箱ホテル(河守)

文藝部楓

時刻は夜十一時半。書類でヒキガエルの腹のように膨れたカバンを引きずりながら、私は今晩泊まることのできるホテルを探し求めて夜の街をさまよっているところだった。


 何時間も堅い椅子の電車に揺られて持病の腰痛が悪化し、昨日家を出る前に急いで食べた古い弁当があたって腹を壊してトイレに籠り、着いた片田舎の出張先では取引相手の社員にろくに相手にもしてもらえず、ほうほうの体で予約していたホテルへ帰ろうとしたところ上司の手違いで同名の他県のホテルに予約が入っていた。
 なにしろ田舎なのでとっくに終電の時刻は過ぎており、当然ながら周りには漫画喫茶の類のものもない。
 そういうわけで、私は五月の上旬にしては蒸し暑い夜の中、くたびれたスーツを片手に抱えて一晩を明かすための宿を探しているのだった。


足の感覚が薄れはじめ、こんな田舎で野宿をしたらクマなどに襲われるだろうか、という思考さえ浮かんできたころだった。
 草木の濃い緑と、夜闇の濃紺のダル・トーンの景色の中に一色、青白い光がぼんやりと見えた気がした。
 霞んだ目をこすりながらその光が見えた場所に近づいていくと、段々光の輪郭がはっきりとしてきた。
 

それは例えて言うならば、ナタデココのような形をしていた。
 立方体に近い建物で、高さはせいぜい三階建てぐらいだろうか。
 無機質な外壁は、コンクリートのように無骨な印象というよりも、むしろ神秘的な感覚さえ感じさせるほど白く、なめらかに艶めいていて、見るものを誘蛾灯のようにおびき寄せた。
 だから気がつくと私も、その建物の正面に付いている楕円形のドアを開いていた。

中は映画館のように薄暗く、しかしやはりぼんやりと青白く光っていた。
小さな部屋の左手にはフロントらしき場所があり、そこには初老の男性が微笑みをうかべて立っていた。
「ようこそいらっしゃいませ。一名様でございますね」


 青白く光るステップを一段一段と上っていく。
 建物の中には自分とこのホテルコンシェルジュらしき男性以外には人の気配が感じられず、階段を上る私たち二人の足音を除いて、しんと静まり返っている。
 いや、そうではない。
よく耳をすませると別の音が聞こえてくるのが分かる。


ブウウーーーーーーン…………


 どこからだろうか。虫の羽音を低くしたような音が、いつのまにか聞こえていた。

「こちらのお部屋でございます。」

 階段を上ったところには入り口と同じ楕円のドアがあり、コンシェルジュは音を立てないでその扉をゆっくりと開いた。

 部屋の一面の壁は乳白色の大きな丸扉で埋め尽くされていた。
 そこはまるで白いハチの巣の中にいるかのようであった。
部屋の中には電気が灯されておらず真暗闇であったが、丸扉の隙間から光が漏れ出していて、やはり仄かに青白く光っていた。

「どうぞこちらに」

 コンシェルジュが丸扉の一つを示す。部屋の暗さと相まって、それは宇宙船のハッチのように見えた。
 まわりをよく見るといくつかの丸扉は微妙に隙間が開いている。中には自分と同じように人が入っているのだろうか。

 扉を恐る恐る開くと、中はちょうど人が一人横になることができるほどの広さの小部屋だった。
 長方形の小部屋の底面には白いシーツが敷かれ、低い天井に取り付けられた平べったいランプの放つ青白い光が小部屋を満たしていた。
 
なるほど、ここはカプセルホテルなのだな。

そう納得した私は靴を脱いでコンシェルジュに手渡し、ゆっくりと身をかがめてそのカプセルの中に入った。
シーツは柔らかく、壁はしっとりと手に吸い付く感触でほんのりと温かい。
 横になると狭い部屋は思ったよりも息苦しさがなく、むしろその狭さは母親の胎内にいるかのような心地よさと安心感を与えてくれた。
 疲れたからか、ものすごく眠い。
 コンシェルジュがゆっくりと扉を閉める音と、あの虫の羽音のような音を、薄らぐ意識の中で聞いた気がする。


………………………………


 人間の詰まったたくさんのカプセルで埋め尽くされた空間は、翌日の朝になってもやはり、青白く光っていた。
 
初老の男は青白く光るカプセルの一つの扉をゆっくりと開いた。
中にはいくらかの薄白い灰といくつかの白い小石ほどの塊、あとは物が焼けた後のムッとした独特の匂い、それだけであった。
灰と塊を片付け、換気扇ダクトのスイッチを入れる。
あと数時間すれば新しい白いシーツが敷かれ、元通りになるだろう。

建物の中でずっと暮らしている男はこの建物を「箱」と呼んでいた。
また、ここにある無数のカプセルのことも「箱」と呼んでいた。


箱とは物を入れるためにある。
物はやがて箱の外に出て、また新しい物が入れられる。
物もまた、箱に入れられるためにある。
物はやがて箱の外に出て、また新しい物が入れられる。


彼はその果てしない循環の手助けをしているにすぎなかった。

その仕事こそが彼の生きがいであり、誇りでもあった。

男はついさっき埋まったばかりの別の箱の前に向かい、ハッチのような丸扉をそっと閉めて下にある小さなボタンを押した。

ブウウーーーーーーーーン…………。

「箱」の扉の隙間からは熱い空気が漏れ、溢れ出す青白い光は微かに赤味を帯びる。


初老の男は壁に並ぶ箱を眺めて、満足した様子でまた一階のフロントへと足を向けた。

箱ホテル(河守)

箱ホテル(河守)

2016-05-09 「箱」

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-16

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