最前列ボーイ
親族法の最初の講義。いきなり遅刻した。空いている席がなかったので、しかたなく最前列に座った。
なんか、くさいんだけど。汗やら汚れやらが混ざった、強烈なにおい。
すぐとなりの席に、においの発生源が座っていた。髪がぼさぼさの、だらしない男。肩にはたくさんのふけ。しかもこいつ、鳩みたいにかくかくうなずいてる。なるほどとか、だから問題なのかとか、ひとりでぶつぶつ言ってる。
帰ってしまいたかった。ひどくくさいし、うなずきと相づちが気持ち悪かった。でも帰るわけにはいかない。毎回出席すれば必ずBをもらえるんだから、我慢しないと。
そうこうしているうちに、教授の一本調子な、お経みたいにつまらない話が終わった。張本人は、いつのまにかいなくなっていた。
最前列ってこんなにつらいのね。くさい鳩はいるし、ひとりごとは怖いし、寝れないし、スマホもさわれない。知らなかった、いつもは最後列だから。
2回めの講義。やっぱり遅刻した。空いている席がなかったので、前から2列めに座った。
うそでしょ、またあのにおいがする。あいつか。まあとなりじゃないぶん、前よりかは全然ましだけど。ましなだけ。
教授がプリントを配った。あいつが振り返って、それを私にまわした。なぜかあいつは、私をじっと見ていた。にらみつけると、顔を赤くして前を向いた。
あいつの顔をはじめて見た。たぶんあいつも、私の顔をはじめて見た。
3回めの講義。こんどは遅刻しなかった。最後列が空いていたけれど、最前列に座った。
となりにはもちろん、あいつがいる。でもくさくなかったし、髪もまあまあ整っていた。労働法への興味をもう失ったのか、うなずいたり、相づちを打ったりもしなかった。
かわりに私をちらちら見てきた。講義に集中すればいいのに。
私の定位置は、最後列から最前列に変わった。友だちに、最前列ガールとあだ名をつけられた。
14回めの講義。いつものように最前列に座った。
教授がお経を唱え終わった。すぐに教室を出るあいつが、その日は座ったままだった。それに、なんだかそわそわしていた。
私が立ち上がると、あいつも立ち上がった。
最後列にいた彼が、最前列にいる私のところに来た。背が高くてハンサムで、おだやかでやさしい彼。世界でいちばん大好きな彼。
ぽかぽか陽気のお昼どき。講堂の裏の木陰で、私たちは向き合っていた。さらさら揺れる葉っぱたちも、少し緊張していたみたい。
私は泣きながら、ごめんなさいって頭を下げた。彼はふるえながら、なんでって言った。
あのね、なんでかは言えないの。それに私も、心からそうしたいわけじゃない。だけど恋愛にはルールがあるでしょ、あんまり欲張ったらいけないっていう。
15回めの講義。最後の講義。いつものように最前列に座った。
となりにはだれもいなかった。
べつにいいの。このお経が終わっても、ずっとそばにいられるから。
最前列ボーイ