君に最高のミュージックライフを!!
「私、大好きな音楽を続けたいです!」
「力を貸して、お願い!」
始まりは彼女達の願いだった。
ギター初心者、それだけの理由で軽音部を退部させられた少女、時村風和。
あまりに理不尽な出来事に対し、彼女の先輩である姫路朱鳥は《打倒軽音部》を掲げ新たなサークルを発足させる、その名は『バンド同好会』
そして、その活動に俺、相澤裕一、風和の兄、時村逸樹も巻き込まれていく。
好きなことを楽しみたい、大切なものを守りたい。
そんな当たり前なことを証明するために、俺達は音楽を武器に戦いを始める。
さあ、始めよう、最高のミュージックライフを!!
この小説は以下のような構成となっております。
第一話 1~7回
第二話 準備中
プロローグ
(……なんでこうなった)
自分の置かれた現状を確認しながらせながら彼、相澤裕一は思考を巡らす。
大学の講義も午前中に終わり、バイトの予定もないのどかな昼下がり、明日は休日なので久しぶりに町に繰り出し思う存分日頃の鬱憤を晴らそうと計画していた筈が、いきなり襟首を捕まれたと思うと、何故か部活棟の一室連れ込まれ軟禁されている。
椅子に座らされ両手を背中で縛られ動く事もままならない。
そして彼の目の前には不適な笑みを浮かべる赤茶色の髪をした少女が一人。
「ふっふっふっ、喜びなさい裕一、貴方の唯一の趣味を思う存分アタシが生かしてあげるわ、あなたは今日から我がサークルの下僕(戦士)よ!!」
勢いよく振りかざされた指先を凝視しながら拘束されている裕一は深い深い溜め息をついた。
「ご託はいい、ご託はいいからさっさと用件を言えよ朱鳥、こちとら久しぶりに自由を満喫したいんだからよ」
「いいこと、あなたは光栄にも我らが下僕(戦士)に選ばれたのだから全力をもって尽くしなさ…」
「てめぇ人の話を聞きやがれ!!」
相変わらずこの少女、幼稚園時代からの幼馴染み(腐れ縁)、姫路朱鳥は人の話を聞かずマシンガンの如く言葉を叩きつけてくる。
そして先程から出てくる戦士という単語は経験上『下僕』と書いて『戦士』と読むのだろうと直感で悟る事が出来るのも『幼馴染み』と書いて『腐れ縁』と読む間柄だからこそだろう。
「こんな場所に拉致監禁しやがって、ここまでする大義名分はあるんだろうな、朱鳥さんよ?」
「わかったわかった、それじゃあ説明してあげるから耳かっぽじって良く聞きなさいよね」
するとヒスカは近くにあったホワイトボードに何やらデカデカとした文字を書き込み始めた。
「私達の目標、それは…」
書き終わるとビシッという効果音が聞こえそうな動きで文字を指差し彼女は高らかに文字を読み上げた。
「打倒軽音部!それが私達のサークル『バンド同好会』の目標よ!」
結成、バンド同好会
「……………」
「ふふん、あまりにも偉大な目標に腰抜かしたのかしら?」
「この目を見てよくんな事言えんな」
「じゃあなに、感動したの?」
「呆れてんだよ、そんなバカらしい事の為にわさわざ拉致したのかよ!」
「バカらしくなくないわよ、だいたいまだ最後まで説明してないんだから全部聞いてから反論しなさい」
「どうせ反論しても聞きゃしないだろ」
「何か言った?」
「いんや何も」
小声で愚痴ったにも関わらずこの反応速度、相変わらずの地獄耳だ、さて一体全体どのような理由が浮かび上がるのだろうか、幾つか推測してみたもののろくな答えが出ない。
そんな中ふと疑問が頭を過った。
「なあ、目標は打倒軽音部なんだよな?」
「その通り、アイツらに目にもの見せてやるんだから」
「というより、お前の部活じゃん、何でわさわざ自分の部活潰すんだよ?」
この幼馴染み、悔しい事に歌声はやたらと素晴らしのだ。
小学生の頃から声楽教室に通い、中学と高校時代は合唱部のエースと散々活躍してきた過去を持ち、大学では軽音部の期待の新人として活躍していた筈だ。
そんな彼女が何故自身の部活を潰そうとするのだろうか。
「あんな部活辞めてやったわよ」
「マジで?けっこう楽しそうにやってたじゃねぇか?」
「それについても説明するから、じゃあ二人とも入ってきて」
「ふたり?」
背中越しにガチャリとドアが開く音がした。
無理矢理首だけでそちらを向くと金髪の男子が入ってくる姿が見える。
「逸樹?何やってんだお前?」
「ハハハ、縛られてる君に言われたくないかな、裕一君こそ何やってるの?」
スラリとした長身に整った顔立ち、爽やかな淡い金髪(オフゴールド)の高校時代からの友人、時村逸樹は裕一の姿に驚いたのか少しばかり顔をひきつらせながら聞き返してきた。
「これは朱鳥のヤツが無理矢理、ていうか見てないで助けろよ!!」
「それはそうしたいのは山々なんだけど…」
急に声のトーンを落とした友人の姿から彼がここにいる理由が容易に推測出来た。
「……もしかして、また例の『アレ』なのか?」
「その、まぁ、うん…」
逸樹を悩ませる『アレ』とは逸樹の熱狂的なファン達のことだった。
ことの発端は昨年度、即ち記念すべき大学生活一年目の文化祭に行われたミスコンである。
ただし毎年恒例の『ミス・コンテスト』ではなく何故か『ミスター・コンテスト』だった。
どのような理由で企画が塗り替えられたのかは不明だが、逸樹は大会当日出場するはずの先輩が食あたりの為に急遽代役を頼まれ、渋々出場したのだった。
そしてあろうことか他に圧倒的な差をつけ優勝、その時出来たファンに追い回される日々を送っている。
「まあまあイッ君に罪はないんだからしょうがないじゃない、責めない責めない」
「別に責めてねぇよ、ただまぁ厄介な奴らに捕まった親友を不憫に思ってるだけだっての」
実は逸樹を追いかけ回すファン達を収める為に一役かっているのが朱鳥だったりする。
わざわざ過激なファン達に直接話をつけに出向き何とか自体を収束させ、以前に比べればなんとも平和な日常を送れるまでになっている、あくまで比べればの話だか。
「ハハハ、朱鳥さんがいなかったらまともに大学に通えないよ、今日もこの部屋にかくまって貰えなかったら今頃は…」
どこか遠くを見つめる視線を浮かべる親友を心底不憫だと想う、そして何よりも不憫さの最大とも言える原因は逸樹の性格にあった。
「だから今日も朱鳥さんが困ってるみたいだから協力する事にしたんだ、いつも助けてもらってるからたまには恩返ししないとね」
(その恩返しも何回目だよ、お前もいい加減気づけよな…)
逸樹は元来の義理堅い性格のせいか朱鳥からの頼み事の殆どを快く承諾していた。
大抵そのせいで不憫な目にあう事が多いのだが、本人は朱鳥への恩義のせいかまるで気にせずにいる。
「それに今回は妹絡みみたいだから余計に断れなくて」
「お前、妹なんて居たっけ?初耳なんだけど」
「うん、今年うちの大学に入ったんだ、ほら風和(ふうわ)隠れてないで出ておいで」
逸樹が立ち位置をずらすと背後から一人の少女が姿を表した、軽くウェーブのかかった逸樹と同じ淡い金髪(オフゴールド)のセミロングが特徴的だ。
「あの、その、えと、は、はじめまして時村風和です」
おずおずと自己紹介する彼女の姿はまるで。
(…中学生?でもさっき逸樹のヤツ今年うちに入ったとか言ってたよな、ホントかよ)
長身の逸樹と並んでるせいもあるだろうが、風和の身長はそれほど高くなく裕一の頭一つ下くらいに思えた、なので実年齢よりどうしても幼く見てえしまう。
「あの、相澤先輩、ですか?」
「あれ、俺のこと知ってんの?」
「その、朱鳥先輩に色々聞きました、色んな意味で凄い人だって」
「…あのさ例えばどんな?」
どうも自分の第六感が不吉な知らせを発している気がしてならない。
「えっと、課題を写させてもらうために一週間ヒスカ先輩の駒使い(お付き)なったり、お金が無いとき朱鳥先輩に泣きついたり、それから…」
「なんだそりゃゃゃゃゃゃゃ!朱鳥てめぇ何吹き込んでんだ!」
椅子に縛られながらも足をバタつかせ朱鳥に食いかかろうとするが、やはり思うように身体が動かずなんとも歯がゆい。
「いや~、アンタのこと聞かれた時に思いついたのが丁度そのネタだったのよね、別に嘘じゃないし後々バレるよりはいいじやない」
「バレるも何も課題が間に合わなくなったのはお前が間違いの提出日を教えたのが原因だし、金だって借りるどころか俺がお前に貸してたのを回収しただけじゃねぇか、だいたい駒使いにもなってねぇし泣きついてもいねぇ!!」
「あれ、そうだった?」
「いつかその寝ぼけた頭カチ割ってやっから覚悟しとけよ!!」
「それじゃあ面子も揃ったしサークル発足の説明始めよっか」
「だからサラッと流すなっての!!」
縛られたまま叫び続けたので肩で息をしながらも、少しでも早くこの茶番を終わらせる為に取りあえずは朱鳥の話に耳を傾ける事にした。
「まず最初にこのサークルを立ち上げる理由を説明するわ、そう全ての元凶は…」
またしてもビシッという効果音が聞こえそうな動きでホワイトボードに貼ってあったチラシに写ってるギターを構えた男を指した。
「この男!現軽音部部長、原田黒斗がアタシと風和ちゃんにケンカ売ってきたのよ!」
「原田先輩が二人に?」
「逸樹知ってるのか?」
裕一の質問にコクリと頷き逸樹は続けた。
「知ってるも何も有名人だよ、うちの三年生で確かインディーズで活躍中のソロギタリストだったはず、何度かオリコンウィークリーチャートでトップ10入りしてるしどっかのメジャーレーベルがスカウトかけてるって噂もあるしね、そう言えば最近軽音部内で新しくバンドを組んだって聞いたな」
「ふぅん、この大学にそんな有名人いたんだな」
「知らないのは裕一君くらいだと思うけどね」
逸樹は僅に苦笑し、今度は額に青筋を浮かべながらチラシを睨む朱鳥に視線を移した。
「でもよく考えてみると変な話だね、もう殆どプロ入りが決まってる人が今更部活なんて」
「コイツは自分から軽音部に入ったわけじゃないのよ、前の部長が最近急に辞める事になってね、新しい部長を決めるとき一部の奴らが、どうせなら部そのものに箔を付けようって言い出して無理矢理入部してもらったの、当然アタシは反対したけどね」
先程より一層イライラを強めながら朱鳥は続ける。
「そんで結局新部長になったアイツは『皆で楽しく』がモットーだった部の方針を『完全実力主義』に変えていったのよ、その為に部員厳選オーディションまでしてね」
「オーディション?わざわざ部活でか?」
流石の裕一もこれには表情に驚きを浮かべる、真剣に活動する為とはいえあまりにも大げさ過ぎる。
「それぞれの担当楽器毎に原田が評価して、アタシもベースの方で落ちたけどボーカルで受かったわ、それでも『基礎はあるけど歌い方がバンド向きになりきってないから今後の課題だ』とかぬかしてくれたけどね」
「…つまり、それがムカついからやり返す事にしたのか?」
裕一からの質問に対して、朱鳥はゆるゆると首を左右に振る。
「そこまで子供じゃないって、悔しいけどアイツがいった事にはアタシも気づいてたからむしろ見直したくらい、口先だけじゃないんだなって、とにかく結果としては一人を除いて全員なんとか合格になったの」
「一人以外?ソイツって誰だ?」
「朱鳥先輩!」
いきなりの大声を発したのは今まで沈黙を守っていた風和だった。
「私やっぱり先輩に迷惑かけてまでこんな事したくないです、せっかく先輩は合格したんだからあのまま続けても…」
「違うよ風和ちゃん」
風和の言葉を遮り、先程とうって変わり優しい微笑みを浮かべながら朱鳥は風和に向き直る。
「風和ちゃんのためだけじゃない、アタシが悔しいからやるの、大事な後輩の想いを馬鹿にしたアイツが許せないから」
「…先輩」
一人だけ合格出来なかった部員、それが誰なのか二人の会話を聞いてさしもの裕一も察しがついた。逸樹も困惑した視線を風和に向けている。
「そうだよ」
裕一と逸樹の視線に気付きヒスカが答えた。
「風和ちゃんだけが不合格だったの」
朱鳥が震える右の拳を白くなるほどに握りしめる。
「風和ちゃんはギターを初めてまだ二ヶ月も経ってなくて、自分の楽器もまだ持ってない、部室の練習用ギターで少しずつ練習してて少しずつ上手くなってきて、皆とも楽しくやってたんだ、それに誰より音楽を楽しんでた、それを原田とその取り巻きは実力不足だって切り捨てたんだ!!」
理不尽な出来事に対する憤りを爆発させるヒスカの表情はいつになく真剣で、悔しげで、辛そうだった。
「だから言ってやったんだ『十一月の文化祭のライブイベントでアンタらと勝負して見返してやる』って、そのために…」
弾けていた感情を内に押し込める様に朱鳥は裕一と逸樹に頭を下げた。
「二人の力を貸して、お願い…」
「私からもお願いします!」
続いて風和も頭を下げる。
「最初は仕方ないと思いました、私みたいな初心者は要らないって言われてそれもしょうがないって、でも朱鳥先輩がそれは違うって言ってくれて、そしたらやっぱり悔しい気持ちに気づいて、だからあの人達を見返したいです、大好きな音楽を続けたいです!!」
必死だった。
大好きな事を心の底から楽しみたい、そんな当たり前のことをするために必死に努力しようと困難に立ち向かおうとしている。
まるで…
(参ったな)
あの時の…
(んなこと言われたらよ)
「駄目だ」
「…えっ?」
裕一のその一言に朱鳥は声を凍らせた。
「このままじゃ手伝えねぇな」
「そんな…」
風和も先程より声が震えるている。
そんな二人に対して裕一はニヤリと笑みを浮かべると。
「こんな風に縛られてたら手伝えって言われても無理だろ、先ずはほどけよ、そしたらいくらでも協力してやるよ」
「裕一」
「相澤先輩」
二人の少女に笑みが戻り、そして。
「うぉ!?」
突然の後頭部への衝撃に裕一が呻いた。
「まったく、協力するなら素直に言えばいいのに、裕一君少し意地悪じゃない?」
裕一の頭を叩いた張本人逸樹はしてやったりと、顔に似合わないニヤリとした笑みを浮かべた。
「痛ってぇ、不意打ちは卑怯だろ、それによく考えてみろよ、こちとら一時間近く縛れてんだぜ、これくらいは許せよ」
「それとこれとは別だと思うけど」
言いながら裕一の両手を縛る紐を逸樹はほどいていく。
「それでお前はどうすんだよ」
ようやく解放され少し跡を残した手首を擦りながら逸樹に問いかける裕一の口元もまたニヤリとつり上がっていた、答えを確信しているからだ。
「…もちろん」
朱鳥と風和に視線を向け。
「協力させてよ、大事な妹と友達のためだもん」
「相澤先輩、お兄ちゃん、二人とも本当にありがとう、私絶対にあの人を見返してみせる!!」
「アタシもバンドに向かないなんて言わせない、ライブ絶対勝とうね!!」
少女二人への答え、それは…
「「当然!!」」
これ以外なかった。
その男ツンデレにつき
「それじゃあ、早速出発しよ!!」
部活棟をでるなり先程の親密な空気は何処へやら、普段のハツラツとした声の朱鳥が先陣を切って歩きだす。裕一、逸樹、風和の三人も先程よりも張りつめる事なくお互いに自己紹介などしながら後に続いている。
「じゃあ相澤先輩とイツ兄は高校の時にバンド組んでたんですか?」
「まあなぁ、と言っても文化祭限定だったからせいぜい一ヶ月だったけど、逸樹がドラムで朱鳥がベース兼ボーカルそんで俺がギターと即席コーラス」
「あの時も朱鳥さんが突然言い始めたんだよね<バンド組んで文化祭を席巻するぞ>って意気込んで、大変だったよね一月で五曲も練習してさ」
「全くだよな、だいたい参加理由も聞かされずにやらせれて、終わった後に知らされたもんな」
聞く限りでは裕一、逸樹は互いに<もう懲り懲りだ>と主張しているが、裕一はさもいつも通りといった表情を浮かべ、逸樹は微笑すら浮かべている。
「イツ兄、理由はなんだったですか?」
「何だと思う?」
「えっと…」
質問を質問で返され風和は僅に思考にふける、実の所風和と朱鳥の関係は知り合って間もなかった。前の部活である軽音部で出会った六月から二ヶ月しか経過していないその期間に風和が朱鳥に抱いた印象は<親切な先輩>だった。
今回の件に関しても退部勧告を告げられた風和を見て朱鳥が自分から行動した程だ、そんな彼女が動いた動機で思いつくのは。
「…誰かに頼まれたんですか?先生とか友達とか?」
「それだと半分正解で半分外れかな」
「半分なんですか?」
「そう、頼まれたと言うよりあれは挑まれた感じだね、そうだよね裕一君?」
「確か合唱部と軽音部で顧問争いしたんだっけか?最初は話し合いしてたけど売り言葉買い言葉で結局文化祭で対決になったんだよな、それで楽器出来るヤツが合唱部にいないから俺らが駆り出されたんだっけか、よく考えりゃ朱鳥のヤツあの頃からあんまし変わねぇな、いきなり無理難題吹っ掛けて来やがって、たまったもんじゃねぇよ」
「…えっと、そのやっぱり迷惑でしたか?」
「えっ何が?」
「その、同好会のこと…」
あからさまにうつ向いく風和を見て冷や汗が背中にながれるのを裕一は感じ、なんとも気まずい空気が漂い始める。
「いや別に迷惑なんてそんな…」
しまったと思ってもすでに後の祭り、風和瞳が少しずつ潤み出してしまった。
「やっぱり今からでも朱鳥先輩に今回の事は無かったことにしてもらって…」
「だ~いじょ~ぶ、これは裕一君の悪い癖だから、だろ裕一君?」
逸樹が裕一の頭を掴みガシガシとかき回し始める、もともと整っていなかった髪型がされに崩れ無惨な姿に変わっていく。
「いつもいつも口が悪くて勘違いされるけど、内心恥ずかしいのを隠してるだけだからさ」
「…恥ずかしいのを、隠すんですか?」
逸樹の言葉で風和の涙が止まり始める、対して裕一の頬は少しずつ赤らまっていく。
「そうそう、彼こう見えてツンデレくんだから、口が悪い時ほど実は恥ずかしがってるんだよ」
「でもなんで恥ずかしいんですか?やっぱりバンドに入るのが…」
瞳は潤まずともやはり風和の表情は僅かに堅く不安が写ってしまっている、風和の悪い癖だと逸樹は思うが、これを解決するにはこのツンデレくんに白状させるしかない。
「裕一君そろそろ白状したら~、どうせいつものなんだろ?」
若干茶化しながら裕一を促すと、彼は赤い顔を背けながらスゴスゴと白状し始めた。
「………じょ…と…が…んだ」
「んん~なんだって?」
「だから女子と話すのが恥ずかしいんだよ!俺んちお袋がずっと入院してたし高校二年まで男子校だったから慣れてねぇんだよ!お前知ってんだから説明しろよ!」
一気にまくし立て肩で息をするツンデレ男をみて風和は。
「…そうだったんですか、なんか、その、ふふ」
微かに笑った。
「おお、大成功だよ裕一君、風和が笑った」
「何が大成功だよ人の秘密ばらしやがって!」
「いつかばれるんだから早い方がいいじゃない、その方がギスギスしないですむし」
「お前だんだん朱鳥に似てきたな…」
「なになに呼んだ?」
自分の名前を聞き取り、少し先を歩いていた朱鳥が小走りでやってくる。
「なんでもねぇって!だいたいなんでさっきは俺のこと縛ったんだてめぇ!」
あからさまな話題転換をする間も顔は赤いまま、見ているこちらの方が恥ずかしくなるくらいだ。
「あれはねぇ、う~ん、ノリかな?」
「ノリで人のこと縛んのかよ!」
「アハハ冗談だって、ああでもしないとアンタ逃げるでしょ」
「だからってやり過ぎだっての」
「も~しつこいな、アンタもしかして風和ちゃんと話すのが恥ずかしくてわめいてんじゃないでしょうね?」
「うぐっ」
今度は口元を右手で隠しながら視線を逸らす裕一を見て、やはり図星だと朱鳥は思った。
「少しは慣れなさいよ、今年で二十歳なんだから」
「ほっとけ、ああもうんな事よりこれから何処行くんだよ?」
話題振ってきたのアンタじゃない、まあいいかさっさと目的を果たす方が先だ。
「何処って、決まってるじゃないパートナー探しよ」
「パートナー?それってもしかして楽器かい」
逸樹の答えに合わせて朱鳥がパチンと指を鳴らす。
「さすがイッくん察しがいい、ほら風和ちゃん自分の楽器持ってないしアタシもベース新調しようと思ってさ、流石に4000円のヤツじゃ駄目だから、ついでにスタジオ空いてたら入ってみようかなって」
「なるほどね、場所はいつものtime village musicで良いの?」
「そうだよ、あそこなら品揃えも良いし」
「了解、それじゃあ僕と風和はバイクだからは先に行くね」
「朱鳥先輩、相澤先輩お先に失礼します」
逸樹は軽く手を降り、風和はペコリと頭を下げてから駐輪場に向かって走っていく、やがて二人の姿が見えなくなると朱鳥は口元に不敵な笑みを浮かべ。
「裕一、アンタ…」
「なんだよ、顔赤いのくらいわかってるっての」
風和がいなくなったことで顔の赤みが取れ始めた裕一だったが。
「ううん、そうじゃなくて、今日のアンタは耳まで赤かった」
「なっ!?」
今度は頭から湯気が出ていた。
理想と現実、そして意外な趣味
時村兄妹と別れ、大学前からバスに揺られながら20分ほどで駅前に到着した。
裕一達の通う私立流律院大学があるせいか、学生向けの定食屋やチェーン居酒屋といった飲食店がちらほら有り、あと目につく建物と言えば学生寮の住人向けの安売りスーパーくらいのものだ。
その駅前から更に徒歩15分、隣町に向かって歩いていくと目的地が見えてくる。
『time village music』と書かれた真新しい看板を掲げた地上4階、地下2階建てのビルディングだ。
今時珍しい個人経営の楽器店であり、先代の時代から店長がリペアーマンを兼任しており常連客からは『一度この店に愛機を見せたら他の店では満足出来ない』と評価されるほどの腕前だ。
更に店内の商品が充実しているのもそういった常連が『この店で診てもらったのだから手放すならここしかない』と大抵この店で売り、また新しい愛機を探し買っていくといったループが出来ているからだ。
朱鳥と裕一は入口近くで時村兄弟を待つことにする。
「そういや、お前いくら位のヤツ買うつもりなんだ?」
とりあえず先程から気になっていたので朱鳥に訪ねてみる。
「そうだなぁ、今の貯金から出せて頑張って20万とかかな、良いヤツあれば良いけど」
「前みたいに値切んのか?」
「う~ん、おじさん50万くらいのまけてくれないかな」
「どんだけ値切るつもりだよお前、今のやつだって2万5千位の値切って4千円で買ったんだろ?」
「そうなんだけどさ、まぁいざというときは身体で払うから」
「んな事したらお袋さん泣くぜ」
「そんときはそんときよ、裕一こそどうすんの?」
「何が?」
「新しいの買わないの?」
「俺は…」
ギターの話をした途端裕一の目が締まったのを朱鳥は見逃さなかった、そしてそこから返ってくる言葉も。
「…今は、あれ以外使うつもりないな」
「そっか」
自分から振っておいて素っ気ない返事だとは思うがこれで良いのだろう。
そうこう話しているうちに風和が店の裏手からやってきた。
「お待たせしました、イツ兄はバイク停めてくるので先に入っててとのことです」
「そっか、じゃあアタシはイッ君迎えに行くから、二人とも先に行っていいよ」
「ちょっと待て!」
突然裕一が顔を赤らめて叫んできた。
「なによ、まさかまだ恥ずかしいとか言うんじゃないでしょうね?」
「そのまさかだっつの、さっき俺が女子に慣れてないの話したろが!」
「大丈夫よ、風和ちゃん大人しいし可愛いし」
「あ、朱鳥先輩恥ずかしいです」
今度は風和も顔を赤らめる有り様だ。
「大丈夫、自身持って、風和ちゃんは可愛いから、それじゃまた後でねぇ~」
そう言い残すとヒラヒラ手を振りながら朱鳥は店の裏手に向かってしまう、残された二人の間には気まずいような、照れ臭いような空気が拡がる。
「あ、あの」
先に話しかけたのは風和だ。
「な、なんだ?」
「もし良かったら楽器についてアドバイス貰えませんか?一応欲しいのは検討ついてるんですけど、まだ自身がなくて、時間ももったいないし、先に入って」
僅かに早口になりながら、風和は話しかけてくる、もしや風和も緊張しているのではないかと裕一は感じた、思い返してみると今日出会ってから風和が話しかけてきた事があっただろうか。
(この子も頑張ってんだな…)
こうまで頑張っているなら自分も勇気を出さない訳にはいかないだろう。
「欲しいのあるんだっけ?」
小声だがなんとか返事が出来た。
「えと、その、はい、多分ここにもあると思います」
「じゃあ行って、さっさと買っちまおうぜ」
自動ドアをくぐり抜けるとやたらとファンキーなBGMが耳に飛び込んでくる、この店は常連客が作ったオリジナル曲を持ち込み店長が気に入れば店内に流してくれるサービスを行なっている、恐らくこの曲もそうなのだろう、ボーカルの声がたまに掠れているからだ、それでも素人としては充実な出来だろう。
一階の初心者向けの安売りギターコーナーを無視しエスカレーターで二階へ上がるとそこが新品中古を交えた高価格帯コーナーになり、値札に六桁以上書かれた物が殆どになる。
「さてと、どんなのが欲しいんだ?メーカーとか判るか?」
「ええっと、確かギブソンだったと思います」
「それじゃああそこら辺か」
所狭しと並べられたギターの間を抜け目的のメーカーコーナーに辿り着く。
「ギブソンねぇ、やっぱしレスポールか、それともSG?」
このメーカーの王道的ギター名を挙げてみるが風和はそれらの品には目もくれないで別の物を探している。
「違うんです、ただ数が少ないらしくて、あると良いんですけど、どこかな」
ゆっくりと奥に進んで行くが目当ての品はいっこうに見つからないらしい、そして一番奥に差し掛かったときそれは見つかった。
「あった、ありましたそれも二つとも!どうしようどっちにしようかな!」
今日一番の興奮で顔を輝かせながら風和が壁に掛かったそれを指差した。
それを目にして裕一は驚きを内心に留めるので精一杯だった。
(…まさか、これだとは)
壁に掛かる二本のギター、片方はボディがZ字型をしたエクスプローラーと呼ばれるモデルであり、もう一つの方はボディがV字型をしており、名称フライングV、どちらもメタル系のミュージシャンに好まれる、いわゆる変形ギターだ。
「こういうのが良いのか」
恐る恐る聞いてみると。
「はい!ワタシX JAPANやDEAD ENDみたいなバンドが好きなんですけどそこのギタリストが使ってるのを見てこれだって決めたんです!」
更に生き生きとテンションを高めていく風和を見ながら裕一は納得していった。
(そういうことか、好きなアーティストと同じモデルを欲しがるのはよくある事だし、それにこれはこで恰好いいしな、ヴィジュアルやメタル好きなのは以外だけど)
だがそれも次の一言に打ち砕かれることになる。
「ホントに可愛いですよね~」
「可愛い、これがか!?カッコイイじゃなくてか!?」
「だってエクスプローラーってツンツンしてるし、フライングVもこのデザインがもうサイコーです!」
「はは、そ、そうですか」
まさか変形ギターを可愛いと言えるとは、この少女侮り難い。
そうワーキャーと騒いでいると見知った店員が近づいてきた。
「なんだ、聞いたことある声だと思ったらやっぱり裕一君か」
柔和な声で話しかけてきたのはこの店の店長だった、ライトブラウンに染めた髪に張りのある肌、黒ぶちメガネを掛けた姿はとても50手前とは思えない若々しさだ。
「それに風和も来てたのか、ようやく自分の楽器を買うんだな」
「うん、だから学校の先輩についてきてもらったんだ、お父さん相澤先輩のこと知ってるの?」
そう、この男の名前は時村雄二、time village music二代目店主にして時村兄弟の実父でもある。
余談としては先代時代には『音楽の時村』だった店名を改築時に『time village music』に改名した張本人だ、ただ本人以外には安易に英単語にしただけの店名は不評だったが。
「知ってるも何もうちの常連さんだよ、よくパーツを買いに来てくれるしね、まさか風和と同じ部活とはね、それで付き合ってくれてるのか、何を買うんだい?この辺りだとやっぱりレスポールかSGかな?」
「あのね、これなんかどうかな?」
自分の娘が指差す先を見て店主は。
「おお、エクスプローラーにフライングVか、なかなか良いセンスだな、やっぱり可愛いしな」
「ねえ~」
大いに同調していた、その姿を見て裕一は思い出していた。
(そうだった、雄二さんて腕は良いけどどっかずれてるんだった)
ここの店主は腕は良いのにどこか残念、それが常連客の共通意見だった。
「でもなぁ、風和知ってるか?こういう変形ギターは初心者にはめちゃめちゃ弾きにくいぞ?確かに可愛いがもう少し弾きやすい方が良くないか?」
「そうだぜ、最初はオーソドックスなヤツにしとけよ、だいたいこれからどんな音楽やるのか判らないんだからさ」
「うんと、でもやっぱりこれが良いです」
なんとかして説得しようと試みるも風和はなかなか首を縦に振ってくれない。
「だったら一度持ってみるかい、そうすれば相性が判るだろうし」
そう言うと雄二は手早くフライングVを壁から降ろすと、ズボンのポケットから出した音叉を使いチューニングしストラップを取り付けると風和に差し出してくれる。
「ほら、ストラップ掛けてピックはこれ使って良いから弾いてみなさい」
ポケットから今度はピックを取り出し風和に握らせると次に近くに置いてあるマーシャル製のアンプに繋いでくれた。
「それじゃあ…」
憧れのギターを手にした緊張のせいか、風和はゆっくりとピッキングを始める。
アンプから吐き出されるギブソン製品特有の分厚いサウンド、空気を伝わりこちらの身体さえも包み込んでくる。
「うわぁ気持い~」
音に酔いしれ鳥肌を立てた風和がため息を溢す。
「お父さん、私やっぱりこれにする!」
「まあまあ、今度は座って弾いてごらん」
興奮冷めやらぬ風和を近くにあった椅子に腰掛けさせるとさっそく変化があった。
「あれれ、なんだか、持ちづらいよ」
「だから言ったろ、そういうギターはデザイン敵に座って弾きずらいから練習しずらいし、出っぱってるからあちこちぶつけやすいぞ」
「じゃあエクスプローラーなら!」
結果は同じだった、フライングVに比べて座って弾くのには向いていたがこちらの方が全体的に突起が多く、小柄な風和には扱えそうになかった。
「……………」
やはり残念なのか、風和は椅子に座ったままうつ向いてしまった。
(やっぱりショックだよな、よっぽど欲しかったみたいだし)
「なあ、その、えと…」
「なんですか先輩?」
風和から感情のこもらない返事が返ってくる。
「確かに今は無理でもさ、練習して上達して買えばいいじゃんか、そのためにも今日は別に一本買っておこうぜ、なっ」
内心裕一は冷や汗をかいていた、ただでさえ女子と話すのに不慣れなくせに、どうやったら慰められるかなんて想像もつかないからだ、今も手のひらがじんわり汗ばみ、心臓は規則正しい16ビートを刻んでいる。
だがそれは、無駄ではなかったようだった。
「…そうですね、今は落ち込んでる場合じゃないです、私上手くなっていつかあの子達を買います!」
まだ悔しさは晴れてないようだが、風和ははっきりとそう応えた。それを見たらなんとかこちらも安心出来た。
「じゃあ一階に戻ろうぜ、買いたいヤツが決まってんならわざわざ高いヤツを買う必要ないしな、雄二さん、なんか手頃なヤツ有りませんか?」
「そうだなぁ、確か新しく入荷したのが何本かあったと思うから倉庫から出して来るよ、ついてきて」
先程の二本を壁に掛け直すと雄二は二人をつれて降りのエスカレーターに向かっていく、二人もそれに続こうとしたがその時、裕一の視界にあるものが写った。
(あれは?)
楽器調整の作業台に置かれた一本のギターだ。
「雄二さん、アレどうしたの?」
二人を引き留め雄二に尋ねる。
「アレかい?昨日入荷したばかりでまだ調整も出来てないけど物はなかなかだよ」
「もしかしてポール・リード・スミス?」
「ご明察、確か30年くらい前のモデルだったかな」
「やっぱし、悪い時村前言撤回だ」
「どうしたんですか?今から練習用のギターを買うんじゃ?」
「もう一つ試してみないか?きっとお前に似合ってくれるやつだぜ」
根拠も何もない裕一の直感だったが、それが風和と彼の出会いとなった。
初めましてパートナー
「これが、私に似合うギターですか?」
調整台の上に置かれたそれは、一言で表すならば空色だ。
鮮やかな、雲一つない空をそのまま映し込んだ様なFaded Blue Burstと呼ばれる蒼いボディ、ローズウッドの黒い指板がそれを更に映えさせ、二台搭載されたハムバッカータイプのピックアップがその優雅な姿に力強さを与えている。
「俺はそう思うけどな、見た感じ状態も良さそうだしさ」
「でも、なんでこれがお勧めなんです?さっきのヤツとは全然違うと思うんですけど?」
「あ~と、それは、なんと言うかさ」
裕一は頬をポリポリと掻きながら応えた。
「感かな、そのさ、時村のイメージに合ってる気がしてさ、それだけなんだけど試してみないか?」
「ええっと、でも」
風和は明らかな同様を浮かせている、『欲しいものがあるなら無理せずに今は別の安い物を』そう話したはずだからだ。
確かに目の前にあるギターは美しい、風和自身も先程の二本が候補になければ手にとってみるのも吝かでもないだろう。
本音を言えばギブソンを諦められない、しかしアドバイスが欲しいと申し出たのは他ならぬ風和だ、その自分が断るのも裕一に対して気がひける。
「わかりました、お父さん触って良い?」
近くの椅子にチョコンと座りながら風和は父に尋ねる。
「構わないけど、調整してないからネックの握りが少しが悪いぞ、音を出すには問題ないがな、ちょっと待ってなさい」
雄二は先程と同じく手早くチューニングを済ませるとアンプに繋ぎ、風和にピックと共に渡してくれた。
(…あれ?なんだか)
ネックを握った瞬間、それは自然と手に馴染んできた、試しに先程と同じコードを鳴らすと更に実感出来る。
アンプから吐き出される音色も、キャラクターこそ違えど先程の二本に劣らぬ力強さだ。
「どうだ、触ってみて?」
裕一はしゃがみこみ風和の視線に合わせながら尋ねる。
「その、凄く、弾きやすいです、手に馴染むっていうか」
「本当か?良かった~、調整してないから心配だったけどな」
(あっ)
今日二人きりになってから初めて、裕一の表情が和らいだのを風和は目にした、緊張が溶けほっとした顔だ。
「どうかしたか?」
不思議に思ったのか軽く首を傾げ裕一は訪ねてくる。
「先輩が、その、笑ったのを初めて見たから嬉しくて」
「あ、そんなに顔固かったかのか俺?」
「はい、それはもう」
「はは、やっぱりか、そうだ雄二さんコレいくら位なの?」
「そうだねぇ、これならだいたい…」
雄二は取り出した電卓を手早く叩くと表示された数字を向けてくれる、そこには248.000と表示されていた。
「普段ならこれくらいだけど親だけに良心価格で、これくらいかな?」
改めて表示された金額は210.000。
「そんなにひいてくれるんですか?」
「そう、まさに良心価格さ、親だけにね」
「あの~、もしかしてさっきから良心と両親を掛けてます?」
「ようやく気付いたかい、その通り、なかなか笑えるだろ?」
「はは、そうっすね」
内心失笑しながら雄二のシャレを受け流すと、同じく苦笑いの風和に向きなる。
「時村はどうだ?けっこう良いと思うけどコレ」
「………」
手の中のギターを見つめながら少女は思案する、確かにこれは素晴らしい楽器だ、最初に想像していたよりも自分と相性が良いのは明白、だからこそ風和は自分の気持ちを素直に告白した。
「もう少し考えていいですか?この子は凄く素直な子で、弾いてみて凄く気持ち良かったです、それでもやっぱりフライングVとエクスプローラーは欲しいです、どっちも好きだからしっかり考えて決めたいです」
真剣な瞳で少女は応えた。
「そっか、ならじっくり考えるか」
「はい、だからやっぱり今日は安いヤツも買わない事にします、もしこの子を買うなら練習用は要らないですから」
「ならこれは取り置きしておくよ、ただ前金なしだから三日が限界だけどね」
「ありがとう、お父さん」
ニコリと微笑んだ風和は立ち上がり、今度は裕一に向き直った。
「相澤先輩もありがとうございました、お陰様で思いもよらない子に出会えました」
(うぉ!)
今までギターについて語っていたため落ち着いていたが、やはり面と向かうとなんとく気恥ずかしく感じてしまう。
何より、今まで意識していなかったが、風和の外見は他の同世代と比べても中々のものだ。店に入る直前に朱鳥が『風和は可愛い』と口にしていたが、満更冗談ではないらしい。
「相澤先輩、どうかしましたか?」
「だ、大丈夫大丈夫、いやぁ役に立てて嬉しいよ」
アハハと笑いなんとか誤魔化すと、今まで忘れていた事を思い出した。朱鳥と逸樹だ。
「そういや朱鳥と逸樹のヤツ何処いんだ?」
「そう言えば、イツ兄を迎えに行ったきりですね」
「なんだ、逸樹も何か買いに来ていたのか?言ってくれれば良心(両親)価格で売ってやるのに、親だけに」
「うん、お父さんそのギャグしつこいから、イツ兄も付き添いだよ、他の先輩も楽器買いに来たからその人と一緒にいると思うんだけど、ベースってどの階だっけ?」
「ベースは地下一階だね、行ってみるかい?」
再び三人でエスカレーターを下り地下に向かう、一階からは階段に使うのでフロアを横切ることになる、BGMも先程とは別の曲に変わっており、今はアコースティックなメロディが流れている。
「そうだ裕一君、また新曲完成したら聴かせてくれないかい、前に流したのも評判良くてね、リクエストされてるんだよ」
「勘弁して下さいよ、前のだって知り合いが勝手に持ち込んだだけで俺はそんな気になかったんですから」
「そこをなんとか、本音を言うと僕が聴きたいんだよ」
「公私混同じゃないすか」
「何をいまさら、このサービス自体僕の趣味だ」
(相澤先輩作曲するんだ、聴いてみたいな)
そういったやりとりをしながらベースコーナーに辿り着く、すると騒がしい一団がフロアの一角を陣取っているのが目についた、その中に見覚えのある二人を見つける、朱鳥と逸樹だ。
朱鳥は若い男性店員と何やら口論しているようで、逸樹はそれをハラハラしながら後ろから眺めている。
「杉本君どうしたんだい?」
「てんちょ~、助けてください~」
雄二は慌てて店員のもとに駆けつけると、杉本と呼ばれた店員から事情を聞き始めた。
「こちらのお客さんがこのベースを購入希望されてるんですけど、お金足りないからその分ここでバイトさせろって言うんです」
杉本店員は涙目になりながら、切実に訴えてくる。
「店長さんお願いします、どうしてもこれが欲しいんです、頑張って働きますから!」
「まあまあ落ち着いて、ちなみにどれが希望ですか?」
拝み倒してくる朱鳥を宥めながると、雄二は近くのスタンド立て掛けてあるベースに視線を移す。
それはZONというメーカーのLegacy Eliteと呼ばれる機種だった、色付け塗装を施さず木目をそのまま出したナチュラルカラーが落ち着いた雰囲気をかもし出している、店頭価格398.000円
「これですか、流石にこれはそう簡単には安く出来ないですね、ちなみにお客様のご予算はどのくらいでしょう?」
「えっと…」
指をモジモジとさせながら朱鳥は応えた。
「20万円くらい、かな」
「………20万ですか」
流石の雄二も一瞬言葉を失ってしまう、つまりこの客は半値で売れと言っているのだ。
「さすがにそれはちょっと、20万程の予算があるのでしたら他にも良いものはあるのでそっちを探した方がよろしいかと思いますが?」
「でもどうしてもこれが良いんです!お願いします、雑用でも何でもしますから!」
「そうは言われても…」
朱鳥の勢いにたじたじになりつつも相手を諭そうとするが中々に手強い、すると朱鳥側と雄二側にそれぞれ援護射撃が届いた。
「父さんお願い!どうしてもこの楽器が必要なんだ!」
「お前やりすぎだ、雄二さんに杉さん困ってんだろ」
逸樹は朱鳥をフォローし、裕一は雄二と杉本を補佐する。
「だがなぁ、こちらもそこまでリスクは被りたくないんだ、いくら逸樹の頼みでも限度がある」
「お前も朱鳥を止めろよ、さっき雄二さんも言ってたろ、そんなに予算あれば別のも買えるって」
今度は朱鳥が口を開いた。
「それはそうなんだけどね、当然他のも色々試したよ、フェンダーにギブソン、ESPやフジゲン、ヤマハとトーカイ、やっぱりどのメーカーもそれぞれ良いところが沢山あったし、最初は別のも考えたよ、だけどさやっぱりこれが良いんだ、一番弾きたいと思ったから、諦めきれそうにないよ」
「……本当にそれだけでしょうか?」
雄二の視線が強まる。
「確かに気に入った楽器を諦めきれないのはわかります、ですがお客様、差し出がましいのは承知でお伺いします、何か事情がおありではないでしょうか?」
「……なんで、そう思うんですか」
「私事ですが、先程私の娘が楽器を買いに来ましてね、その娘の話を聞く限り他にも知り合いが来ている、それは逸樹に付き添われているお客様でよろしいですね?」
「そうです、アタシが風和ちゃんの知り合いです」
「やはりそうでしたか、いやね風和もいきなりそこそこの値段の物を買いに来たので驚いたんですよ、前々から買う予定はあると聞いてたんですがね、その時聞いた物より遥かに高い物を買おうとしていたんでね、何か理由があるのかと思いまして」
「私のせいなの、お父さん」
二人の間に風和が割って入っていく。
「…風和が?、わかった、詳しく話なさい」
「朱鳥先輩は私の為に新しいサークルを作ろうとしてくれてるの」
風和は事の経緯を詳しく雄二に説明していく、原田黒斗によって変えられてしまった軽音部、そこを初心者という理由で追い出された風和を見た朱鳥が新たなサークルを発足させたこと。
「そういった事情があったのか、それで少しでも相性の良い楽器が欲しいと…」
雄二は顔を伏せしばし思案に耽ると何かを思いついたように顔をを上げると杉本店員に視線を向けた。
「杉本君ローンの申請書持ってきて、それからバイトの契約書も」
雄二の言葉を聞き、朱鳥の表情が輝いた。
「売って貰えるんですか!?」
「そのかわり条件付きだよ、今ある20万円は先に入れてもらうし残りはローンで支払ってもらう、それが返済し終わるまで時給半分でうちでバイトは続ける、それで良いかい?」
「はい!アタシ頑張ります!」
小さくガッツポーズを決める朱鳥を眺めながら、雄二もやれやれと溜め息をついた。
「まあ、前回の交渉に比べたらまだマシだからね、あの時は杉本君涙目どころじゃなかったし」
前回の交渉、即ち朱鳥が最初のベースを八割程値切って購入した事件の事だ、その時の販売担当兼被害者が杉本店員である。
「それに、他ならない愛娘に愛息子とその友人の為だ、たまには一肌脱ぐのも悪くないさ、そのかわりビシビシいくから覚悟しなさい」
そうこうしているうちに杉本店員が書類をまとめて持ってきた、それらの書類に手早くサインし、ローン会社とも契約し終わるのに一時間程掛かった。
バイトの契約も滞りなく進み、朱鳥は新しいパートナーとtime village musicバイト店員と言う肩書きを手にした。
友達で、仲間で、ライバル
重たい二重扉を開くとそこは十畳程のスペースだった、天井からはスピーカーが吊らされ壁は鏡張り、中央にはドラムセットが佇み、他にはメーカー違いのギターアンプが三台にベースアンプが一台、ミキサーが一台、隅には譜面台やギタースタンドやマイクスタンドそして椅子が複数まとめて置いてある。
そう、ここはtime village music地下二階にあるスタジオだ。
裕一達は部屋に入るなりそれぞれ自分の機材をセッティングし始める。
裕一は店のレンタルギターから選んだフェンダージャパン製ストラトキャスターとエフェクターをアンプに接続しながら朱鳥に話しかける。
「スタジオ予約してんなら先に言えよな、さっきの事といいもう少し考えて動けよ」
「メンゴメンゴ、アタシもここまで相性ピッタリのが見つかるなんて思わなかったからつい熱くなっちゃって、だけどスタジオはいいでしょ、アンタも久しぶりに大きい音で演りたいとか言ってたじゃん、やっぱし新しい楽器は早く鳴らしたいし」
朱鳥のローン及びバイトの契約が済むと、丁度スタジオの予約時間になっていた、元々購入したばかりの朱鳥と風和の楽器の試運転、久々の裕一、逸樹とのセッショッンの肩慣らしも含めて朱鳥が予約していたらしい。
「僕も最近は生ドラム叩いてなかったから少し緊張するな」
逸樹はドラムセットに腰掛けながら、いつの間に購入したのか、新品のドラムスティックでシンバルをシャンシャン鳴らしている、その手つきもどこか心弾んでいる様に見えるのは気のせいではないだろう。
風和はと言うとスタジオ内をキョロキョロと眺めている。
「ふわぁ、こんなに大きいアンプ初めて見ました、これで音出したら気持ち良いだろうなぁ」
「時村はスタジオ初めてなのか?」
「はい、ずっと部室で練習してたので今日が初めてです」
裕一の質問に応える間も風和は世話しなくスタジオ内を見て回っている。
自分も最初はあの様に色々観察したものだと、裕一は少しだけ懐かしくなる。
「よし、準備OK、裕一もイッ君も良い?」
髪をポニーテールにまとめ、肩にLegacy Eliteを掛け、目の前のスタンドにセットされたマイクを掴みながら、朱鳥が二人に声をかける。
「とっくに」
無愛想に裕一がうなずく。
「いつでも」
凛と張りのある逸樹の返答が聞こえる。
「うん、それじゃあ風和ちゃんは見ててね、すんごいの演るから」
椅子に座る風和にパチリとウィンクを決める朱鳥、彼女の呼吸も次第に静まっていく。
風和はスタジオ初体験ということと本人の希望も有り、今回は見学に回ることになっていた。
風和の心臓は先程から高鳴りが収まらない。
朱鳥の歌声は何度か聞いた事があるが、その度に打ちのめされてしまうのだ、原田にバンド向きではないと評価され朱鳥本人も認めてはいる、だがそれでも彼女の、姫路朱鳥のボーカルには人を惹き付けるオーラがある。
逸樹のドラムに関しても、重厚な印象の楽器とは裏腹な、ドラム内を飛び回るプレイは幼い頃から目にしているが、それでも演奏前に心踊るのだけは止まらない。
そして、唯一未知数である裕一に対してもワクワクとした期待のみが胸の中にある、なぜなら最初にギタリストとして裕一の名前を挙げた時に朱鳥はこう彼を評価していたからだ。
『単純なテクニックだけなら、原田は裕一の足元にも及ばない』
原田の実力はテクニックに関してもセンスに関しても悔しいが本物だ、それは奴の実績が物語っている、そこまでの男と比較して尚裕一の方が上だと、朱鳥は語ったのだ。
自分が憧れるボーカルが認めるギタリスト、興奮するには十分すぎる。
手の平がじんわりと汗ばむのを感じながら、風和は演奏(はじまり)を待つ。
「じゃあ最初はL'Arc~en~CielでHONEY、いくよ!」
逸樹がスティックでリズムをとる、1、2、3と鳴らされたそれが止むと同時に音が始まった。
イントロは軽快な裕一のコードストロークと同時にボーカルが始まり、互いが絡まる事で一つの旋律となる。
そして、同じリズムを数回繰り返したところで、逸樹のドラムが弾けた。
更にベースも加わり、ギターも勢いを増していく。
始まりとは比べられない加速が産まれる。
逸樹が、この空間のみは自分だけのステージだと主張するかの如くドラム内を飛び回る。
新たなパートナーを得て、より一層力強さの増した重低音を轟かせながら、喉からベースに劣らない歌声を響かせる朱鳥。
そして…
(凄い!)
一際風和を惹き付けるのは裕一のプレイだ、指の動きは正確無比にフレットを捉え、全身を使ってリズムをとっているのが分かる、身体を揺らし、足を踏み鳴らし、首を振るう度に音が産まれる、パフォーマンスなどではなく、全て演奏の為に最適な動作を身体が引き出しているのだ。
(凄い、凄い凄い!)
三人の溢れんばかりのメロディ。
ボーカル、ギター、ベース、ドラム、互いを叱咤しながらも調和し混ざり合いながら音を曲に変えていく、その姿はさながら一つのモンスターだ。
息つく間もなく一曲目が終わり、続いて第二曲。
「エルレ、salamander!」
朱鳥が叫ぶと同時に曲調が変化した、ギターから放たれるブリッジミュートの重い弦音が腹の底に響いたかと思うと、次の瞬間にそれは激しくかき鳴らされ、軽やかなステップを踏むドラムと共に舞い上がっていく。
朱鳥のボーカルも先程に比べ深い重みが増していきながら、パワフルな英語の歌詞を歌い上げる。
三曲目はJUDY&MARYで『そばかす』、年頃の少女の淡い恋心を描いた一曲だ、キャラクターが刻み良いリズムへとがらりと変わりながらも三人は難なく進んでいく。
その後も、時にはゆったりと伸びやかに、時には切なく儚げに、時にはハツラツと勢い良く、メドレーは続いていく。
そして瞬く間に全曲終了、スタジオに満ち足りた空気が漂い、そこにいる全員を包みこむ。
(……………)
身体の内側で渦巻いていた鼓動はもはや留まるところを知らなくなっている。
全身から吹き出る汗が、口から吐き出される息が、瞳から溢れる涙が、風和の身体から溢れる全てが鼓動そのものだ。
風和、ちゃん、凄かったでしょ。
荒い呼吸を整えながら笑顔を向ける朱鳥が視線でそう語りかける。
裕一は床に座り込み、近くに置いてあったスポーツドリンクをがぶ飲みしている。
逸樹もドラムに倒れ込みながら肩で息をしながらピクリとも動けそうにない。
時間にして二時間半、彼等は空間を染め上げていたのだ。
(…私も)
無意識に三人に向かって手が延びる。
(私も、彼処に行きたい)
憧れで終わらせたくない。
(私も、彼処で演りたい)
あの世界に飛び込みたい。
(私も…)
彼等と…
「みんなとぶつかりたい!」
音を曲へと変えたい。
ガタン、腕を伸ばしたまま風和が立ち上り、反動で椅子が倒れる。
「……風和ちゃん」
朱鳥はベースをスタンドに立て掛けると風和に歩み寄っていく。
「もう一度言ってくれない」
「えっ」
「さっきの言葉」
「あ、あの、えと」
風和は思わず漏れてしまった言葉を、もう一度だけ繰り返す。
「みんなとぶつかりたい、です」
恥ずかしそうに、顔を赤らめながら。
「……うれしい」
朱鳥の両腕が優しく風和を包み込んだ。
「朱鳥先輩?」
「うれしいよ風和ちゃん、それで良いの、バンドはね、友達であって、仲間であって、ライバルじゃなくちゃいけない、自分の音は誰にも負けないって自信を持っていないと、ぶつかり合わないと演奏にはならないの」
風和を抱いたまま、朱鳥は裕一と逸樹に視線を巡らした。
「私達の演奏を聞いてぶつかり合いたいって思ってくれて、本当に嬉しいよ」
「私も、ぶつかって、良いんですか?」
朱鳥の胸に顔を埋めながら、風和は呟いた。
「私も、友達に、仲間に、ライバルになって良いんですか?」
「うん!」
朱鳥が大きく頷く。
「私達は四人が揃って、バンドになるんだよ」
二人は抱きしめる力を更に強めていく、それは見ている誰もが優しくなる包容だろう。
「まるで仲の良い姉妹だね」
「まったく、良いのかホントの兄貴が置いてきぼりで?」
「僕も加わりたいのは山々だけど」
逸樹はゆっくり腕を動かそうとするものの、直ぐ様パタリと下ろしてしまう。
「今は無理そうだ」
「俺も似たようなもんだな、腕がふらふらだ、体力落ちたな~、やっぱし定期的にスタジオ入んないとダメだ」
「ジジ臭いよ裕一君」
「ほっとけ」
レンタル時間終了まで残り30分、その時間を、四人は改めて新たなバンドを組んだ実感を噛み締めるのに費やした。
本当のスタートライン
レンタル時間が終了しスタジオを後にすると、四人は休憩所のソファーに腰掛け今後の予定について話し合いを始める事にした。
皆一様に、特に朱鳥、裕一、逸樹の三人は先程の疲労が残っているのかぐったりと背もたれに身体を預けている。
そんな三人を見ておもむろに風和が立ち上がると財布を手に階段へ向かおうとする。
「なにか飲み物買ってきますから、皆さん休んでて下さいね」
「時村、そんな気を使わなくて良いぞ」
「これくらいさせて下さい、せめてもの今日のお礼ですから」
ニコリと微笑む風和を見て、裕一はここで断るのも野暮だと思い素直に従う事にする。
「じゃあ俺はレモンスカッシュ」
「アタシ、メロンソーダでよろしく~」
「僕はジンジャーエールが良いかな」
朱鳥と逸樹も続いてオーダーを出す。
「ふふ、皆さん炭酸なんですね、それじゃあ行ってきます」
リズミカルな足音を響かせて階段を駆け上がっていく風和を見送ると、朱鳥がニヤリとしながら裕一に視線を移した。
「ト、キ、ム、ラねぇ~、なんだぁもう仲良くなったんだぁ、まだ名字で呼んでるみたいだけど、アンタにしては早いじゃん」
「確かに、こうも早く裕一君を籠絡するとは、我が妹ながらやるなぁ」
逸樹はうんうんと頷きながら近くに置いてあるラックから雑誌を引き抜き、それを丸めるとマイクのように裕一に突き出してきた。
「いつもならアタフタするばかりの裕一君ですが、ズバリ、どういう心境の変化でしょうか?」
「なんつーか、その……」
「その?」
逸樹はますます顔を近づけながら、裕一に無言のプレッシャーを与えていく、まったくもって質が悪い。
「最初は緊張したけどよ、楽器の話してたら楽しくなってきてさ、気付いたら平気になってたんだよな」
「ふむふむ、つまりは共通の趣味から広がっていったと、どう思いますか朱鳥さん?」
「そうですね、これは典型的な恋の始まりではないでしょうか逸樹さん」
「やはり、風和の兄としてこれは複雑な心境ですよ」
「風和ちゃんの先輩としても心配ですね、この甲斐性なしに風和ちゃんを預けて良いものか」
やたらと芝居掛かった朱鳥と逸樹のやり取り見ながら、ほとほと呆れた裕一は、深い溜め息をつきながらより深くソファに倒れ込んだ。
「勝手にバカ言ってろ、話せるだけで付き合ったりなんて夢のまた夢だっつの」
「でもまあ、さっきも言ったけどアンタにしては上出来っしょ、これなら今後も問題なく活動出来そうだし……」
突然朱鳥の視線が鋭くなり裕一を睨み付けてくる、正確には裕一の背後に位置するエレベーターから出てきた女二人、男一人の三人組に対しての視線だった。
「なんだ、何してんのかと思ったら、こんなとこで恋話かよ」
集団の先頭に立つ長身の女性がやたらと凄みのある男口調で声をかけてきた、濃いメイクが顔を覆い、腰まで届く長髪を毒々しい赤紫に染め、背中にギターケースを担ぎ、左右の全ての手にはゴツゴツとした指輪をはめ、あからさまにビジュアル系ファッションを決め込んだ威圧感満載の出で立ちをしている。
「……アンタ誰だ?」
女はジロリと視線だけを裕一に向けると、鼻で笑いながら冷やかな嘲笑を投げつけてくる。
「なんだぁ、これから戦り合う相手の事も知らねぇのか?はん、とんだ頭お花畑ちゃんだな」
「……………」
対して裕一は内心イラつきながらも、それを表に出すことはなかった、この手の挑発に乗れば相手の思う壺だと言うことは理解しているからだ。
「生天目響華、原田黒斗のバンドのギタリストよ」
一向に話んはぐらかし続ける響華に変わり、朱鳥が口調で説明する。
「つまり、原田の腰巾着一号さんね」
その口調は普段の朱鳥と違い非常に好戦的だ。
「そういうテメェはあのド素人庇って退部になった姫路さんじゃありませんか、あの程度のボーカルでも受かったんだからそのまま居りゃ、少しは原田さんの役に立ったかも知んないのによ、あんだけ大口叩いといたんだ、少しはまともなメンツ揃ったんだろうな?」
「おあいにくさま、メンバーは最高の皆が揃ったし、軽音部はこっちから退部してやったのよ、原田にヘコヘコするしか能がないアンタらに嫌気が差してね」
「てめぇ…」
響華の表情が嘲笑から敵意へと姿を変える。
「おもしれぇ、なら此処で決着つけるか?ギター(こっち)が自信ないならこれでも良いけどな」
響華が右手の関節をバキバキと鳴らした途端、場の空気が一段と重くなる、一触即発とは正にこの場を指す言葉だろう。
その時、階段から足音が鳴り、新たに人が降りてくる。
「それくらいにしておけ」
静かな声だった、しかしそれはゆっくりと部屋に浸透しき、やがて先程の空気は完全に消え失せる。
片手にハードタイプのギターケースを提げ、黒のジーンズジャケットを羽織ったその男は、ゆっくりと、何処か威厳を放つ歩調で近づいてくる。
「響華、この状況はどういうことだ?」
「原田さん、そのこれには事情がありまして!?」
「どんな事情だ、言ってみろ?」
「えっと、それはその…」
言葉数事態は非常に少なくとも、その身体からは他を圧するプレッシャーがにじみ出、高慢な態度を撒き散らしていた響華すらも田地を踏ませている。
(…コイツが、原田黒斗)
気付くと裕一の手の平が軽く汗ばんでいた。
「そちらさんが先に絡んで来たんだよ、朱鳥に初心者庇って退部になったとか、あの程度のボーカルでよく受かったなとか抜かしながらな」
裕一の口を突いて出たそれは、朱鳥を庇う為なのか、はたまた空気に耐えられなくなった自分を庇護する為かは分からない。
「やはりか、そんなことだろうと思っていた、それは明らかにこちら側に非がある」
黒斗はケースを床に降ろすと、ゆっくりと頭を下げた。
「申し訳ない、今後このような事にならない様、キツく言い含めておく」
黒斗に続き、響華も含め残りの三人も頭を下げる。
「どうする、朱鳥さん?」
逸樹が訪ねると、朱鳥は軽く息を吐き出す。
「今日の所は水に流してあげる、だけど次に喧嘩売ってきたらこっちも容赦しないから」
「それは無理だな」
黒斗の口から予想外の台詞が語られる。
頭を上げながら黒斗は続ける。
「俺達が詫びたのは君が退部した理由についてだ、君はあの一年生を庇い自ら部を飛び出した、決して我々が君を過小評価し退部勧告を突き付けた訳ではない、むしろ今からでも帰ってこないか?君なら鍛えれば部内でトップのボーカリストになれる素質がある」
「アタシの歌と喧嘩を止められない理由にどんな関係があるのよ?」
「君の歌ではない、あの一年生の事を言っている」
「風和ちゃんが?」
黒斗は大きく頷くと淡々と続けた。
「彼女のように基本もなっていない初心者が居ては部内の空気が緩んでしまう、そうなっては他のメンバーに支障が出る恐れがあるのは事実だ、だからこそ彼女を庇い君が居なくなった事はこちらとしても非常に残念なんだ」
「つまり、風和ちゃんを追い出した事は謝れないってこと?」
「追い出してなどいない、正当な評価の上での処置だ」
「ふざけないで!」
黒斗と向き合ったまま、朱鳥が右手で背後の壁を激しく殴りつけた。
「風和ちゃんは確かに初心者だよ、それでも音楽を楽しみたい気持ちは本物なんだ!」
激しく、荒々しく朱鳥は叫ぶ。
「それをアンタは、好きな事をやりたいって気持ちまで踏みにじるのか!」
「そんなに練習がしたいなら一人ですれば良い、わざわざ人と組む必要はない」
「このっ!」
朱鳥は右腕を振り上げ、黒斗の顔面目掛けて降り下ろす、だがそれは意外な人物によって止められてしまった。
「離して、裕一!」
「だ~め~だ」
裕一が逸樹に向かって朱鳥肩を軽く押すと、バランスを崩した朱鳥は逸樹の腕の中に収るとそのまま羽交い締めされてしまう。
「こんなヤツ殴ってもお前に得なんてないぜ?」
「アンタまで黙ってろって言うの!?」
「ああそうだ、こういうのは…」
素早く振り抜かれた裕一の拳骨が黒斗の左頬を捉え鈍い音が響く、殴られた当人はよろめく事なく立ち尽くし、その身体からは怒気も何も感じられない。
「俺の方が適任だろ」
「てんめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
怒髪天を突く、怒りを露にした響華が裕一に掴み掛かり襟元を締め上げる。
「原田さんに何してくれてんだ!解体(ばら)すぞこらぁ!」
「上等だ、表出るかスプラッタ頭?」
「マジ解体す」
こめかみをひくつかせる響華の前に腕が割り込む、黒斗だ。
「そのくらいにしておけ、何だかんだであちらもあの一年生の事で言い分があるようだし、なによりこんな場所で殴り合うのもナンセンスだ、今回はこの一発で流さないか?」
殴られた直後だと言うのに、黒斗は冷静に、更に淡々と事を運んでいく。
「アンタらは、それで良いのか?」
「スタジオの予約時間が迫ってるからな、行くぞお前ら」
床のケースを拾い上げ、黒斗達はスタジオへと向かって行こうとする、響華も渋々と黒斗の後に付いていくが未だにこめかみはひくついたままだ。
だが途中で、黒斗は足を止めると、裕一に背を向けたまま台詞を口にした。
「お前も音楽をやるなら、次は音楽で挑んでこい、正面から叩き潰してやる」
「生憎と、今の俺は自称後輩思いの先輩なんでな、口より先に手が出ちまうんだよ」
「…言ってろ」
黒斗達がスタジオに入っていくと、途端に場は静まりかえる。
「ふぅ~」
緊張が抜けたのか、裕一は肩から脱力しながら息を吐いていく。
「無理しないでよ、あんなのアンタの柄じゃないじゃん」
「お前が殴ったら余計めんどくさくなんだろが、それにムカついたのは俺もおんなじだっつの」
「だけど…」
「ならバイト代入ったらエフェクター一個な、安いもんだろ?」
「…あれって一万近くすんじゃん、高いっての」
こちらも緊張が溶けたらしく、朱鳥も軽く息を漏らす、正にその時だった。
ガサリと、何かが床に落ちた音が、再び階段から聴こえてきた。
「時村…」
そこには風和が立ち尽くしていた、足元には買ってきたばかりのペットボトルの入ったビニール袋が転がっている。
「…くっ!?」
ビニール袋を放置したまま、風和は階段を駆け上がっていってしまう、恐らく今のやり取りを見ていたのだろう、髪の間から覗いた表情は苦悶に満ちていた。
「時村!」
「風和は二階だと思うよ」
直ぐ様追いかけようとする裕一に、逸樹が忠告する。
「あの子の性格からしてまず間違いないと思う、裕一君行ってあげて、今は僕より君の方が良いから」
「サンキュー逸樹!」
裕一は勢い良く階段を二階まで登りきり 辺りに視線を走らすと、直ぐに風和は見つかった。
風和は、先程のポール・リード・スミスを調整している雄二に詰め寄ると声を張り上げた。
「お父さん、その子を私に売って!」
いつになくいきり立っている我が子を目の前にし驚いたのか、雄二はだらしなく口を開いてしまう。
「どうした、じっくり考えるんじゃなかったのか?」
「そんなことしてられない、私の為に頑張ってくれてる人達を馬鹿にされて黙ってなんかいられない、今すぐ上手くなってあの人達を見返してやるんだ、だから…」
風和はその場で回るように背後にいる裕一に振り向くと、今まで見せた事のない瞳で裕一を見据え、宣言した。
「裕一先輩、私にギターを教えて下さい、絶対に誰よりも上手くなってみせます!」
立派だと、裕一は思った。
朱鳥の代わりとはいえ、感情のままに原田を殴りつけた自分に比べ、風和は堂々と音楽で決着をつけようとしているからだ。
「なんで俺だってわかったんだ?」
腰に手を当てながら裕一は尋ねた。
「勘です!」
「勘かよ」
「でも、上手くなりたいのは本当です!」
「………わかった、俺は厳しいから覚悟しとけよ?」
「ありがとうございます、先輩!」
風和は調整台に載せられたギターに小走りで駆け寄ると、蒼いボディを優しくなでながら、ギターに話しかけた。
「今日から私があなたのパートナーだよ、よろしくね」
風和が手を離すと、偶然手が玄に触れ、恰もギターが「こちらこそ」と応えたように、裕一には思えた。
君に最高のミュージックライフを!!