ハッピーエンド

 せんぱいはクマで、動物のクマで、獣のクマだから、丸っこい耳があって、鼻が黒くて、ずんぐりむっくりで、それから全身毛むくじゃらなんだけど、まぎれもなく彼は学校のせんぱいで、わたしが所属している紙飛行機同好会を立ち上げたヒト(クマ?)だ。以下、クマせんぱいとする。紙飛行機同好会のメンバーは三年生のクマせんぱい、二年生のわたし、おなじく二年生のMくん、それから、クマせんぱいの弟、一年生の、クマ。
 つまり、わたしとMくん以外は動物のクマで、ヒトがふたりに獣がふたりと、まァ、バランス的にはちょうどいいのかなって感じ。(なんのバランスかはさておこう)クマせんぱいの弟のことは以下、クマ弟とする。
 紙飛行機同好会では、実際に紙飛行機を折って誰がいちばん遠くに飛ばせるか競ったり、紙飛行機の滞空時間を長くするため、文明の利器(インターネットのことを、クマせんぱいはこう呼ぶ。なんだか忌々しげに、呼ぶ)には頼らずに色んな折り方を試してみたり、同好会の名に恥じぬ活動を行っています。が、到底、部員が増える気配はなく、部活動として認められる様子もなく、一応、他の部活動とおなじように月曜日と水曜日以外の平日は集まって活動をしているのだけれど、Mくんはアルバイトが休みの日にしか来ないし、クマ弟はときどき、はちみつの入った茶色い壺に右手を突っ込んだまま居眠りしているし、クマせんぱいも紙飛行機を折るのに飽きると、図書室で借りたという星座の本に読み耽る。紙飛行機同好会に与えられた部屋は、むかし、囲碁部が使っていた部室で、学校での表記は「備品室」とされている三畳ほどの部屋だ。せまい。とにかく、せまい。クマせんぱいとクマ弟が、なんせデカい。部屋のはんぶんは彼らの巨体が占めているといっても、大げさではない。
 そんなせまい一室で、クマせんぱいが星座図鑑をひろげ、クマ弟がはちみつまみれの右手を舐めながら船を漕いでいるなか、わたしは、折りかけの紙飛行機を横に追いやり、備品室にあったワープロで小説を打っている。ここのところ秋も深まり、気温の低い日が続いているせいか、クマふたり(二匹?)は屋外に出ることを避けている。文明の利器を頼って折った滞空時間が長い紙飛行機も、誰の紙飛行機がいちばん遠くまで飛ぶか競争のために折った紙飛行機も、部屋のそこかしこに放置されていて、Mくんはさいきんアルバイトが忙しいらしく、週に一度しか顔を出さないしで、紙飛行機同好会は形無しとなっているが、それもいいだろう。思う存分、小説が打てる。
 この学校には文芸部が、ない。でもわたしは、文芸部があっても入部したかどうかは、わからない。
 インターネットで知り合った同い年くらいの子たちが書いている小説は、わたしの好む小説とは少々異なる傾向にある。それはテレビで紹介されるような、今話題の、売れている小説類にも通ずるものがある。わたしが敬愛する作家はみな、現存していないのだが、わたしが生まれる何十年と前の、それより前の、百年以上も前に産まれ育ち生きた作家の紡いだ文章の方が、わたしの心をさざ波立てるのだ。句読点の位置ひとつにも美しさを感じる。これといった盛り上がりもなく、淡々と平凡な日常を綴った文章が、言い表しようのない心持ちにさせてくれる。それは喜びや、不安や、恐怖や、哀しみや、愛しさや、いろんな感情が薄いシーツとなり折り重なって、心臓をやさしく包みこむ感覚。他人にはわからないでしょう、わたしの感性から生じる、言葉にならない衝動。理由もなく、軽率に命を投げ捨てたくなる、死への憧憬。ハッピーエンドほど味気ないものはない。
 ぱちぱちぱちぱちと夢中でキーボードを叩いていると、非常に近い距離で獣の唸り声が聞こえた。どうやらクマ弟が本格的に寝入ったようだ。だらんと下ろした右手の毛が、はちみつとよだれで光って見える。クマせんぱいは星座図鑑から目を離さない。そして彼は、途方もなく青い海の底に消えた。消えていった、の方がしっくりくるか。わたしは次の一文を打ちこむ。そ、し、て、か、れ、は、点。
 インターネットで公開しているわたしの小説を読んでくれる人はいつもひとりか、ふたり程度だ。自分の小説を読んで反応をもらうために、様々な方法で宣伝し、売り込む人は大勢いる。そういうのが、わたしは苦手である。
「でもキミの小説は、書籍化してもまず売れないよね」
とはっきり言い放ったのは、クマせんぱいだった。
「いやでも、時代が時代なら売れたかもな。昭和初期頃とかさ」
 おなじく現存していない作家を好むクマせんぱいのそれは、わたしには一種の褒め言葉であった。それならばわたしは、生まれる時代を間違えましたね。そう言ったらクマせんぱいは、なんだか淋しそうな顔でそっと、わたしの頭を撫でた。泣きたくなるくらい、やさしかった。クマせんぱいがちょっとでも力を入れたら、わたしの頭はつぶれるか、首からもげ落ちるだろうから。
 クマ弟の寝息が、せまい部屋に響き渡る。
 クマせんぱいが星座図鑑のページをめくる音が、クマ弟のぐおォォォォ、ぐおォォォォという唸り声みたいな寝息に重なり、掻き消える。
 紙飛行機になんて、微塵も興味がなかった。わたしが惹かれたのはクマせんぱい、そのヒト(クマ?)だ。小説家になれなかったら、クマせんぱいのお嫁さんになるのもいいかもしれない。
 クマせんぱいとふたり静かな森に暮らして、朝起きたらキスをして、昼間は家庭菜園をして、夜には天体観測をして、それからセックスをして、ゆくゆくはクマせんぱいと共に森の養分になること。
 こんなハッピーエンドなら、悪くないよね。

ハッピーエンド

ハッピーエンド

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-19

CC BY-NC-ND
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