:高貴
彼の好みは黒髪ロングだった。
縁側の外で蝉が命を叫んでいる。肩に付くか付かないか、鬱陶しい長さの髪を弄りながらわたしは溜息をついた。8日目を望む命の音はわたしの癖毛に食べられ、消えていく。
「9月でもまだまだ暑いな」
言いながらわたしの隣に腰を下ろす、彼の匂いで眩暈がした。あまい匂い。
菊子、呼ばれて彼を見る。
「今日、菊子の日なんだよ、重陽の節句」
「、それは旧暦の9月9日でしょ、新暦なら11月」
声が掠れた恥ずかしさからそっぽを向くと、手厳しいな、と笑いながら髪を撫でられる。
「菊子、髪伸ばせばいいのに。似合うよ」
中途半端な長さの髪。伸ばし切れない、断ち切れない。わたしは自分の髪が嫌いだ。ちっとも言うことを聞かない、頑固で素直じゃない髪。わたしの心とおなじ。
「伸ばさないよ」伸ばしたいよ。
ふーん、と、彼はただ、額の汗を拭った。
無理心中ですって。
汚いひそひそ話。聞きたくなくて走った。葬儀場は何もかも黒くて、黒髪が好きだった彼は喜んでいるかな、とふと思った。
写真の中で笑っていたあの子は黒髪ロングだった。ねえ、知ってる?髪の長い女の子は、束縛心が強いんだって。
愛しかった死体が横たわる棺に菊の花を1本と、自分の髪を切って入れた。もう1度だけ彼に怒られたくて、ブリーチをかけて金色に染めた、醜く汚いざっくばらんなショートカット。
わたしの短い髪では、彼の心は縛れないけれど。
そのまま外に出る。彼を焦がす煙はまだ立っていない。
そういえば今日は重陽の節句、わたしの日だ。
歩き出した後ろから、菊の香りがした気がした。
:高貴
わたしも自分の髪が嫌い。