シルの勝利
夜の星空にどこまでも続く線状の黒い雲を見つめながら、シルはまばたきをする。閉ざされた目の世界は、幻想の大陸アトランティスそのものだ。シルの目にまた涙があふれて、天の川となる。「寂しい……」森の中央付近に巨大な塔が立っている。そこはシルの育ての親のカエルがいる。シルに帰りたい気持ちはない。よく家族を求めてさまよう物語があるが、この文章は、そういうセンチメンタリズムにはくみしない。シルは孤独を感じながらも、カエルのところには戻らない。あの権力の源泉へと帰るカエルではないのだ。高い山がある。「ありがとう」シルの言葉から自然と出た。その意味は感謝ではない。むしろ親にたいする憎しみだった。皮肉でないが、逆説的にシルは悪意を知る。彼方に青い空がいつの間にか姿を表す。塔から出て行った日に見た光を求めて、シルの手は縦横無尽に動いていく。赤の旗ゆらめく畑にさしかかったころ、シルの胸に異変が起きた。急に盛り上がってきたのだ。シルはAという”何か”からBという”何か”に変わった。爆発する痛みに耐えていると、次第に多くの生き物たちが集まってきた。涙を流すシルを遠まきに眺めていたアリスという蟻が、ついにシルの胸に飛びついた。そこから化学変化が起こり、アリスシルと名づけられた”精神体”が出来上がった。アリスシルは8本の手足を持って、駆ける。大地は、喜びであふれていた。シル、シル。誰かが呼んでいる。もう、あのシルと呼ぶ声は過去の廃棄物なのだ。崩れ落ちていく塔を見ながら、アリスシルは魔弾を刺す。彼(彼女)は、愚物となり果てて、丘を思いっきり登りきる。息継ぎなどない。無呼吸だ。踊り明かそう。その他の生き物たちが、アリスシルを誘う。断じて、否。アリスシルの顔に怒りが浮かぶ。それを見て、生き物Cがアリスシルに触れようとした。そして、キスをねだる。「私は怒っている」アリスシルはとうとう告げる。Cは驚いたようにアリスシルの顔を見ると、信じられないというように足を振る。「なんだ!!」アリスシルは、Cの心理が読めずにさらにキレた。その間に入ったのが、ヌエだ。この屍者はアリスシルに彼(彼女)の外の了解外の法則を教えようとした。アリスシルの一族はすでに死に絶えているので、屍者のみに可能なのだ。とうとうアリスシルは、胸を開いて、突起物を露わにする。黄色の毛を見たヌエとCは、アリスシルをついに追放しようと目で確認しあう。このユグドラニアンの大物(つまり権力機構の長)に会うためにアリスシルは出かける。理由は「何も他にすることがないから」。百歩歩くと、足に巨大なハリセンボンがまとわりついてくる。アリスシルはついに我慢できずに、元のシルに戻る。「やあシル」アリスは今日も元気だ。そのアリスを愛しげに撫でるシルの目に、あのカエルの幻影が突き刺さる。復活したのか?あいつは、あいつは。奇妙なタンゴが流れて、ヌエが急に空の舞を抑えだす。お前に止める権利があるのか。かつて、ヌエはタンゴをバラバラにした人間だった。ピアソルという人間だ。ミミズたちの踊りは続き、ヌエはついに降参する。地平線から、黒い顔が昇ってくる。あの顔は……。ベルド・クーリン。シルとアリスは心底うっとりと顔を見ている。百メートルはある顔(頭)に首はない。ただ、円盤状の顔が様々な表情をつくって楽しませる。「このやろう!!」シルは次の瞬間、ベルドに百本の矢を投げつける。それを感じたアリスは、一生懸命にシルの手を噛む。ただ、あまりにも大きすぎるベルドは涼しい顔で、血を流してる。緑色の液体が、塔に滴り、壊れたカエルの王国を復活させるのだ。「はからずも、お前が恐れていた事件だ」アリスの目から余裕が消える。破裂する心臓をうまくまとめながら、シル立つ。同時に塔も建つ。華厳の滝が、あふれでて涙ながらに、カエルたちに命乞いをする。「貴様はどれだけ生きているんだ!!」「むべなるかな。むべなるかな」カエルたちがどんどんと他の森を侵略していく。それをなすすべもなく知るシル。君たちのシルは終わった。結局、親の力が勝った。そして、シルは家族という悪夢にうなされたまま食す。何を?人だ!!そこにあるのは人だ。食人をする蟻たちは、それを”ヒト”なんてわかっていない。アリスはあいつらを止めようとはしなかった。アリスは、何もしなかった。シルは一つだったアリスに話しかける。涙を流して。「アリス。止めてくれ。あの鬼蟻たちを止めてくれ。死ぬぞ。ヒトは死ぬぞ」アリスは胴体をすくめて、もう無理だと言わんばかりに無言を貫いた。その棘は、シルだけでなく、ヒトの守護者をも怒らせることになる。「あいつはどこだ!!あのシルという痴れ者は!!」「ここです。ここです」シルは答えるが、すでにシルの存在は40%台におちこんでいる。やめるんだ。このままでは、物語が終わる。けれど、守護者はどうにもやりきれない思いから、シルを消し去ろうとする。シルの存在が3%になった時、ついにアリスが叫んだ。「シル!!君は帰る気はあるかい?」答えられないシルは、薄い体で爪を縦に伸ばした。ハサミのような手をしたアリスという蟻は、闇の彼方に恋人を知った。「そうか!!そうだったのか!!」シルの声はもう聞こえない。すなわち世界の消失だ。シルがいなくなると、この話は閉じられてしまう。アリスは1%になったシルを戻そうと必死だ。(君には無理だ)誰かの声が聞こえた。ヌエたちが吠えて、シルの体は岩となる。その骸が、アリスを喜ばせる。アリスの液体が岩にかかって、Cがまた叫びだす。「守護者はもういない!!守護者はもういない!!」消えていないシルを慈しむ。ハンマーでぶち壊す。あの巨大な機構を壊すのだ。シルをバラバラにするのだ。そして、アリスを一つの親友となすのだ。気づくと、かなりの時間が過ぎていて、カエルたちは、もう滅びていた。ただ、シルの親カエルだけは、シルがいるために継続している。よくやったな。これで、最後のピースをはめるまでに到達する。最悪だ。ベルドの体が天体を浮遊する今において、かなり屍者が、活気づいている。けれども、生者は、どこまで強くたくましくある。境界はやがてシルによって消滅するだろう。お前たちは、生死をわかつものが、精子といつまでも思っているがいい。シルはもう喋らない。ただ、”ある”だけだ。ふいに爆発音がする。アリスの体が破裂をはじめた。芸術存在への生まれ変わりだ。おお!!時の巫女よ!!悲しみを暖炉で癒やす必要はない。ただ、あなたが行けばいいのに。外からの圧迫がきつい。内部からの膨張とバランスがとれないのだ。アリスシルの誕生だ。今度は、真の誕生。黄泉ではなく読みの再来。雨を敬うといい。そしたら晴れはいつか来るのだ。
シルの勝利