志水和成くんの鉛筆
志水和成くんの鉛筆
あぁ今日も、志水和成君はかっこいいなぁ…白い肌に、長いまつ毛、細長い指、大きな目、声も透き通ってる。
じゅるるるっ
彼を見てたらまたヨダレが垂れてきちゃった。
アタシは彼が好きだ。好き過ぎて酷い妄想をしてしまう。彼と一緒に帰りたい、彼と公園でお喋りしたい、彼とゲームセンターに行きたい、彼とファミレスでジュースを飲みたい、その時、唇を付けたストローを貰いたい。彼と一緒にお風呂に入りたい、彼が使っているシャンプーとリンスで髪の毛を洗って同じ匂いをまといたい。彼の布団に入りたい。彼の毛穴からふつふつと浮き出る寝汗と甘い吐息をアタシは感じたい。彼の…
と、そうしたあらゆる彼に対して脳内を巡っている時、力強い、低い声が教室の中を響かせた。
「おい!授業のチャイムは鳴り終わったぞ!さっさと席に座らんか!」
社会科を教えている教師だ。険しい顔で教壇に太い両腕を置いている。どうやらアタシは変な想像をやり過ぎてチャイムの音も聞こえなかったらしい。しかしアタシは最近、全ての授業が本当に楽しみだ。理由は二日前の席を変えるクジ引きをした時からである。アタシは高鳴る胸を心地よく感じながらずっと座って真っ平らな机を撫でた。
その時である。透き通る声がアタシの隣で聞こえた。
「あー、お腹すいた、早く給食の時間にならないかなー」目の大きな少年はそう言って椅子を引いて席に座った。
アタシは横を軽く首を振って見る。志水和成君だ。彼の愛おしい顔が私の瞳に映る。彼は机の引き出しから社会の教科書を出している。アタシは本当にあのクジ引きに感謝している。あの二日前からアタシは有頂天で毎日がきらめいている。
志水和成君を見た後、アタシも社会の教科書を準備し始めた。武将のイラストが描かれた教科書、この前購入した大学ノート、そして筆箱…あれ? 筆箱がない。アタシは机の引き出しとカバンの中を探すが、ない!筆箱がない!そうだ、昨日筆箱を洗って干したままだった。これじゃ授業の内容をノートに書き込めないじゃないか、アタシはそう思ってため息を吐いた。
「吉川、なんか忘れたのか?」
透き通る声がアタシの苗字を呼んだ。
アタシは嬉しくなってその声の主を見る。そして小さくコクリと頷いた。
「もしかして鉛筆?そうなの?吉川が物を忘れるとか珍しいな、これ借りてよ」
彼は細長い指で緑色の鉛筆を持ち、アタシに差し出した。
志水和成君はニコリと笑った。
アタシはお礼を言ってその鉛筆を見つめる。
そして気持ちの良い、まるで春一番の様なため息がアタシの口を通って出て彼の鉛筆に脳内が刺激される。
志水和成君の鉛筆!志水和成君が握った鉛筆!彼の指の皮膚、彼の指紋や皮脂が付着した鉛筆!と言うことはつまり、この鉛筆は彼の細胞と同じ。そして細胞ならばこの鉛筆は志水和成君と同等の存在!
アタシはさらにまじまじと見続ける。そして一つの考えに至った。
この鉛筆をアタシの体内に取り込めばアタシは志水和成君と一心同体になるではないか?
アタシの静かな欲望はメラメラと煮えあがり始めた。
じゅるるるっ
唇の隙間から透明な液体が恥ずかしい音を立てて落ちた。机の上に丸い粘膜がゆっくり広がっていく。
三ヶ月前の事だ。乾燥した土地の中で赤い土が風によって巻き上げられる。その人のいない地の上に黒いスーツを着けた男三人が、一人の男にピストルを向けていた。男は茶色いスーツで両手を広げて線路の上で立っている。どうやら貨物車が走る線路らしい…
ピストルを向けているスーツを着けた一人が言う。
「まさか!お前が裏切るとは!さぁそれを渡して貰いたい!」
茶色いスーツを着けた男はニヤリと笑って言った。
「嫌だね、私は君たちに恨みはないが、この地球の現状が嫌いでね、一部の権力者が星を滅ぼす決定権があるとはおかしいだろ?」
「えぇぇい!黙れ!貴様の持っているナノスイッチはナトリウム、カリウム、カルシウム、炭酸水素塩、リン酸が同時に反応した場合、無線で我が国の地下にある機材にスイッチが入り、敵国に向けてあれが発射されるのだぞ!それは全ての滅びが始まりだ!」
「実に良い事ではないか!全てを無に帰し、一からやりなおす!私は今から、ナノスイッチを押すぞ!」男は笑い声を発した。
そして茶色いスーツを着けた男は右手からキャラメルのお菓子程の大きさをした箱を取り出した。中には液体が入っている。
突如大きな振動と共にうるさい音が聞こえてくる。
ファアアアン!ファアアアン!
貨物列車の警笛だ。
線路の上に立つ男に鳴らしながら近づいて来るのである、その音と目の前でスイッチを上に掲げる茶色いスーツを着けた男に対して、黒いスーツを着けた男たち三人は冷や汗をかいてしまう。ついに緊迫した状況を打ち破る声を発した。
「もはや仕方がない!奴を撃て!液体がナノスイッチと反応するまえに!」
一人の黒いスーツを着けた男の叫び声に続いて三つのピストルが弾を発射して銃声が鳴り響く。
銃弾は見事に命中、ナノスイッチはどうやら、まだ押してはいないらしい。
茶色いスーツを着けた男は苦しそうな表情を見せ、そのまま線路の後ろに倒れ込む。手から離れたキャラメルのお菓子程の大きさをした箱は、宙を舞い、勢い良く通り過ぎる貨物列車の荷台にコトリと小さな音色を出して積まれた。荷台には黒い石炭に似た黒鉛が積まれており姿を隠してしまった。そうした後、貨物列車は線路の先へと急いで消えてしまったのだった。
その光景に黒いスーツを着けた一人が「貨物列車を追いましょう!」と言った。
しかし反論の声が出る。
「いや追うのはやめよう、ナノスイッチはあの液体以外では反応はしないのだ。それよりもこの裏切り者の詳細を処分しないといけない、でなければ我々の命は消される」
その言葉に他の二人は頷いたのだった。
あの貨物列車は港に到着していた。荷台に乗せている石炭に似た黒鉛を船に乗せ替えた。その衝撃でキャラメルのお菓子の大きさをした箱は液体が漏れてしまった。
そして空っぽになった箱は船で海を越えてある島の港へと到着した。そうした後、船から降ろされた石炭に似た黒鉛は、大きなダンプに積まれてグングンと進み工場地帯へと運送されるが途中、山奥で落石があり、粉々になった岩をタイヤが踏みつけ、箱の中から金色のナノスイッチがポトリと転がった。数分後、ダンプは無事に、ある工場に到着し、工場の中にある大きな口を開くコンクリートで固められた地下へと投入された。投入された黒鉛はパイプの圧力で押し込まれ蒸気の出る機械に放り込まれた。
黒鉛の塊は工場の機械で列をなして細長く加工されていく。
細長く加工された黒鉛は別の装置に移動しいく中で、人が操作する機械へと進路を変えた。
鉄がぶつかる騒音と同時に細長く加工された黒鉛に穴が開いた木材が叩き込まれ注入される。そして人によって動かされる、赤いボタンを指で押し込むとキリキリと木材を削り上げていく。
その機械を操作する青い作業着を着けた男は、作業着の中に白いシャツを着けた男に話す。
「正直さぁ、チーズ味のチーズ商品のお菓子とかケーキとかあるじゃん?」
「うんうん」
「あれって実際、チーズって言う本物のチーズの味じゃなくて、チーズ味の商品に意図的に作られたチーズ味だよね」
「うんうん」
「本物のチーズって食ってみたら、チーズに似たチーズみたいに思うわけ」
「うんうん」
「つまりさ、俺が食ったチーズケーキはチーズに似たケーキでチーズじゃない、という事は俺が食べたのはただの甘いケーキなわけで」
「うんうん、それでオレが冷蔵庫にラップして貼り紙していたケーキはチーズではないと?言いたいわけだな?」
「あ、はいそうです」
「なるほど」
「今日は家に帰らないで残業してろ!」
「ああああああ!!」
叫んだ男は赤いボタンを押した。
ナノスイッチが黒鉛と混じり合い細長く加工され、木材の中心に叩き込まれた。そして六角形に木材は切屑を飛ばして加工されその後、全長176mmに切断されて緑色に塗装された。
完成したそれは白い紙の箱に積まれて、トラックの荷台にゆっくりと降ろされた。トラックは工場から猛スピードで中学校の近くにある文房具屋さんに商品として並べられた。
その一週間後
「おばちゃん!鉛筆ってどこに置いてあるの?」
目の大きい声が透き通る少年は言った。
「おばちゃんじゃないわ!まだ26才のピチピチのおねぇーさんだわ!鉛筆だったらその黄色い棚に並べてるから、さっさと買って、帰ろよ!」
少年は陳列されている商品を手に取って言う。
「うるさいよ!おばちゃん!お金はまた今度払うからな!」
そう言うと目の大きい少年は白い箱を持ってお店を飛び出した。
「おい!まて!何、新しい万引き方法を編み出してんだよ!今、払えよ!」
おばちゃんはお店を出て遠くなっていく少年に向かって声を発した。
少年は中学校の教室から出てベランダの床で鉛筆を削っていた。と、その時、力強い低い声が教室の外へと響いて社会科の先生の声が聞こえた。
「おい!授業のチャイムは鳴り終わったぞ!さっさと席に座らんか!」
少年は急いで自分の席へと急いで向かう。最近席替えをしたばかりで、一瞬、自分の座る場所を探してしまう。でもすぐに思い出して少年は後ろの席を見つけてそこへと向かう、自分の隣には普段から大人しい髪の長い女の子が座っている。席替えをした時に隣になった子だ。また余り喋らない子で目も合わせくれない。しかし授業になると自分に勉強を教えくれるのだ。まぁ実際、今日の授業もこの女の子に教えて貰いたいと思っているのだが…
途端にお腹が減りゴロゴロと腸が動く。少年は「あー、お腹すいた、早く給食の時間にならないかなー」とつぶやき机の中から社会の教科書とノートを取り出して机の上に置いた。
少年は何やら隣の席にいる女の子がガサゴソと何かを探している事に気づいた。忘れ物か? この女の子が忘れ物をするとは珍しい、まてよ、女の子の机の上に教科書と大学ノートは置いてある。あー 筆記具を忘れたのか。
少年は思った、このままだと自分に勉強を教えて貰えない。これは困った事になる。少年はさっきベランダで削っていた鉛筆を貸せる事にした。
ところが。
ん?あれ?この女の子の名前って何だっけ?全然、思い出せない。少年は視線を移して女の子の机の上に置いてある社会の教科書をみた。
【吉川 佐奈】
そうか、吉川だったな。
少年は女の子に向かって「吉川、なんか忘れたのか?」と言った。
女の子は少年と視線をそらして、小さくコクリと頷いた。
少年は何か言えばいいのにと、感じながら「もしかして鉛筆?そうなの?吉川が物を忘れるとか珍しいな、これ借りてよ」と言って緑色の鉛筆を差し出した。
女の子は黙って受け取ったが、どこかしらか嬉しそうな表情をした様にも感じた。
じゅるるるっ!
心臓が打楽器を奏でる様に身体を震わせる。
この鉛筆を舐めたい!舐めたい!舐めたい!舐めたい!それは志水和成君と一心同体になる事!アタシと彼の細胞が一体化する事!アタシの口から入って胃を下って腸で吸収され、アタシの血液中で駆け巡る!そんなの分かっていたらアタシはもう…舐める事を我慢が出来ない!
アタシは頭を机の上に伏せて両手で隠しながら志水和成君の緑色の鉛筆を愛おしく見つめた。アタシの耳は赤くなり口と鼻から暖かい蒸気が出た。桃色の熟した舌をゆっくりと出して舌のまわりには水滴と湯気が混ざり合う。アタシはまず最初に削られた木のザラザラとした表面を舐め、次に黒鉛の芯をナトリウム、カリウム、カルシウム、炭酸水素塩、リン酸が含まれる唾液でビチャビチャになる程に舐め続けた。アタシの舌は金色の小さな物質もペロリと舐めた。
と、アタシの携帯、教室のスピーカー、地域の自治体からカミナリが落ちた様にサイレンが鳴り始めた。教室中の生徒は驚いた顔をして携帯の画面を開く。すると教室のスピーカーから校長先生か教頭先生かの大人の癖に恥ずかしく甲高い声で放送され始めた。
「皆さん!落ち着いて聴いて下さい!たった今、ある国から核ミサイルが発射されました!それに対抗して標的にされた国も核ミサイルを発射しました!しかし何故か不明なのが、最初に発射した国は数々の国に目掛けて核ミサイルを飛ばし続けています!我が国もその対象に入っています!残り13分程で我が国の都市に命中すると連絡がありました!皆さん!落ち着いて避難をして…」
社会科の先生は顔の表情筋を固め、チョークを黒板に当てて停止している。教室の生徒たちは泣き叫んで教室から外へと向かって飛び出している。
校舎を囲っているグラウンドには制服を着けた警察官がパトカーを並べて誘導をし始めている。
志水和成君は大きい目を開いたままボォーと鳩が旋回しているベランダの先を見ていた。
その隣でよだれを垂らす女の子は湿った鉛筆をティッシュで拭き取りながら考えていた。アタシ、死んじゃうのかな?でも良いや志水和成君の鉛筆を舐められたから
志水和成くんの鉛筆