休みの日に仕事なんかするもんじゃない
土曜日の朝。横田の携帯に着信があった。上司の井本からだ。
「はい、横田です。おはようございます」
《ああ、おはよ。休みの日に悪いんだけど、今日出勤してくれないか。おれの当番の日なんだけど、ちょっと体調が悪くてさ》
横田は、返事をためらった。昨夜から妻が風邪で寝込んでおり、今日は傍にいてやろうと思っていたのだ。
《あれ、なんか予定入ってるの?》
「あ、いえ、予定はないんですけど」
《そう、良かった。じゃ、頼んだよ》
切れた。横田は思わず「あ!」と叫んだが、今さら掛け直すことはできなかった。
(行くしかないか)
横田の声に気づいたらしい妻が、ガウンを羽織ってリビングに来た。
「あなた、何かあったの?」
「うーん、井本課長から、今日代わりに出勤してくれって」
「そう。じゃあ、行かなきゃね」
「ごめんな」
「ううん、あたしは大丈夫よ」
「さっき、おかゆは作ったから、食べるといい」
「ありがとう。もう少ししたら食べてみるわ」
「無理するなよ。何かあったら、おふくろを呼んでいいからさ」
妻は苦笑して首を振った。一応二世帯住宅なのだが、それはイヤらしい。
「大丈夫よ。いってらっしゃい」
「なるべく早く帰るよ」
会社に向かって車を走らせながら、横田は井本に腹を立てていた。
(どうせ朝まで飲んでたか、あるいは徹夜マージャンをやってたか、またはその両方だろう。月に一度の土曜当番の日だってわかってるくせに)
横田の会社は日祭日が休業日で、土曜日は一部の部署だけが交代で出勤し、電話番をしている。業者からの急な連絡に備えてだが、ほとんどかかってくることはない。終業時間の五時まで、ボーっと過ごすだけだ。
(それすらできないほど体調の悪い人間が、あんなに元気な声で電話してくるもんか。眠たいだけだろう。だったら、電話の前で寝ればいいじゃないか)
会社に着くと、総務の樋口に会った。
「あれ、横田じゃないか。今日当番だっけ?」
「いや、例によって、井本課長のドタキャンさ。それより、そっちこそ休みじゃないのか」
「ああ。総務課は土曜日休みなんだけど、株主総会の準備が間に合わなくてさ」
「それって、サービス出勤じゃないか」
「まあね。でも、ナイショにしてくれよ。ホントは無届けの休日出勤は禁止だからさ」
「了解。今日は透明人間だな」
「って言うより、ゾンビだな」
「おまえはすでに死んでいる」
「そういうこと。じゃあな」
樋口以外にも、何人もゾンビ社員が来ていた。仕事が溜まっていて、やむを得ず出勤している人間ばかりではない。何のために休日出勤しているのか、わけのわからない人間も数名いる。おそらく、家庭に居場所がないのであろう。
(こりゃ、ゾンビ会社だな。まあ、おれもそうか)
ガランとした事務所に入り、横田は自分のデスクの電話を、直通外線がつながるよう切り替えた。
「さて、と」
そうつぶやいたものの、することがない。今日は休みのつもりだったから、昨日は残業して今週分の仕事を終わらせてしまっていた。
(こんな不合理なことはないな。やることのない人間が、給料をもらって一日中デスクに座るだけとは。樋口に申し訳ない。交代できるものなら、交代してやりたいよ)
結局、ネットで芸能ゴシップなどを検索して時間をつぶした。
終業間際、電話が鳴った。内線の方だ。
「はい、事業課横田」
《あ、すまん、樋口だ。ちょっと聞きたいんだけど》
「どうした。総会のことならわからんぞ」
《いや、もしかして、外線切ってないか?》
「え、そんなこと」
あり得ない、と言おうとして、外線のランプが消えていることに気が付いた。昨日、切り替えるのを忘れて帰ったらしく、今朝切ってしまったのだ。
「しまった、切れてる。どうしてわかった?」
《業者から、何度電話してもつながらないから、月曜日にかけ直すと代表番号の方にかかってきた》
「そうなのか」
月曜日に烈火の如く怒るであろう、井本の顔が浮かんだ。おまえを信用して任せたのにどういうことだ、というセリフすら予想できた。
《しょうがないよ。元はと言えば、井本さんのせいだろう。情状酌量してくれるさ》
「だと、いいけど」
そんな理屈のとおる相手ではない。
(ああ、無駄な出勤をさせられた上に、大目玉か)
横田はガックリ肩を落として退社した。
家に着き、ドアを開けた瞬間、懐かしいニオイがした。
「ああ、お帰り、信弘。水くさいじゃないか、すぐそばに住んでるのに。ささ、今日はおまえの好きな肉じゃがを作ってやったよ。たんとお食べ」
そう言って出迎えた母親の後ろに、ひきつった笑顔の妻が立っていた。
(おわり)
休みの日に仕事なんかするもんじゃない