ナレ男―川平礼央―

電車には毎日、様々な人が乗ってくる。
ドアが開き、一人の男が車内に入ってきた。
彼を見て乗客が最初に思うこと、それは「耳、でか!」である。
東急ハンズで売っているマジック用の耳よりも大きい。
これだけ大きいと、誰かと会話する時に、相手の発言内容以外の情報も入ってくるのではないか。
呼吸音から心拍数までクリアに耳に入ってきやしまいか。
それらの情報を元に相手の虚偽やお世辞を見破れるようになってしまい、人間不信に陥ってしまうのでないか。
心配は無用である。
目をこらして確認すればわかるのだが、それは耳ではなくヘッドフォンである。
大きな耳の形をしたヘッドフォンを着けているだけである。
そのヘッドフォンの売りの一つ。
真夜中にお寺の一室にヘッドフォンを置いておく「耳なし芳一ごっこ」。
レビューを見る限り実施した者は、彼以外まだいないようである。
そのヘッドフォンから音が漏れている。
音を聞くパーツである耳、正確には耳の形をしたヘッドフォンから、音が発せられているという不思議な光景。
これを、人によっては「面白い」という人もいるだろう。
しかし、そのヘッドフォンからの激しい音漏れは、隣の席に座るご婦人をご機嫌斜めにしてしまった。
眉間に皺が寄っている。
目鼻立ちの整った綺麗な顔が台無しである。
不意に、ご婦人の顔がほころんだ。
そもそもなぜ彼はこのようなヘッドフォンを着けているのか。
実は彼の耳は実際大きいのである。
彼のコンプレックスでもある。
小さい頃にいじられた経験がある。
その大きな耳を隠すためにさらに大きな耳型ヘッドフォンを着用しているのである。
何も着けていない状態だとその大きさは目につく。
しかし、大きな耳を外したあとにそこそこ大きな耳がついていたとしたらどうだろう。
目の錯覚が作用しそれほど大きく見えないのではないか。
そう考えたのである。
それを利用しているのである。
ここで一つ疑問が思い浮かぶ人もいるだろう。
「髪伸ばせばいいじゃん」と。
ところがどっこい、それはできないのである。
ぱっと見、普通のショートカットの髪形に見える。
目をこらして確認すればわかるのだが、それは髪ではない。
帽子である。
彼はその日の気分によって帽子を変える。
帽子と髪の間の空間に生じる蒸れを嫌って、帽子の下は常にピカピカに磨かれている。
そのため伸ばすことはできない。
ここで彼のプライドを尊重して一言付け加えておかねばならない。
かつらではない。
すると、ここである問題が再発生する。
耳が大きいならば、やはりさまざまな情報が彼の耳に人一倍入ってくるのではないか。
隣のご婦人の息遣いから鼓動音まで。
心配は無用である。
彼はヘッドフォンの音量を最大にしてまわりの声や音をシャットアウトしているのである。
彼の耳は今までにもさまざまな「聞きたくなかった話」をキャッチしてきた。
それを遮断するための音漏れなのである。
許してやってほしい。
ちなみに彼が何を聞いているのかであるが。
THE WAVESの「WE ARE THE CHAMP」である。
一昔前にサッカーでよく使われた「オーレーオレオレオレー」である。
渋い選曲にうなる者も少なくない。
しかし彼は音楽を聞いていないのである。
正確には耳には入ってきているが、音楽を意識していないのである。
では一体何に意識が向いているのか。
目をこらして確認すればわかるのだが、彼は薄目を開けて横のご婦人を見ているのである。
少し前に、ご婦人の顔がほころんだ瞬間に、彼は恋に落ちてしまったのである。
目をこらしにこらして彼の胸の辺りをえぐるように確認してほしい。
恋の導火線に火がついているのがわかる。
その近くに、一度火が付いた形跡はあるが今は火が消えている恋が数点散らばっている。
そこは、察してほしい。
その奥に実はもっと面白いモノがある。
しかしこれ以上は彼のプライバシーにかかわることなのでご紹介できない。
下着がらみの変態だった、とだけ言っておこう。
ゴロゴロしている恋を蹴り飛ばして先に進んでみよう。
脳行きの電車に乗り、首やら鼻やらの駅を通り過ぎ、終点で降りる。
すると彼の考え方が良くわかる品々が白子のような脳の隙間でうごめいている。
まず目に付くのが高校時代の友人たちである。
友人たちを見る限り彼もまた相当の不良少年だったことが垣間見れる。
しかし彼の不良度はそれほど高くはなかった。
担任の先生の愛妻弁当のハートマークに海苔で亀裂を入れたりしていた。
不良というよりお茶目である。
「誰がお茶目だって?」
彼の口癖である。
まわりに合わせて必死に不良な振る舞いをするが、ことごとくお茶目になってしまう彼の口癖である。
「何ぶつぶつ言ってんだ、さっきから」
彼はある乗客の頭を右手で押さえつけながら言った。
「おまえオレのこと見ながら、何しゃべってんだよ」
電車内に彼の怒声が響き渡る。
「うるせーよ。しゃべんな」
そう言うと彼はしひてのもぎぃうにょりょうはひ―
「次の駅で電車降りろ。逃げんなよ」
はひ。
乗客の口から手を離すと彼は―
「しゃべんな」
はい。
・・・・・。
・・・・・。
・・・・・。
・・・・・。
・・・・・。
ドア。
開く。
隙。
ダッシュ。
逃げる。
「逃げんな」
必死で逃げる乗客を追う男。
「ブッ殺す」
後ろを振り向かずに必死に逃げるオレ―じゃなくて乗客。
階段を二段飛ばして駆け上がる。
本を落とした。
振り向く。
ナレーション界の巨匠「慣田慣男」のサイン本。
30分前に手に入れたばっかり。
両目がビキビキしている男が駆けあがってくる。
どうする。どうする。どうする。おれ。
どうしよう?
と聞いたがサラリーマンに無視される。
どうするどうするどうする―
一つだけ確かな事。
しゃべってる余裕ない。
・・・・・。
・・・・・。
・・・・・。
・・・・・。
・・・・・。
西郷隆盛像。
上野公園である。
みな思い思いの休日を満喫している。
子供に手を引かれて駆けていく母親。
手をつなぐお年寄り夫婦。
ランニングしている若人―何かを見つけ速度を速める目がびきびきしている若人。
逆の方角に目を向けてどんどん進んでみよう。
空は青く、風は強く、息苦しく、足がもつれそうな午後。
ナレーションの――練習を――する際は――あまり――個人攻撃に――なるようなことは――しない方が――良いので――ある。
「待てこら。もう逃がさねえ」
今日の、ナレーションは、私、川平礼央、でした。
「うるせえ」

ナレ男―川平礼央―

ナレ男―川平礼央―

電車には毎日、様々な人が乗ってくる。 ドアが開き、一人の男が車内に入ってきた。 彼を見て乗客が最初に思うこと、それは「耳、でか!」である。 東急ハンズで売っているマジック用の耳よりも大きい。 これだけ大きいと、誰かと会話する時に、相手の発言内容以外の情報も入ってくるのではないか。 呼吸音から心拍数までクリアに耳に入ってきやしまいか。 それらの情報を元に相手の虚偽やお世辞を見破れるようになってしまい、人間不信に陥ってしまうのでないか。 心配は無用である。

  • 小説
  • 掌編
  • アクション
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-28

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