悪役の哲学~吉良は犠牲になったのだ~

悪役の哲学~吉良は犠牲になったのだ~

悪役の哲学。
光あるところに影あり。古今東西各ジャンルにおいてメインの主人公がいれば、必ず悪役がセットでいます。
また、フィクションだけでなく、歴史上や実生活においても必ず悪役と呼ばれる存在が居続けています。
あなたの人生を振り返ってみても、悪役とは言わなくてもあなたに敵対する人物、またはあなたの人生の妨げになる人物はいませんでしたか?
悪役の哲学では、悪役たちの性格、趣味嗜好や考え方、その生き方などを考察していきたいと思います。

本日の悪役は、この時期リメイクや話題に上がる「忠臣蔵」の敵役 吉良上野介です。
ハリウッドでリメイクされたことでも有名ですね。
忠臣蔵のストーリーは、吉良上野介の度重なる侮辱を受け、浅野内匠頭が江戸城内の廊下で吉良を切りつけます。
周りの人間の制止で、事なきを得ましたが、朝野は責任を取って切腹を命ぜられます。
一方で、吉良は特に処罰を受けずお咎めなし。
これに不満を持った朝野の元家臣たちが主君の仇討ちを計画し、二年後の真夜中に吉良邸へ討ち入りをします。

忠臣蔵の中では、吉良は嫌味たらしい偏屈爺として描かれています。
一方、朝野は出番が少ないこともあり、一方的に吉良に難癖付けられた可哀想な主君として描かれています。
そして、朝野の元家臣たちは忠義を尽くした真の武士として物語の主役となる扱いを受けています。

しかし、実際の吉良、朝野それぞれの人柄を調べてみるとこのような結果となりました。
吉良:名家出身で統治能力が高く、知行地の治水事業、新田開発で領内を発展させ、馬で領内を周ることで、領民の意見をしっかりと聞き、領民に慕われた名君。
浅野:性格に難があり、わがままで粗暴な大の女好き。

これを踏まえて、ストーリーを振り返ると
あるところに、家柄、能力共に秀でて、領民にも慕われた名君がいました。

ある日、城で他国の若君主の指導を任されました。

その若君主は、覚えが悪くまったく上達しませんでした。

名君は、このままではいけないと厳しく指導を行いましたが一向に改善されません。

若君主は、厳しく指導されたことに反感を覚え、ある日名君に城内で切りかかりました。

周りの制止のおかげで、事なきを得ましたが、若君主は切腹を命じられました。

若君主の家臣たちは、切腹の理由に名君が関与している事を知り、復讐を計画します。

二年後、周りの人々が事件を忘れた頃、武装した家臣たちは、夜中名君の邸宅に討ち入りをします。

丸腰の名君家臣は次々に殺めれ、名君も何もできぬまま打ち取られてしまいました・・・。


こう書くと、吉良さんが可哀想な被害者になりますね。
毎回、丸腰で切り付けられます。
では、なぜ吉良が傍若無人な巨悪の根源として描かれているのでしょうか?

そもそも、忠臣蔵は、 人形浄瑠璃(文楽)および歌舞伎の演目のひとつである『仮名手本忠臣蔵』の通称。また歌舞伎や演劇・映画の分野で、赤穂浪士の復仇事件赤穂事件に題材をとった創作作品です。
つまり、実際、史上で起こった事件のノンフィクションではないということです。

そして、忠臣蔵が描かれたコンテンツがどれも大衆向けのものであるのが重要なポイントです。
大衆受けする要素として、勧善懲悪・分かりやすい悪役・自分よりも大きな悪と戦い勝利する。仁義や情で行動。というものがあります。
忠臣蔵はまさにそのすべてが当てはまります。
つまり、吉良はヒット作を作るために生贄とされた存在というわけです。
そう!吉良は犠牲になったのだ!
ノンフィクションものであれば、問題ないのですが、忠臣蔵は実際の事件をもとに作られているため、大きく改悪されることで吉良の子孫は多くのいわれのない被害を被ったことでしょう。
自分の親族・先祖が一方的な悪役として祭り上げられるのですから。
事件をよく知る人物が生きているうちはいいのですが、時代が変わり、真実を知っている人間が少なくなればなるほど、事実は捻じ曲げられ、本当に吉良が一方的な悪役であるのが事実とされてしまいます。

私達の生活の中でも同じようなことは、起きています。
当人ではない第三者が訳知り顔で噂をし、あることないことを話し広める。
双方の話しを聞かず、一方の話だけを聞いた人間がそれをすべての真実であるかのように話する。
このような連鎖で、でっち上げられた真実が出来上がり、まるでそれが事実のように語られます。
真実はどうであれ。人は多くの人間が信じるものを事実と捉える傾向があります。
そのことで、誰かを傷つけたとしてもみんなが言っているからと加害者意識すらない人もいます。
人間社会を生きていく中でこのような事は避けられませんが、極力、自分自身がそのような連鎖に関与しないようにしたいものですね。

悪役の哲学~吉良は犠牲になったのだ~

悪役の哲学~吉良は犠牲になったのだ~

悪役の哲学。 光あるところに影あり。古今東西各ジャンルにおいてメインの主人公がいれば、必ず悪役がセットでいます。 また、フィクションだけでなく、歴史上や実生活においても必ず悪役と呼ばれる存在が居続けています。 あなたの人生を振り返ってみても、悪役とは言わなくてもあなたに敵対する人物、またはあなたの人生の妨げになる人物はいませんでしたか? 悪役の哲学では、悪役たちの性格、趣味嗜好や考え方、その生き方などを考察していきたいと思います。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-04

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