金魚の死


  冬。公立中学校の教室。

  丈の低い木製の机と椅子が整然と並んでいる。
  黒板にはチョークで「一月八日(金)日直:那須/遠藤」と書かれてある。
  掲示板に標語のポスター。「誠実に生きる、勉学に努む、健康に育つ」

  スーツ姿の若い女、マキが廊下側の棚近くに立っている。
  棚には水槽が置いてあり、何匹かの金魚が泳いでいる。マキはその水槽の中を眺めている。
  ほかに誰もいない。

マキ ……金魚がみんな死んだ時があったな。朝来たら、水面に浮かんでた。五匹か、六匹か。夏だった。ひんやりと、死骸が浮かんで。朝から騒ぎになった。朝礼前の、ざわめく教室……ああいうので泣き始める子は、私にはわからない、なぜ泣くのか、何に泣くのか……死んだ金魚の浮かんだ水槽、どこか滅亡的な。あの魚、死骸は、誰が片付けたのか……忘れてしまった、ざわついてたから。男子たちは騒ぎまわって、女子は輪を組んでひそひそと、みんな興味は一緒……誰が、ころしたか。同じクラスで生きてた金魚の、唐突で無惨な死、水面には死骸が浮かんで……誰が、バカらしい、夏だから死んだ、それだけのこと。

  間

マキ ……他のことを思い出せばいいのに。

  間

マキ ……金魚か。

  チャイムが鳴る。制服を着た女生徒、ユリエが後方の扉から教室に入ってくる。

ユリエ ……マキ。
マキ え?
ユリエ 逃げよう。
マキ ……あなた。
ユリエ うち、言わないから。逃げよう。
マキ ちょっと……
ユリエ ここにいちゃだめだって! ほら!

  ユリエ、マキに近寄り手を取って引っ張る。マキはユリエにつられて動き、二人は教室を出る。
  廊下に出てからマキは立ち止まる。

マキ ちょっと、待って。
ユリエ 何!
マキ どういうこと?
ユリエ マキでしょ!
マキ え……何……?
ユリエ 金魚! ころしちゃったんでしょ!
マキ ……ユリエ?
ユリエ うち、言わないから!
マキ どうしてユリエがいるの……
ユリエ 見てたの。うち、見ちゃったの!
マキ あの頃のまま……
ユリエ 何言ってるの、マキ?
マキ あなた、誰……?
ユリエ どうしちゃったの? うち、ユリエ。今、マキもそう呼んだじゃない!
マキ 何なの……
ユリエ とにかく、行くよ!

  ユリエ、マキの手を引いて無理やり歩き出す。
  廊下を抜けて階段を昇り、屋上に通じる扉の前の踊り場につく。

ユリエ 出して。
マキ え?
ユリエ 屋上の鍵。持ってるでしょ?
マキ いや……
ユリエ 嘘。マキ持ってる。うち、知ってるもん。
マキ おかしい、こんなの。
ユリエ いつも上着の左ポケットに入れてる。
マキ (戸惑いながら左ポケットを探る)……あった。

  ユリエ、呆然としているマキの手から鍵を奪い、扉を開ける。
  マキの手を引いて、屋上に出る。

ユリエ 聞かせて。何があったの。
マキ ……何がって。
ユリエ 何であんなことしたの。今日のマキおかしいよ。
マキ …………。
ユリエ マキ、うち本当のことが知りたい。
マキ 私……待って、現実がわからない……
ユリエ ねえごまかさないで。
マキ ユリエ……私のことどう見えてるの?
ユリエ は? マキはマキじゃん!
マキ 私、いま何歳?
ユリエ 十四でしょ? え、十三?
マキ ユリエには、私が中学生に見えてる?
ユリエ 他にどう見えるの? ホント、どうしたの?
マキ ……これは、夢?
ユリエ 夢じゃない!
マキ ……私は、成人式で、スーツを着て、五年振りに中学の教室に入って、ひとりで水槽を見てた。金魚の泳いでる水槽。金魚、いつだったか金魚がみんな死んだのを思い出した。その日のことを思い出して……いま私は、十九歳。二月で二十歳になる年。私はマキ……あのとき金魚が死んだのは、私のせいじゃない。朝来たら死んでた。やっぱり私は、さっきみたいに水槽を見て……どこか滅亡的な、死んだ金魚の浮かんだ水槽を、同じクラスで生きてた金魚の、ひんやりした死骸を見つめてた。
ユリエ マキ! おかしいよ、こんなのって。
マキ 私が……
ユリエ ねえどうして?
マキ ……私が犯人にされたのは、ユリエのせい?
ユリエ うち言わないって! だから教えてよ、どうしてあんな……
マキ 私じゃない……
ユリエ うち、見てたんだよ。
マキ ……私はただ見てただけ。
ユリエ 金魚、みんな死んじゃった。マキが、ころしちゃった。
マキ あの日、こんな会話はなかった……だからこれは、追憶じゃない。私はユリエと親しくなかったし、誰とも親しくなかった。気づいたらクラス中から犯人扱いされてた。朝、いちばん早く教室にいたという理由だけで……あの日の朝のこと、あまり覚えてない。でもユリエとは話してない。何も。
ユリエ 何言ってるの?
マキ あなたは、誰? 私、どうしてここにいるの?

  間

ユリエ ……もういい。話してくれないなら、言うもん。私、マキのこと信じてたのに。マキと分かちあえるって、信じてたのに。裏切ったんだマキは。仲良くなりたかったのに……でも、もういい。

  ユリエ、屋上を出て行こうとする。
  マキは後ろを向いたユリエに掴みかかり、押し倒して首を絞める。
  ユリエは暴れるも、マキに抑えられ、やがてぐったりと力をなくす。

マキ ……殺した。自分を、殺した……

  間

マキ 信じて、もらいたかった、なんて、都合のいい話……騒ぎ回る男子たち、ひそひそ輪を組む女子たち。本当は、仲良くなりたかった……なのに、ね、蔑んでた。ひややかに関わりを避けて、突き放して、私、ついに自分を殺した。あの日、責め立てられ、誤解を解くのも面倒になって、みんな殺した、私の中で、自分と一緒に……どこか滅亡的な、死骸の浮かぶ水槽みたいな、心象風景だけ、残った……

  マキ、突如として思い出したように、目の前で倒れているユリエの、生命反応を確かめる。

マキ (ユリエを抱きかかえ)ユリエ! 起きてよ!

  マキ、ユリエに声をかけながら必死で心臓マッサージをする。

マキ みんな! 私が殺してしまった! ユリエ! ……起きて。生き返ってよ。

  マキ、疲れ果て、心臓マッサージをやめる。
  倒れたままのユリエを放置し、屋上を去る。

  マキは教室に戻ってくる。誰もいない。
  水槽を見ると、金魚がさっきと変わらず泳いでいる。マキ、ぼーっとそれを眺めている。

  後方の扉から誰かが教室に入ってくる。
  振り向くと、スーツ姿の、成長したユリエ。

ユリエ ……マキ?
マキ ……ユリエ。
ユリエ うわ、超久しぶり! 元気だった?
マキ ……うん。
ユリエ ホント、中学以来だよね? 五年振り? うち、一瞬でわかっちゃった、マキのこと。
マキ ……私も。
ユリエ てか、マキもスーツじゃん! よかったあ! みんな振袖かと思ってた。だったら超浮くし。ぶっちゃけ今日怖かったんだよね。ほら、うち、そんなん借りる余裕ないし? 聞くのも怖いしさあ。
マキ ……よかった。
ユリエ よかったあ、マキがいて。一人じゃなくてよかったあ。
マキ ……本当に、よかった。

  マキ、その場に崩れるように座りこむ。
  ユリエ、驚いてマキに近寄り、心配しながら手を差し伸べる。

金魚の死

金魚の死

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-25

Copyrighted
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