クシソルの親

クシソルの親

 アルヴィニ・クシソルという25の男がいた。長年の仕事によってクシソルの体は壊れかけている。クシソルはすぐに中央政府に保護された。彼の幾つかの嫁候補はすべて死に絶えて、クシソルが子供を持つのは、もう不可能だった。そんなときクシソルのいる施設に1人の老人が訪ねてきた。クシソルは厳重に管理されて、15分だけ面会を許された。「どうですか?施設は?」老人の目はクシソルにとって不快だった。髭を顔一面に生やして、杖をつく姿も、この社会で暮らしてはいけないはずの落伍者に見えた。クシソルが連絡をとっていたただ1人の肉親だった妹のバーブライ・チェイニンラーもやってきた。「どうです?兄さん?施設は?」妹は短い髪を仕事のためにボサボサにして、声をだした。どちらの質問にもクシソルは、答えなかった。
 そのうち、施設でクシソルは、他の人間がいないことに気づいた。すべて機械システムによって自動的にドアが開閉し、食事が出てきて、便所も清掃されていた。
 次の日、また老人が訪ねてきた。「どうだ?施設は?」少し口調が変わっていた。クシソルは難しい顔をして老人を見た。やはり、どこにもいないはずの下人だ。二人は会話を交わすことなく別れた。
 妹のバーブライは夕方に訪ねてきた。「主人の仕事が忙しくって。ちょうど、さっき兄さんの状況について聞いてきたの。外に出るのはとてもむずかしいわ」クシソルは妹をにらみつける。もうどうにでもなれという心境だ。牡丹の花を挿した妹は美というより、植物そのものに見える。クシソルの心の中には、妹への恨みが噴出している。だから、今回も何も答えなかった。
 誰とも話さなくなって、1年が過ぎた。妹も今では訪ねてこない。けれども、老人だけは、いつも話しかけてくる。一体何が目的なのだろうか?誰からも何も聞いていないクシソルは、あれこれ考えてみたが、一種のシステムの一つと思うようにした。ここでは、誰とも会わない。つまり、関係上の悩みもなければ、人の我が入ることもない。だから?クシソルは幸せなのだろうか?
 クシソルは今日もきれいにされたベッドの天井を見つめる。そこには世紀末芸術絵画が、所狭しと並べられている。天井にわざわざ並べる趣味がわからないが、どこか異国の地で、有名な天井画を見たのを思い出した。クシソルは、自分の腕の傷を見る。触れてみると、痛くはない。ただ、ズキズキと心が痛む。「クシソル。お前は、どうしても行くのか?」18のクシソルをぼんやりとした顔の誰かが聞く。あれは、誰だったろうか?クシソルは、考えるが思い出せない。
 ある日数ヶ月ぶりに妹のバーブライの姿を見た。妹は少し沈んだ顔をしていたが、その奥底にはホッとしたような雰囲気が漂っている。「もうすぐ兄さんは眠ってしまうわ」「いつだって、眠っている」初めてクシソルは話した。自らが、まだ言葉を忘れていないのを不思議に感じる。「違うの。違うの」バーブライは泣いて、それ以上何も言わなくなる。
 そのうちに施設内に音楽が流れだした。モーツアルトのレクイエムだ。その重層な響きなど聴く気持ちもなく、イライラして食事をしていると、やがて急に眠くなった。ベッドに横たわる暇もなくクシソルは倒れこむ。

 気づくと、あの老人がこちらを見ている。「クシソル。逃げろ。お前の故郷へ帰れ」クシソルは、老人の真剣な目を疑うわけにはいかなかった。1年間通い続けていた老人にクシソルは月並みな信頼を持っていたのだろうか。クシソルは、すぐに雪山をのぼり、国境をこえた。

 クシソルの目に光。クシソルは「連れ戻される」と覚悟した。だが、それは隣の国の警備艇だった。海をこえて、クシソルはもう二度とあの国へ、あの施設へ帰らなくて良いと知った。

 翌年国の生活に慣れた頃、バーブライと会った。バーブライは兄の代わりに1人の老人が眠らされたとだけ言った。老人の名前はベルカムン・クシソル。故郷にかえりついたクシソルは、大きな声で叫んだ。「何故!!俺を放っておいてくれなかったんだ!!」クシソルは泣いてなどいない。泣くくらいなら、故郷を出ていなかった。ただ、親を呪うクシソルの気持ちを、あの国に眠っている老人は『どうでもいい』と笑うだろう。

クシソルの親

クシソルの親

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted