思い出の約束
三題話
お題
「ご心配なく」
「ぬりえ」
「ハワイ」
「新婚旅行はハワイに行きたいな」
結婚式を半年後に控えた私達。彼と新婚旅行先について話をしていて、私は迷わずそう答えた。
「ハワイ? なんか普通だね」
「でもハワイがいいの。それに今でも人気なんだから」
「そっか。まあ君がそこまで言うのなら、ハワイにしよっか。何か思い入れでもあるの?」
「思い入れというか、約束、かな」
たぶん他の人が聞いたら笑うと思う。
でも私にとっては、大切な思い出だし、大切な約束だったんだ。
◇
「んみゅ……」
夜中、トイレに行きたくなって目を覚ました。
幼い私を挟むようにして両隣に寝ているパパとママ。今が何時なのかは分からないが、まだ起きそうにない。
そこから抜け出して、リビングを通り過ぎて、トイレへ向かう。
家の中は真っ暗。
でも私は暗いところがあまり怖いと思わないから大丈夫。
壁を伝いながら、ゆっくり歩く。
パチリ。
トイレまで辿り着いて電気を付けると、その明かりに一瞬目が眩んだ。
用を済ませて、トイレから出て元の布団へ向かう。
帰り道は少し暗闇に目が慣れてきて、ぼんやりながらも周りの様子が分かるようになった。
リビングまで来た時、テーブルの上で何かが動くのが見えた。
そこへ近付いていくと、広げられたままになっているぬりえ帳があった。いろいろな動物のかわいらしいイラストが載っている、子供向けのぬりえ帳。そのページに載っているはずの、私が寝る前に色を塗ったトラさんがいなくなり、白紙となっていた。
「がおー」
「わあ」
足元から突然声が聞こえて、私はびっくりして飛び上がってしまった。
下を見るとそこには、手のひらサイズの小さなトラがいた。私が色を塗った絵そのままの姿をしたトラが、足元にいたのだ。
「がおー、なんてな。驚かせて悪かった」
「あ、は、はい。えっと、こんばんは」
「おお、ガキなのに礼儀正しいな。ちょうどいい、オレをテーブルの上に乗せてくれよ」
恐怖感はなかった。きっと眠たくて頭が正しく働いていなかったのだろう。私は言われた通りにトラさんを抱き上げて、テーブルの上に乗せた。
「さて、どうしてこんな時間に起きてるんだ?」
「おトイレに行きたくなったの」
私は椅子に座って、トラさんとおしゃべりをする。体の所々が白色なのは、私の塗り方が甘かったせいだ。でもまだ小学一年生なのだから、そこは仕方ない。
「ションベンか。じゃあ早く行ったほうがいいんじゃねえか?」
「あ、もう行ってきたの。あとはお布団に戻って寝るだけ」
「そうだわな。でなきゃさっき漏らしてたろうぜ」
そのニタニタと笑う様が、子供ながらとてもいやらしく感じた。
…
「それにしても、日本かよ」
「日本じゃだめなの?」
「いや、悪いことはないんだが。どうせならハワイが良かったぜ」
「ハワイ?」
「ハワイを知らないのかい。常夏の楽園でトロピカルなんだぜ。ここみたいに寒くないんだ」
「寒いのは冬だからだよ。夏はとっても暑いよ」
「ははん、ハワイはずっと快適なんだよ」
「トラさんはハワイに行ったことあるの?」
「いや、まだ一度も。でも噂はよく聞くぜ。だから行ってみたいよなあ」
「ふーん」
「おい、真面目に聞け!」
「は、はいっ」
「いいか、いつでもいい。オレを一度ハワイに連れて行け。わかったな?」
「う、うん。わかった」
私は勢いで頷いてしまった。
その日はいつかハワイに連れて行くという約束をして、布団に戻って眠りについた。
それから何度か夜中に目が覚めることがあったけれど、その日以来トラさんに会うことはなかった。
…
そのうち、あれは夢だったのかな、と思うようになり、いつの間にか忘れていった。
◇
彼との結婚が決まり、久し振りに実家へ戻ってきた時のこと。
数年前まで使っていた自分の部屋を掃除していたら、押し入れの奥からダンボール箱が見付かった。そこには私が小さな頃のおもちゃなどが詰め込まれていた。
ぬり絵の本も、何冊も入っていた。
懐かしくなってぱらぱらと流し見ていたら、あるページで手が止まった。
子供っぽいかわいらしいデザインの、トラの絵。
塗り方が甘くて、所々塗れていないトラ。
あの時に約束を交わした、トラさん。
「そうだ。まだハワイに連れて行ってなかったね」
思い出の約束