センテンスシンセサイザー

 大手出版社に勤める栃川は、知り合いからどうしても会ってやって欲しいと頼まれ、応接室で初老の男と向かい合っていた。男は和服姿だったが、生地は色褪せ、裾は擦り切れている。みすぼらしい外見とは裏腹に、昂然と顔を上げ、値踏みするように栃川を見た。
 男はフンと鼻で笑うと、持参していた風呂敷包みを開き、中から取り出した分厚いA4サイズの封筒をテーブルの中央に置いた。原稿のようである。
 戸惑った栃川が改めて自己紹介すると、男は黙ったまま名刺を差し出した。『茶川賞作家 飯野守男』とあった。それをそっと原稿の横に置くと、栃川は首を振った。
「残念ですが、当社では自費出版は取り扱っておりません」
 飯野が気色ばんだ。
「バカなことを言うんじゃない!名刺を良く見たまえ。わしは茶川賞作家だ。素人じゃあるまいし、自費出版なんぞ、するわけがなかろう」
「いずれにせよ、持ち込み原稿はお断りしています」
 高飛車だった飯野の表情に、焦りの色が浮かんだ。
「そんなつれないことを言わず、とにかく一遍読んでみてくれ。わしの二十年ぶりの新作だ。こんな傑作、野に埋もれさせては惜しいと、あんたも思うはずだ」
「そういうことではないんです。これは規則なので」
「そんな規則などクソくらえ、だ。ええい、あんたじゃ話にならん。編集長を呼べ!」
「すみませんが、当社にはそういう役職はありません」
「どういうことだ。ここは出版社じゃないのか?」
 栃川は肩をすくめてみせた。
「失礼ですが、現在の出版界のことをあまりご存知ないようですね。昔とは違うんですよ。今、紙の本というのは、新規に刷られることなど滅多にありません」
「そんなバカな。昨日も本屋をブラブラしたが、棚は全部埋まっていたぞ」
「ああ、現在本屋に並んでいるのは、ほとんど復刻版ですよ」
「どいうことだ?」
「まあ、簡単に言えば、新刊本は商売として成り立たないのです」
「本が売れないからか」
「いえ、復刻版など過去の名作は、今でも一定数売れていますよ。問題は、その購入者がほぼ高齢者である、ということです」
「そんなことはないだろう」
「いいえ、そうなのです。高齢者は冒険を好みません。名前も知らないような作家の本など、最初から手に取らないのです」
「だったら、若者が読むだろう。あんたは知らんだろうが、わしはかつて青春のカリスマと呼ばれておったのだぞ。この新作も、若さゆえの苦悩がテーマで」
 栃川は苦笑した。
「そういうのは、今時の若者に流行らないんですよ。何の能力もない若者が、何の努力もせずに大成功を収めて、ハッピーエンド。そういうストーリーでなければ、誰も読みません」
「ウソだ。そんなもの、本屋のどこにも売ってなかったぞ」
 栃川は指をパチンと鳴らした。
「そうなんです!かつて書店の一角を占めていた、その手の本は消えてしまった。何故だと思います?」
 飯野は少し自信なげに答えた。
「そりゃ、その、売れないからだろう」
「正解です」
「そうなのか。いや、そうだろうとも」
「ああ、勘違いされては困ります。売れないのは人気がないからじゃありません。先ほども申し上げたとおり、人気は抜群です。ただし」
「ただし?」
「そういう小説は、ネットで読めるのです。しかも、ほとんど無料です」
「無料?それじゃ、儲からんだろう。あ、いや、正当な報酬が得られないだろう」
「そうです、儲かりません。まあ、中には、ちゃっかり掲載広告料を稼ぐ人もいますが、ほとんどはボランティアです。しかも、作品はメチャメチャたくさん公開されています。去年の統計では、一億作を超えたそうです」
「い、一億?」
「今後さらに増える見込みです」
「そんなに素人作家が多いのか?」
「これまた去年の統計では、二百万人ぐらいいます。しかも、みんな上手ですよ」
「あり得ん」
「まあ、半ばは、センテンスシンセサイザーのおかげでしょう」
「何だ、それは」
「コンピューターに小説を書かせるという試みは、かなり以前から行われていました。しかし、人生経験も価値観もないコンピューターには、面白いストーリーなど作れません。そこで、テーマやキャラクターや基本的なプロットなどを人間が設定し、好みの文体を指定すれば、自動的に小説を書く機械が開発されました。それが、センテンスシンセサイザーです。これさえ使えば、どんな長編でもパパパッと書き上がります。後は、それをネットに載せるだけです」
「どうせそんなもの、どれも似たり寄ったりの作品だろう」
「そのとおりです。そして、それがウケるのです」
「バカバカしい。わしの傑作を世に出してくれさえすれば、そんな駄作には負けんのに」
「残念ですが、その原稿をなんとか出版にこぎつけ、書店に並べたとしても、読まれなければしょうがありませんよ。誰もいない森で、木が一本倒れました。さて、音はしたでしょうか?」
「ううー、したとも」
 栃川は笑顔で首を振った。

 翌日、飯野はセンテンスシンセサイザーを購入した。
(おわり)

センテンスシンセサイザー

センテンスシンセサイザー

大手出版社に勤める栃川は、知り合いからどうしても会ってやって欲しいと頼まれ、応接室で初老の男と向かい合っていた。男は和服姿だったが、生地は色褪せ、裾は擦り切れている。みすぼらしい外見とは裏腹に、昂然と顔を上げ、値踏みするように栃川を見た......

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-28

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