蕎麦の花も一盛り
幼い頃から周りの人達に器量が悪いと言われ続けていたので、自分の容姿の悪さは充分に自覚している。けれど、鏡を見る度に佳代は溜息が溢れた。
佳代が十二の時に死んだ母親にそっくりな腫れぼったい一重の目と団子の様に丸い鼻、唇は幸の薄さを現しているかの様に細い。かと言って、体型は決して細くはなく、肌が綺麗な訳でもなく髪が綺麗な訳でもない。褒める要素が一切無い自分自身が佳代は大嫌いだった。
年頃になったらシュッとするから、という何の根拠も無い祖母の言葉を幼い頃は信じていたけれど、今年十八になる佳代はまだシュッとしていない。そもそもシュッとする、とは何の事なのだろう?
心が綺麗だと見た目も綺麗に見えるから、という綺麗事の祖父の言葉は幼い頃から信じていなかった。心が綺麗な器量の悪い娘より、心が汚い器量の良い娘を皆、好むでしょう?
今年、高校卒業後に家の近くの石鹸工場に勤め始めた佳代は人並みに化粧を始めたけれど、化粧を施しても粗を隠すどころか逆に粗を目立たせてしまい、最近では化粧もしなくなった。工場へは自転車通勤なので洒落た洋服を着る事もなかった。家と工場の往復、機械から流れてくる石鹸を箱に並べる事だけが十八の佳代の日常だった。
昔から酒ばかり呑んでいた父親は、身体を壊して入院していて、時々佳代が着替えやらを持って病院へ行くと、父親は嫌がった。死んだあいつにそっくりな辛気臭い顔や、が父親の口癖だった。今は丈夫な祖父と祖母の面倒をいずれは自分がみるんだな、という事を佳代はぼんやりと感じている。
工場が休みの天気の良い昼下がりに、祖母が着物箪笥の整理をしていた。時々風を通さな着物が傷むから、と丁寧に和紙に包まれた着物を愛おしそうに撫でる。茶の間からそれを眺めながら佳代は気が滅入っていた。祖母が撫でている赤い振袖は、佳代の母親が成人の日に着た振袖で、佳代の成人の日に佳代がその振袖を着る事を祖父と祖母がとても楽しみにしているからだった。綺麗な振袖なんて着ても影で笑われるのが関の山。石鹸工場の制服の上っ張りが自分には一番似合っているのだから。
「そんな派手な振袖…私には似合わへんわ」
「そんな事無いよ。年頃になったらシュッとするし、あんたのお母さんもよう似合ってたんよ」
いつシュッとするん?私もう年頃やで。とは祖母には言えなかったし、写真で見た事のある母親の振袖姿はお世辞にも綺麗だと言えるものではなかった。器量の悪い母親と、呑んだくれだけれど結構シュッとしている父親が結婚した事を佳代はとても不思議に感じていた。
「お母さんとお父さん、なんで結婚したんかな…」
「同じ機械工場の同僚やったからね。呑んだ勢いや、ってあんたのお父さんは言うてたけど」
呑んだ勢い、だったら母親譲りの器量の悪い自分にも結婚する機会があるのか…と佳代は安堵した。同じ石鹸工場の同僚…今の所は誰なのか想像も付かないけれど。
その日の午後に祖母が作った煮物と着替えを父親が入院している病院に届けると、父親は午睡中だった。痩せた土色の父親の顔を見ていると、母親の振袖を自分が着た姿を見せる事が出来るのかな…と佳代は心細くなる。振袖姿を見ても、チンドン屋みたいや、と言って父親はきっと笑うだろうけれど。
詰所の看護婦さんに荷物を渡して、いつも父がお世話になっています、とお礼を言って頭を下げた。
「お父さん、いつも佳代ちゃんが来るの嫌がってるけど、ほんまは嬉しいと思うよ。健康な年頃の娘がこんな辛気臭いとこに来たらあかん、死神に取り憑かれる、って心配してるねんで」
「私なんか…死神でも嫌がると思います」
そんな事ないよ、と看護婦さんは苦笑いした。父をよろしくお願いします、ともう一度頭を下げた。
「佳代ちゃんいつもええ匂いがするね。石鹸みたいな、ええ匂い。お父さんも言うてたよ」
病院からの帰り道、夏のむっとした空気が佳代の身体に纏わりつき生暖かい風が吹いた。自分の身体に染み付いた石鹸の香りを佳代は感じながら、これから先良い事が何一つとして無かったとしても、それだけで強く生きていけそうな気がした。
蕎麦の花も一盛り