Starry Story
『β Leonis』
人々が家路につきはじめる頃、俺たちはいつものビルの屋上に繰り出す。東京の外れの民家の多い地区。コンクリートで打ちっぱなしただけの4階建てのそのビルは、このあたりの建物では高いほうなのだ。面倒くさいのはエレベーターがないことで、いつも俺と凛太朗は階段を必死で上る。大変なのは凛太朗のほうだ。何十万もはたいて買った重い高性能の天体望遠鏡を担いで上る。
毎晩のように俺たちが訪れるこのビルは、ちょっと強面のおっさんが管理していて。その屋上を毎晩借りるにはとても苦労した。何度も何度も頭を下げて、やっと許可をもらって毎晩訪れるようになった。屋上の隅に小さな物置を置かせてもらえて、そこに用具なんかをしまっている。だけど凛太朗のその天体望遠鏡だけは、やっぱり置いておくわけにはいかないので。もし俺だったとしても持って帰るよ、あんな買値を聞かされたら。
「今日は寒いのマシだな、さすが4月」
凛太朗がそう言いながら天体望遠鏡を設置する。俺はその横で、シートを広げ、少し座れるスペースを作ったりする。夏場ならそのコンクリートに寝そべっても平気だけれど、冬場はそう言うわけにいかない。使わなくなった毛布やクッションなんかを持ってきて寒さをしのいでいた。
「確かに今日はマシかも。今日から4月か」
天体観測は大学からの俺たちの共通の趣味だった。ただ、その頃よりも今の方が頻繁に空を見るようになった。前なら、ひと月に数回だったのが、どうしてだか今では毎晩だ。雨の日でも、雲が厚くて星の見えない日でも、とりあえず俺たちはここに足を運ぶ。
「今日こそは新しい星見つける」
毎晩、天体望遠鏡を覗きながら凛太朗がそう言う。そうなんだ、凛太朗の目的はそれなんだ。物置からガスバーナーコンロと小さなポットを取り出して、ペットボトルの水を入れた。インスタントのコーヒーと、いつものホーローのマグカップ。凛太朗が天体望遠鏡の準備をしている間、それが俺の仕事だ。
凛太朗は昼間も同じようなことをしている。研究所で、電子顕微鏡を覗いている。大学院に進んで、そのまま隣接する研究施設に就職した。昼間は小さな微生物を、夜は小さな星を、ひたすら覗いている。天体望遠鏡を設置し終わると、1つの星を追う自動システムをONにした。カメラのスタンバイと、順番にいつも通りこなしていく。そして何気に腰を大きく抑えた。
「また痛めてんの?腰」
「あぁ、ちょっと昼間無理し過ぎて」
そりゃそうだ。ずっと同じ姿勢で昼間ずっと顕微鏡覗いてんだから。もう何年も。そして夜になるとこんな寒空でまたじっと空を見ているんだ。そんな彼の影響も少しあるんだけど、俺は整形外科医になった。医者にはなりたいと思っていて、もともとは内科医を目指していた。だけど整形外科医になったのは、きっとこの凛太朗の腰痛と、夜に緊急で呼び出されることの少ない部を選びたかったからかもしれない。
お湯が沸いてコーヒーを淹れて差し出すと、凛太朗は笑顔でそれを受け取った。
「で?川上とはどうなった?プロポーズした?」
凛太朗がクッションに深くもたれると俺にそう聞いた。
「いや、まだ」
「まだなの?もぉいい加減腹決めろよ」
「決めてるよ、けどいざとなると言えないもんなんだよ」
「いざとなるとって、結婚しようって言うだけでしょうが」
凛太朗は簡単にそう口にしてコーヒーを飲んだ。川上諒子は俺の恋人で、凛太朗と俺と3人、大学の同級生だ。付き合ってもう6年、になる。結婚したいと思う、と凛太朗に言ったのは去年の暮れのことだったかな、大いに喜んでくれたけど、俺は知ってる。俺と彼女との6年以上、もっと長く凛太朗が彼女のことを好きなこと。それはきっと今も変わってない。だけどそう、俺には言わない。
「あれよ、今度桜でも見に行けば?いいんじゃない?そういう場所でプロポーズってさ」
「桜、かあ」
「いい加減言わないと、愛想つかされてフラれちゃうよ?」
じっと見つめる凛太朗の視線は、とても笑ってなんて返せない。ちゃんと、大切にしろよって言われてるのと一緒なんだ。
「桜、誘ってみようかな」
「おお、いいじゃん」
「凛太朗は?誰かと付き合う気とかないの?」
「ないね」
「なんで?」
「面倒くさい。独りが楽かな、俺は」
ホーローのマグカップをコンクリートの床に置くと、凛太朗は天体望遠鏡を覗き込んだ。凛太朗は、そこから見える星を確認すると、自動システムを切った。それは星を探す合図だ。いつ頃からだろう急に、新しい星を探すと言い出した。俺らが子供の頃なら新しい星を見つけたなんてのはよく聞く話だったけど、高性能な観測が可能になった今では、素人にそんなことは難しい。だけど、どうしても星を見つけて名前を付けたいんだそうだ。自分のさ。
「なあ」
天体望遠鏡から視線を外すことなく凛太朗が俺に声をかける。
「ん?」
「おまえとふたりでここに来られるのも、もうあと少しかな」
「なんで?」
「そりゃそうでしょ。奥さん置いて夜にふらふらと星を見に行って来ますなんて言う旦那がいるか?普通」
「それは、また別の話で」
「別ってなんだよ。おまえが来なくても俺はここで観測続けるけどね」
「なんだよ、来るよ、俺」
「やめとけ。川上をこれ以上ひとりにすんなって」
優しいけど突き放すような口調で、凛太朗はそう言った。天体望遠鏡を覗いたまま。だからこそ、表情が見えないからこそ、伝わるんだ。凛太朗がどれだけ彼女のことを愛してるのか、が。
「おまえが結婚したら、学生の頃みたいにまたあちこち観測で出かけようかな」
「え?」
「だって1年365日毎日ずっとここで独りってのもさ。声かけてくれてるチームもあるし」
「そうなの?」
「うん」
「でも、俺は来るよ、ここ」
凛太朗は、天体望遠鏡から少し顔を離すと、ゆっくりと俺を見た。
「たまに、たまに、にしとけ。毎晩はやめとけよ。それはそれで楽しみにしてるからさ」
「なんだよ、なんか寂しいだろ?」
「女みたいなこと言うなよ。俺はいつもここに居るし、星もずっとそこにあるんだから、どっちにしてもおまえ天体望遠鏡買う気ないだろ?いつもそこで寝そべって星空見上げてるだけじゃん」
「そうだけど、これはこれで、俺の大事な時間だったんだ」
「なんだそれ」
「俺は凛太朗みたいに星を見つけるとか、仕事で新しい研究をしてるみたいな、そういうことはできないからさ。今あるものとしか向き合えないから。そういう性質だからさ」
「知ってるよ」
「いつもここで空を見て、凛太朗が星の話をするのを聴いてるのが好きなんだ。昼間の忙しさとか嫌なこと忘れられて、ほら、今夜だったら星の大三角!きれいに見える。そういうの一緒に見て盛り上がれたらそれで、いいんだよ」
俺をじっと見ていた凛太朗が、大きく空を見上げた。
「大三角、きれいだな、今日」
「ああ」
そしたら凛太朗が、いつもの俺みたいに寝転がって空をじっと見て言った。
「北斗七星の大きなカーブの先にあるのが、うしかい座の1等星アルクトゥールス。そのまま先に線をのばすとあるのが、おとめ座の1等星スピカ。その2つの星の中心から上にすぅーっと上がったところにある少し小さな星が、獅子座の2等星デネボラ。」
「うん」
「あれ、川上みたいだな」
「え?」
「デネボラだよ。大三角を見つける時に必ず最後になる、デネボラ。待ってんだよあぁやって、見つけてくれるのをさ」
凛太朗がそんなことを言うから、俺はその星に目をやった。
「待ってくれてる人を早く大切にしてやりなよ」
毎日の流れが変わるみたいで、少し怖いんだ、俺は。いつもこうやって、仕事が終わったらここで凛太朗と会って。星を眺めて1日が終わっていく。次の日が早くに出かけなくてはいけなくても、それは別に苦ではなかった。そんな流れが、結婚することで変わるのが怖かったんだ。彼女のことは大切で、結婚したいと思うのは本心だ。だけどそこにどうしても凛太朗が、引っかかる。
「俺は」
凛太朗が何か言いかけてやめたので、俺はじっと顔を見た。
「いや、いいよ」
「なんだよ?」
ますます気になって凛太朗をじっと見る俺から逃げるように、凛太朗は俺に背を向けると寝転がったまま小さな声で言った。
「頼むよ」
「え?」
「俺にも、そろそろ終わらせてくれよ」
「なにを?」
「デネボラ」
そう言われて、俺はもう1度星空を見上げた。昼間はひどい雨だった。暖かい陽気の中降る雨は春を思わせる、そんな1日だった。今夜、星が見えるくらいにあの雨が止んで雲が切れたのは、このためだったんだろうか。
「次の休みにふたりで桜見に行ってくるよ」
「おう」
「大切にするから」
「当たり前だ」
「うん」
その日凛太朗は星を探さなかった。天体望遠鏡を覗くことなく、俺と一緒に、ただ目の前に広がる星を眺めていた。こんな明るい街の一角では一部しか見れない星だけど、そこに見つけなきゃいけないものはある。俺は彼女を大切にするための日々を、そしてきっと凛太朗も何か、探したいものがあるんだ。必死になって探そうとしている、まだ誰も見つけたことのない星みたいにさ。
WORKS>>Ai Ninomiya*
『α Lyra』
ゴールデンウィーク明けの或る日だった。楽しいことなんて何もなくて、それでも毎日仕事には行かなきゃいけない。編集社なんてのにまとまった休みは無くて、もう何年も前に結婚した元カレと、ずるずると連絡を取り合っては短い時間を見つけては逢う。そんな日々にうんざりしていた。
珍しく早くに会社を出た。まだ少し外が明るい。そんなのはどれくらいぶりだろう。駅から家までの途中で、ひとりの男性を見かけた。大きな黒い細長いバッグとカメラの三脚のようなものを重そうに運ぶ小柄なその人は、私が子供のころから建つ古い4階のビルに入って行った。特に会社が入っているとか誰か住んでいるとかでもない古いビル。何してるんだろうと思いながらその日は家に帰った。
その次の日は、とても遅くなってしまった。終電ギリギリ。いつものことだけど、明日も朝から仕事なのに。そう思いながら重い足を引きずって家に帰る。その時に視界に入ったのがその古いビルだった。暗い電灯が何となく入口を照らしてる。少し不気味で、早足に通り過ぎようと思った。そしたら、その暗い入口から人が出てきたのだ。昨日の、あの人。三脚を一度ビルの外壁に立てかけるように置くと、それからその重そうなバッグを抱え直した。その時、ガシャンと音を立てて三脚が倒れたのだ。
「あ、あぁ~もぉ。」
イラッとしたような口調でそう言うと、重そうな黒いバッグを下ろそうとしたので、声をかけた。
「待って。私が」
私の方を見ると、その男性は動きを止めた。暗い中で、駆け寄ると私はその三脚を手に取った。肩に乗せるように黒いバッグを抱えたその男性は、時間が止まったみたいに動かずに私を見ていた。
「持てます?」
「あ、ああ。すみません。いつものことなんで、大丈夫です」
私が手渡した三脚を器用に受け取ると、ささっと頭を下げて彼は去って行った。
その彼と、ちゃんと話をしたのはそのまた次の日だった。私が勝手に、気になっていた。仕事用の書類を全て手に、自宅で徹夜で済ませる覚悟で仕事場を早くに出た。そしてあのビルの前まで来てみた。陽がもう少しで沈みきる。あの暗い電灯はとっくに付いていた。ちらしばかりが詰まった郵便受けの並ぶ入口を入ると、正面に階段があった。エレベーターは無いみたいだ。その階段を上がっていく。1つずつ階を覗き込むけれど、ただ暗いだけで、気味が悪くなって私は最上階まで上がった。そしたら声がした。
「うわっ」
なんだろう。聞こえてくるのは屋上だ。ゆっくり階段を上って開けっ放されたそのドアから覗くと、そこにあの彼が居た。何もないコンクリートの屋上に、ポツンと設置された天体望遠鏡。その大きさにびっくりした。昨日、一昨日と見かけたあの黒いバッグがこれだったんだ。小さな三脚に申し訳なさそうに乗せられた天体望遠鏡は大きく空を仰いでいる。何気に空に目をやると、そこには星があった。東京、だよね?ここ。こんなにも星が見えるんだ?たった4階のビルを上ってきただけなのに、いつもより多くそこには星が見える。
カランと音が鳴って、そっちに目をやると昨日の彼が転がるカップを拾っていた。そして顔を上げた彼と目があった。
「誰?」
そう聞かれて、ゆっくりと歩み寄ってみた。そしたらすかさずまた聞かれる。
「何してんの?」
「昨日、あの、それを拾って。」
「それ?」
私が天体望遠鏡の方を指さすと、彼もそっちに視線を向ける。
「昨日、0時ごろ。ビルの下のところで、それが倒れそうになったのを私が拾って」
「ああ!思い出した」
「気になってあの、来てしまって。そしたら星がきれいで」
そこまで言うと、その人は優しく笑った。
「見る?」
「え?」
「いいよ、見てみ」
徐にカップを足元に置くと、天体望遠鏡の脇にしゃがみこんで何かボタンを触ったりしていた。じっと立ったままの私を見ると、大きく手招きする。怖い人ではなさそうだ。ゆっくり歩み寄ると、ブランケットのようなものをコンクリートの床に広げてくれた。
「今は、天の川」
「え?天の川?」
「そう。覗いてみ?見れるから」
「でもあれって、7月じゃ」
「春ぐらいから見れるんだよ、ちょうど天の川のベガって星に合わせてある」
そう言われて天体望遠鏡を覗いてみた。ひとつ、大きく光る星がある。
「きれい」
「ベガなら目でも見れるよ?」
「そうなの?」
「ほら、あれ。」
指さされた方を見上げるといくつか星が見える。
「あの1番大きいやつ。わかる?」
「わかる!すごい!あれがベ・・・ガ?」
「そう。こと座のベガ。ライラ、こと座のことなんだけど、それのα星。1等星よりも明るいから0等星とも言われてる。そんで、左の斜め下の方にあるのが白鳥座のデネブ。その右に大きく移動したところにあるのがわし座のアルタイル。デネブとアルタイルは1等星。この3つの星が夏の大三角って言うんだ。ちなみにベガが織姫でアルタイルが彦星って言われてる」
「すごい。詳しいんですね。織姫と彦星なんだ、七夕の。でも、もうひとつの星は?」
「もうひとつ?デネブ?」
「うん、それ」
「あれは、白鳥座の一部でね。ギリシャ神話だと大神ゼウスが浮気のために変化した姿って言われてる。七夕の神話の裏にひっそり隠れて光ってるって感じかな。ちょうど天の川に添ってるから一緒にフューチャーされてはいるけど」
「そうなんだ?そういうの調べてるの?趣味か何かで?」
「天体観測をしてると自然と入ってくるね、そういうのも知りたくなって」
「ふーん」
そこまで話すとその人は、天体望遠鏡を自分にほうに向けると何やらいじりだした。少し静かな時間が続いた。空を仰いでベガに目をやったりしていたけど、なんだか邪魔をしてしまったのかもしれない。そう思って、私は立ち上がった。
「ごめんなさい、邪魔してしまって。私もう行きますね」
「あ、待って!!もう少し。あ、ほら、見てみ」
天体望遠鏡を覗くのをやめて彼はこっちを見ると笑顔でそう言った。私はもう1度座り込むと、ゆっくりと天体望遠鏡を覗いてみた。
「ええ?きれい!すごいきれい!」
「だろ?それが天の川。さっきはベガに近づけてたから、今度は引き気味で全体を見れるようにしてみた」
「すごいよ、こんなの見たことない」
「こんなところで見れる天の川なんて知れてるからね。それ、天体望遠鏡じゃなきゃ見れない、ここいらじゃね」
さっき説明された3つの大きく光る星と、それを分けるように流れる小さく無数の星の大群がそのレンズの向こうにはあった。
「なあ、あんた名前は?」
「え?」
「名前だよ。俺は小河凛太朗」
「ああ、私は、上村霞月」
「ふーん。そっか。いつでも星、見に来いよ。俺は毎日来てるからさ。ただ、あと1ヶ月くらいしかここには来られないけど」
「え?どうして?」
「アメリカに行くんだ」
「アメリカ?観測で?」
「違うよ。まあそれは趣味で、兼ねてできるから間違っちゃいないけど。仕事でね」
「そうなんだ?」
「少し前までここにも相棒がいたんだけどさ。結婚することになって、少し前から来なくなったんだ」
「そう」
「ひとりだからさ、たまにでも遊びにおいでよ。月とか土星とか木星とか、そういうのも見放題ですよ」
たまに、どころか。それから私は毎日そこに通った。0時過ぎまで居るからと言われて、仕事で遅くなった日も必ずそこに立ち寄った。暗い入口を入って4階まで上がると、そこには素晴らしい星空が待っていて。そしていつでも凛太朗が笑顔で待っていた。
「毎日来るね、恋人とかいないの?」
「恋人・・・は・・・」
「別にいいんだけどね、俺は」
「そう言う凛太朗は?恋人はいないの?」
「俺はね、フラれたとこ」
「フラれた?」
「そう。失恋したとこ」
「そうなんだ?ごめん、変なこと聞いて」
「何が?話切り出したの俺だから」
「あぁ、たしかに」
「俺こそごめん、話したくない話はしなくていい」
「ううん、話したくないわけじゃなくて。あんまり大きな声で話せない話」
「ならいいよ」
天体望遠鏡をまた何か1つの星にセットすると、凛太朗は大きく体を投げ出して寝転がった。
「コーヒー淹れようか?」
「まじ?助かる」
少し前まで、相棒さんがコーヒーを淹れてくれていたそうで。そういうの苦手だから助かる、っていつも優しく言ってくれる。
「あ、もしかして、失恋って、その相棒さんにフラれたとか?」
「はあ?違うよ、相棒は男だし」
「なんだ。そっか、ごめん」
「んで?霞月はその、あまり大きな声で話せない恋はどうすんの?」
「どうする、って」
「大きな声で誰かに話せるほうがいいよ。恋ってもんは」
「う・・・ん。実は言うとどうにかしたいんだ」
「どうにかって?」
「もう、終わりにしたいんだ。ちゃんと恋したいもん」
「なんだかよくわかんないけど、そう思ってんだったら早いほうがいいよ」
凛太朗は、不思議な人で。それだけで私の不倫を見抜いていたのか、適当に話していただけなのかはわからないけれど。私が淹れたコーヒーを受け取ると、ずずっとすするようにして飲んだ。
この人といると上を向ける。世間話みたいな、私のちょっとした話をしているだけなのに、気付くと背中を押してくれるみたいな言葉をくれる。
「ちゃんとね、がんばってるときれいに光れるもんだよ」
「私でも光れるかな?」
「そりゃそうでしょ。織姫は恋にうつつを抜かして仕事を疎かにしたから彦星と離されて、天の川のあっちとこっちに離されてしまったんだ。知ってるでしょ?七夕の話」
「そんなんだったっけ?」
「夢がないね、霞月は」
「ごめん」
「でもね、織姫も彦星も、年に1回しか逢えないからこそ、ああやって離れてても大きく光ってんだよ。織姫が特に0等星って呼ばれるくらい、大きくきれいに光ってんのは、やっぱりすてきな恋をしてるからだと俺は思うんだよね」
「すてきだね」
「でしょう?」
「私もがんばるよ」
「おう」
そう言った凛太朗は、その後数回ここで逢えただけで、アメリカに行く準備で逢えなくなった。それでも私は毎日、天体望遠鏡のないこの場所で空を仰いだ。もし、凛太朗が旅立ってしまうまでにまたここで逢えたら。逢えたら・・・。
「それで、もうここには来ないかもって言ったのに、あそこに霞月は居たんだ?」
「うん、毎日待ってた。携帯番号聞いとけばよかったって散々後悔して。いつどの便で行くかも聞いてなかったし。とにかく逢いたかった」
「うん、それで、逢えた」
「すごい嬉しかったんだよ。1年に1回逢える織姫と彦星はこんななのかな、って思うくらい」
「大袈裟だな、それ。でも嬉しかったよ。あんなに泣かれて困ったけど」
「ごめん」
ビルの屋上でもう1度逢えて、離れたくなくて私は散々泣いて。困り果てたように抱きしめてくれる凛太朗の、着ていたシャツをぐしゃぐしゃにしたことでまた笑われて。そしたら凛太朗に言われたんだ。
「だったら、霞月も来る?アメリカ」
そして今、私はこうやって凛太朗とアメリカに居る。ここに来るまでに1年もかかったけど。新しい恋をがんばるために、大きな声では誰にも言えなかった恋をきちんと終わらせて。仕事も全てきちんと片づけて。今新しい恋をしてるんだよって、大きな声でみんなに言える。そんな自分が好きで、そして凛太朗が好きで居てくれる。
彼が傍に居てくれる限り、私はベガみたいに、光っていられる。そして1年に1度ではなく、これからはずっと一緒に星を見られるんだ。
WORKS>>Ai Ninomiya* × kee**kazu
『β Orionis』
天体観測に誘われたのは大学生の頃。特に興味もなくって、1度だけ参加したけどそれきりだ。ごろんと寝そべって空をぼーっと見ながら自分の世界に浸っている天粕啓太と、天体望遠鏡を覗き込んだまま動かない小河凛太朗。俺は何をしてればいいんだよ?って話で。空を見上げて、月といくつかの星を見て、あっという間に俺は退屈になってしまった。
「そんな望遠鏡ばっか覗いてて楽しい?」
「楽しいとかそういうんじゃないんだよ。新しい星を見つけるまではやめない」
「見つけてどうすんの?」
「俺の名前をつける」
「そんで?」
「それだけ」
リンタはそう言い返すと、そのまままた無言で天体望遠鏡をずっと覗いていた。アマカスはというと、たまににや~と笑っては、違う方向にまた視線を移してはぼーっと空を見ている。見ながら何を考えてんだか、さっぱりわかんないし。冬の始まるこんな時期、ただじっと座ってるだけなんて風邪ひきに来てるようなもんだよ。
「俺、もう帰ろうかな」
立ち上がりながらそう言うと、アマカスがふと口にした。
「オリオンくらいは覚えて帰んなよ」
「オリオン?」
寝転がったままのアマカスを見下ろしながら返事をすると、今度はリンタが天体望遠鏡を覗いたままで言った。
「中央の星が三つ並ぶ冬の代表的な星座。三つ星を囲うように4つの星が四方に広がって、対角にリゲルとベテルギウス、2つの明るい星が見える。ベテルギウスは少し赤めいていて、わかりやすいよ。俺は青白く光るオリオニス、リゲルのことなんだけど、そっちの方が好きだね。和名は源氏星。ベテルギウスを平家星って言うんだ。赤と白の色の違いで源平に例えたらしいよ。ま、それがオリオン座、それだけでも知って帰れよ」
「それだけって・・・馬鹿にすんなよ、オリオン座くらい知ってるよ。授業で習っただろ。三つの星わかるよ」
そしたら、ふふんと笑いながらアマカスが言った。
「今の凛太朗の補足説明、次のテストで出ますよー、遼平くん」
何だよ、馬鹿にしてばっかでさ。たしかに俺は天体には疎いよ。だけど誘っといてなんだよ、ふたりが天体バカなのは知ってたけど、何だよその扱い。でもまあ、ふたりは俺の大事な親友で。退屈だーなんて言いながらその日は先に家に帰った。けどね、帰る前に見上げた空に見たオリオンが目に焼き付いてたんだ。
「オリオン座?うん、知ってるよ」
「地球から約1100光年離れてるんだってさ。ベテルギウスは赤い星で、リゲルって星は青白い。けどあと数百・・・あれ、数千万年だったかな、経つと、星のなんか、星自体を作ってる水素?それの質量が変わるかもしれないって言われてて、そしたらだんだん赤い星に変わってくかもしんないんだって」
「数千万年って、私たち死んでるじゃん」
「まあね、そうなんだけど」
笑いながら、覚えたての情報を彼女に話した。リンタとアマカスの話を面倒くさいと思って聞きながら、けどなんだかんだ結局はそういう誰もが知ってるわけではない情報を知ってるあいつらをどこかで尊敬していて、それを自慢したいのか何だかわかんないけど、知った自分もすごいような気になってどんどん話す。それを彼女は面倒くさがらずに聞いてくれた。
デートの帰りの、あと少しで彼女の家に着く少し前。車も人も全然通り過ぎない深夜の道路で、何気なしに立ち止まった。そしてふたりで見上げた空にはオリオンが大きく姿を見せていた。
それから、夜になるとよく彼女と空を見上げた。オリオンは、1年中見れる星座だ。リンタから聞いていた。もちろん見える方角や時間帯は違う。だからこそ、忘れた頃にふと見かけるとなんだか嬉しくなる。
あれは夏の終わりだったかな。彼女と旅行に出かけて、明け方早くに目が覚めた。なんとなく、泊まっていたホテルのベランダに出て見上げた、明るくなる寸前の空にはオリオンが輝いていた。まだ眠っていた彼女を思わず起こした覚えがある。眠そうだったけど、一緒にベランダで空を見上げた。
そんな彼女とは1度別れた。すれ違うことが増えて、俺たちは自然と逢わなくなった。
だけどまた逢いたいと思ったのは、空に浮かんだオリオンを見た時だった。別に喧嘩したわけではない。他に好きな人が出来たわけでもない。自然とできた距離を埋めたいと思った。そんなことがあって、再び付き合って今で2年目。前に付き合っていた頃と合わせると、俺と彼女との付き合いはとても長い。だけど、それでも、俺は冬になるととても彼女に逢いたくなる。
冬の南の空。オリオンが大きく空に高く上がる、深夜2時。
今からでも逢えないかな。
逢いたいんだ。
冬の三つ星は、逢いたさを急かす。こんな時間、彼女が眠っているのはわかっている。それでも電話を鳴らしてしまう。いつもはそんなことないのに、俺を我儘にさせる。
「もしもし?」
眠そうに電話に出る彼女はちょっと不機嫌そうな声で。けどどうしても逢いたいんだ。
「今、空って見れる?寝てるとこ悪いんだけど」
「空?」
「すごくきれいに見えるんだ、オリオン座」
「えぇ?それでわざわざ電話してくる?」
「違うよ。そしたら逢いたくなった」
「はぁ?」
「そんな理由じゃ、だめ?」
「だめじゃないけど・・・」
そう言って彼女はちょっと笑った。
「一緒にオリオン座見たくなった。今すぐ逢いたくなった。逢いたいんだけど」
「ちょ、ちょっと待って。ほんとに今から?」
「うん、行ってもいいかな」
「いいけど、眠い・・・」
「んはは、だよね。ごめん。寝ててくれていいから、勝手に鍵開けて入っていい?」
「そのために渡したんだから、合鍵」
眠そうな声と共に笑い声が聞こえてくる。合鍵は、去年渡された。ただ、それを使って勝手に入ることは滅多にない。時々やってしまう、こんな俺の深夜の我儘対策で彼女が俺に渡した。
「だって仕方ないじゃん!逢いたくなるんだから」
文句ならアマカスとリンタに言ってよ。あいつらが天体観測に誘わなかったら、俺にオリオン座の話なんかしなかったら、こんな我儘になんてならなかったよ。なんて、星のせいにした。
誰もが知ってるそんな星だから、見つけると安心するんだ。そこにあるのが、そこに居るのが。まるであなたみたいにさ。
WORKS>>Ai Ninomiya*
『α Capella 』
とても寒い日だった。2001年、高校2年のほぼ終わり。試験休みで、あとは終業式を迎えるだけ、みたいな日だったと思う。俺の携帯がポケットで鳴った。表示は[凛太朗]だった。
「どしたー?」
塾を出てすぐの路地でだった。自転車に跨ったまま道路の端によると、俺は電話に出た。凛太朗は携帯を持っていない。この頃、俺には必要ない、と頑固に言い張っていた。
「バイトで貯めた金でそんなものを買うのなら、欲しい物を買える額になるまで貯めておいて、楽しむほうがいいよ。毎月電話代かかるんだろ?うちの親が払ってくれるはずないんだからさ、自分でそんなもの払うなら、俺は要らないね。何か話すんなら次の日学校で出来るだろ?」
と言っていた。そんな彼が電話をかけてくること自体が珍しい。明日は確かに学校は休みだけど、普段なら次の日にうちまでやってきて、逢って話すので十分なはずなんだ。てことは、だ。きっと何か急用なんだろうと思った。固定電話からの彼の電話は、奥で母親の声が聞こえる。あんまり長電話すんじゃないよ!と。その声に、わかってるよ。と返事をしてから、凛太朗はあらためて俺に話しかけた。
「もしもし?今時間ある?」
「塾終わったとこだけど?」
「学校の横手の倉庫あるじゃん?いろんな部活の備品置き場みたいになってるとこ」
「あぁ、うん」
「あそこ、今から来れる?」
「今から?」
時間はもう10時を回っていて。どうしようかと思ったけれど、一応、理由を聞いた。
「何かあんの?」
「見てほしいものがあるんだ」
「え~?明日じゃだめなの?」
「今だからいいんだよ」
その言い方が、いかにも凛太朗らしくて。何か企んでいるというか、楽しそうというか、それが伝わってくる。そしたら俺だって居ても立っても居られない。
「わかった、今から行くよ」
凛太朗との出会いは高校1年の時だった。学年毎のスポーツの大会で1年のクラス代表で同じ教室に集まっていた。俺は1年を仕切る委員長をしていて、凛太朗とは別のクラスだった。俺はスポーツが好きだから自分で立候補したけど、凛太朗は明らかにジャンケンででも負けて参加しにきたといった感じで。たまたま1番前の席に座っていたこともあって、先生に指示されて黒板に文字を書く書記的な役割をすることになった。体育館での球技と運動場での球技、それぞれクラスの代表者がやりたい種目を発表すると、それを彼が黒板に書いていく。黒板を左右で分け、右側が運動場、左側に体育館での種目を書いていく。その時そこに居た全員がびっくりしたのが、彼はチョークを1本ずつ両手に持って、運動場の種目は右手で、体育館での種目を左手で書き始めた。その器用さにびっくりして、俺はその日の集まりが終わってすぐに彼に声をかけた。
「なぁ、小河」
「ん?」
「お前って右利き?左利き?」
「左利き」
「両方書けんの?」
「書けるね」
淡々と答えるそれが、カッコよく感じた。1回1回、左右に移動するのが面倒くさくて、だったら真ん中に立って両手で書いたら楽ちん、という理由だったそうだ。彼はちょっと変わっていて、それからもちょくちょく廊下ですれ違ったり気にはなったがいつも独りで。友達居ないのかな、と思うと誰かと話してたりもする。たぶん、集団で動かない類の人間なんだ。いつも難しそうな表情で何かを考えている風で、でもふと誰かとちょっかいを出し合ってるところなんかを見ると、すごく子供っぽい笑い方をする。
そして高校2年になって同じクラスになった時には真っ先に声をかけた。それからは、いつも独りだった凛太朗の隣に、自然と俺が居る。別にずっと喋ってるわけでも一緒に何かをしているわけでもないのだけれど。
自転車で学校に着いた時、門のところには誰もいなかった。暗い人っ気のない学校は不気味だ。言われていたのはたしか横手の倉庫だ。門を開けるわけにはいかないので、自転車を押しながら学校の塀越しに沿った砂利道を歩いた。
「天粕!」
凛太朗の声だった。塀の上の所からちょこっとだけ凛太朗の顔が見えた。背伸びしてやっと顔が見える高さの塀。背の高いやつだったらそんな苦労はないんだろうけど。
「どやって入ったの?」
「もう少し先に、スリムなやつだったら通れるくらいの塀の割れ目がある」
「割れ目?」
自転車をそこに停めて、俺はゆっくりと砂利道を歩いた。ここか。凛太朗の自転車が停まっていた。塀にはたしかに割れ目だ。スリムじゃないと・・・通れないことに間違いない。何か衝撃があって割れたんだろう、ブロックが壊れていた。身体を斜めにしたらやっと通れるスペース。もう少し太ったら、無理だな。
ほとんど誰も使わなくなった備品置き場はドアに鍵がしまっていない。ドアを開けた状態で凛太朗が待っていた。
「何?見せたいものって。いいのかよ、ここ入って」
「これこれ、見つけたんだ」
楽しそうに懐中電灯の灯りをつけると凛太朗は中に入って行った。廃部になった部活の備品や、壊れた跳箱、何やらごちゃごちゃと入っている。そして凛太朗が懐中電灯で照らしたのが、けっこうしっかりと大きいサイズの天体望遠鏡だった。
「何それ、なんでそんなのがここにあんの?」
「この間試験休みに入る前に先生にここにある備品を探すように頼まれて入ったんだ。その時に見つけた。使えそうだなと思ったけどまぁ、そのまま置いて出て。でもどうしても気になってさ」
「これが?」
「天体観測、ちっちぇえ頃からやりたかったんだよね」
「うそ、まじで?俺もちょっと憧れ」
「天粕も?うわぁ、電話してよかったーあ。夜じゃない?やっぱ天体観測は。それで、さっき思い立っておまえも誘いたくなって、電話したんだけど」
「超嬉しいよ。嬉しいけどさ、これ使えんの?使っていいの?」
「それは・・・先生には内緒で」
「内緒って」
「さすがにこの時間は誰もいないだろ?」
「まぁ、たぶん」
「ちょっと出してみようぜ」
凛太朗が懐中電灯を俺に託すと、その、少し大きめの天体望遠鏡を担ぎ出した。
「俺がやろうか?」
あまりに重そうなそれが、凛太朗には必死に見えて可笑しかった。大丈夫なのかどうだか、返事も出来ないくらい必死に持ち上げながら、彼は首を横に振った。さっきの俺の問いかけへの返事なんだろう。なので俺は懐中電灯で足元なんかを照らすのに徹した。倉庫の前に運び出して凛太朗が設置し始める。
「使い方わかんの?」
「じいちゃん家にあったからさ、何回かいじったことはある」
「へぇ」
手際よく、覗きながらダイヤルを回したり何やらしている。さっぱりわからないけど、俺はいつもみたいに、どうして凛太朗はこんなに器用なんだろうなんて、のんびり見ていた。
「もうちょっと、あ、見えた」
「え?何?」
「これ・・・何の星だろう。北極星があって。あ、ぎょしゃ座だな。カペラだ」
「ぎょ・・・何?カペラ?」
「見てみ」
「ってことは使えんの?これ」
覗いてみると、そこにはいくつかの星があった。何かはよくわからないんだけど、大きめの星と、小さな星と。
「左下の大きいやつが木星だよ」
「木星?うそ、そんなの見えんの?」
「その右上がぎょしゃ座。その中で1番有名なのがカペラ、1等星の星なんだ」
「なんかよくわかんないけど、凛太朗って星座詳しいの?ぎょしゃって、何?」
「本とかネットとかで見る程度だけどね。ぎょしゃっていうのは昔の馬車とかを走らせる、まぁ運転する人。それをかたどった星座がぎょしゃ座だよ」
「へえ」
「面白いよ。星座の形もそうだけど、それぞれの星に名前があって、光の強さで等星が決まる。同じように見えるけど、それぞれ星の距離は違って、今見えているのが何億年も前の光だったりとか」
「すげぇ、博士みたいだ」
「でも見てるとちょっと切なくもなるよね」
「なんで?」
「今見えてるのが何億年も前の光なんだったら、もう今現在は光ってない星もあるかもしれないだろ?それって、何億年か遅れて見ている俺達には今見えてるけど、実際にその場所にはもう無いんだ」
「そんなこともあるの?」
「まぁ、たぶんだけどあるだろ」
凛太朗の返事を聞いて、ふと思い出した。
「あ、ちょっと待って」
返事はせずとも不思議そうに俺の顔を見ながら凛太朗が待っている。塾に持って行っているバッグから俺はウォークマンを取り出した。
「これ、これこれ」
ウォークマンから出ているイヤホンの片方を凛太朗に差し出す。受け取ると凛太朗はぶっきらぼうに言った。
「何?」
「ちょっと聞いて、これ」
俺が先に片方のイヤホンを耳にセットすると、凛太朗は俺をじっと見て言った。
「そういうのって女子とするもんじゃね?俺、天粕の彼女じゃないんだけど?」
「まぁ、我慢しろって。早く。昼間にねーちゃんに入れてもらった曲なんだけど、これ今の気分にぴったりなんだ」
不思議そうな顔で凛太朗はイヤホンを耳にセットした。再生をONにする。ある曲のメロディが流れてきた。凛太朗はなんだかんだ言いながら耳を澄ませていた。何も言わずに1コーラス聞いた。
「どう?BUMP OF CHICKEN。天体観測って曲なんだけど」
「天体観測?」
「マジ今の俺達っぽくね?」
そしたら凛太朗はまんざらでもないって顔をしながら言った。
「まあね」
高校3年になって、数回、この天体望遠鏡をこっそり持ち出して空を見た。目では見えない光がこの中に詰まっていて、それからは俺も天体系の書籍を手にしたり、ネットで調べたりする回数が増えた。携帯を持たないと言っていた凛太朗は、大学に進学すると携帯を買った。学部は違えど、同じ大学に進めることのできた俺たちは、2人で天体観測のサークルを始めることにしたからだ。夜の屋外で連絡はなかなか取れないからね。それに合わせて、彼は天体望遠鏡も買った。
「今まで、ちまちまとバイト代を残しておいたのはこのためだったんだな」
自分の言葉に自分で頷きながら。買ったばかりの天体望遠鏡を磨いていた。
「天粕は買わないの?」
「俺はいいよ、肉眼で見える星で十分。凛太朗ので時々見せてよ」
「あのさぁ、なんでおまえ昔っから俺のこと名前呼びなわけ?」
「いいじゃん、別にさあ」
「気持ち悪いんだよね、俺、天粕の彼氏じゃないからさ」
「そういうわけじゃないけど」
たしかに凛太朗は俺のことは名前で呼ばない。誰に対しても、そうかもしれない。名字で呼ぶんだ。俺はそういえばいつからこいつのことを凛太朗って呼ぶようになったんだろうな。思い出そうとしたけど、答えは忘れてしまっていた。
大学で俺たちが作ったサークルは、Astronomical observation Capellaと、凛太朗が名付けた。略してAO Capella。俺はそれをすごく気に入った、あの日、初めてふたりで見た星の名前だからさ。
WORKS>>Ai Ninomiya*
『Lyra meteor shower』
集合時間18時。ビルの屋上。LINEが入ったのは今朝のことだった。
「6時?仕事だってー」
文字を打つよりも先に、そんな文句が口から出た。LINEの送り主はアマカスだ。天粕啓太、大学時代からの友人。総合病院で働く整形外科医。同じ大学っつっても、たまたま知り合っただけで、学部は全く違う。彼は超天才。俺はまぐれで大学に入れたようなもんだから。
<7時じゃだめ?
>だめ、18時、厳守。
返事を返したら、既読がついてすぐにこう返ってきた。だめだ。おっとりとした性格に見えて、意思の硬いこの男は、こうと決めたら融通が利かない。リンタはよくこんなアマカスの相手してたよ。リンタ、小河凛太朗。彼は俺よりも前からアマカスと友達で、親友。俺が入っていく隙のないほどふたりの関係は深い。今は、アメリカの大学で研究をしていて、かれこれ1年近く連絡がない。ないから余計にアマカスが我儘になるんだ。それを聞いちゃう俺も悪いんだけどさ。
「6時かぁ・・・直帰で上司に頼んでみるか」
天文機器製造メーカーの営業をしている。普段からリンタやアマカスを見ているから、どういうものを天体マニアが好むのかとか、天文科学館との共同制作とか自然とアイデアが沸いてくる。文理系の勉強をして、本来なら自分の手で何かを作りたいと思っていたのに、今では宙を好む人たちのサポートをしたいと考えるようになった。とにかく今日は、全国各地、宙を好む人たちが楽しみにしているはずなんだ。
4月こと座流星群と4月の満月、ピンクムーンを一緒に拝めるラッキーな2016年の春。
あまり嘘をつくのは上手じゃないので、実際に以前から訪ねてみようと思っていた部品メーカーに足を運ぶことにした。上司には許可済み。もちろん、商談の後直帰することも許可済み。今日のうちに契約云々ではなく、メーカーの社内ラインを見せてもらったり、準備段階なので時間もかからない。問題なく6時には約束のビルの屋上に着いた。
「久しぶりー」
俺は手にしたコンビニの袋を見えるように上のほうに上げながら、アマカスに声をかけた。何もないコンクリートの殺風景なビルの屋上は、小さな物置が1つあるだけ。物置の扉が開かれていて、すでにアマカスがいろいろと準備をしていた。
「あ、ほんとに買ったんだ?天体望遠鏡」
「まあね。凛太朗が居ないと天体望遠鏡もないからさ」
コンビニの袋には缶ビールが数缶とつまみになりそうなものを少し。
「これじゃまるで花見じゃん」
「似たようなもんでしょ?星見。ぜっこうの流星群日和なんでしょ?今日は」
「朝の天気予報見てさ、天気気になってたんだけど、今日逃すのは勿体ないなと思ってさ。仕事早く終われたんだ?」
「終われた、じゃないよ。終わらせたんだよ!アマカスが厳守って言うから」
俺の話を聞きながらハハハと笑うと、アマカスは冷たいコンクリートの上にシートを敷いた。大き目のブランケットのようなものをまた上に敷き、いくつかビーズクッションを並べた。天体望遠鏡はいつも、リンタの担当だった。じっくりと星を観察するのは彼の趣味で。アマカスはこうやって並べたクッションに寝転がってただ星空を眺める。そんな時間に付き合わされるようになったのは、去年の梅雨明けぐらいだったかな。
「結婚してからはほとんど来れてないんだけど、でもたまにはここに来て星空見たくもなるじゃん?けどひとりってのも寂しいし、たまには付き合ってよ」
もともと、特に天体観測が趣味ではないんだけど、まぁ俺は、こんな星空を肴に酒を飲めたらそれでいい。そんで、たまーに逢うからできる話なんかをして、また明日からもがんばろうぜってわかれるんだ。
今日はそこそこ日差しが強くて、気温もグッと上がった。スーツのジャケットが暑くて、思わず脱いでワイシャツの袖をめくったぐらいだ。雲は多めだけれど、切れ目もまぁまぁある。流星群を見るにはそれなりにいい条件かもしれない。
夕暮れから夜へと変わるくらいの時間帯、もうすでに1つ、アマカスが流星を見つけた。
「どれくらい降るかな」
「どうだろ、けっこう多く観測できるんだけどね、4月のこと座流星群は」
「リンタも見てるかな」
「見てるわけないだろ、これはアメリカでは見れないんじゃなかったかな、どうだっけ」
「そうなの?」
「俺は凛太朗ほど詳しくはないから」
確かに、いつも観測をしながら詳しい話をしてくれるのはリンタだ。俺がリンタの名前を出したからだろうか、アマカスは少し不機嫌な顔をした。喧嘩でもしてる恋人同士みたいで面倒くさいんだほんと。
「電話とかした?」
「してないよ」
「なんで?」
「知らないよ、かかってこないんだから」
「だったらかければいいじゃん。まずさ、リンタのほうから電話してくるとか根本的にないでしょ?」
「そうだけど・・・」
「待ってんじゃないの?アマカスからの電話」
「いいよ俺は。遼平がかけろよ」
「なんで俺なんだよー」
クッションにフカっと持たれながら手を伸ばしてコンビニの袋から缶ビールを取り出した。1つ、アマカスに手渡して、もう1つの缶を開けた。
「はい、乾杯」
「なにに?」
「とりあえずー、こと座流星群に」
グッと数口飲んで、缶をコンクリートの床に置くと、俺は星空を見上げるように寝そべった。都会でしか見れない程度の星空。だけどネオンの多い街では見れない量の星空。ふたりで寝そべって、何も会話をしないまま数分が過ぎた。
「あ、あああ!見た?今の」
「見た、超長かった」
「すぅーーーーーーって流れたよね。あぁ願いごとしとくんだった」
「あんな短時間でできるかよ、願いごとなんて」
「いや、次のために準備しとく。頭で繰り返しとく」
「なんだよそれ」
笑いながらアマカスはビールを口にした。そんなアマカスに、俺は空を見上げたまま言った。
「そろそろ、電話しない?」
「誰に」
「リンタに」
「あのねぇ」
「なんで?なんで喧嘩してんの?」
「してないよ」
「じゃあなんで連絡取んないんだよ、怒ってるからでしょ?アマカスが」
「怒るも何も。あんなLINE1つではい、わかりました、おめでとう、って言えるか?」
その、例のLINEは数日前に届いた。どうやら、俺と、アマカスと、ふたりに送信したみたいだった。
>結婚しました。じゃあまた。
「じゃあまた。なんだよそれ。詳細は?誰?相手は。結婚?いつしたの?どこで?まぁ向こうでだろうけど。日本人?アメリカ人?名前は?いくつの人?式とかすんのかよ。呼んでくんねーの?聞きたいこと山ほどだろ?なのにじゃあまたってなんだよ。写真くらい添付しろよ。しかもアメリカに行ってから俺がLINE送っても、既読になってるのに返信すらよこさねーでさ。1年ぶりに来たと思ったらそれだけ。もう腹が立って、俺も既読つけて何も返してやんなかったよ」
「・・・ほら、怒ってんじゃん」
「怒るでしょ?これ、普通に」
「そりゃそうだけど。だったら聞けばよかったんだよ。リンタが照れ屋なの知ってんじゃん?」
「照れるとかそういう以前に知らせる必要のある内容は知らせてきてくださいませって感じだけどね、俺としては」
興奮気味に喋るとアマカスはまたビールを一気に飲んだ。そして空になった缶をくしゃっと力任せに潰した。そして大きく深呼吸をする。ほら、怒ってるけど、嫌いじゃないんだよ、リンタのこと。なんで俺はこいつらの夫婦喧嘩にこうつき合わされてんだろなー。
「電話、してみなって。待ってると思うよ」
「寝てるよ、今頃」
「そうかな?でもまだ起きて天体望遠鏡と格闘してる時間かもしれないよ?」
アマカスは、俺の顔をじっと見ると、次は自分の腕時計をじっと見た。知ってんだ、新しく腕時計を買い替えたこと。そこには日本時間と共に、リンタの住んでいるポートランドの時間が表示されていること。
「2時だよ?こっちにいる時は0時までしか天体望遠鏡覗いてなかったから」
「でも、今はわからないじゃん?前はここから家に帰る時間とか必要だったけど、今は家で見てるかもしれない。だったら時間関係なくできるわけだし。向こうの研究所の仕事は午後からかもしれないよ?知らないけど。どっちにしてもリンタは夜型人間だからね」
「そうだけど」
悩んでいる風なアマカスにそれ以上の無理強いはしなかった。俺はまたビールを数口飲んで、星空に身を寄せた。少しして、アマカスがスマホを取り出したのに気づいたけど、俺は気づかないふりをしてずっと流星が流れるのを待っていた。アマカスが俺を呼び出した目的はそれなんだから。うん。これでいいんだから。
「もしもし?」
少しして、アマカスが隣で話していた。
「うん、俺」
「あぁ、うん、ごめんこんな時間に」
「そっか、よかった」
「いや、あの・・・さ」
「うん、遼平と4月こと座流星群を見に来てて、あのビルの屋上」
「諒子は・・・うん、家で。そんなしょっちゅうじゃないよ、今日はたまたま、久々に流星群あるから来ただけで。・・・うん」
当たり前なんだけど、アマカスの声しか聞こえないから会話の内容なんてまったくわかんなくて。でも、なんかそれなりに長く会話をしていて、俺は星空を見上げながら笑顔になっていた。
「あぁ、あの、あれだよ」
あ・・・。きれいにひとすじ、星が流れて行った。
「結婚おめでとう、凛太朗」
そう言うアマカスの声は優しかった。
この日この後もたくさん流星を見た。ひとすじに流れていったその光は、きっと今俺たちを一瞬にして繋いだ。そんな気がした。
WORKS>>Ai Ninomiya*
『Orionids』
「ハロー、って。すっかりアメリカ人じゃん。リンタ?元気?何コレ、すごいテンション上がっちゃって思わず電話しちゃったんだけど」
明け方、朝を迎えて1日のはじまりの時間。俺はそろそろ寝ようとベッドに手をかけたとこだった。携帯が鳴った。堤遼平、名前が表示される。日本語の名前が表示されんの、久しぶりだな。「ハロー?」って電話に出たら、堤からそんなハイテンションの返事が返って来た。朝・・・だぞ。しかも深夜ずっと眠気と格闘しながら空を拝みまくって、その後車かっ飛ばして帰って来た。そこからの、やっと寝ようっていう朝だぞ?やめてくれよ、そのテンション。
「すごいね、これ、星いっぱい。送ってくれて超嬉しいよ」
「あぁ、それはよかった」
「これ、わかるよ、オリオン座でしょ?前に教えてもらった」
「教えたっけ?」
「説明してくれたじゃん?この流れてる星の横にあるやつ、オリオン座だよね?」
「そうそう」
「なんだよ、面倒くさそうにすんなよ、話すの久しぶりだよねー」
「うん、寝るんだよ、これから」
「これから?そうなの?そっち夜なのか」
「違ぇよ、朝だよ。夜中ずっと空見てたんだよ、それ撮るために」
「あ、そっか、朝なのかそっち。えっと、こっちはねぇ今ねぇ・・・」
話が長くなるな、これは。ベッドにそっと入ると、トークをスピーカーに切り替えて、枕元にスマホを置く。延々と続く堤の声。
「ねぇ、リンタ、聞いてるーーー?」
「はいはい、聞いてる」
なんて言いながら、俺はそのまま寝落ちした。どれくらい堤が話してたのかは知らないけれど、心地いい堤の声を子守歌に眠りについていた。目が覚めると当たり前のように電話は切れていて。LINEメッセージだけが残っていた。
[寝ただろ?俺の電話無視して寝ただろ?写真ありがとう、すごくきれいだった。]
堤と、天粕と、ふたりに写真を送った。昨夜サンディエゴまで車飛ばして撮りに行ったオリオン座流星群の写真。砂漠の近くまで行くと何も光もない最高のロケーションが広がるんだ。天粕からもその後メッセージが届いた。
[オリオン座流星群だよね、写真ありがとう。そっちは壮大でいいね。今年は満月後だから、条件としては良くない。田舎の方に行くとそれなりにきれいなんだろうけど。]
別に、わざわざサンディエゴまで行くこともなかったんだけど、ふたりに見せたいと思った。何もない、地平線だけみたいな星空に流れていく星の写真。時間と寒さとの闘いになるだろうと、必要なものを車に詰め込んで、でも車で行けるのはある場所まで。最小限の必要なものと天体望遠鏡を抱えて道なき道を歩く。他にもちらほら人を見かけた。チームで来ているやつらはいいなと思った。でもふたりに送る写真は俺ひとりで撮るから意味あるんだよ、なんてちょっと意固地にもなっていた。
面倒くさいなって思いながらかかってきた堤からの電話も、聴きながらニヤッと笑ってしまう。いい意味で、自己満足している。
最後のチャンスだったんだ、この流星群が。もう、すぐ。ハロウィンが終わる頃には日本に帰国する。長いようで短かったアメリカでの仕事も終わり。ここでは、意外にも時間の取れない日々を過ごした。普通に仕事に追われる日々で終わってしまった。星の観測はしていたけれど、こんな、大きな自然の中で、もっと星を見たかった。だから帰る前に、ふたりに最高のアメリカの空を見せておきたかったんだ。
心ん中で何かが不足していたけれど、このオリオン座流星群を撮れたことで少し満たされた気がする。けど何より、早く星を見に行きたいんだ。天粕と一緒に毎晩空を眺めていた、あのビルの屋上に。
WORKS>>Ai Ninomiya*
『β Scheat』
空から星座が降る夢を見た。星ではなく、星座だ。それぞれに線で繋がった星たちが俺の上に降りてくる。それはとてもきれいで、且つ、怖かった。眩しい光たちが俺を包んで、そのまま消えてしまうんじゃないかって思ったんだ。
殺風景なビルの屋上。風が大きく音を立てて俺たちを撫でて行った。
「もうやめたら?星を探すの」
天粕が、俺の夢の話を聞いてこう言った。いつの間にか復活したこのビルの屋上での天体観測。今日も天粕はガスバーナーでお湯を沸かしていた。
「いつまでも見つからない新しい星を探すことに縛られてるからそんな夢見るんだよ。もっと楽しんで星見ればいいじゃん」
天体望遠鏡を固定に設定を変えて覗くのをやめると、俺は天粕を見た。
「そういうお前がやめれば?いつもここで俺のコーヒー作ってるだけじゃん」
「そんなことないよ、星見てるよ」
「相変わらず天体望遠鏡買わないのな」
「俺はこのまま見上げるだけの方が好きだからね」
広げた毛布の上に寝転がって天粕はそう言った。この数日で一気に気温が下がった。1週間ほど前、ちゃっかりフリースのパーカを着て現れた天粕と違い、余裕ぶっこいて半袖でこのビルの屋上に来た俺はあっという間に風邪をひいて、天粕が、務める病院で貰って来てくれた薬をここで飲んだ。どうせ病院行かないんだろ?って天粕が勝手に持ってきたものだ。まぁ、間違ってはいない。風邪で病院に行ったことはないな。天粕には悪いけど、病院って場所は好きではない。
「天候のチェックは毎日してるくせになんで気温に関しては周知しないかねぇ、凛太朗は」
天粕の、俺には耳に痛い言葉である。
「あ、ほら、お湯沸いてる」
俺が声をかけると、天粕は慌てて起き上がるとガスバーナーの火を止めた。インスタントのコーヒーを入れてすでに準備の済んでいるホーローのマグカップ、それに天粕がお湯を注いだ。ほんのり風に乗ってコーヒーのいい香りが漂ってくる。
「やっぱ美味いわ、天粕のコーヒーは。整形外科医辞めてコーヒーの店やれば?」
「あのねぇ、俺が整形外科医やってんのは凛太朗のせいなんだからね?」
「なんでよ」
「おまえがすぐ腰痛めるから。高校ん時からだろ?若いくせにさ」
「うっせえなぁ、俺がいつ整形外科医になれって頼んだよ」
「あーーー、それ言う?内科諦めてお前のサポートできればと思ってこっち選んだのに」
「まぁまぁまぁ、内科が無理だったからそっちにした理由を俺のせいにするのはやめろって」
「はぁ?今のはちょっと許せないんですけどー?」
「許すとか許さないとかの前に図星だからって逆切れすんなって、まぁ、飲めば?コーヒー。美味いわぁ」
「まぁな、俺が淹れたやつだからさ」
すっと落ち着くように一気に誇らしげな笑顔を作って天粕はコーヒーを飲んだ。熱っ!なんて言いながら。
もうやめたら?星を探すの・・・
確かにちょっと考え始めていた。大学生の頃から執拗に星を探していた。特に理由があるわけでもなく。ただ俺が、見つけた星に俺の名前を付ける。高校生の頃になんとなく思ったことを大学生になって始めて、未だに頑固に続けている。1度も見つかる兆しもないまま。アメリカに行っている間も続けていた。場所を変えても見つからない。もうそろそろ、終わりかなあ。ただ、俺がそれをやめたらどうなるんだろうって恐怖はあった。こんな俺に付き合ってくれて、時間があればビルに来てくれる天粕とも、これをやめたらどうなるんだろうとか、さ。俺もそうだけど、天粕も、それぞれの家庭に留まって、会うことも減るんだろうか。友達に変わりはないけれど、ここでの星の下の時間は、また別の空間なんだ。
「あーーー、そう言えば話逸らされてた。新しい星探し、そろそろ諦めたら?」
「んーーーー」
俺は天粕を見る事もなく、面倒くさそうに返事をした。
「もっと、季節の星とか流星群とか、衛星とか月とか、ゆったり楽しめばいいんじゃないの?」
「んーーーー」
「聞いてる?凛太朗?」
「わかってるよ、聞いてるよ」
「いつもそうやってはぐらかしてさ、必死になるより楽しもうよ」
「だからわかってるっつってんだろが」
コンクリートの床に、少し強めに置いたホーローのマグカップが音を立てる。深夜0時近い時間のビルの屋上にカーーーーンと響いた。飛び出したコーヒーが手に降りかかってとても熱かった。熱かったけど、そんなことどうでもよかった。どうして俺はこんなに意地になって星を探しているんだろうか。
高校生の頃だ。深夜の学校の備品置き場の倉庫で見つけた天体望遠鏡。こっそり忍び込んでは天粕とふたりで星を見ていた。あの時に確か、天粕が言ったんだ。
「まだ誰も発見していない星を見つけてNASAに申請したら、その星を見つけた人がその星に好きな名前を付けることが出来るんだってさ。すごくない?お前の名前って星の名前にしたらきれいだと思うんだよね。凛太朗・・・リンタ!」
リンタ。新しい星の名前。リンタか・・・。いいな、って。その時何故だか思ったんだ。今でも馬鹿らしい話だと思いながら、新しい星の名前の夢は消えない。消したくない。今まで特に何にも興味のなかった俺が、初めて夢って呼べるものに出逢えたんだ。
天粕は、零れたコーヒーを紙ペーパーで拭きとって、転がったホーローのマグカップを拾うと、屋上の隅にある水道で洗った。別に見ていたわけじゃないけど、音だけでわかった。なんでわざわざこいつは、俺のこんな意地を掛けたみたいな夢に付き合ってんだよ。
そのあと、新しく、天粕がコーヒーを淹れたのはすぐにわかった。とてもいい香りだった。本当に喫茶店でもやればいいのに。
「ごめんな、天粕」
「いいよ、俺こそ要らない事言ってごめん」
「天粕さぁ、俺のこういうのに付き合ってくれなくていいよ?明日も仕事早いんだろ?」
「仕事早いのは凛太朗だって同じだろ?いいの、俺はこういうのが楽しいからさ」
「こういうのって?」
「お前に振り回されてんの」
俺は小さく溜息をついた。
「堤が居たら間違いなく言われてるよ?」
「なんて?」
「アマカスはリンタの彼女か!?」
遼平の口真似をしながら俺が言うと、天粕は大きく笑った。
「わーかーるーぅ、言いそう。そこ彼女じゃなくて、夫婦ね」
「そうだ夫婦だ」
「なんで俺らが夫婦なんだよ、それぞれ結婚してるっつーの」
「ほんとそれ」
「近々遼平も呼ぶか」
「いいねえ」
「いつも嫌だよー何もすることないもん!って言いながら、ビールとおつまみ持って現れんの」
「それそれ。あいつ調達係ね」
「そういえば明日って21日だっけ?呼ぶか?オリオン座流星群だよな」
「そう、明日。堤って言うと、オリオン座」
「ほんと。ふたりでオリオン座の講習やったよなー」
「説明したのは俺だよ、天粕はそこに居ただけ」
「そうだっけ」
ふたりで笑って。そうしてまた、俺達はこのビルの屋上で空を見上げるんだ。
「今日は大四辺形きれいだな」
「アルフェラッツ、シェアト、アルゲニブ、アルカブ。ペガスス座にあるこの4つの星からなる秋の大四辺形。春夏、そして冬は大三角形だけど、秋だけは四角」
「お、はじまった。凛太朗の星知識」
「俺はシェアトが1番好きだ。他の3つが白いのにこの星だけが赤いんだ」
「あ、シェアトっていえばみずがめ座の名前変わったのって去年だっけ」
「そう。シェアトはもともとみずがめ座の中の星の名前だった。いつからかペガスス座にも使われるようになって、みずがめ座のシェアトは去年、スカトって名前に変わった。てか、天粕よく知ってんね」
「俺だって好きなんだよ、星見るの。こうやって見上げて、星ひとつひとつのそういう話を知って。だからさ、望遠鏡の中で新しい星を探してるばっかじゃなくて、俺やっぱりそうやって大きく宙の話をしてる凛太朗が好きだな」
「いきなり告られてもねえ」
「そうやってすぐ茶化す!!!」
「わかってるよ。俺だってこうやって見上げんの好きだからさ」
みずがめ座のシェアトがこうやってペガスス座に名前を譲ったように、俺もそろそろ変わり時かな。隣で空を見上げる天粕を見て思った。大事な親友の忠告は大切にしなきゃな。
「天粕、堤に連絡入れとこうぜ、明日ここ集合って」
「今から?0時回ってるけど?」
「いいの、朝入れられるよりいいだろ?」
「まあ、たしかに」
にやりとお互い笑って、電話した。その電話を切った頃には1時近くになってたかな。
WORKS>>Ai Ninomiya*
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