オーロラ姫
ここはどこだろう?
目は開かないし、体は動かない、なのに、周りの情景は手に取るようにわかる。
美しき城の一室。大きなベットだけが置かれた部屋で、じっと瞳を閉じ、寝息すら立てず眠るわたし。
何十年とこのまま瞳を閉じて自分でもわからない何かをずっと待ちわびているような期待と不安が入り混じった思いが過る。
外には、茨の森が広がり、せっかくの美しき城の姿を包み隠している。
わたしは、何年こうしているのだろう。
ふと、城に一筋の明かりが差し込む。城を覆い尽くす茨の森に一本の道が開ける。
遠くから馬の蹄の音が軽やかで優しい音色を奏でる。その音は城へと近づく・・・。
無駄のない機械的な見た目をした最新のスマートフォンからは想像できない柔らかなオルゴールの音が流れた。
わたしに毎日の始まりを優しく教えてくれる聞きなれたメロディー。
眠れる森の美女の挿入歌「いつか夢で」
機械的なアラームの音が好きになれず、学生時代から携帯の機種は変わっても、朝のこのメロディーだけは変えていない。
微睡んだままの意識の中、アラームを止める。徐々に視界と意識がはっきりしてくる。
いつものメロディーで目覚めたその場所は、わたしの記憶の中にはない見ず知らずの天井だった。
一瞬、ファンシーな内装の部屋におとぎの国でも迷い込んだのか、あるいは、まだ夢の最中なのかと思ったが、そこはわたしが愛し合う男女にとっては夢の国だともいえないラブホテルの一室であると徐々にさえ始めた私の頭が教えてくれた。
それに気づくと急いで服装の乱れを確認する。どうやら、異常ない。昨日のままだ。
ふと、背後に気配を感じ、ちらりと目をやると、枕元に黒い髪の毛の束が見え、すぐに視線を戻し、バックを抱え部屋を出た。
部屋を出てわかったのは、私が一夜を過ごしたホテルは昨日、わたしたちが行った居酒屋の向かいであったこと。
駅までの道はすぐにわかった。
ある日、運命の人と出会ってなんて妄想をしていたわけではないが、初めてがこんな行きずりの状況で記憶もない状態でなんて考えたくもなかった。
可能性として考えられるのは、昨日のメンバーか・・・。
いつもとは、違う電車に乗り、会社へと向かった。
幸い、いつも乗る車両、時間と違い込み合っていないため、先ほどの状況、そして、昨日の記憶を思い返す時間ができた。
何気なく、首元を触ったとき、あまり飾り気のないわたしが唯一、学生時代から気に入って付けていたバラの花と茨のツタがハート形にデザインされ真ん中にわたしの誕生石が埋め込まれた華奢なネックレスがないことに気づいた。
自分は大事な何かを失ってしまったのではないかと泣きそうになった。
わたしは、短大を卒業し、今の会社に勤めて気づいたら今年で24歳になっていた。
事務職がメインなので、コミニュケーション能力に乏しいわたしでもなんとかやれている。
わたしの部署は、わたしを含めて女性が2人、男性が3人の比較的少人数の部署である。
女性社員Hさんは、わたしよりも3歳年上で、見た目の華やかさと明るい性格で社内で人気のある女性だ。
男性陣は、仕事ができ、顔も比較的整ってはいるがトレンディーな雰囲気が漂い、カツラ疑惑のある42歳既婚者で小学生の子供が二人いる課長。
メタボ気味な体型と典型的な体育会系な性格で空気の読めないところがあり、Hに片思いをしていた32歳のMさん。
私と同い年で、事務的な会話以外ほとんどしゃべらない無口なY君の三人だ。
昨日は、Hが他部署の社員と結婚し、今月末で寿退社することが決まったため、Hの送別会として仕事帰りに部署のメンバーで飲みに行くことになった。
普段、お酒を飲まず、会社の飲み会にもほとんど顔を出さないわたしだったが、Hさんにしつこく誘われ仕方なく参加した。
普段、私と同じくほとんど飲み会に参加しないY君も参加し、珍しく部署のメンバー全員が揃う飲み会となった。
場所は、Hさんが良く行くというスペイン風の料理が楽しめる居酒屋で、おしゃれな美容室やネイルサロンなどが入ったビルにある
お店だった。
Hさんが「ここカクテルやワインの種類豊富でいいんだよね~。」と言っていた。
私はワインなんて飲んだことないし、カクテルはレゲエパンチくらいしか知らない。
Hさんは、同じビルの5階にある美容室に通っているらしい。
ビルに入る際、ちょうどビルから出てきた私服姿のスラッした男性に親しげに声を掛けていた。
わたしも目が合ってしまい、軽い会釈をした。
爽やかな笑顔で返され、すぐに目をそらし、Hさんの後ろに隠れにような形となった。
エレベーターに乗りながら「さっきの人、私がいつも行っている美容室のスタッフさんなんだ。」と自慢げに話していた。
確かに、知り合いだと言ったら自慢できそうな見た目のいいモデルのような男性だった。
先ほどの爽やかな笑顔が浮かんだ。
ウッド調の内装がおしゃれな店内に入ると男性陣が揃っていた。
和やかに会が始まった。
いつもより早時間に会社に着いてしまった。
自分のデスクへと向かう。
昨日と同じ服で、なにか疑われないかと思ったが、普段から地味で同じような恰好しかしない自分を思い返し、安心したような情けないような気持ちになった。
いつも私より早く来て、名前もよくわからない観葉植物に水をやりながらコーヒーを飲む課長の姿がなかった。
代わりに、いつも遅刻ギリギリのMさんの姿があり、驚いた。
実は、まだ夢の中なのでは、一瞬そんな考えが過った。
「おはようございます。Mさん、今日は早いんですね。」
「おはよう。昨日の事があって、俺、変わろうと思って・・・。これもさ。君のおかげなんだ。」
メタボまっしぐらのMさんの二枚目なセリフに驚きつつ、「昨日の事」「君のおかげ」の二つの単語の衝撃のほうが大きかった。
もしかして、昨日の相手ってMさんなの!私が何も言わず、逃げてきちゃったから二人だけになるために今日はいつもよりも早く
出社したんじゃ・・・。
キラキラした笑顔を向けるMさんにひきつった笑顔を見せながら、ショックを隠すのに精いっぱいだった。
自分の席に着きながら
わたしの初めてがこの人か・・・。あれ、でもわたしのほうが早く出たのにMさんが先に会社に着いてるはおかしい!
あの、あと私を追いかけてすぐに出て走って会社に来たとしたら、いつものMさんなら汗だくのはず・・・。
一人容疑者候補が減った安心とMさんの言う「昨日の事」とは何のことなのかという新たな疑問で胃が痛むのを感じた。
その後、何食わぬ顔でY君が出社した。
なんだか、じっと・・・Y君に見られた気がした。
それにしてもおかしい。いつも一番に会社に来る課長がこんなに遅いなんて・・・。
まさか・・・今朝、横に寝ていたのは課長?
Hさんに昨日の事を聞ければ、いいんだけど今日は結婚式のドレスを見に行くらしく有給取ってるし・・・。
「おはよう。みんな、ギリギリになってしまって申し訳ない。」
就業時間ギリギリに課長は現れた。
いつもと、まったく違ういで立ちで・・・。
昨日まで不自然なほど、こんもり乗っていた髪の毛がなく、ブラインドから差し込む光が反射するほど輝いた剥きたてのゆで卵のような頭の課長が爽やかに片手を上げていた。
そして、驚くことに私以外の二人が全くその変わりように驚いていない様子であることが薄気味悪かった。
やっぱり、まだ夢の中なのだろうか?
わたしは自分の知ってる世界にいるつもりが、実はよく似た別の世界に迷い込んでしまい一人だけ違和感に苛まれ取り残された気分になった。
こんなにも居心地の悪い職場環境は初めてだ。
なぜ誰も課長の頭に触れないのか?
Mさんはいつもよりもテキパキと仕事をこなして、寿福感に満ちた爽やかな笑顔をしていた。
なんだか、気味が悪い。
いつもと変わらないのは、Y君だけだった。
それでも、いつもよりもY君と目が合う気がする。
ようやく、昼休みになった。
いつもは、お弁当を作って自分のディスクで食べるのだけれども、今日はそうはそうもいかない。
バックの奥に洗っていない昨日のお弁当箱がいる。
会社を出て、近くのコンビニでサンドイッチとペットボトルの紅茶を買い、近くの公園のベンチに腰掛けた。
春らしいぽかぽかとした陽気と気持ちのいい風を感じた。
たまには、外で食べるのもいいかもしれない。
今日初めて心が安らいだ気がした。
紅茶を飲んだ瞬間、昨日の記憶が少し蘇った。
「普段あんまりお酒飲まないんだっけ?よく紅茶飲んでるしこれなんてどうかな?」
乾杯用のビールをようやく飲み干し、メニューとにらめっこしていたわたしにHさんがアイスティーと名の付いたカクテルを勧めてきた。
試しに頼んでみたところ、さっぱりして美味しい、会話にほとんど参加せず、たまに相槌を打つだけのわたしは手持無沙汰でペースが進んだ。
そのうち、本当にアイスティーを飲んでるみたいに感じていた。
そんな記憶を思い出しながら、サンドイッチに手を付けていたら、目の前に見覚えのある人物が立っていた。
なぜ、彼がここにいるのだろう?
昼食を食べ終え、午後の仕事に戻ったが、いつもより仕事が手に着かない。
原因は、先ほどサンドイッチを頬張っていたわたしの前にY君が現れたからだ。
いつもと変わらない感情のない機械のような雰囲気で「今日、仕事終わりに時間ありますか?少し、付き合ってもらえますか?」と断る権利はありませんというような雰囲気で尋ねられた。
私は、蛇に睨まれた蛙のようにただ「はい」と頷くことしかできなかった。
そのとき、ちゃんと「はい」と声に出せてたかはわからない。
定時になった。いつもは、仕事から解放され、軽い気持ちになるが、今日は違った。
Y君に何を言われるのか不安でいつもは嫌な残業でも今日なら何時までもこなしたい気持ちになった。
しかし、わたしの気持ちとは裏腹に剥き卵課長は、わたしとY君に「今日はもう上がって大丈夫」だとお寺の住職のような優しい笑顔を向けた。
仕方なく、Y君と会社を出て、言われるがまま近くのコーヒーショップに入った。
わたしは、紅茶。彼は、コーヒーを注文した。
注文したコーヒーを一口飲んでから
「わざわざ仕事か帰りに呼び出してしまってすみません。昨日、すごい酔っぱらっていたから、もしかして昨日の事覚えてないんじゃないかと思って・・・。」と切り出した。
「はい。良かったら・・・昨日の出来事教えて貰えますか?」俯きながら私は答えた。
Y君の話によると、飲みはじめて、1時間経ったあたりはみんなHさんの結婚式の話や旦那さんの話で盛り上がっていた。
しかし、結婚し退社するHさんへの思いを捨てきれないMさんがお酒の力を借りて、最後の悪あがきともいえる告白を始めた。
もちろん、Hさんにとってはただ迷惑なだけで「気持ちは嬉しいけど・・・。ごめんね。」と即答。
それでも、自分はどれだけ君の事が好きで、僕のほうが君を幸せにできるみたいなことを課長が止めるにもかかわらずくどくどと喋りつつけて、しまいには逆切れのようにHさんを非難するようなことまで言い始めて抑えがきかない状態になった。
この段階で、店中の注目は全てわたしたちの席に注がれていた。
それまで、一人淡々とカクテルを飲んでいたわたしが、突然立ち上がりMさんの頬をビンタし、「自分の好きになった人が幸せになるのになんで祝福できないの!そんなこともできない人間が誰かを幸せにできるわけないでしょう!」と一喝。
Mさんは泣きながらHさんに謝って「幸せになってください!」と言う。
Hさんも「わたし、幸せになる。だから、Mさんもいい人見つけてね!」って返してほかのお客さんやスタッフからは拍手が送られ、場はいい空気に包まれた。
しかし、話はここで終わらず、課長が「自分の気持ちに素直なことはいいことだがその気持ちで迷惑をかけてはいけないな!」と無理にまとめようとし始めた。
それが気に食わなかったのか酔っぱらったわたしは課長に向かって「そうですね!」と笑顔を向けながら頭に乗っかっていた黒い塊を勢いよくもぎ取ってしまう。
課長は、怒るわけでもなく「今までみんなを騙していて申し訳なかった。」とバーコード頭を下げた。
今日の主役で店の常連であるHさんは、いたたまれない気持ちになり「今日は、もう解散しましょうか。」と言い出し一人先に帰宅。
Mさんが「課長!俺たち明日から生まれ変わった気持ちでやり直しましょう!」と言ってバーコード頭をなでながらY君も無理やり連れて夜の街に繰り出す。
わたしはというと、課長の一部だったものを手元で得意げに回しながら「一人で帰れます!」といいつつ、店の階段で躓き倒れそうになったところをたまたま荷物を運んでいたビルのテナントの方に助けられていたところまでは見たとY君は言っていた。
自分のしでかした失態とY君がこんなに喋っているのをはじめて見たという驚きでわたしはしばらく言葉が出なかった。
N君は話し終えると「お時間取れせてしまって申し訳ありませんでした。あの二人は感謝してるみたいですから昨日の話題には触れないほうがいいのではないですか。では。」とそそくさと退席した。
明日、会社の二人にどんな顔で会えばいいのだろう・・・。
とりあえず、昨日のお店に迷惑かけてしまったし、ホテルかお店にネックレス落ちてるかもしれないから行ってみようと思った。
いつも帰るのとは、逆方向の電車に乗り、昨日のおしゃれな居酒屋に向かった。
まだ時間が早いこともあり、店内はそこまで込み合っていなかった。
誰かスタッフに話を聞こうと思ったら「あれ!昨日のお客さん!」と呼ぶ声が振り返ると店長と思わしきスタッフがいた。
「昨日は、ご迷惑お掛けしました。」全く記憶にないが、反射的に頭を下げた。
「いえ、いえ。ちょっと待っててください!」
店の奥に走っていった店長と思わしきスタッフは、「はいこれ!」と小さな紙袋を渡してきた。
一瞬、中身がなにかわからず、袋の隙間から見えた黒い塊にぞわっとした。
「お客さんが昨日振り回していたかつら、階段のところに落ちていたので。カツラって結構高いって聞きますし、もしまたいらっしゃったら渡そうと思って寄せていたんですよ。」
ひきつった笑顔でお礼をいい、ついでのように「ネックレスは落ちていませんでしたか?」と聞いた。
結果として、収穫がカツラだけであったことと自分が昨日起こしたことが事実であると確信できただけだった。
昨日階段で躓いたと聞いたことを思い出して、もしかして、階段に落ちてないかと階段に向かった。
そのとき、後ろから声を掛けられた。
「そんなに急いで降りようとするとまた、転んじゃいますよ。」
振り返ると黒髪のスラッした男性が見覚えのある笑顔で微笑んでいた。
一瞬で、ビルの階段がお城の階段に、地味な仕事着が素敵なドレスに変わったような錯覚がした。
また夢の中に戻ってしまったのかと思ったほどだ。
「えっと・・・昨日の、美容師の方ですよね・・・。」
「そうです。Hさんと一緒にいた方ですよね。」
「はい。もしかして、昨日の帰り階段で躓きそうになったのを助けてくれたのって・・・。」もしかして・・・。
「大丈夫でした?落としたこれもお預かりしていました。」見慣れたハートをかたどったネックレスが彼の手に握られていた。
「でも、あのとき僕が踏んじゃったみたいで真ん中の石が取れてしまって・・・。すみません・・・。」中の誕生石が取れてしまっていた。
「いえ。わざわざ拾ってもらってありがどうございます。」じゃあ・・・。この人が今朝隣で寝てた・・・人?
「大切にしてたものですか?何かお詫びさせてください。」
「拾っていただいただけで十分・・・・。」
(自分に素直になることも大切)
わたしの心の声なのか。それとも、この袋の黒い塊の声なのか。そんな声が聞こえた気がした。
「あの・・・。やっぱり、責任取ってください!」ずっと眠っていた一つの感情が永い眠りから覚めたのかもしれない。
「僕にできる事であれば。何がお望みですか?あっ!そういえば、あれはどうしました?」
「先輩・・・。なんでうちの休憩室こんな置いてるんですか?電気つけた瞬間いつもビビるんですよ~!」
「あっ!それか!なんか客室の忘れ物。ベッドに頭だけ出して置いてたから清掃に入ったとき焦ったよ。なんか捨てるのも呪われそうだし。とりあえず置いてる。」
「これ!美容室にあるやつですよね。なんでこんなの忘れていくかな?」
「俺に聞くなよ!ほら!この部屋出たみたいだ!行くぞ!」
「もしかして、なんかの呪いで人形に変えられたんですかね?」
「んなわけあるか!おとぎ話かよ!王子様がキスしたら人間に戻るのか?」
「首までしかないんで、戻ったらそれこそホラーですけど!」
オーロラ姫