それは風に揺らめくような

三題話

お題
「何を見てるの?」
「セロハンテープ」
「奥さん」

 この前二歳になったばかりの息子は、最近何もしないでぼーっとしていることが多くなったような気がする。

 曖昧な表現になってしまうのは、それが短時間のことであり、単に考え事をしているだけのことかもしれないとも思うからだ。


       …


 今もまた、息子の動きが止まっている。

真っ直ぐ前を見ていて、まるでそこにある何かを見つめているかのよう。でも視線の先には、部屋の壁があるだけだ。

「ママ、あれ」

 そう言う息子が指差す先も、何もない壁。

 いや、よく見ると剥がし忘れたセロハンテープがある。そこには少し前まで息子が描いた絵を貼ってあった。

 テープは半分捲れていて、風でゆらゆらと揺れている。

 その様子が面白いのだろうか。

「うん。テープがゆらゆらしてるね」

 だから、そう返したのに、息子は首を横に振った。

 でもその後はすぐにブロック遊びを再開してしまったから、そのことに関して聞き返すことはなかった。


       …


 後から思い返せば、この時息子にもう一度でも質問しておけば良かった、と、そう思うこともある。

 それでもまだ世の中の事もあまり知らず、語彙も拙い子供では、聞いたところで期待通りの答えは得られなかったのだろうけど。


       ◇


 出張で遠くにいた私は、急いで自宅へ戻る羽目になった。

 明け方、まだ起きる前に警察からの連絡を受けて、すぐに帰り支度をして新幹線に飛び乗った。遠くと言っても自宅まで四時間ほど。私は昼過ぎには自宅のマンション前に辿り着くことができた。

 私の姿に気付いたお隣さんは、悲痛な面持ちでこちらを見ていた。

 スーツ姿の二人組がこちらへ近付いて来る。ドラマで見たことがあるように刑事なのだろうか。

 私はまだ詳しいことは聞かされていない。妻と、それと息子が亡くなったと言われただけだ。

 そんなことを言われただけでは、まるで信じられない。だって二日前、出張のために家を出る前は二人ともいつも通り元気だったのだから。

「あなたが、この部屋のご主人ですか?」

 その日、私の人生は終わってしまったかのように一変することとなる。


       ◇


 深夜、午前二時過ぎ。

 静まり返ったマンション内に、女性の悲鳴が響き渡った。

 それは誰かと争っているようで、だけど声はその部屋に住む女性のものしか聞こえてこなかった。

 その部屋には、まだ若いご主人と奥さんと、そして二歳になる息子との三人暮らし。この数日はご主人が出張のため不在なのだとか。その間は専業主婦である奥さんと息子の二人きりであった。

 このマンションの入口はオートロックで、警備員も常駐している。不審者が忍び込むのは難しいが、不可能ではない。

 しばらくすると、悲鳴だけではなく中で暴れているような大きな物音も聞こえてきた。

 近隣の住民は皆起き出して、部屋の前へ集まっている。もちろんすでに誰かが警察へ連絡している。遠くでサイレンが聞こえるから、あと五分もしないうちに到着してくれるだろう。

 激しい物音はその後も続いた。

 棚が倒れたような、食器を大量にぶちまけたような、何かを床に叩き付けるような、大きな騒音。喉が壊れるのではないかというほどの悲鳴も続いている。

 何に対して叫んでいるのか。中では何が起こっているのか。

 ここにいる誰もが、何も分からない。

 深夜の騒音は警察が到着するまで続いた。

 二人の警官が玄関の前に到着した瞬間、突然静寂が訪れた。

 シンと静まり返り、後には不気味さだけが残った。

 鍵を開けて、二人の警官は部屋の中へと入っていった。


       …


 室内は元の様子が分からないほどに荒らされ、全てが壊れていた。

 家具は原型を留めないほどに破壊され、壁には大きな穴が開き、様々なものが散乱した床は足の踏み場もなかった。

 電灯も破壊されていて、真っ暗な部屋をライトで照らしながら奥へと進む。

 一番奥の部屋の真ん中に、ヒトガタの何かがある。

 それが何であるのかは明白だったけれど、それでも確証は出来なかった。

 それほどまでに損壊していたのだ。かろうじてヒトであると分かるだけで、全てが潰され、抉られていた。

 大きさから判断するに、それは子供の死体。

 部屋の奥の、ベランダへ出られる大きな窓は開け放たれていた。

 カーテンが風で揺らめいている。

 そよそよと肌に風を感じる。

 外の暗闇が、やけに恐ろしく感じた。

 ベランダへ出て、手すりに手を掛けて、下を見た。

 月明かりに照らされて地面に横たわるヒトガタがあった。


       ◇


 事件があった日の朝には既に、近隣の住民達の間である噂が囁かれていた。

 これは悪魔の仕業である、と。


       …


「あ、悪魔が――」

 これが、部屋の前に集まったマンションの住民達が聞いた、この家の奥さんのものであると思われる最後の言葉である。

それは風に揺らめくような

それは風に揺らめくような

自分以外の誰かからいただいた3つのお題を使ってSS

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-22

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