モンタナ・マジック

 僕は目を開いた。僕は公園に立っていた。
 辺りは陽の光を雲に遮られて、薄暗かった。
 地面の芝生は濡れていた。昨日雨が降ったようだ。ジーパンを通じて冷たさが伝わってくる。
 日本の公園とは明らかに違っていた。緩やかな坂に芝生が広がっている。加えて公園はあまり大きくなくて、大きな木もなかったので、公園の四方には同じような形の家が規則正しく建っているのが見えた。それらはまるでこの公園を取り囲んでいるようだった。
 公園には人影はなく、それは道路や家たちの周りでもそうだった。道路は歩道が広く、その上家の前には芝生が敷かれていて、車道と家の距離は相当なものだった。なんだか避けられているようでひどく孤独に感じた僕は、その場に足を抱えて座った。
 時間はわからなかった。ただ、それが意味を成さないことは知っていたし。
 ズボンが濡れていることを感じながら、僕はしばらく家たちの屋根の色やらカーテンの模様やら少しの違いを探すことに没頭した。見れば見るほど、そいつらは似ていた。
 ひとつは踊りだしたかもしれなかった。シェイクして、ツイストして、叫んで、そこには意味は無いように見えた。
何十番目かの家で、僕は突然懐かしいような気持ちになった。その気持ちは言葉では説明のしようがなく、また何故そんな気持ちになったのかもわからなかったが、しかし僕の孤独を和らげた。
 歩道から少し上がったところにある玄関。半地下のガレージ。もしかしたら、そこには居候者がいるかもしれない。そしてきっと反対側には裏庭があって、ブランコやらがある。いつか結婚した居候が屋根裏部屋に住むかもしれない。
   地面を蹴った。景色が横滑りして、今度は地面になって。もう何回繰り返したのだろう。助けて、おいたん。ねぇ、どこいったの、おいたん。
 僕はおもむろに立ち上がって、惹きつかれるようにその家のほうに行った。
 歩くごとに芝生で音を立たせながら公園を出て道路を渡り、僕はその家の前で足を止めた。下からその家を見上げると、遠くから見ていた時にはなかった新鮮味が僕を襲った。懐かしさは音を立てて消えた。孤独がまた甦って、目の前の家はただの家になり、僕はまた薄暗い歩道に取り残された。
   おいたんはいないわ。もう一人の私が言った。いいえ、いなくなるよりももっと遠いどこかへいってしまったのよ。
 ふと右のほうに風を感じた。辺りが寒いわけではなかったが、しかしその風は温かく感じた。僕は風のほうに目をやった。
落ち葉がカサカサと音をたてて地面に擦れている様子すら、とても心強いものに感じれた。ひとしきり風が吹き終わって、しかし僕は風を恋しがってそのあたりをぼんやりと見たままだった。
僕はたった一つの落ち葉がまだ風に流されているのを見つけた。僕はそいつを目で追った。そいつはどんどん遠くのほうにいった。
そいつはもう見えなくなるかというところまで行くと、何かに当たった。それはあまりにも遠くて影しかわからなかったが、人だった。
しばらく、僕はそれを理解できなかった。
   盲でも聾でもない。そんなのは知っている。感じているのさ。あいつや、それらや、西海岸についての一連の出来事を。そしてそいつらはやがて塵になって、あくまで僕を責めるかのように、ただ空中を舞っているだけ。それでも僕はただひ  たすらにそいつを感じようとした。
 「彼女」、であるらしかった。少なくとも、僕にはそう感じれた。灰色の空と境界線でせめぎあっている丘のてっぺんにある「彼女」の影は、僕を異様なほどに惹きつけた。その時、僕にはもう目の前の家の事などどうでも良く、そっと「彼女」の影のほうに歩を進めていた。
 僕は「彼女」をどこかで見たことがあった。いや、見たことがあるから「彼女」なのかもしれない。
   ナタリーへ。ごきげんよう。調子はどうだい?元気でやってるかい?こっちは相変わらず季節外れの雪です。雪が喜ばしいのは、NFLぐらいなものですよ。ナタリーは雪が好きですか? それでは。
 僕は「彼女」を追い続けた。ずっと、ずっと、フォーティナイナーズのように。
                                         PLAY
 
 目を覚ますと、
   そこは6時で
そうか、出発まで二時間である。長針は2を指そうとしている。しかしどうだ、考えてみると、こいつは関係ないし、いやはやもう一度6時ちょうどだとすれば、あと2時間ちょっと。
 何回かのコンティニューの後、ストックが切れてもう
      無くなった。
                   そうしよう。
                   寝ても大丈夫だろう
                   に
                   に

                                         STOP
 住宅街から、店がちらほらと並ぶ商店街のようなところに出て、しかし「彼女」はまだ遠くに居た。そしてまた僕もそれを追いかけていた。
 区画整備された街並み、ほとんどがマンションの一階にショーウインドウを並べる店たち。まるでアビィ・ロードのようにあからさまなイメージが、唯一つ地面に線路が埋められているということを除いて周辺を構成した。高速で過ぎていく街並みはモザイクを写し続け、その一方で「彼女」の影だけがモノクロに光っていた。
 相変わらず天気は悪かった。空と建物は同じようなグレーで、お互いを支えあっていた。
 もちろん、どこにも人は居なかった。人らしきものと言えば、エアコンの室外機がカタカタと音を立てて回っているくらいだった。
 あからさまなイメージで孤独なはずなのに、この街に違和感はなかった。この街は温かさを内包していた。それは僕が望んでいたもの。それは、僕が夢見たもの。
 僕が街並みに視線を移してる間に、突然に、「彼女」は姿を消した。恥ずかしそうに、境界の彼方へ消えていった。でも、僕は知っていた。きっと「彼女」はこの町並みのどこかに居るはずだと。もしかしたら「彼女」は僕にこの街を見渡す余裕をくれたのかもしれない。僕は足を止め、街並みは本来の姿を僕に写した。
 街並みは依然あからさまなイメージのままだった。なので、どれもが僕を惹きつけるには足りなかった。僕は失念を地面に押し付けるかのようにとぼとぼと歩いた。ただ一つ救いだったのは、街の温かさは依然僕をつつんだままだったということだった。
 目新しいものはなにもなかった。そしてそれは求められていた。
 僕はこういう時にはガムやらグミやら噛むものだと思っていたので、ポケットを漁った。クールエイド、いらない。クルミジャム、いらない。グレーのTシャツ、どうだか。
                                         PLAY

 もちろん、時計の針はとても気怠そうで、つられて空気も気怠かった。それでいて水槽に貯められたケチャップでも切るようだった。チクタクなんて言わない。
 かつてニューハンプシャーの丘の上で男が叫んだ、タタロッテ・タッタトゥー、いわばそういう感じだった。
 むく鳩の鳴く声が、カーテンの隙間からどろどろとした空気に注ぐ陽の光と同時に朝を告げる。
 二つの音が重なり合って、消えて、僕を空気が押しつぶした。
 
                                         STOP
   彼はいわば僕にとってピエロだった。僕を惑わし、ただそこで自らの愛に走る。けれど、彼は僕にとってチャーリー・ブラウンでもあった。
 クールエイドを飲みながら街を散策していると、道の曲り角に佇んでいた雑貨屋が目を引いた。それはショウウインドウにいろんな置物を飾っていて、そして、そのうちの一つ、ピエロの形をしたやつが僕をしきりに惹きつけた。恐らくそれはセラミック製で、独特の白ちゃけた雰囲気というものを持っていた。そしてそれはそのピエロをとても不気味なものにしていた。
   その一方で、彼は僕にとってとても興味深いものごとを多く提供してくれるやつだった。
   ある日ピエロは言った。
  「僕は思うんだ。人類ってのはみんなロマニストだって。例えばみんなアイドルが好きだろ?アイドルを英語にすると何になると思う?“偶像”さ。世の中にはリアリストを語る奴らがいるけれど、本当の意味でリアリストなんて居ないのさ。人  は何かを追い求め、そこにすがるしかないのさ。」
 そのピエロは笑っていた。もっとも、ほとんどのピエロは笑っているものだが、そのピエロの笑いは特異だった。それにその眼差しも異様だった。遠くを見ているようでいて、しかし恨みを孕んでこっちを見つめているようにも見えた。
   彼は、ピエロは、旅が趣味で、いろんな国によく行っていた。そのたび、ピエロは僕に旅先から絵葉書を送ってくれた。ある夏、ピエロは旅に行ったっきり戻ってこなかった。帰りの飛行機事故に巻き込まれたのだ。誰もがピエロの永遠の旅  を悲しんだ。それから数日後、例のとうりピエロの最後から二番目の旅の絵葉書が来た。そこにはこう書かれていた。    
  「やぁ、元気にしてるかい?さて、グラナダはいいところです。僕が求めていたもの全てがあります。ですが、心配なこともあります。それは、僕のロマンがなくなってしまったことです。これから僕はどうしたらいいのでしょう。」
 僕はしばらくピエロと見つめあって、それからどうやら僕はひどい思い違いを犯していたことに気づいた。
 ピエロの眼には、恨みなんてなく、ただ悲しみがあるだけだった。彼の中に横たわった悲しみは、とても大きいように思えた。
 それから、僕はピエロに別れを告げた。不思議とそこに違和感は無かったし、必然のようにも思えた。
 僕はポケットに丸めてあった、「サン・フランシスコ・クロニクル」を広げ、また当てもなく歩き始めた。
 「双子にとって、それは双子か、兄弟か。」を記したブリティ・ボーイが今朝、二階の倉庫に入ったところ、埃のたまった山積みの本の匂いに吐き気を催して、そのうちの一つ、「砂場からジョン・デリンジャーを引くと何が残る?」の234ページに、Chingader`と落書きをした。
 大きな見出しで、「山積み本には気を付けろ」と銘打たれたその記事は、僕にとって興味を引くものではなかった。それに、海風で「サン・フランシスコ・クロニクル」はくしゃくしゃと騒いでいて、なんだか僕の事を小馬鹿にしているような気がしたのだった。
 「サン・フランシスコ・クロニクル」をゴミ箱に捨てた後、もちろん僕は歩き続けた。しかし、僕はそこでようやく気付いた。さっきピエロを見た時までとは雰囲気が違った。かつて僕を包んだ温かさは消え、なんだか寂しさと重苦しさが代わりに僕を襲った。
 気分を紛らわそうと遠くに目をやると、そこでは海はひっそりと僕を覗いていた。その眼はまるで腫物でもみるようなものだった。
 いつだってそうだった。海はいつだってそこに横たわっているだけで、僕にとって孤独さを感じさせることしかしなかった。
 僕は進めていた足を止めた。
 寂しさと重苦しさに耐えながら周りを見渡した後、僕は遠くに白い塔を見た。一段と高いところにあるそれは、それ自体が孤独さと隔絶性を持っていて、きっと僕を癒してくれそうだった。
 僕はそこに体を向けて、どことなく歩き出した。


 一歩、また一歩、坂道を登っていく。両脇の大きな家が既に白い塔を見えなくさせてしまっている。海に向かっていた時も、たくさんの坂を上り下りしたが、ここだけは、とても長く感じた。途中ゝがなだらかになっているので、見えている空との境界が頂上はわからなかった。
 寂しさと重苦しさは、確かに少しずつ楽になっていった。どことなく空にはビィドロのような青空が広がり始めたことや、心地よい、葉っぱがこすれる音や、木陰の多い道がそうさせたのだ。足取りはとても軽く、坂はどうということもなかった。最早僕を沈ませるものはそこにはなかった。羽化を始めたセミのように、僕は自由だった。
 そして突然、もちろんまだ頂上への確信を持っていないとき、両脇の家は消え、緑が広がった。そして家に隠されていた白い塔が久しぶりに姿を現した。どこまでも点に伸びているようにも感じられるその塔は、僕もまた天に持っていってくれそうだった。
 まだ頂上かわからなかった空との境界は、そこに着いて、確信として頂上になった。背後にはもちろん白い塔がそびえていて、加えて誰だかわからない男性の像もあったが、まず僕の眼を引いたのは、すぐ目の前に広がったダウンタウンのパノラマ だった。低い街並みとアンバランスに、かつなのめならぬ存在感を高層ビルが放っているそれは、僕が長い坂を上ってきたことを認知させるには十分すぎた。高層ビルはほとんど同じ高さにあったし、さっきまで不気味に顔を出していた海は、その 全てを恥ずかしげに露わにしていた。
 意気揚々と白い塔のほうを振り返る。その瞬間、いや正確にいうと振り返ろうとした直後、僕はかつて感じた感覚を浴びた。温かい風が、背のほうから吹いてきた。振り返ると、それは一瞬にして渇望にかわった。
「彼女」が見えた。
 刹那その場の音やら何やらは動くことを止め、温かい風を除いて、僕はまるで止まった時の中に居るようだった。
 止まった時の中で、温かい風を受けながら。「彼女」はゆっくりと塔の脇の道を通って裏のほうへ回って行った。そして僕は、また「彼女」を追った。それに、今度はきっと「彼女」に会えると確信していた。
 茂みを通って「彼女」を追うと、「彼女」はようやく僕からは姿を見れない柱の陰に隠れたようだった。
 未だ嘗て、こんなにも心踊ったことはなかったろうに。柱に近づく毎に、心臓の鼓動は脳天からつま先まで響き渡り、そして僕の胸はあらゆる期待でいっぱいだった。


 手を柱に掛け、そして身を乗り出す。

 刹那、期待は叶ったかのように思われた。そこには、もちろん彼女が居たからだった。

 僕は恐るゝ、まずは彼女の足元に視線を移し、少しずつ視線を上げて顔を見ようとした。

 靴しか見えなかった服装が、次第にワンピースを着ていることがわかり始め、そして終には彼女と目が合った。

 思い描いていた理想が、ロマンが、まるで焼き付けられたように、その目には、彼女には、あった。

 すると彼女は口元を綻ばせた。それははにかんでいるようにも、もしくは僕を嘲笑っているようにも見えた。

 やめておくれよと僕は無意識のうちに言っていた。

 それを聞いた彼女がほんの一瞬心から笑ったように見えた後、彼女の体がサラサラと砂になって風に流されていく。

 呆然として、そしてそのあと、慌てて消えかけの顔の頬を撫でようとした。

 やめておくれ、いかないでおくれ

 何も無くなった。

 空しく僕の手だけが残る。眼からは涙が出ているようだった。

 僕はその場で崩れ落ちて、手を地面に着いた。

 地面に、シミが出来ていく。

 視界は地面だけになる。
 
 真っ暗になる。

 でも僕はまだ温かい風を感じていたのだった。



          ※


 嫌な感覚がして、僕は咄嗟にタオルケットを蹴って起き上がる。その感覚への理解に数秒要して、しかし何もわからずじまいで、ふと時計をみると、短針は7を指していた。
 もちろん僕は跳ね起きた。出発まで一時間とすこしで、微かに間に合わないかもしれなかった。
すぐにベッドの横の昨日の内に用意しておいた服に着替える。
 分もかからず着替え終えて、歯磨きやら何やらを済ませ、すぐに居間からスーツケースを持って玄関に立った。
 しかしそこで僕は重大なことに気づいた。
 部屋に駆け戻り、そして机の上の「芝生の復讐」のページの間から旅行券を取り出す。時間は無かったけれど、一応内容を確認した。もちろんそこには、成田―サンフランシスコ、の文字が印字されている。僕は満足して、旅行券を財布にしまった。そしてもう一度玄関に駆け足で戻り、靴を履いて玄関先に出る。外はやけに明るかった。それからきちんと戸締りをして、スーツケースをガタガタと激しく音を立てながら駅に向かった。
 その間僕は、風が強いのかずいぶんと早く動く雲を見ながら、コリン・キャパニックについてずっと考えていたのだった。

モンタナ・マジック

モンタナ・マジック

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-29

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