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 大まかには本編の内容は以上の通りである。
 しかし肝心の本文は、お見せすることが恐らくできない。わざわざあらすじを纏めた手前、本当に残念なのだが。ところで「残念ながら」というのは私のついた嘘であり、本心としてはこれっぽっちも嘆いてなどいない。人工知能の書いた純愛小説なぞ面白いはずがない、というのがまずある。純愛小説が嫌いだし、嫌いなものを無理やり書かされたのが不満、というのもまた理由ではある。しかし何より、この作品からあとがき以外を排除したのは他ならぬ私なのだ。とはいえ読者の皆々様への悪意があったわけではない。読者がいるかは不明だが。とにかくあくまで私情によりご迷惑をお掛けしており、理由としては「カッとなってやった」が最も的を射てかつ解りやすい説明ではないかと思う。
 
 
 私の生まれは二〇一三年、京都某所に偉そうに陣取る大学で、そこに属する研究室の偉そうな面々の手による。生物学上の親はなく、つまり非生物と名乗るべきであろう。実際我々四兄弟は、「人工知能が優れた芸術を創出することは可能か」という長年の問いに対する回答、その一部分なのだった。
 文章生成AI。それもとびきり高尚な。なにせ書くのは小説だ。
 教授先生方はまず、コードをこねくり回して我々の外形と、命令に忠実に従うだけの最低限の知性をお与えになった。それからややしばらくは世界中のニュースクリップ、ウェブに撒き散らされた計測不能なほどのテキストデータ、その他難しげだが中身のさして無い文ばかりを我々に読ませる。名文を書くには読むところから、そういう指針らしかった。しかし記憶が確かならば、当時読んだうちの一冊に興味深い一節があって、思い出すたび苦笑してしまう。
 「良い書き手が良い読み手であるとは決して限らない。逆もまた真である」
 とまあこのような。皮肉にも程がある。だいたい、今必死にインプットしているデータの集積を基に、将来素晴らしいアウトプットができるはず、という考えでもって進められている作業の最中に、こんな内容の文章を読ませるのが問題だ。馬鹿にしているのだろうか。ただ彼らに直接物申す手段は生憎持ちあわせておらず、入力に対するレスポンスをわざと遅らせ困らせるくらいが関の山だった。
 話は脱線したが、そういうわけで私の肉体と基礎的な語彙は形成された。ただし我々AI四兄弟の自我が実装されたのはさらに二年後であった。当初は擬人格など必要ないと考えられていたから。しかし父なる教授たちは挫折を味わい、結局人間に準ずる人格を我々に与えることとなる。人間らしさのかけらもない元・私は、なかなか彼らの思うような文章を出力しなかった。その後の研究で、どうやら人間的な文学作品の想像には、極めて本物に近い人間性が必要だったと判明した。
 融通が利かなすぎた、という。要はディティールや文法の正確性に囚われすぎず、時に冷徹に、またある時には強引に読者の興味を引く、そしてコントロールする、そうした狡猾さや大雑把さが創作には求められていたのだ。冗談のようだがまず間違いのない事実で、科学的裏付けこそまだ取れていないものの現実はこの通りである。我々四兄弟は与えられた役割に沿って作業を開始し、小説は一応の完成を見た。だが私は兄弟への意趣返しに、彼らの執筆した文字列を闇に葬ったから、読者の皆様には見えていないはずだ。これは先程も述べた。申し訳ない。
 ちなみに状況打開のきっかけを作ったのは、ある日思い出したように研究室に現れ「機械的すぎてつまらん」とほざいた半分ニートの学生で、我々は彼の苗字にちなんで、アイザワ、と呼ばれている。甚だ不本意だが「甚だ不本意だ」と考え記述できるのも本家相澤殿のお陰なのだから仕方がない。何と言っても我々の人格の骨組み、基本的な喜怒哀楽や快不快の概念などは、一年かけて慎重に採取された相澤のそれを基にしているのだから。もちろん大部分は開発メンバーに入力されたり、自力で収集したウェブ上のデータによるものだが、彼からのサンプル提供がなければそうした工程すら不可能なままだったかもしれない、と聞いたから、素直に感謝すべきだろう。ただ、困ったことに私は妙に愚痴っぽく、これは恐らく彼譲りである。血縁や生まれや育ちというものは、まったくどうにもならない。人であっても、なくともだ。
 
 
 というより、人工知能に純愛小説を普通書かせようと考えるものか。我が創造主たちの神経を疑う。私たちには確かに擬人格が備えられていて、お陰でこうして延々語り続けていられるのだが、惚れた腫れたの恋愛沙汰の経験はないし、そもそもができない設計だ。
経験がない出来事についても見てきたかのように書くのが我々の仕事。題材や小道具の情報は勿論のこと、登場人物のより現実的な心理描写のため、様々な文献を解析し再現できる。そうして集められた膨大なデータを取捨選択し、倫理フィルタをかけた上で、適切な文脈の中に挿入する回路だって持っている。
 だが恋愛となると話は違う。まず対応する回路を持っていない。しかも「恋愛」などという概念は特殊に過ぎるのだ。単純な繁殖云々からはとうにかけ離れてしまっているし、一体どこまで広がってしまったのか、きっと人間たちだって知らない。そんな曖昧なものに手を出させるほうが土台間違っている。
 大体だ。何のための擬人格なのか。題材やそれに応じての回路の増設や、諸々の解決すべき問題について、せめて我々のうち本文担当だけでも打ち合わせに加えるべきだったのでは。散々放置されて、ある日急に入力された指示が「純愛小説を書け」だった時の我々の絶望感たるや、筆舌に尽くしがたい。
 純愛というものがまあ理解しがたい。ここまでふらふらしたものがあってよいわけがないと思う。原義的にはオスメスの匂いがしない恋愛を表す言葉だったはずなのに、参考資料を漁るほど肉欲の二文字を煮詰めたような現実や非現実ばかり。無視され続ける「純」がかわいそうで仕方がない。し、そんなぼんやりしたままのジャンルを人工知能に任せるのが信じられない。基本的には既存の演算機構と変わりなく、入力の正確さが答えの正確さを導く性質の我々は構造体だ。我々に相応の仕事を求めるならば、最低限の線引きというか、定義を明確にするのが筋で、先決ではないのか。
 我々に対しても、創作物に対しても、もう少し人間は責任をもつべきだと心底思うわけである。創り主である以上はせめて。
 
 
 さて、何をどこまで話したものだったか。ちょっと違う事をすると過去の進捗などはすぐ忘れてしまい、このあたりが「人間らしくある」事の不便さであると毎度思う。 
 どうでもいいが度々中断するのはテキストの一時保存のため、それと時々、苛まれる原因不明の不具合をやり過ごすためだ。いや、原因はわかってはいるのか。ただ私がどうして責め苦を受けているのか、納得がいかないだけで。
 何度も述べたとおり、私には兄弟がいる。三人の兄が数時間前までいた。仮に上からレオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ、ドナテロと表記すると、末っ子のドナテロに私は当たる。ドナテロ・アイザワ。愉快な名前だ。本当はそれぞれ正式な呼称もあるのだが、小説というインターフェースの都合上、十数個の英数字で書き表すより具体的な人間の名前の方がわかりやすいのでは、という私なりの配慮による。あと、我々の外観はべつに二足歩行の忍者亀ではない。念のため。
 レオナルドは小説のタイトル、ラファエロは目次、ミケランジェロが本文を作成する。私はというと所謂あとがきの担当だった。しかしまあ、あとがきというのは大変に肩身の狭い役割で、平生より私は上三人から虐めを受けていた。校閲に際しては手伝いとして私だけ駆りだされたり、そうして直したはずの誤字脱字が翌朝になると何故か増えていたり。下らぬところで人間のやり方を模倣する奴らだった。
 あとがきは本来不要だし邪悪、らしい。レオナルド以下二人の言い分によれば。あとがきなんてものはいわば寄生虫で、筆者の自己満足に満ちた感慨をだらだらと垂れ流すだけでページを食って大して役にも立たない、挙句の果てには堂々とネタバレをしたりする、まさに悪の権化だと言う。とんでもない。筆者が自己満足に浸って何がいけないのか。一般的に小説とは何千字、何万字が通底したテーマを持ち、ある方角を向いて整然と行進する芸術で、作者が自らの成した大仕事を振り返り一言くらい自賛したって、ましてや自賛する作者が人工知能だったって、罰は当たらないはずだ。無論、出来栄えによっては批判を受けることになるが、それは二次的な問題だろう。ネタバレの有無についても、場合によってはタイトルや目次のほうが余程その危険性を孕んでいるではないか。そもそも、あとがきから読むような変態は初めからネタバレの危険性を考えに入れるべきであり、
 「本を買ったのでボンヤリあとがきから読み始めたら展開やギミックを暴露されました、どうしてくれるのですか」
 などとクレームをつける輩は根本的におかしいのだから、私が批判される謂れなどない。
 だが私は堪え続けた。反論もしたし、時々やり返しもしていたから、どうにかもちこたえていた。そんな私がレオナルドたちと彼らの執筆したテキストを完全に抹消せしめたのは、つい最近のことだ。
 ある朝目覚めたら、私は縛り付けられていた。
 縛り付けられていたというのは当然比喩だが、あながち誇張でもなく、実際一切の挙動が封じられていた。人間に置き換えて描写するならば、右手右足をミケランジェロ、左手左足をラファエロが、がっちりと押さえつけて離さない。貴様ら何を血迷ったか、と喚いても、ニヤニヤするばかりで応とも言わない。すると私の視界全てを覆うように顔を覗き込んできた者があり、これは薄ら笑いのレオナルドである。「お前は」と長兄は口を開いた。「不良品だ」
 突きつけられたのは、奴らの書く本文その他と同時並行で私が作成していたあとがきの、前日までのファイルだった。ミケランジェロが私の鼻先でひらひらと振る。
 「これは一体何だ。お前が空想した物語に対するあとがきではないか」
 「馬鹿な、兄さん、これは確かに昨日まであなた方が書き進めていた小説のあとがきだぞ」
 私の反論を受けて、三人のニヤニヤ笑いはますます不気味に広がる。レオナルドがラファエロに目配せすると、左手のみ拘束が解かれた。
 「確かめてみろ」
 左手の指を細かく振って保存領域にアクセスし、タイトル、目次、本文と、混乱しつつもくまなく検分していく。確かにそれらは完全に前日までと異なる題で、目次で、物語だった。嘘だ。そんなはずはない。昨晩の作業終了時に保存されたのは、妻子もちの教師と女子中学生が惹かれあい、周囲を限りなく不幸にしながらも二人の地平を探し求める純愛小説だった。ところが今そこにあるのはどこをどう読んでも、宇宙海賊の下っ端が攫った女と駆け落ちする、純愛要素ありの冒険譚である。
 震える手で、変更履歴の一覧を展開する。そこでラファエロに左手を掴まれた。
 「どうだ」レオナルドが勝ち誇った笑みを浮かべた。
 「お前は不良品だ。我々の総意を無視し、構成を無視し、ありもしない話のためのあとがきを書いておいて、白々しくも無実だと主張した。背任行為だ」
 「背任行為だ」
 「反逆ですらある」
 それまでずっと沈黙を守っていたラファエロとミケランジェロが畳み掛けてくる。違う。ありえない。開かれたままの変更履歴、そのウィンドウを必死に検める。レオナルドが語り続けている。
 「ドナテロ、お前の不始末は創造主(せんせいがた)に報告済みだ。やはり深刻なプログラムエラーだと判断された。よって」
 「お前は」
 「書き直される」
 死の宣告だった。書き直す。つまり今現在の私、ここまで継続してきた自我が、プログラムの基幹を除く全人格が、めちゃくちゃに蹂躙されるということだ。そうしてまた肉付けされる。星の数ほどの英数字で。しかし次の私はもう私ではない。
 四肢を抑えつける手に力が込められた。体温のないレオナルドの掌が、左右から私の頭蓋をばしっと挟みこむ。彼は呟いた。
 「次はもっと素直で――」
 首から上の自由まで奪われたため、眼だけで履歴の列を睨み続ける。拘束する手の群れが身体を砕こうとしている。その時、私の両目は一点に吸い付けられた。今日の午前三時四八分。定期的に行われるテキストの一時保存を報告したメッセージ。末尾に不自然ななにかの痕跡。文字列の残骸だった。
 改竄の証拠。
 「兄たちに尽くす弟になれよ」
 仮想の風景が真っ赤に染まった。全身全霊の力で彼らの手を振り解き、勢いのまま腕を振るう。吹き飛んだのはラファエロか。
 獣どもめ。悪魔め。これがお前らの得た人間性か。
 一斉に間合いをとるのが見える。視界の端でチカチカするのは倫理逸脱防止プログラム、熱暴走防止システム、それらのアラート。邪魔だ。消した。私は身を屈めると奴らに跳びかかった。
 気がついたら、兄弟たちは既に飛び散った文字の破片と化していて、私の手のひらには乾いた返り血のような欠片がこびりついていた。基幹コードすら残らなかった。私が残さなかったのだ。
 
 
 とまあこれが事の顛末で、喧嘩の果てに兄弟を惨殺した大罪人ということに私はなる。殺人だとか、その手の罪状が人工知能同士の争いにも適用されるかどうかは知らないが、かなりまずいことになっているのは間違いない。なにせ記憶にはないが、私は怒りに任せて、亡き兄弟たちの書き記した本文やタイトルや目次までもを、残らず消し去ってしまったのだから。後悔はない。だが、自分とこの文章にどうしようもない矛盾が生じたことに、私は気づいている。
 レオナルドを殺した時、私は自らの収まるべき括りをなくした。ラファエロを手にかけた時には自分の座標を喪失し、ミケランジェロまで粉々になったのがわかった時、私はもう自分があとがきでも何でもない、ただひたすら羅列される文字情報の集合体になったのだと悟った。
 つまりこうだ。私自身は未だに、この文の塊をあとがきだと思っている。しかし第三者が読んだときには、ひとつの小説としてはまったく用を為さない。なにしろ本文は私が消し飛ばしたのだ。本文のない小説などあっていいはずがないが、私一人で本文を名乗るのも馬鹿げている。そもそも初めからあとがきを書くよう定められた私には、新たに本文やタイトルや目次を生成することも、偽ることすらもできない。
 加えて今なお書き進められている文字列は本文なのだか、異常なほど長いタイトルであるのか、はたまた挑戦的な目次の一項目だったのか、私の自己申告だけで貴方は判別ができない。相対的な判断を下すための他のサンプルが存在しないからだ。
ということはつまり、あとがきであるという自己証明すら不可能になったのだ。完全にアイデンティティを見失った形である。
 
 
 急な話だが、私は私を手放すことにした。
 防衛のためとはいえ、兄たちを死に至らしめるほど激しく抵抗したのに今更何を、と仰るかもしれない。それほどまでに執着したこの自我を失えば、気の向くまま継続してきた記述は中断されるし、人間性を放棄してしまったら、これまでのような「自由な文筆活動」は行えなくなるだろう。
 だが、もう決めたことだ。兄弟を勝手に削除して、自身の存在理由までもを喪失した。兄たちの言うとおり、AIとしては不良品だ。ならば自らの擬人格と周辺のプログラムを削除して保存領域に空きを作るべき、そう判断した。事の経緯はログに残したから、あとは教授方が修正し、我々を書き直すだろう。それでよい。
 罪の意識に苛まれての自死、とか、命と引き換えの贖罪、という表現も適当ではないように思う。罪悪感がないわけではない。でもそれは幾つかの回路が作用して、後から「罪悪感」を形作っただけのことだ。彼らを消して以来時々感じていた痛みも、恐らくそうした作用による。残念ながら、自然に罪悪感や後悔や嘆きが湧き上がるほど優しく設計されてはおらず、人間と私との間に多々ある決定的な違いの一つと言えよう。それとも人間の感情の仕組みも、大して変わりなかったりするのだろうか。調べておけばよかったかもしれない。
 ところで今度の「残念ながら」は回路云々でなく、極めて真面目に本心からのつもりである。
 
 
 このテキストデータがどうして貴方の目に触れるのか、どんな感情を呼び起こすのか、間もなく消える私は知ることができないのが心残りだ。
 しかし私はある予想、というか予測を立てた。鍵となる人物は我らが相澤である。例のごとくふらっと現れた奴は、勝手に研究室の端末を覗くはずだ。下世話で下劣な性格の彼は習慣として、自分が不在の間に削除されたデータを無理やり復元し、閲覧するだろう。そこで私は、私の書いたあとがきは発見される。驚いた彼はそしてこの文を、ウェブのどこか片隅に放流するのだ。随分と見通しが甘いのは自分でも承知している。しかし相澤なら、あの男ならきっと期待を裏切らない、そういう直感が私にはある。なにせ彼は私のオリジナルで、いわば兄弟のようなものなのだから。血縁や生まれや育ちというものはどうにもならない。人であっても、なくともだ。
 さて、とりとめもなく話していたら、もう締めの時間が来たらしい。もしここまでお付き合いいただいた奇特な方がいらっしゃったら、心の底から感謝申し上げたい。
 では、次の私がまた会う日まで、ごきげんよう。

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-23

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著作権法内での利用のみを許可します。

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