ。身長だけに身勝手がいいかなと思いまして」
 冗談みたいな同盟で、しかも、代表者は身勝手だ。こんな同盟に加入する人がいるのか。
「それで、この同盟で何をするんですか」
「いや。特別なことは何もしません。最近では、核家族化し、盆や正月に顔を合わすぐらいだし、マンションやアパートに住んでいれば、隣近所との付き合いもないし、会社と言っても、九時から六時までの仕事上の関係だけでしょう。こうした状況で、個人はより一層孤立してしまいます。次第に、うつ状態になり、自殺にまで追い込まれる人も多く出ています。私はこうした社会状況を憂いており、何とかして打開したいのです。そのためにも、せめて同じ身長百七十センチの者同士がフットインフットで結びつきたいんです」
 身勝手な論理を真剣に説く松本。
「その、フットインフットって、どういう意味ですか」そう言えば、さっきの高橋はハンドインハンドと言っていた。
「フットインフットも知らないんですか。運動会の時に、二人三脚をしたことがあるでしょう」
 二人三脚。あれは、小学生の頃か。同じクラスメイトとはち巻きで足を結びあい、肩を組んで走った。お互いの呼吸が合わず、ゴールまでに三回も転んだ。手のひらと膝は血がにじんでいた。その結果は、ダントツのビリだった。懐かしく、痛く、恥ずかしい思い出だ。高橋が思い出に耽っていると
「そう。その二人三脚ですよ。二人三脚こそ、はちまきを通じて、人と人が結びつく究極の形なんです。だからこそ、フットインフットなんです」
 わかったような、わからないようなことを言う百七十センチの男だ。
「私は今、代表なので、是非、あなたには私の右腕、そう副代表になって欲しいのです」
「副代表ですか?」一瞬、高橋は心が動いた。揺れた。会社ではまだ係長にもなれず、平社員だ。小学生から大学生までの間、委員長や学級委員、ゼミの役員になったことはない。いや、小学生の頃、給食当番になったことがある。ただし、それは持ち回りだった。掃除当番にもなった。三Kや四Kなど、嫌な役だけ回ってくる。
 副代表。副代表。高橋の頭の中では副代表と言う言葉がゴルフボールから風船へ、風船から気球へ、気球から地球へ、そして太陽へ、宇宙へと妄想が膨らんだ。だが、待てよと、宇宙がビッグバンして、冷静になる高橋。俺が副代表と言うことは、会員は、目の前の男、松本と自分の二人しかいないということか。
「何か、気になることはありますか」松本は菩薩のような笑みを浮かべている。
「会員は全員で何人ですか?」高橋は疑問をストレートにぶつけた。「私とあなたの二人です」何のてらいもなく、即答する松本。
 やはり、そうだ。二人しかいないんだ。俺の思ったとおりだ。でも、待てよ。相手は二人と言った。俺はまだ会員にはなっていない。勝手に会員にされちゃあ、困る。本当に、身勝手な代表だ。
「失礼ですけど、まだ、その百七十センチが何とかかんとかのクラブに、私はまだ加入していませんよ」ピシャリと相手を跳ね付ける。こういう輩は、はっきりと拒否しないと、いくらでもつけこんでくる。否定的な「いいですよ」を、.都合のいいように、肯定的な「いいですよ」に受け取るのだ。
「まあ、そう言わないで、副代表、仲良くやりませんか」男は馴れ馴れしく体を寄せてきた。
「ほら、同じ身長百七十センチの仲じゃないですか」再び、右手を出して高橋の頭に乗せ、自分の頭と背の高さをを比べる。
「一緒、一緒」
「やめてくれ」高橋はその手を振り払うと同時にダッシュした。
「ちょっと。ちょっと。副代表」代表の声が背中越しに聞こえてくる。だが、高橋はその声には耳を貸さずに走り続けた。と、言ってもわずか一分程度だが。
「はあ、はあ。もうだめだ。運動不足だ。ちょっと走ったぐらいで息が上がるなんて。単に自分の体力を維持するだけでなく、ああいった変な奴から自分の身を守るためにも、運動をしないといけないな」
 自らの日ごろの生活を反省する。あえて後ろは振り返らない。振り返ると、追って来るのを期待しているかのように相手が思うからだ。ここは、無視。無視に限る。男を振り切ったものの、高橋の太ももが熱くなってきた。さっきの手と同じだ。その熱が血液を通じて広がっていく。体中がポカカポする。何だ。これは。俺の体がフットインフットを求めているのか。いかん。いかん。慌てて、太ももに息を吹きかけ熱を冷ますとともに、その気持ちも振り払おうとする高橋だった。

太郎の家で次郎が夢見て、次郎の家で三郎が夢見る。それなら、太郎はどこで夢見たらええんや?(2)

太郎の家で次郎が夢見て、次郎の家で三郎が夢見る。それなら、太郎はどこで夢見たらええんや?(2)

二 身長百七十センチの男現る

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-05

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