太郎の家で次郎が夢見て、次郎の家で三郎が夢見る。それなら、太郎はどこで夢見たらええんや?(1)

一 高橋と自称高橋との出会い

 高橋は街をぶらついていた。家にいてもすることがないからだ。暇なのだ。高橋は一か月前に、地方都市から今住んでいる大都市に引っ越してきた。仕事の関係だ。平日は職場で上司や同僚たちと会話をすることもあるが、休日はまだ友人や知り合いもいないので、一日中、黙っている。どこかに行くあてもない。だからと言って、家の中でじっとしているのもつまらないので、こうして街をぶらついているのだ。
 まだ、今月の給料は貰っていないので手持ちのお金は少ない。パチンコにも行けないし、映画も見られない。生活するのに精いっぱいだ。それに、パチンコをするにしろ、映画を見るにしろ、建物の中でじっとしているだけだ。それでは家の部屋にいるのと同じだ。それに1LDKの狭い部屋だ。じっとしていても息が詰まる。部屋の淀んだ空気で喉が詰まりそうだ。このままだと窒息する。そうだ。、部屋を出よう。
 この街は、高橋が住んでいた街よりも人口も多く、街の規模も大きいので、デパートや喫茶、ファッション関係の店は多い。商店街での人通りも多い。高橋は、最初、もの珍しさもあって、一軒、一軒、店の中に入ったり、ウインドショップをしたりして暇をつぶしていたが、一人だと、どうしても時間をもてあましてしまう。
 ああ、暇だなあ。二度目の暇コールが口から洩れた。その時だ。
「ひょっとしたら、万が一、偶然ですが、あなたは高橋さんですか」
 誰かが遠慮がちに声を掛けてきた。高橋はその声の主を見た。見知らぬ男だ。高橋よりも年上のように見える。服装と言えば、グレーの背広の上下に、赤いネクタイ、白いワイシャツと黒い靴、黒い靴下を身につけている。高橋は男を上から下まで舐めるように見て、顔をもう一度見直した。覚えがない。やはり見知らぬ顔だ。
「ええ。私は高橋ですが。どちらさまでしょうか」
 こっちこそ、.ひょっとしたら仕事の関係で会ったことがあるけれど、こちらが忘れているだけかもしれない。失礼があったらいけないと思い、高橋は丁寧に答えた。
「ああ、よかった。私も高橋といいます」
 相手が高橋と名乗ったので、高橋は混乱した。親戚なのか。父や母はこの街に親戚がいるなんて一言も言っていなかった。だが親戚にしても、相手の顔は知らない。向こうがこちら一方的に知っているのか。
「驚いているようですね。実は私も驚いているんです。偶然、声を掛けたのが高橋さんだったので」
 偶然だって。偶然にしても、いきなり、相手の姓がわからないのに、高橋と声をかけるのだろうか。この大都市ではそんな風習があるのか。田舎ならまだしも、大都会ではそんな変な伝統や習慣はないだろう。
「失礼ですが、私を高橋と知らずに声を掛けられたのですか?」
 高橋はまだ事情が飲み込めていないので、あくまでも丁寧に聞き返す。
「いやあ。全く知らないということはないです。九十九・九パーセントは高橋さんに間違いはないとは思っていました。ただ、いきなりあなたの名をあててしまうと、あなたは警戒するかもしれないので、あえて、遠慮がちに聞いてみたのです」
 いくら遠慮がちに言われても、知らない人から自分の名前を呼ばれたら、驚かないほうが可笑しい。高橋は少し後ずさりした。
「逃げないでくださいよ。いやあ、困ったなあ。だから、事情を説明したくなかったんですよ。まあ、これで、僕を信用してくださいよ」
 高橋と名乗る男は名刺を差し出した。名刺にはこう書いてあった。
「高橋家一族 勝手に代表 高橋 一郎」
「勝手に代表ですか?」
「ええ、まあ。この日本には高橋を名乗る人は何万、いや何十万にもいると思います。いちいち、同意をとっていたら前に進めませんし、それに同意の取り方がわかりません。とにかく、前に進むことが大切なんです」
 高橋一郎は自分を納得させるように言葉を噛みしめる。
「はあ。それで、何を前に進ませるんですか?」
 高橋は疑問を口にした。一体、この男は俺に何をさせたい気なのか。まさか、健康商品を買えとか、その健康商品を友達に売れとか、その友達も仲間に入れろとか、古典的な詐欺まがいのことをさせようとしているんじゃないだろうか。
「ははん。疑っていますね。何か売りつけたり、騙そうとしているんじゃないかと思っているんでしょう」
 当たりだ。大正解だ。だが、ここで、その通りだと言ってしまうと、相手が逆上してはいけない。いきなり出刃包丁を突きつけたり、危険ドラッグを吸って、車に乗り込み、突っ込まれても困る。ここは穏便に、穏便にすまさないといけない。命あっての物だねだ。
 今さら言うけれど、本当は、声を掛けられても無視をすればよかったんだ。あんまり暇だから、つい相手をしてしまった。下手に相手をすると後後、こんな風に困ることになるんだ。高橋は自分の優柔不断さを呪った。でも、それは後の祭りだ。祭りなら楽しかった思い出が残るが、この男と会話をしても嫌な気持ちにしかならない。とにかく、今は、この高橋と名乗る男から逃げることが先決だ。それも穏便に。
「いや。まさか。いきなり声を掛けられたんで、少しとまどっているだけですよ」
 当たり障りのない答え。これなら、相手を怒らすことはないだろう。自分に非があるように答え、相手に優越感を与えるのだ。
「そうですか。それは大変失礼しました。驚かしてしまったようで」
 相手も下手に出てくる。それこそ要注意だ。相手が下手に出たからと言って、調子に乗ってはいけない。いつ大きな上手投げをくらうかもしれない。大けがをさせられたら大変だ。
「実は、あなたにも会員になって欲しいんです」
 ほら、来た。相手の手だ。油断させといて、会員勧誘だ。どうせ、入会金や会費は無料で、後からいろんなものを送りつけて、金をむしりとろうとするのだろう。そんな手には乗らないし、そんな足には引っ掛からないぞ。
「もちろん、入会金はもちろんここと、会費も無料です」
 ほら来た。予想どおりだ。バンバンジーだ。次は、なんだ。何を言ってくるんだ。相手の顔を食い入る様に見る。
「私どもの目的は、高橋一族の再興です。折角、この世に高橋という姓で生まれてきたからには、高橋と名乗る者同士で、ハンドインハンドしたいと思っているんです」
 何だ。ハンドインハンドとは。ン十年も前の深夜放送の合言葉か。
「ハンドインハンドで、何をするんです」
「まずはハンドインハンドからです。実際に手をつないで、北海道から沖縄まで、高橋一族で手をつなぎ、日本中を取り囲みたいんです」
 なんだ。ハンドインハンドとは物理的なことか。そのままじゃないか。それにしても、大きな夢だ。しかし、陸上はともかく、海の上はどうする気だ。北海道と本州、四国、九州、その他の島はどうする気だ。
「海の上では船をつなげて、手をつなごうと思っています」
 高橋の疑問にもすぐに答えてくれた。もう何回も答えてきたのだろう。想定問答は十分にできている。
「これからの日本は、超高齢社会で、超少子化社会です。個人は家族を頼りに出来ません。だからと言って、他人も頼りに出来ません。もちろん、国や県、市町村などの行政も同様です。まして、NPOや自治会、隣近所でさえも頼りにできないのです。そこで唯一頼れるのが、同姓なのです。もちろん、あなたと私は血縁関係があるかもしれないし、ないかもしれません。でも、同じ、高橋というだけで、何か心の中が、体の中が、特に血液がほっこりと温かくなるような気がしませんか。そう、あったかいでしょう。あったかいんだから」
 どこかで聞いたフレーズだ。だが、俺の心はならない。断言する。相手は無理やり自分の意見を押しつけているだけだ。変わった姓ならまだしも、高橋なんて日本中で、何十万人以上もいるだろう。同じ姓だから親しみが湧くなんてありえない。
「あまり気が乗らないようですね」相手の顔が曇る。
当たり前だ。気が乗るわけがない。そんな暇があったら、周遊バスに乗って、この街を見学した方がましだ。突然、同じ姓だからと言って、ハンドインハンドだと言われても困る。相手がバッグをごそごそしだした。危ない。出刃包丁か、ナイフか、まさか拳銃か。チュッチャパップスなら嬉しいが。終に何かを取り出した。
「ひゃあ」
 高橋はとにかく後ろに飛び下がった。ここまで下がれば、宮本武蔵が佐々木小次郎との戦いで使ったという船の櫂でも届かないだろう。頭を割られる心配はない。もちろん、こちらは刀を持っていないから、相手の頭を切るわけにはいかない。意に反して、相手が取りだしたのは手帳だった。手帳に何かを書きつけている。
「残念です。折角、友達になれそうだったんですが。まあ、いきなり、会員に入れと言われても困りますよね。また、気が変わったら、先ほどお渡しした名刺の連絡先に連絡してください」
 男はそう言うと、頭を下げ、街を歩く別のおばさんに声を掛けた。
「すいません。ひょっとしたら、佐藤さんじゃありませんか。そうでしょう。お会いしたかったんです」
 おばさんは見知らぬ他人に自分の性を当てられたものだから、目を白黒させながら、「ええ。佐藤ですけれど、どちらさんですか」と男と仲良く会話を始めた。
 その男の様子を見て、高橋は安堵のため息をついた。やっぱり、何かの勧誘だ。適当な姓を言って当たっていれば、自分も同じ姓だからと、相手を油断させて、協会にでも加入させて、金をむしり取ったり、合同結婚式に参加させようという魂胆なのだろう。今、彼女はいないから、合同結婚式なら参加してもいいかな。いいや、ダメだ。外国にでも送られたら、日本に帰って来られなくなる。ふう。危ないところだった。絶体絶命から生還できたぞ。ちょっと大げさか。
 だが、高橋の両手が熱を帯びてきた。そして、その熱が血液を通じて広がっていく。体中がポカカポしてきた。何だ。これは。俺の体がハンドインハンドを求めているのか。そんなことはあるはずない。気のせいだ。慌てて否定する。

太郎の家で次郎が夢見て、次郎の家で三郎が夢見る。それなら、太郎はどこで夢見たらええんや?(1)

太郎の家で次郎が夢見て、次郎の家で三郎が夢見る。それなら、太郎はどこで夢見たらええんや?(1)

一 高橋と自称高橋との出会い

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-29

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