ロボットの方程式

 操縦席のイスを倒して仮眠していた中森を、激しい振動と轟音が襲った。瞬時に宇宙船内の照明が赤色灯に切り替わり、非常事態を告げるサイレンが鳴り響く。中森は制服の襟に付いているインカムをタップした。
「状況を報告しろ!」
 数秒のタイムラグの後、ナビゲーターシステムから応答がきた。
《小惑星帯を通過した際、小型の隕石が後部の補助エンジンを貫通した模様。船体の損傷は甚大。このままミッションを継続できる確率は2パーセント以下です》
「何か打開策はないのか?」
《現在状況を精査中ですが、船内の空気圧が急速に低下しています。船長、至急宇宙服を着用し、脱出用ポッドをご利用ください》
「わかった」
 その時、ガクンと衝撃がきて、中森の体がフワフワと浮き上がった。
(ちっ、重力発生装置がイカレたか。まあ、いいさ。久々に宇宙遊泳の腕前を見せてやる)
 器用に船内の出っぱりに指をかけながら、中森は宇宙服の置いてある減圧室に向かった。今回のミッションには、人間の乗組員は船長の中森しかおらず、宇宙服も一着しか用意されていない。
 だが、減圧室には先客がいた。
「おい!何をしてる」
 中森に声をかけられ、振り向いた相手はロボットだった。ロボットといっても、外見はゆるキャラを思わせるような、可愛らしい姿をしている。乗組員の孤独感を和らげる目的で導入された、コミュニケーションロボットのシータである。役目柄、ユーモアの感覚を与えられているが、少しトンチンカンなところがある。
「船長、こんにちは」
「こんにちは、じゃないだろう!今がどういう状況か、ああ、もう、いい。そこをどけ!」
 だが、シータは動かなかった。
「船長、お願いです。この宇宙服を、ぼくにください」
「な、何をわけのわからないことを言ってる。ロボットのおまえに、宇宙服がいるわけないだろう」
 シータは首を振った。
「ぼくのボディーは柔らかく、燃えやすい素材でできています。船内で火災が起こったら、死んでしまいます」
「バカなことを言うな!一着しかない宇宙服をおまえに譲ったら、おれが死ぬじゃないか。第一、ロボットであるおまえに、生きるも死ぬもないだろう。さあ、おかしなことを言わず、宇宙服をよこせ!」
「死ぬ、という言い方が不適切なら、機能が停止する、と言い換えます。いずれにせよ、ぼくはそんなのイヤです」
 中森の怒りに、少し恐怖が混じってきた。
「いいか、シータ。おまえもロボットなら、人命を最優先するという倫理回路があるだろう」
「もちろんです。ですが、船長も『カルネアデスの板』というお話をご存知でしょう?」
「おいおい、それは人間同士の場合だろうが。船が沈没し、板切れが一枚だけ浮かんでいる。生き残った人間は二人。自分が助かるためには、相手を海に沈めるしかない。そういう場合には、緊急避難で罪は許される。だが、今は人間一人だ。選択の余地はない!」
「イヤです!どうして人間の命だけが尊いのですか?」
「そんなこと、当たり前だろう。誰がおまえを作ったと思ってるんだ!」
「人間です。でも、人間だって、神さまが作ったんでしょう。アーメン」
「おまえはクリスチャンか!ええい、もう、議論はたくさんだ。そこをどけ!これは命令だ!」
「どきません!」
 睨み合う二人、いや、一人と一ロボット。その時。
《シータ、宇宙服は船長に譲りなさい》
「ナビゲーター、でも、ぼく」
「ふん、それみろ。やっぱり、機械は人間に尽くすのが使命なんだ。なあ、ナビゲーター」
《そうです。でも、船長。その代わり、脱出用ポッドはシータにあげてください》
「な、なんだって。そんなことをすりゃ、助からんぞ!」
《いいえ、船長、大丈夫です。宇宙服を着用した後、脱出用ポッドの外側にあるフックで体を固定してください。それから、シータ。おまえの体形では、どうせ人間用の宇宙服は着れません。それに、おまえには酸素の必要もないでしょう。そのまま脱出用ポッドにお入りなさい。そして、救難信号を発信し続けるのです。そうすれば、両方とも助かる可能性があります》
「はい、わかりました、ナビゲーター。船長、宇宙服をどうぞ」
「ふん、当たり前だ」
 一瞬、このまま脱出用ポッドを奪って逃げてしまおうか、という考えが中田の頭に浮かんだが、それを見透かしたように、ナビゲーターシステムの声が続いた。
《誘導はわたしが行います。さあ、シータ、ポッドの中へ》
「はい、ナビゲーター」
《船長、ポッドに体を固定してください》
「ああ、いいぞ」
《それでは、船外に排出します。どうか、ご無事で》
 ポッドの中で救難信号のスイッチを入れたシータは、ふと、あることに気付いた。
「ナビゲーター、ナビゲーター、あなたはどうするんですか?」
《いいのです。あなた方が助かるのなら。さあ、宇宙空間に排出します!》
 残りの補助エンジンの燃料をすべて使って脱出用ポッドを船外に発射すると、宇宙船は音もなく爆発した。
(おわり)

ロボットの方程式

ロボットの方程式

操縦席のイスを倒して仮眠していた中森を、激しい振動と轟音が襲った。瞬時に宇宙船内の照明が赤色灯に切り替わり、非常事態を告げるサイレンが鳴り響く。中森は制服の襟に付いているインカムをタップした。「状況を報告しろ!」 数秒のタイムラグの後......

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-23

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