20160524-バンパイア奇譚


 あの日の夜、雪がパラパラと降り出した。僕は慎重に車を走らせていたのを覚えている。札幌の十二月中旬にはよくあるように、昼間降った雨が夜に凍って、その上に雪が乗ってとても滑りやすい状態だった。
 あと少しで家に着こうとしていた時、女性が歩道をひとり歩いているのが見えた。顔は見えなかったが、若そうな身なりをしている。ヒザまである黒いダウンを着て、もこもこした毛糸の帽子をかぶって、女の子にはめずらしくごついエンジニア・ブーツをはいていた。こんな真夜中に物騒だと思ったが、他人(ひと)ごとなのであまり気にせずに通り過ぎようとした。
 その時、突然その女性がパタリとうしろに倒れた。アイスバーンに足を取られたようには見えなかったが、本当に言葉の通りに力なくパタリとうしろに倒れた。僕は、頭を打ったかと思い、すぐに車を止め駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
 近づいて見るとかなりの美人である。女性は僕の顔を見るなり涙をこぼしてヒックヒックと泣き出した。訳ありか、それとも打ちどころが悪かったのかはわからないが、取りあえず肩を抱いて助け起こした。
 その時だった。
「ああー!」
 いきなりその女性が僕の左腕に噛みついてきた。驚いた僕はすぐに振り払って距離を取った。腕を見るとハデな噛みあとがあったが、幸いにも左腕は分厚いダウンに守られていたので大事なかった。不審がって見ていると、また力なく横たわりヒックヒックと泣くだけだった。
「おい! 一体なんだ? ふざけるのもいい加減にしろよ!」
 だが、相変わらず女性は泣いている。このまま放置してもいいのだが、万が一凍死でもされたら、厄介なことになると思い、面倒くさいがその女性に言った。
「なにか訳でもあるんだろうけど、いきなり噛まれちゃたまんないね。もう止めてくれよ。話だけでも聞くから」
 いくら若くて美人だからって、これだけの奇行だ。僕は充分に距離を取って聞くことにした。その女性はポツリポツリと話し始めた。
「わたし、もう生きてゆけない。ここで死ぬの……」
 普通じゃないことはわかったけど、なぜ生きてゆけないのか気になった。僕は黙って話の続きを聞いた。
「わたし、バンパイアなの。それでここ三か月、人間の食事しかとっていなくて。もう耐えられない。お願い、血を飲ませて……」
 そう言ったきり、彼女はシクシク泣いた。

 こんな話を聞いて信じる方がどうかしている。だが、彼女のなげきようから嘘を言っているようには思えなかった。もしも本当ならすぐに逃げるのが一番だが、血を飲ませてと言う正直さにちょっと心がゆらいだ。大体、映画なんかで見るバンパイアは血をちょうだいだなんて言わない。最初の彼女のように、いきなりガブリだ。それが、血を飲ませてと頼んでくるなんて。こんなリチギなバンパイアもいるのだなと感心した。
 それに、自分をバンパイアだと言って助けをこうほど、せっぱ詰まっているのだなと思った。僕は、泣いて頼む彼女に胸がキュンとなった。

「でも、血を吸わせたら僕もバンパイアになるんでしょ? 最悪、映画みたいに砂になって死んじゃう可能性もあるんでしょ? 僕は、まだ死にたくはないなー」
「血をわけてくれるだけでいいんです。四百ミリリットルくらい。いいえ、二百ミリリットルでもいいですから献血だと思ってわたしにちょうだい」
 彼女はカバンから注射器を取り出し、リチギに僕に頭を下げた。
「なんで、そんな物持ってるんだ?」
「わたし、看護師をしていて、今までは血を少しずつもらっていたんですが、最近はそれも難しくなりました……」
 彼女はそう言って悲しそうに下を向いた。僕は、しばらく考えた。いや、考える前から決めてた。だから、考える振りをしていたと言った方がいいかも知れない。
「わかった。君にやるよ。でも、さっきみたいにいきなりガブリはカンベンな。歩けるんだったら、車の中で愛の献血、させてもらうよ」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
 彼女はそう言って、なん度も頭を下げた。

 こうして僕は愛の献血、もといバンパイアの食料になった。採血は彼女がルンルンと鼻歌まじりに手際よく、二百ミリリットルのガラスのシリンジ二本にキッチリととった。それを目の高さでマジマジと見て、喉をゴクリと鳴らすと、手を合わせ「いただきます」と言ってゴクゴクと飲み干した。それを口をアングリと開けて見てた僕は、思わず歓声を上げた。
「オー! おみごと!」
「大変おいしゅうございました。本当にありがとうございました」
 驚いたことに、彼女の瞳が真っ赤に変わった。僕は、少し寒気がして身震いする。だが、そんな僕のことなどお構いなしで、彼女は人心地ついて満足したのか、車の中でスコーンと眠ってしまった。
 寝顔は、とてもおだやかだ。つい、マジマジと見入ってしまう。八重歯がかわいい。噛まれたら痛そうだが……。
 しばらくそうしていたが、いつまでも寝顔を見ているわけにもいかず、肩をゆすってみた。だが、彼女の眠りは深く目を覚まさない。仕方なく、このリチギなバンパイアを車で僕の家に運んで、ベッドに寝かせた。
 僕もずいぶん物好きだなと思いながら、ひさしぶりに聞く寝息を睡眠薬代わりにすることにした。

 これが彼女と僕の出会いだった。おおよそ世間一般ではありえない、衝撃的な物だった。このままお付き合いを申し込みたいところだが、彼女はしょせんバンパイア。いくらホレたとしても、手は出せない。出したらバンパイア・ウイルス――あるかどうかは知らないが――でこちらの命が危ないだろう。だから、僕は彼女のよき理解者として位置づけることで手を打った。それ以外に選択肢はないと言うのが本当のところだ。
 ソファーで毛布をかぶり、彼女の寝顔をながめていたら、いつしか眠ってしまった。


 翌朝、目を覚ますと彼女はもういなかった。テーブルにはメモが。
『米谷幸多(よねや・こうた)さん。昨夜は大変お世話になりました。この御恩はいつかきっとお返しします。今井優希(いまい・ゆうき)。〇九〇―XXXX―XXXX』
 いつの間にか、僕の名前を知っているあたり、僕を食料として確保したつもりか? でも、命の危険はないみたいだし、まあいいかなと思い、家を出た。

 昨日とは打って変わって、丸いお日さまが辺りを照らし始める。車のウインドーの氷は、幸いにも手でこすると簡単に落ちた。僕は薄明りの中を、アイスバーンに気をつけながら、五キロほどの距離をノンビリと流した。
 僕の小さな店、喫茶モンテに着いて車から降りると、少しめまいがした。そういえば、昨夜は愛の献血で四百ミリリットルも寄付したことを思い出した。おぼつかない足取りで店のカギを開け中に入ると、コーヒー豆の香りが鼻孔を心地よく刺激する。それを胸一杯に吸い込む。僕はこれだけで身体が一気に目覚める。
 厨房に入って、レバーとちょっと高い牛肉を焼いて、重めの朝食をとった。もちろん、ビタミンCの元、トマトもあわせてとったのは言うまでもない。
 しばらく食休みをしていると、朝食が身体全体に行き渡り、体調はいつもよりもよくなった気がした。僕は元気に朝の仕込みを始めた。
 今日の客の入りは上々で、朝からモーニングの注文がたくさん入った。この分だといずれバイトを雇わないと回らないな、などと考えながら僕は忙しくフライパンを振った。

 ようやく客が会社へ行く時間になり、ホッと一息つく。僕は、コーヒーをすすりタバコをくゆらせた。
 新聞を広げると無差別殺人でずいぶんと被害者が出たらしい。ひどいことをする奴もいるもんだ。バンパイアだってあんなにリチギに人の命を大切にしているのに、人間の方がよっぽど怖いと思った。いやになって、新聞をラックにもどした。

 僕は、暇になってゆっくりと彼女、今井優希のことを考えた。多分、彼女はたったひとりで人間社会に上手に溶け込んで、今まで生きてきたのだろう。あんな体質だから苦労も多かったろう。だけど、彼女はちゃんと仕事について、社会に貢献している。僕が、小さな喫茶店をやるよりは、よっぽど役に立っている。
 僕がこの店を始めた理由は人に使われたくないから。そしてバイトも使わずにひとりでやってきたのは、経費削減の意味もあるが、人を使うもろもろのわずらわしさを避けるため。そんな人間嫌いの僕がバンパイアとお近づきになったのも、なにかの縁だろう。
 それにしても、彼女はかわいかった。色白でどこか北欧の国の人みたいで、身体全体がふくよかなのに決して太っているわけではない。そして、あの瞳。いつもは黒いのに血を飲むと真っ赤に染まる。気になって店のパソコンで調べると、やはりバンパイア・ウイルスに感染した者特有の物らしい。
 また、そのウイルスによって永遠の命を与えられる者と、すぐに死んでしまう者がいるそうだ。永遠の命を与えられる者は、ある特定の遺伝子を持っていて、それをバンパイア一族というらしい。
 それ以外に書いてあることは、おおよそ血生ぐさい物で、彼女にはちょっと当てはまらないかなと思った。なにせ、彼女はリチギで礼儀正しい、およそバンパイアらしくない性格なのだから。もうそれ以上見たくはなかったので、ページを閉じた。

 夕方、人々が夕食がてら、くつろぎに来て忙しい時間帯に入った。マンガを入れたのは正解で、少ない席はびっしりだ。これだと、もう少し大きな店舗に移りたいが、金がない。その考えをゴミ箱に放り投げた。

 一段落ついた午後九時を少し回った頃。入り口のドアのカネを鳴らして今井優希は再び姿を現した。
「いらっしゃい」
「こんばんは」
「なんで、ここが僕の店だってわかったの?」
「部屋にあったライターに書いてありました。もしかしてと思いました。でも、ここがあなたの店だって知りませんでした。若いのに、すごいですね」
「いや、せまいからね。たいしたことないよ」
「あの、昨日はどうもありがとうございました」
 そう言って今井優希はやはりリチギに頭を下げた。昨日は気がつかなかったが、少し髪の色が明るい。僕はそれに少し見とれた。
「いえいえ、あの程度でいいのでしたら、いつでも」
「あの、あれくらいとったら最低一か月以上は置かないと」
「あ、そうなの? じゃ一か月後にね」
 そう僕が言うと、彼女はおそるおそる聞いてきた。
「もしかして、また献血してくださるんですか?」
「うん。べつに命の危険はないようだから、OKだよ」
 こう僕が話すと彼女は泣き出した。出会った時と同じようにヒックヒックと。もしも、知らない人が見たら、間違いなく僕は彼女を泣かせている悪者だ。客がいなくてよかった。僕は彼女が泣き止むまで、ナプキンを折っていた。

 僕はなぜ彼女に献血をするつもりになったのだろう。それは彼女の身体に取り込まれる快感を、多少なりとも感じるからではないかと考えた。そうでなければ、こんなことをおいそれとは承諾できない。
 そして、彼女が昨日言った、もう生きてゆけないの言葉に、ひどく胸を詰まらされた。涙を流して空腹に耐えているなんて、ましてや美しい彼女が死ぬなんて、僕にはとうてい我慢ならなかった。その理由で十分だった。だから、僕は彼女の食料になる。そう決めたのだった。

 ひとしきり泣くと彼女は聞いてきた。
「どうして、そんなに優しいんですか? こんなバンパイアに」
「さあ、どうしてだろうね。きっと、君の笑顔が見たいからだろうね。だから笑って。元気に生きて」
 自分でも、くさいセリフだと思った。いつもの僕だったら言えなかっただろう。しかし、この時は自然と出た。それは、見返りを期待しているからではない。僕は無償の愛をわけ与える、そう、キリストにでもなった気持ちでいた。
「さあ、ご注文は?」
「はい。コーヒーとミックスサンドをください」
「少々お待ちください」

 もしも、これがバンパイアの作戦で、いずれ自分が取り込まれるのだとしても、その時はその時。いさぎよく、あきらめよう。そんな気持ちになっていた。
 彼女は閉店時間までいて、深くおじぎをして帰って行った。そのうしろ姿を見送って店のシャッターを下ろした。


 今井優希は毎日のように僕の店に顔を出すようになった。それにしても、いつ見ても美しい。僕は、もはや彼女の信者ではないかと思う。自然と笑顔になってしまう。そういえば、この前教えてもらった電話にはまだかけていない。でも、必要ないだろう。こんなに毎日のように来てくれるのだから。おかげで男性客が増えて売り上げがアップした。そのお礼としてチョコレートケーキをサービスで出している。彼女は血の次にこのチョコレートケーキが好きだ。

 ある日、彼女が質問してきた。
「あなたは、わたしに本当に見返りを要求しないですね。なぜですか?」
「うん。それはね、きっとあるんでしょ? バンパイア・ウイルスみたいなのが。その感染が怖いからね。だから見返りはその美しい笑顔で十分だよ」
「わたしは、……」
 目がシンケンだ。今さら冗談ではすまされない。一体なにを言ってくるのか息をのんで待った。
「わたしは、米谷さんのことが好きです」
 手のひらを組んで祈るように待っている。正直に答えねばなるまい。
「僕も好きだよ。でも、キスやセックスはできないよね?」
「……」
「だから、このままでいいんだ」

 いくら好きだからといって、キスやセックスは感染の可能性があるからできない。そんなことはどんなに彼女の性格がいいからって、どんなに愛し合っているからって、不可能なんだ。バンパイア・ウイルス。その得体の知れない病原体は、きっとバンパイア一族の遺伝子を持たない僕の、口や性器から感染して脳を冒す。それは、HIVと同じように覚悟した方がいいだろうということは、なんとなくわかる。それきり彼女は黙ってしまった。
 切なそうに僕を見る目がさまよう。それは、子孫を残そうという彼女の本能か、それともよくしてくれた人に対して少しでも恩を返そうとするバンパイアなりのお礼の仕方なのかはわからない。だが、それに応えられるほど、僕の覚悟はできていなかった。ただ、いとしさは日に日に増していった。

 三月の中旬、彼女は今日も店に来ていた。僕は、いつものコーヒーとサービスのチョコレートケーキを出した。そして、献血はもう四回目になった。僕の血を飲みほした時に真っ赤になる瞳が好きだ。思わずキスしたくなる。
 その四回目の献血のあと、彼女は「今日は大事な話があるの。あなたの家へ行ってから話すわ」と言った。
 店が終わると、僕は心の準備をして、桜のツボミがちらほら咲き始めた夜道を、車に彼女を乗せて家へ向かった。少し窓を開けると、桜の匂いがする。と同時に、消毒液のニオイがした。そのニオイにも、いとしさを感じずにはいられなかった。

 家に着くと、今井優希はヒザをそろえて言った。
「お願いです。わたしを、抱いてください」
 そして、頭を畳にすりつけた。やっぱりそう言ってきたか。ある程度覚悟はしていたが、そこは彼女だ。バンパイアにあるだろう力を使って、無理やり言うことを聞かすのではなく、あくまでも僕の同意を取ってくる。
「それは僕に対する償いではなくて、君の本当の気持ちなんだね?」
 彼女はコックリとうなずき、頭を下げた。
「でも、キスはしません。それに、ゴムもしてください」
「それは……」
「あとから、このゴムの精液をわたしに注ぎ込みます」
 そう言って彼女は再び頭を下げた。それは明確な彼女の意思だった。
(そんなにも子供が欲しいのか……?)
 僕は、彼女を哀れに思いその申し出を受け入れた。

 彼女は始めに全身を僕に見せてくれた。そして下を向いて僕に身体を預けた。口づけできないのがくやしい。でも、夢のようなひと時だった。彼女の身体は今でも隅々まで覚えている。思い出すたび、いとおしさが込み上げてくる。万が一、これで命を落とすことになろうとも、僕は後悔などしやしない。そう思った。
 こうなることは、彼女の意思だと言っていたが、本当はどうなのだろ? 彼女の意思か、それともバンパイア・ウイルスのせいか、はたまた遺伝子の命令なのかは、きっと彼女にもわからないだろう。
 だが、肌を合わせてわかったことがある。彼女は僕にとって、かけがえのない女性だということだ。僕はことを終えて彼女に包まれながら、いつしか眠りについてしまった。

 翌朝、目が覚めると彼女はもういなかった。きっと以前のように自宅に歩いて帰ったんだろうと思い、メールを打ってみたが、返事は来なかった。多分、夜勤に備えてもうひと眠りしてるのだろう。僕は、店の準備をしに家を出た。


 あの日の幸せな時間から二週間後。今井優希はまんめんの笑みを浮かべて店に飛び込んできた。
「優希、どうした?」
「あのね、今日産婦人科へ行ったら、赤ちゃんができていたの」
 その瞬間、僕は涙ぐんでしまった。
「そうか。よくやった。ありがとう」
 人目も気にせず彼女を抱きしめた。
「うん。うん」
 ふたりして泣いた。それを見守っていた客は拍手をして、口々におめでとうと言ってくれた。
 これから彼女と僕の間には、たくさんの喜びがあるだろう。だが、それと同じくらい辛いことが待っているに違いない。だが、僕はこの子を守る、そしてきっと彼女を幸せにすると誓う。無力な僕だが彼女に言った。
「優希。結婚してくれ」
「はい、あなた」
 僕たちは口づけはできなかった。ただ、強く抱き合うふたりだった。拍手がいつまでも鳴り止まなかった。

 翌日、僕と彼女は無事入籍をすませて、彼女の名前が今井優希から米谷優希に変わった。僕は今井の姓が気に入っていたのでそちらにしようかと提案したが、彼女は絶対に米谷の姓にすると言った。僕がそれを了承すると、彼女はホッとした顔をしてお腹をなでた。
 日に日にお腹が大きくなる優希を見ていると、僕には奇跡を見ているようで、うれしかった。無事、生まれてくることを願った。
 だが、そんなにすんなりとは、いかなかった。お腹が大きくなるに従い、彼女がやせていった。栄養が足りないのが原因だった。僕はいつもよりも血を多めにわけ与え、その分レバー、タンパク質、ビタミンCとできるだけとってなんとか持ちこたえた。そして、どうにかあと数日で出産となるまでこぎ着けた。
 だが、彼女は突然僕の前から消えてしまった。置手紙にはこう書いてあった。
『出産の時に看護師や医師に感染したらよくないので、ひとりで生みます。心配しないで』
 かわいそうに。たったひとりで生んでくるというのか。心細くて震えているに違いない。
 おい! どれだけ苦しめればいいんだ。バンパイア・ウイルスよ。お前のおかげで苦しんでる者がいるんだぞ。
 だが、その血によって永遠の命を約束されるのも事実だ。僕は、ただ彼女と我が子の無事を祈り続けた。

 一月の下旬、彼女は無事生還した。手には元気な女の子を抱いて。僕はよくやったと言って我が子を抱いた。
「こんにちは。僕は米谷幸多です。よろしくね。君の名前は?」
「この子の名前は雪です。どうぞよろしくね。パパ」
「雪か。うん、いい名だ。雪の日に生まれたんだね?」
「そうよ。生まれた時に降り出した雪を見て、自然と出てきたの。わたしの最高ケッサクよ」
「ありがとう。君よりも美人だよ」
「……」
「嘘うそ。君が一番だよ」
「それも、複雑……」
「でも、君にそっくりだよ。ありがとう。産んでくれて」
「まあ、それで許すわ。あなた」
「うん」
「それで、出生届を出してきてね。わたしは、この子を連れて産婦人科に行ってくるから」
「その前に血は足りてる?」
「……ごめん。足りてない」
 そうして彼女に血を飲ませた。おいしそうに飲み干して、彼女はありがとうと言った。とたんに乳の出がよくなったと言って哺乳ビンにしぼり出した。彼女のそれはやや赤みがかった乳白色、そうピンクだった。
 こんな小さい時から血を吸わなきゃ生きられないのかと、寒気がした。それに、僕は心配していた。このまま大きくなっていったら、もっと血を必要とするんじゃないのかと。だが、その考えはいったん封印した。考えると怖くなるから。

 おだやかな日が続いた。今井優希、改め米谷優希は看護師と母親の二つの役割を果たしていた。そして、保育園と託児所をうまく利用して夜勤に合わせていた。
 僕は、喫茶店を切り盛りしながら、できるだけ彼女を助けていた。それでも、やはりキツそうだった。僕は彼女の負担を減らすために前から考えてたバイトを雇うことにした。
 雇ってみるとバイトの子は中々賢くて、僕の仕事は減って優希に手を貸す時間が増えた。だが、その女の子に危機感を持ったのか、この時は初めて優希とケンカをした。

「あなた」
「ん? どうした?」
「ウェイトレスを雇ったのね?」
「うん、そうだよ」
「なんで一言、言ってくれなかったの?」
「ごめん。でも、喫茶店は僕の店だから」
「ずいぶん、かわいい子を雇ったのね」
「優希……」
「やっぱり、人間のメスがいいのね……」
「そうじゃないよ。喫茶店ってひとりじゃやっぱり無理なんだって。わかってくれよ」
「でも、一日中一緒にいるよね? 顔も、きっとあなた好みでしょう?」
「……」
「ねえ、わたしの存在意義って?」
「じゃ、優希が看護師を辞めて喫茶店を手伝ってくれるのか!」
 僕は、なにを声を荒げているんだ?
「……看護師は、絶対に辞めない」
「どうして!」
 優希は、泣きそうな顔をして言った。
「ひとりで生きてゆけるように、かあさんが資格を取らしてくれたの。いつ裏切られても、いいように」
「……」
 僕は、無言で優希を抱きしめた。
 優希のおかあさんの気持ちはなんとなくわかった。おかあさんもきっと愛する者に裏切られたのだろう。僕だって今はギリギリの状態だ。もしも、これ以上子供が大きくなったら、僕は命を失うかも知れない。今すぐ逃げ出したい。
 でも、最後までつき合うと決めたんだ。僕は生命保険に入った。なんの意味もないだろうが、せめて僕が亡くなっても、金銭で困らないように。僕は刻一刻と迫りくる神判の時をおびえながら待った。


 その日は、朝から嫌な予感がしていた。家を出る時の「行って来ます」と言った優希の顔が悲しそうだったから。その顔は一日中頭から離れなかった。
 夜遅くに家に帰ってみると、電気がついていなかった。今日は夜勤じゃないはずなのに、おかしいと思い電気をつけた。一才になった娘はすやすやと寝息を立てている。だが、優希の姿は見当たらない。
 職場に電話してすべてがわかった。彼女が姿を消したのが。優希の携帯を呼び出すが、やはりつながらなかった。

 この時の心境を言おう。
 僕はこの時、ホッとしたんだ。彼女がいなくなって悲しい気持ちもあったが、これで命が助かったと思う気持ちが、一番強かった。
 それに気がついて僕は泣いた。祈るように手を合わせ、わびるようにして、なにもできなかった自分を呪うようにして、僕は泣いた。
 だが、この子のためにもしっかり生きなくちゃいけない。僕がここで生きることを放棄することは、自分の幼い娘の首をしめることになる。いくら後悔しようが、いくら自分を責めようが、僕は娘のために生きなきゃいけない。そう言い聞かせて、僕は布団にくるまった。

 次の日、店を朝お休みして保育園へ行った。そして、預ける時の注意事項を聞く。そこは、基本七時から十九時の間預かってくれるところで、こちらが希望すれば二十一時まで大丈夫だ。僕は、時間いっぱいの七時から二十一時の間預かってもらうことにした。
 その送迎をバイトの子にお願いすると、こころよくOKしてくれた。バイトの子は名前を佐伯涼子さんといって、とてもよく気のきく子だ。安心して雪を任せられる。その分、バイト代を足すと言ったが、通常のバイト代でいいと言う。だから、その分まかないを張り切って作ろうと思う。
 佐伯さんだが、面接に来た時は驚いた。茶髪でブルーのコンタクトをしていて断ろうと思った。しかし、あまり熱心に頭を下げるので、仕方なく雇った。だが、次の日働きに来た時は、黒髪に銀縁のメガネをかけ、僕は見間違えたほどだ。
 佐伯さんは、中々頭がよく、メニューも値段も一時間もかからずにすべて覚えた。それだけ頭がいいのだから、なぜ大学に進まなかったのかと聞くと、母子家庭でお金がなかったのだと言う。本来なら、偏差値六十は余裕であったらしい。記念に受験した××大学にも見事受かったと言う。彼女がなぜこんな小さな喫茶店に面接に来たのかは、いまだに謎だ。そんな彼女の口癖は、世の中は不公平だ。僕も、本当にそう思う。
 僕は、佐伯さんを気に入って、他にバイトを雇わなかった。それで優希は心配してというか、嫉妬してあんなことを言ったのだ。
『やっぱり、人間のメスがいいのね』
 この言葉は優希をあらためてバンパイアだということを痛感した時だった。
 その佐伯さんが今、雪の母親代わりに色々してくれるというのはうれしいが、同時に胸が痛い。血が足りないこと以上に、彼女を雇ったから優希はここを出て行ってしまったのかも知れない。僕が優希の気持ちをもっとわかってあげれば。
 だが、今はそんなことは言っていられない。日々を精いっぱい生きなきゃ……。

 二十一時に佐伯さんに保育園に行ってもらい、二十二時に店を閉めた。家に帰ってから、ガラスのシリンジを熱湯消毒して、僕の血を雪にあげた。おいしそうに飲む姿に、思わず顔がほころぶ。いずれこの子もよきパートナーに出会い、自分から離れていくんだと思ったら、不意にさみしさが込み上げた。同時に、その時まで僕の肝臓が持つんだろうかと心配した。考えてもムダなのに。
 今は明日生き抜くことだけを考えよう。そして、後悔の思いを抱いて眠りについた。


 いく度目かの冬を越して、今年もようやく春を迎える頃、雪は六才になっていた。めでたく小学生だ。僕は、母親がいないことを知られるのを嫌う雪のために、喫茶店のバイト、佐伯涼子さんにダミーを頼んだ。彼女は今年で二十四才になるが、最初にバイトに来て今までずっと続けてくれている。雪のいい相談相手で、知らない人が見たら親子と見間違えるほどだ。
 いざ、入学式が始まると、そのダミーに気づかずに子供たちが皆振り返って見てる。僕は、優希に悪いような気がして、途中で退出してしまった。
 入学式の帰り、佐伯さんは雪と手をつないで歩いていた。僕は雪のもう片方の手を握る。まるで、夫婦だ。そう思って佐伯さんを見ると、彼女が僕を見て微笑んだ。
 もしも、僕に気があるのだったら、いつも一緒にいるので告白する時間はたっぷりある。だから、それはないと思う。雪のことがお気に入りで、こういう態度をしているのだとしたら、僕はうれしいのだが。

 ある日、喫茶店で雪が急にぐあいが悪くなって倒れた。
「雪、大丈夫か? 一体、どうしたんだ?」
 雪は僕の耳に手を当て、そっと言った。
「お願い。血をちょうだい」
 僕も雪にそっと言った。
「わかった。今、あげるからね」
 この時百ミリリットルを一か月おきにあげていたのだが、二百ミリリットルに増やそうと思った。僕は、事務所兼更衣室で血液をとり、雪にあげた。おいしそうに血を飲む姿は、優希にそっくりだと僕は微笑む。
 その時、カギをかけたドアが、カタッと鳴った。雪とふたりで顔を見合わせ、そっとドアを開いたが、誰もいなかった。

 もしも佐伯さんに見られたら大変なことになると思ったが、同時に彼女に知られても僕たちを裏切らないだろうとも思った。バクゼンとだが。
 万が一、ふたりの秘密が彼女にバレてここから追われようとも、彼女をどうにかしようとは思わない。それくらい、彼女は雪によくしてくれた、言わば雪の母親のような存在なのだ。
 それでも、気になって聞いてみた。

「ねえ、佐伯さん。……さっき更衣室に来なかった?」
「えー、わたし行ってませんよ」
「だったら、いいけど……」
「大丈夫。わたしなにも聞いてませんから」
「……」
 この娘は味方だ。そのことを確信した時だった。

 それ以降も佐伯さんは変わらずに、僕たち親子に接してくれた。とても助かるのだが、このままでいいかなと思う反面、正確に伝えなきゃいけないという思いもある。それは、万が一僕が事故などで亡くなった場合、雪はどうするかだ。
 僕はその時のために、佐伯さんにお願いしようと思う。血をわけてくれなどと言うのは、はっきりいって賭けだ。それでも、雪のためにいつかはやらなければいけない。
 僕はなん日も悩んだ。


 一月の下旬。大雪で除雪が間に合わないのか、道幅が極端にせまい。毎日のような雪はきに嫌気がさした頃、雪の十回目の誕生日がきた。
 客の入りが落ち着く二十時にお誕生会を始めた。ハッピー・バースデー・トゥー・ユーの歌をお客さんも歌ってくれた。雪は皆が歌い終わると勢いよくロウソクの火を消した。
「ありがとう。お父さん。涼子ちゃん。それにお客さん」
「おめでとう、雪ちゃん。これで十才か。あっという間に大きくなって今にお父さん、クサイーって言うんだよな。やだよな。雪ちゃんはこのままいい子でいてくれよ」
 常連さんがお祝いとグチをごちゃ混ぜにして言った。
「えー、雪はそんなこと言わないもん。いつか、お父さんのお嫁さんになるんだから」
「うれしいなー。お父さんその言葉だけで、ごはんのお代わりできちゃうよ。ありがとうね、雪」
「あー、嘘だと思っているんでしょ? わたし、本気よ――」
 この時の雪は十才とは思えない妖艶(ようえん)な表情で僕を見つめた。はっとした僕は「さあ洗い物を片づけちゃうね」と言って厨房に姿を消した。

 僕は、さっきの雪の表情を忘れるため、必死で洗い物をしていた。だが、一瞬よぎる。あれは、バンパイア特有の物かと。そう思うと手が止まってしまった。水道の水が静かに流れ落ちる。
 ふと気づくと、佐伯さんがすぐそばに来て僕の耳元でささやいた。

「マスター。わたしの血を、雪ちゃんに飲んでもらいたいんです」
 僕は突然のことに、なにも言えなかった。
「その代わり……」
 佐伯さんは僕の首に腕をからみつけ、キスした。熱いディープキスだった。
 僕はそれに本能的に反応して、彼女の口腔内(こうくうない)を犯した。もう、止まらなかった。雪のことも、優希のことも、どこかへ追いやって、ひたすら佐伯さんの身体をむさぼった。誰がいつ来るかわからない厨房で。

 その晩、僕は家に帰ってから、佐伯さんの血を雪に与えてみた。この血は佐伯さんだと言うと雪は感激したようで、涙を流して喜んだ。
 雪は目の高さでマジマジと見てから、一口、コクリと飲み込んだ。
「お父さんの血は情熱にあふれているけど、佐伯さんの血はさわやかね」
 残りを一気に喉を鳴らして飲み込む。ペロリとしずくを舐めとると、雪の目が怪しく光った。
「雪?」
「え、なに? お父さん」
 気のせいだったのかも知れない。深く考えないようにしてコップを洗いに台所へ行った。
 これで、いざという時のリザーブができた。僕は荷物を半分降ろしたような気持ちで鼻歌を歌っていた。今までは自分の命なのに、必要以上に神経質になっていた。歩道を歩いていても、いつ車が突っ込んでこないか。ましてや、車道を横切る時はなん度も左右の確認をしていた。もう、自分の命じゃないみたいだった。思えば長かった。僕は軽やかな気持ちでお休みを言った。


 それは暑い夏だった。クーラーが恋しくなり店に入れた。北国でもクーラーを入れると客の入りが違う。僕は涼しい厨房で気持ちよくフライパンを振った。
 昼前、客足がとぎれた時、いつものように佐伯さんに採血をお願いした。そして、誘われるままにセックスをした。もう、僕は彼女を断れない。優希のことを思うと胸の奥がズキィと痛むが、それも時間と共に忘れるだろう。
 そして、いつものように佐伯さんが雪をお迎えしてくれた。彼女と愛し合ったあとだったから、みょうに雪の機嫌を取っていたのを覚えている。携帯を買ってやると約束もした。雪は生意気にもiPhoneがいいと言った。僕はGPSつきだからOKした。

 店を閉めて家に帰ると、郵便受けに手紙が入っていた。優希からだった。裏を見ると住所は書いてなかった。僕は手紙をかくして、雪と一緒に家に入った。そして雪が風呂に入っている間に、急いで封を開けた。中には便せんと一緒に離婚届が。

『おひさしぶりです。あなた。

 雪は元気にしてますか? きっとあなたのことだから雪を大切に育てていることでしょう。もう十才になってかわいい盛りでしょう? 見てみたい。写真を送ってもらおうと思ったのですが、わたしの住所がバレるので止めておきましょう。

 あなたと出会ってもう十一年たちましたね。こんなわたしを受け入れてくれて、わたしは本当に幸せでした。
 今でも思い出します。わたしが助け起こされて思わず噛んだ時の、あなたの驚きよう。ごめんね。あの時は本能に負けていました。それなのに血をわけてくれて……。思い出すたび、あなたの優しさに涙が出ます。会いたい。会って抱かれたい。
 けれど、あなたひとりに負担をかけることはできない。結局、わたしはあなたに愛される資格はなかったのですね?
 泣き言はこれくらいにします。

 今回、お手紙したのはあなたと正式に離婚するためです。離婚届けはわたしの判を押して同封しました。あとはあなたが書いて提出するだけです。保証人はあなたが用意してくださいね。頼みます。

 わたしがあなたの元から去ったのは、あなたもご承知のように血液が足りなくなったからです。あのままでは、わたしたちはいずれ破綻していたでしょう。最悪、わたしが我慢しきれず、あなたの血を直接飲む。それも本能に任せて飲みつくす。それだけは、避けたかったのです。
 幸い、わたしはどうにか生きています。輸血を少しずつわけてもらって。しかし、肝炎、HIV、ヒト・パピローマ・ウイルス、その他未知のウイルスの危険性があります。だから、できるだけひとりの血液を飲みたかったのです。けれど、ぜいたくは言っていられません。生きていくためには。
 あなたの血液がなつかしいです。情熱にあふれた、生きていくことに真摯(しんし)な、そして汚れのない純粋な血液。
 けれど、それ以上にあなたのわたしを思う気持ちが伝わってきて、わたしは幸せでした。

 ここまで言えばおわかりでしょう? 我々バンパイアは血液に悪い因子があってもわかりません。ですが、その人が自分を愛していることは血のニオイでわかるのです。大変ありがたい能力です。
 しかし、一方ではそれは危険な能力です。
 もし、男と女がセックスすると、女の血からわかってしまいます。だから、あなたが、例えば佐伯涼子さんとセックスするとわかってしまうのです。ですから、その時は雪の反応に気をつけてください。
 でも、それは初潮が来る十一才から十二才頃に発現する能力なので、今は心配ないですが。

 いいですか。気をつけてください。
 雪が嫉妬して女を殺してしまわないように。
 くれぐれも、どうぞよろしくお願いします。

 思えば、あなたには色々負担をかけて申し訳ありません。でも、雪が新しい血の提供者に巡り合えたら、その時はあなたの役目が終わる時です。それまで耐えてください。どうぞお願いします。

二〇XX年七月X日 今井優希

PS この消印は出張した時に出した住所です。』

 雪は今年の一月に十才を迎えた。まだその時じゃない。しかし、雪の身長は今百五十二センチあるが、少し高いような気がする。もしも初潮が来てしまったら危険なので、佐伯さんの血液は今日で最後にしよう。また、おびえる毎日になるのかと気が重たくなったが、仕方ない。

 その夜、オブラートにつつんで雪に説明をした。
「佐伯さんの血液は今日でお終いだよ」
「えー、なんで?」
「彼女、最近疲れやすいんだって」
「それじゃ、仕方がないわね……」
「彼女も残念がってたよ」
「そう……。明日、今までありがとうって言う」
「ああ、感謝しないとね。さあ、佐伯さんの最後の献血だ。ありがたく、いただきなさい」
「はーい」

 そのあと、メールで佐伯さんに採血を止めることを伝えた。彼女はやはり、とても残念がっていた。


 翌日の午後四時、雪がいつものように学校をはけ、カウンターでケーキを食べていた。この時間帯は客はおらず、暇を持てあましていた佐伯さんが、雪の隣の席でおしゃべりをしていた。まるで親子だなと思い、僕は厨房の換気扇の下でいっぷくしていた。

 その時、突然、悲鳴がとどろいた。急いで行ってみると、佐伯さんが倒れていた。
「一体、なにがあったんだ!」
「ふふふふ。このメス、わたしの大事な食料に手をつけるから、血を全部吸ってやったわ」
 雪は口元を深紅(しんく)に染め、舌なめずりをしている。瞳はこれまでにないほどに赤く染まっていた。そして、雪の足にはひとすじ、初潮のあとが。
 僕はすべてを悟った。昨日、佐伯さんの血を飲ませる前から初潮が始まっていたことを。
 佐伯さんの首筋には、二本の牙のあとがくっきりと……。

 なん度も考えたことがある。もしも、雪が人を殺めたら……。その結末に、いつも身体を震わせていた。まさか、こんなことが実際に起こるなんて。
 目をつむり天上を見上げたけれど、そこに神はいなかった。

 僕は、佐伯さんの死を確認すると、カンター脇にあるアイスピックを握りしめ、雪の胸に深く突き刺した。
 血が吹き出し、雪は僕の胸をかきむしり、やがて床に倒れた。
 雪がこと切れたのを確認すると、僕はアイスピックを自分の胸に、無造作に振り下ろした。


(終わり)

20160524-バンパイア奇譚

20160524-バンパイア奇譚

49枚。修正20220315。バンパイアの女と人間の男の悲しい物語。――最後に、男は自らの心臓をつらぬいた。

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-28

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