タイムカプセル
ヨックモックが出せて嬉しかったです。
押しつぶされそうだったから、僕は苦渋の決断をした。
子供の頃は今みたいに、物語を書いたりという様な事をしようと思っていなかったので、メモ等取らない生き物だった。ただ子供の頃からおかしな事は考えていた。いや、考えていたっていうか、頭の中を通り過ぎるような感じだったと思う。でも、それは所謂想像の中の世界の出来事であり、それを文字に変換してどうこうしよう、感想をもらえるようにがんばろうっていうような事は無かった。布団に入って寝るまで見ているだけ、そういう自分だけの世界だった。
パレードのように右から左に、得体の知れないものが顔を出しては、消えていった。
物語を書くようになって、メモを取るようになってからも、そういうパレードは頻繁に頭の中で発生していた。
ソレ等をメモに、文字に変換するだけでも苦労するから、それだけで満足してしまった事も何度もある。メモだけとって書かないで置いているものも沢山あった。メモ帳もすぐにいっぱいになったし、ハードディスクの中にもメモ帳って言うアイコンが増えていった。でも『メモあるし後で書けばいいや』と、僕はその時まだそんな程度にしか考えていなかった。
しかし、ある時からそのメモ帳群が僕にとって、明確な重荷になった。
メモ帳に書いておいて、後で書こうと思っていても、次から次にメモしたい物は僕の中にやってきた。それらをメモしているうちにどんどん昔のメモ帳は堆積していった。化石のように地層深くに埋まっていって、それでも僕はその事を忘れることが出来なかった。だって他の誰でも無い、当事者である僕が書いたメモ帳だったのだから。
そのうち、そのメモ帳達が僕を責めているような気がしてきた。
「なんで書かないの?」
「どうして書かないで置いておくの?」
「何時まで待っていればいいの?」
人間の時間は有限だ。そして何でもいい、あるアイデアを思いつきそれを『書こう!』と思った時に書かなければ、いけないんだ。
と、僕はその時遅ればせながら知った。例えどんな粗末なものでもかまわない。とにかく物語なら物語というパッケージに詰め込んで、完成させなくてはいけない。その後に放置しておくならいい。そうすれば気が向いたときに、修正なんかも出来るかもしれないし、それ単品ではあまりにも・・・と感じるなら、どこかの話の中に劇中劇としてでも、差し込む事だって出来る。
今はなろうもあるし、即興さんだってあるし、ピクシブだって物語を書いて置いておけるのだから。勿論この星空文庫でもそう。
でもそれを、未加工のアイデアのままで置いておくと、彼らはいつの間にかキャパシティの一部を乗っ取って、その保有者を苦しめる事になる。
気がついたときには既に、僕は雪だるま式に借金を抱えた人のように、どうにもならない状態になってしまっていた。
彼らからの叱責を浴び、罪悪感が頭も体も支配して、僕はもう・・・。
※
その日の夜、パソコンの前に座っていた旦那さんが突然、パソコンデスクを両手で『バン!』ってやると、
「ちょっとタイムカプセル掘り出してくる」
と言って家から出て行ってしまった。
私はその時、晩御飯も食べてお腹がいっぱいになっていて「あーカレーの皿洗うのめんどくせー」とかって思っていたので、その急すぎる出来事に、驚いてしまい「あ、あうあう」と言っているだけだった。その時には既に旦那さんはもう家を出て行っていた。玄関を見ると、しまうのを忘れて立てかけてたままになっていた雪かき用のシャベルがなくなっていた。
「・・・タイムカプセルかあ・・・」
インスタントコーヒーを適量コップに入れて、それにお湯を注ぎ、キッチンテーブルに座って、ふーふーしながら飲みつつ、私は旦那さんが言っていた事を思い出していた。
「・・・」
おかしくねえ?
冷静になってみると、それが分かった。
タイムカプセルとかって急におかしくねえ?
ソレもそのはずだった。
あの人が、タイムカプセルとかを埋めたなんて話、私は今まで一回も聞いたことが無かった。
それに私と結婚する前のデートの時だって、
「ねえ、学生時代タイムカプセルとか埋めたの?」
って私が聞いた時、
「いや、埋めてない。そんなもの無駄だよ」
って言っていたではないか?
私が知る限り彼は、そう言う事に対して一切の興味が無かった。付き合いだした頃には卒業アルバムもとっくに捨てていたし、卒業文集も恥ずかしすぎて手で裂いたって言っていたし、寄せ書きに書いた電話番号は最初から現アナ番号だったという。それなのに、どうして急にタイムカプセルとか言い出したんだあいつは?
「・・・」
浮気だろうか?
私はすぐにそれを疑った。
「ぐるるう・・・」
殺す。
と、思った。
まあ、あのパソコンで文字を打つのが唯一の趣味みたいなあの人に限ってそれは無いだろうとは思うんだけど、でもそれだって言ってしまえば、フリみたいな思考の流れだろうし、そもそも男も女もそういうのはわからんでしょう?何時何があってもおかしくない。何年生きていたって分からない。死ぬまで分からない。だって、たかが人間なのだから。
「・・・う、浮気ですか?」
私は夜の窓に映る自分の顔を見ながらそう声を発してみた。
そこには、
まさか、
っていう自分と、
もしかして、
って言う自分が居た。
私が思うに夫婦間に一番大切なのは、信頼だ。愛じゃない。信頼だ。愛はあっても別に殺すとか殺されるとか、そういう感じになるだけだ。そして信頼がないと別れるか、殺すか、殺されるか、という事になる。信頼は愛よりも選択肢が増えるのだ。だから信頼は大事!
で、
私はそれまであの旦那さんの事を信頼していた。
まあ、とりあえずは、信頼していた。
彼は、なんというか、観葉植物みたいな人なので、とりあえずご飯とか出しておいたら、大丈夫だった。出したものを「おいしいおいしい」って言って食べてくれるし、それ以外は大体パソコンの前に座って、何かをカタカタしている程度である。楽だ。ぶっちゃけて言うと楽なんだ。
私はとても楽だった。
それに私も私で休みの日ごとにどこかに行こうみたいな人だと疲れるし、主婦の会とか、ママ友会とか、そういうのも嫌だし面倒くさいし、それに私自身インドアは嫌いじゃないので、家にいたら手の込んだローストビーフ作ったり、炊飯器でケーキ作ったり、ゲームしたり、映画観たり、という事をして楽しんでおり、十分な食料や、必要な日用品さえあれば、二人で家の何処かしこにいればソレでよかった。その現状に結構満足していた。安上がりと言ってしまえば言葉は悪いかもしれないけど、でも楽である事は何事にも変えがたい。それに私が、今はちょっと嫌だなーって思ったら二人でカラオケとか行ってのどちんこがどっかに飛んでいくまで歌うし、温泉行くしサウナにいくし、イオン行くし、映画館で映画観るし、ユニクロで服買うし、ゲーセンでポップンやるし。ホテル行くし。
というわけで、私は現状の生活に満足していた。とても満足していた。
他の家だったら、きっと、もっと大変だろう。スタオーとかテイルズとかで全キャラのレベルを255まで上げるとかしてられないだろう。
それだから、私はこの生活に満足していた。
しかし今、
その生活に翳りが忍び寄っていた。
旦那さんが突然「タイムカプセル掘り出してくる」とか得体の知れない事を言って家を出て行ったために、私は「浮気か?」と思ってしまい、私達夫婦間に存在していた信頼が、何よりも尊く、一度失ったら取り戻すのは死ぬほど難しい『信頼』が、消失しかけていた。
「・・・」
帰ってきたら、縛り付けてでも聞き出さないといけない。なんだったら包丁を突きつけても聞き出さないといけないだろう。私はカレー皿を洗いながら思った。
「ぎゃ!」
そんな事を考えながら食器を洗ったせいか、スポンジに洗剤じゃなくて、クレンザーつけていた。
「ただいま・・・」
時計が深夜を回った辺り、玄関に旦那さんが帰ってくる声が聞こえた。カランと、シャベルが玄関の床に置かれたような音もした。
「ふう・・・」
旦那さんはため息をつきながら靴を脱いで、リビングへ続くの廊下に上がる。そのあたりで玄関近くにある脱衣所に忍び込んでいた私は仕掛けていた紐を引っ張った。すると、
「うわあ!」
という大きな声がして、旦那さんは廊下に盛大にすっころんだ。
「せいやあ!」
それを確認し、私は廊下の電気をつけて、転んでいた旦那さんに飛び掛った。
「おまえこらああ!」
そう言って馬乗りになって、旦那さんの胸倉を掴んだ。両手で掴んだ。
「何、何なに?なに?なになに」
旦那さんは突然の出来事に混乱しているようだった。
「お前、何してたんだああ」
「うあああ、ぎゃああああ」
近所の人に聞かれていたらどうしよう。DVとかって通報されて、警察来るかな?私はその時ふと、そんな事に気がついた。しかし後にはひけない。ここまでやっておいて後にひいたら、それこそ遺恨になってしまうだろうから。
「浮気かあ!お前浮気してきたのかあ!」
「タイムカプセル!タイムカプセル掘り出すって言ったじゃん!」
「タイムカプセルだああ?」
お前おデートの時、タイムカプセルなんてそんなものやってねえって言ったべさ!?
「ほら、見て、見てみ、僕、ほら、泥だらけじゃん」
「・・・」
見てみると、確かに旦那さんの服は泥だらけだった。
「こんな泥だらけになる浮気って何すか!?」
まあ、確かに・・・いや・・・いやいや、これはフェイクという可能性も・・・そもそも、そういうプレイをした可能性はあるのでは無いか?そういうなんか秘密クラブみたいな特殊なプレイを・・・、
「・・・」
旦那さんは懇願するような小動物のような目で、こちらを見上げていた。その目には私が小さく私が写っていた。
「・・・浮気・・・していないの?」
私は問うた。
「浮気って・・・面白いの?」
私は彼の上から降りて、
「とりあえず、あなた泥だらけだからお風呂入ってきて」
と、言った。
「あ、はい」
旦那さんは立ち上がると、笑いながら私がさっきまで潜んでいた脱衣場に入っていき、やがてすぐに風呂場からシャワーの音が聞こえてきた。私はとりあえず脱衣所にバスタオルだけ用意しておき、リビングに戻った。
旦那さんがシャワーを浴びている間、私はリビングの椅子に座って、自分の顔を両手で覆っていた。恥ずかしかった。とても恥ずかしかった。生まれて初めてせいやあって言った私・・・。
「お風呂出たよー」
旦那さんは、バスタオルを巻いてリビングに入ってきた。私はその時コーヒーを淹れて飲んでいた。
「とりあえず着替えてから、ちょっとここに座って頂戴」
私が毅然とした態度で言うと、あはい、と言って旦那さんは急いで体を拭き、シャツとズボンを履いて、リビングテーブルの私の向かいに座った。
「・・・タイムカプセルは?」
私がそれを問うと、旦那さんはあーとかうーとかえーとか意味の無い音を発した。
「そもそもタイプカプセルって何?」
あんた、そんなの一個も興味ないって言っていたじゃん。
「えっとですね・・・その・・・書いているお話のネタが尽きてしまってですね・・・」
旦那さんは頭を掻きながら言った。
「はい?」
「そんで昔埋めた手帳とか、前使っていたパソコンのハードディスクをヨックモックの缶に入れて近所の地面に埋めたんだけど・・・」
なにそれ怖い。想像するとちょっと怖いよ。でも・・・、
「それがタイムカプセルですか?」
「はい」
「何で埋めたの?」
どっか押入れとか、そういう所に入れるだけでいいじゃん。
「あー、そのー」
旦那さんは、それから、冒頭にあった、あの面倒くさい脳みそと自分の話をした。そういう人の気持がまったく分からない私は、まったく分からなかったけど、でもまあ、そういう人もいるんだろう。浮気よりはまあ、全然マシだし、それにこの人ってそういう人だしな。それに思いがけず聞けた旦那さんのその弱気な話はとても珍しくて、私は内心で嬉しくなってしまった。
「で、掘り返したの?」
「うん、まあ掘り返したんだけど・・・」
なんだろう、この期に及んでまだ、煮え切らない。
「どうしたの?」
「・・・ねえ、ちょっと見てみる?」
「何を?」
私は旦那さんに手を引かれて、家の玄関を出た。
玄関の脇には旦那さんの言うとおり、ヨックモックの大きな缶が置いてあり、それはかなり土だらけで、そりゃこれを掘り返して盛ってきたら土だらけになるわな。って思った。
「君の意見を聞きたいんだ」
旦那さんは、缶を開ける前にそういって私を見た。
「いいから開けて見せてよ」
「いくよ・・・」
旦那さんが缶を開けると、そこには旦那さんの言うようなメモ帳の束やら、ハードディスク等は入っていなくて、
「うわあー、綺麗ー」
海があって島があってそこには生き物が住んでいて、生活があって営みがあって、
缶を開けると、そこには世界の欠片みたいな空間が広がっていた。
「メモなくなっちゃったよ」
旦那さんは、その缶の中に広がる世界を見ながら言った。
「この話書けば?」
私もその世界を見ながら、旦那さんにそう提案してあげた。
タイムカプセル
雪かき用のシャベルとか言っているのは、この話を冬から考えていたからです。