渡り雲
渡り雲
この季節がまた今年もやって来た。猛烈に寒い冬が来る前に大地が炎の様に燃えている山々に広がる紅葉、赤い色、秋だ。
僕たち5部族は冬が来る前に食料を調達しなければならない。山々の部族たちから遠い昔、掟を破り、僕たちの先祖は追放された。そして長い時を経て5部族に別れた。まぁ、それはそれで、良いとして、追放された立地が非常に悪かった。
土のない岩盤で囲われた硬い海辺の海岸の崖、そして雲よりも高い土地に僕たちは住居を構えて住んでいる。
もちろん、そんなところに、畑を耕す事なんて出来ない。この土地を降りて山にある食べ物を探す事も許せれることは、現在に至るまで山々の部族からはなかった。
でも僕たちには先祖から受け継がれてきた一つの生きる術の技があった。この雲の下にいる野鳥を狩るのだ。野鳥を狩る方法としては、弓を使った。しかしその矢で野鳥を討てたとしても、空中を飛んでいる野 鳥は地に向かって落ちていってしまう。そこで矢の羽根の先にある、矢筈に絹糸と呼ばれる細くて白い、けれども引っ張りに非常に強い糸を括り付け、野鳥を射った後、素早く引き寄せるのである。
この絹糸がミソなのだ。この絹糸、実は僕たちが住んでいる絶壁の崖の下でフワフワと浮いている雲で出来ているのだ。もちろん普通の雲ではない、実態のある雲なのだ。一般的に雲は見えている水蒸気の様に触ろうとしても触れないが、この実態のある雲は太陽の射す光を受けると散りばめられた硝子の破片の様に輝くのだ。そして何処か流れて来たかは分からないが、絶壁の崖に流れ着くのだ。
おそらくこの雲に僕たちの先祖は着目したのであろう、この雲をほぐしていき、一本一本の糸にする事にしたのだ。こうして絹糸は出来た。
そしてもう一つこの雲には特性がある。まぁ、見ておけ。
絶壁の崖の下には雲と空しかなかった。ここには空が上と下に両方あるんだ。僕は軽くて硬い皮のブーツを履いた右脚を出す。そして雲の上に置いた。雲は毛深いジュウタンの様だ、僕の様な体重の軽い子供はこの雲の上に乗れるのだ。当たり前だが、この特殊の雲だけだ。僕たちの先祖はこの特殊の雲の事を【渡り雲】と呼んだ。そしてこの時期にはこの渡り雲がたくさん流れてくる。
それはもう、野鳥を捕らえるには絶好のチャンスである、僕と年齢の近い子供たちは、この渡り雲を渡って野鳥を撃ち抜くのだ、家族の為、部族の為、自分の命の為に、力強く弓弦を引くのだ。
「準備は出来たか?カカナト?」低い威厳のある声が僕に伝わる。
「はい、お父上」
僕は燃える二つのたいまつの真ん中で座っている、父上に言った。
難しい顔で父上は話す。
「カカナトもついに真の狩人になる時が来たのだ、初めて渡り雲を歩き、野鳥を狩るのだ、その心構えは出来ているか?」
「そんなもの、この弓を持った時から抱いています!」
僕はそう言うと、丈の長い弓を父上の前に出して言った。
「では、カカナトこれをやろう」
父上は僕の手に絹糸の太い束を渡す。
「父上?これは?」
「渡り雲を連結するための爪糸だ、遠い昔、5部族の中で我らが最強の狩人と言われた時代の遺産だ」
僕はその爪糸と言われた物を見た。糸の端と端に見た事のない黒くて硬い曲がった爪が付いている。こんな爪、どんな野鳥からも見た事はなかった。
「この爪は鋼と呼ぶらしい、私の祖父が言っていた」
父上は僕の関心を示していた事にすぐに答えた。
「祖父とは、あの伝説の野鳥を狩ったと言われる…」
「銀鳥の事か、あれは伝説だ、忘れろ今は自分の行う狩りだけを考えろ」
僕は「はい父上!」と大声で言い、幕屋から出た。
渡り雲が並ぶ崖には、他の狩人たちがたくさん並んでいた。僕はさっき父上から貰った爪糸を腰袋に納めて、その方向に向かって歩いた。
すると後ろから声をかけられた。
「おい!カカナト!初めての狩りは緊張でションベンを漏らしたかい?」
僕は後ろを振り向く。5部族の中のエース、イヤケルトだった。
イヤケルトと彼の側にいる取り巻きは、ニヤニヤと笑って僕を取り囲んだ。
「イヤケルト今日は何だか調子が良さそうだね」
僕の言葉に彼は笑って言う。
「あははは!何たって今日は、今年一番の渡り雲が流れて来る日だぞ!それに、聞こえるだろ、崖の下から聞こえてくるゴォーゴォーと鳴る音が、あれはきっと伝説の野鳥、銀鳥の鳴き声だ!毎日3回、同じ時間にこの下を通る声が聞こえてくる!あれは、俺が狩る!そしてヒュー族が永遠の伝説になるのだ!」
僕は彼の長い演説に対して適当に受け流す。
「伝説?銀鳥?そんなものある訳ないだろ」
僕の声にイヤケルトの眉はピクリと上がった。そして恐ろしい剣幕で僕の胸ぐらを掴んで叫んだ。
「卑しい5部族のゴミが!お前の先祖が銀鳥を狩ったおかげで、我々ヒュー族は陰に潜む事が続いたんだぞ!お前の祖父、アレカトフは認める!だがなお前のカン族は痰壷以下だ!アレカトフの恩恵を何時までも受けやがって!恥を知れ!」
そう言うと、イヤケルトは力強く握りしめて拳で僕の右頬を殴りつけた。僕は硬い地面に叩きつけられて勢いよく倒れた。
その光景をイヤケルトの取り巻きは愉快そうに笑った。そして崖に向かって歩いて行こうとする。
「待てよ、イヤケルト!」僕は立ち上がり声を発した。その声にイヤケルトは無言で振り向く。
僕は息を吸って声を発した。
「その、銀鳥、僕が狩る!」
僕の言葉に取り巻きは一瞬黙るが、口を大きく開いて爆笑した。
「おい黙れ!」
イヤケルトだけが笑っていなかった。側で笑っていた取り巻きは静かになる。
そして僕に近づいて「その言葉、この俺イヤケルト、いや、ヒュー族に対しての挑戦だと受け取っていいんだな?」
僕は微笑んで言う。
「ヒュー族に挑戦してどうすんだよ?僕は、僕の祖父、アレカトフに対して挑戦する!」
僕の言葉にイヤケルトは歯をギリギリとさせて「どうせ銀鳥を狩るのは俺なんだ、その時はお前をヒュー族の名に置いて、二度、狩りが出来ない身体にしてやる」
その目は本気だった。でも僕も負けてられない、僕は睨み返した。
狩りはすぐに始まった。
イヤケルトやその取り巻きたちは慣れた足取りで渡り雲を突き進んでいく。僕だって恐怖を押し殺して渡り雲の上を掛けて進む。
さすが5部族のエースだ。勢いよく突き進むが野鳥の飛ぶ音を聞いた瞬間、矢を撃ち放っていた。野鳥の身体には矢が突き刺さり、イヤケルトは絹糸を瞬時に引き寄せて、背中のカゴに投げ入れる。
僕も野鳥に向かって弓を引いて撃ち放つが、中々野鳥は当たってくれない。それにイヤケルトは気付いたのか、僕に聞こえる声で「弓の使い方を勉強しないで来る奴がまさか、銀鳥を狩りたいとか言う訳ないよな!」
イヤケルトの声に彼の取り巻きは大声で笑う。
そんな時であった。ガァーガァーとうるさい声が聞こえてくる。野鳥の群れだ。とっさに僕はこの野鳥の進む方向に向かって走り出した。これだけの数だ、絶好の狩りのチャンスだ!僕は渡り雲を踏んで走り出す。
イヤケルトもその野鳥の群れを追って弓を構え、走る。取り巻きたちも僕ら二人を追いかけながら、野鳥の群れを追跡する。
僕はすでに3羽の野鳥を射抜いていた。1羽飛んでいる野鳥と野鳥の群れは全然違っていた。外しても隣の野鳥に突き刺さるのだ。僕はだんだんと調子が付いてきた。背中のカゴも重くなって来る。イヤケルトと目が合う。すると彼はニヤリと笑う、僕はその笑っている意味にすぐに理解した。イヤケルトの奴、まるまるとした太った野鳥ばかりを射抜いている。この走り続ける中で素早い判断だと僕は思って、イヤケルトの腕に嫉妬した。
と、耳の奥が重たい音で響いてきた。
ゴォーゴォー
この鳴き声に僕とイヤケルトは身体をピクリと反応させた。
銀鳥の鳴き声だ。近くに来ている。
僕とイヤケルトはその向かって来る場所に向かって進路変更した。しかしその場所は渡り雲が少なくなっている危険なエリアで、部族の間で立ち入ってはならない場所であった。
けれども、お互いそんな事はまったく論外であった。近づいて来るのだ!銀鳥が、まだ見た事さえのない銀鳥だ!伝説そして、僕とイヤケルトの譲れない勝負なのだ。
もうこの時にはイヤケルトの取り巻きはすでにいなかった。僕たちの勝負の結果よりも命を欲したのだ。
少しずつ渡り雲の数が減っていき、空の空間が広がっていくのが分かる。それでも二人は走り、銀鳥の声のする方向へと走っていた。
だがその行動はイヤケルトの声で終止符を打たれた。
「おい!前に渡り雲がもうないぞ!」
僕の先にいるイヤケルトが叫んだ。どうや行き止まりらしい。僕は走り疲れた脚で来た場所を振り向いた。
僕の身体に衝撃が走る。
渡り雲の道がなく、大穴が開いた様に空がぽっかりと広がっていた。
僕が黙って立っていると渡り雲は広い空を心地よさそうに漂っていた。気づかなかった。銀鳥にお互い夢中だったのだ。イヤケルトもその事に気付いたんであろう。血の気が引いていき顔が青白くなる。
僕たちはここで死ぬのか?
だがそれとは関係無しにゴォーゴォーと銀鳥の声がだんだんと近づいて来るのが分かる。その鳴き声と共に僕の心臓の脈の鼓動の音も大きくなり、額から汗をダラダラと垂らした。と、右手に冷たい物が当たった。硬い。僕は腰袋に目をやった。
爪糸だった。父上が僕に下さった。鋼の爪。僕はとっさに思いついて、崖へと繋がる渡りに向かって爪糸をめいいっぱいの力で投げつけた。黒い爪は渡り雲に噛み付く様に引っかかった、そしてイヤケルトのいる渡り雲に向かってもう片方の端に付いている爪を投げる、弧を描いて突き刺さる爪は、渡り雲を繋げる一本の綱の橋が出来た。
イヤケルトはその光景をマジマジと僕を見つめ、僕はコクリと頷く。
その時である銀鳥の鳴き声が今まで聞こえた音の最大のとなった、大気を粉砕する、空気を振動させる、そして僕の身体を震えさせた。燃える太陽の日差しが銀鳥の身体を映し出した。
伝説が今、目の前にいるのだ!死ぬ恐怖など消え失せていた。
僕は意を決して大の字で渡り雲を繋ぐ、綱の橋に向かって飛びだった。イヤケルトの瞳に僕の空中舞う姿が見えた。
きっとそれは、敗北を知った目であっただろう。
僕は綱に両脚をかけた。そしてその銀色に輝く身体に向かって弓を息を止めて引いた。
昔祖父も見たんだろうか?つるつるとした光を反射する皮膚に、恐ろしく熱を発する翼、それに加え銀鳥の身体には目が横にたくさん並んでい姿。
静かに唾を飲む。
そして僕は見た。その目の中で手を振る小さな女の子を。
渡り雲