Re:ABILITY

 私は、ナルといいます。
 家庭用のごく一般的なアンドロイド、型は成人モデルです。
 所有者は山吹初音、初音ちゃんとずっと、家族同然に暮らしています。
 私を、親友だと言ってくれています。
 これからお話しすることは、皆さんは「不思議」という言葉で処理されるのでしょうが、私にとっては、理解の及ばないデフラグとして記憶されています。
 そして、同時に、とても大事な宝物でもあるのです。
 
*   *

 初音ちゃんはバドミントンが得意でした。
 幼少の頃、家にあった規制品で遊んだのがきっかけです。
 小学校4年になって、初めて私に勝ったときは、飛び跳ねて喜んでいました。
「ナルについに勝ったーっ!!」
「うう」
「へっへーん」
「初音様、私は基礎保育と介護プログラムがメインなのです。スポーツは少し苦手です」
 私が山吹家に来たのは、初音ちゃんが生まれて間もない頃でした。
「勝ったから、私の言うこと聞くーっ」
「そんな約束はしておりません」
「今日から、“様”付け禁止!」
 初音様は、ルールをどんどん作ってしまいます。
「え…?」
「初音か、初音ちゃんがいい」
「それは、倫理に反しませんか?」
 私たちの中では、それは一つの問題でした。
「りんり?なにそれ。家族で親友なんだから、様とかいらないよ!敬語も禁止!」
「……それにはまず、保護者であるお母様に相談を…」
「ナルうう~~っ」
 初音様は、私にすがりつきました。
 私は昔から、彼女のこの懇願に弱いのです。教育モードがスパルタでなかったのも、理由の一つかもしれません。
「わかりました。…初音………ちゃん」
「やったー!」
 私は、この時まだ、「親友」という言葉を辞書的な意味でしか理解していませんでした。
 その後、得意になった初音ちゃんは中学・高校でもバドミントンを続け、持ち前の前向きさと、努力肌で、とても良い成績をトロフィーや賞状とともに収めて行きました。

*   *

 高校二年の頃、総体出場をかけた、3ヶ月ほど前のことです。
 少し前から、肩の違和感があったそうです。それが、猛烈な痛みに変わったのです。
 お医者様は、バドミントンを辞めるよう進言し、監督もそれに応じました。無理をすると、この先ずっと腕が上がらないようになる、とまで言われたのです。
 病院からの帰り道、初音ちゃんは付き添いの私を振り返ると、
「辞めた!イケメン男子と恋にでも生きようかね!」
 と、笑顔を作って見せました。
 もともとサバサバした初音ちゃんです。切り替えのできる初音ちゃんです。その日のうちに退部届を出して、道具もすべて後輩に譲りました。
 私は、どんな言葉をかけるべきか思いあぐねていましたが、その日は言葉を交わすこと無く、自室へ篭ってしまいました。
 ご両親も、そっとしておくべきだと言っていました。
 きっと、とても、とても、悔しかったはずです。

*    *

「ナル!ナル!!」
 早朝のことです。
スリープ状態から起動した私の目の前に、初音ちゃんがいました。
コートを羽織って、膨らんでいました。
「どうかしたの…うわっ」
「外!ちょっと外!」
 彼女は強引に私の手を引いて、近所の河川敷まで走りだしたのです。
 休日でしたが、空も白む朝の4時半でした。
「見て」
 初音ちゃんは、一気にコートを脱ぎ捨てました。
すると、彼女の背中には大きな翼が生えていたのです。
「それは一体…」
「朝起きたら、生えてた」
「ええっ……?」
 私の思考は、それを理解することに大変苦労しました。
 人にとっても、一般的に、いえ、間違いなく、これは異常な事態のはずです。
 しかし、私の混乱にとって救いだったのは、初音ちゃんがケロリと前向きだったことです。
「でさ、服とか着れないからさ、切り目入れちゃった。ブラも…ちょっとなんか、ポジションがおかしいな」
「初音ちゃん、初音ちゃん…」
 屋外で上着をモソモソさせていました。止めなくてはいけません。
「どうするつもりなのですか?」
「へへへ。みてみて。鼻の穴開く感じでさ、背中ピクピク動くでしょ」
 翼は、波打つように動きました。羽ばたくという感じではありませんでした。
初音ちゃんは、どこか不敵な顔をしていました。
「飛んでみる」
「えっ」
「飛びたいじゃん」
「………で、でもまずは病院に…」
「やだ。当分、あんなとこ行きたくない」
 そう背中で言って、初音ちゃんは河川時の土手から駆け下り、ジャンプを始めました。
「………」
 私は、それを黙って見ているしか出来ませんでした。
 それから毎日、初音ちゃんは黙々と斜面を往復していました。
 私との会話は減っていました。

*    *

「それは、アビリティシンドローム。心因性才能病だね」
 医者Aは、そういいました。みたところ30代後半の整形外科医です。
 初音ちゃんが行きたがらないので、私一人で意見を伺いました。
 印象は、あまりよくありませんでした。
「聞いたことありません」と、私は答えました。
「10年に一人くらいだからね。僕も実際見たことはない。てゆか、本人連れて来てくれないと困るよ」
「どういった病気なのでしょうか?」
 私は、Aの言葉を無視して伺いました。
「どういったも何も。才能病は病気じゃないから」
「え?でも今…」
「取ったほうがいいよ」
 と、今度は医者が言いました。
「…取る?」
「簡単な外科手術で取れるんだ。キミもアンドロイドなら分かるよね。翼と体重比を考えたら、飛ぶどころか滑空もできない。だから、無駄なんだよ。早く取った方がいい。彼女のためでもあるよ。アレは持っているだけ、みっともないよ。普通に生活できないでしょ。アレに左右される人生は、幸福じゃない」
 手振りを交え、そう言いました。
 繰り返しになりますが、印象は、あまりよくありませんでした。

*   *

「取るだなんてとんでもない。あれは奇跡だ」
 医者Bはそう言いました。60代の、壮年の男性です。俗にセカンドオピニオンというものです。
「奇跡?」
「ああ。アレは、生まれつき誰でも持っているが、誰にでも生えてくるものじゃない」
「禅問答でしょうか?」
 私には、理解できませんでした。
 Bは「違う」というふうに首を振り、続けました。
「私も昔一度、そんな少年を見たことがある。原因も不明だ。ある日目覚めると、生えていたと言っていた。君のいう、初音さんと同じ年頃だ」
「その方は、その後どうされたのですか?」
「亡くなった。以前からの脳腫瘍がね。詳しくは言えないが、でも、翼との因果関係はないよ」
「………」
 私は、初音ちゃんが心配になり、席を立ちました。「もういいの?」というBに、
「あの翼では、空は飛べないとA医師に伺いました。それが本当なら、意味は無いのではありませんか?」
 と、投げかけました。
 Bは肩の力を抜いて、言いました。
「意味なんかないよ。そういうものなんだから」
「………?」
 戸惑いを隠せない私に、Bは続けました。
「もし僕がそうなったら、きっと彼女と同じ事をする。いや、したいと思うだろう。でも、今はもうこの歳だ、もし生えても同じようにはいかないんだ」
「では、初音ちゃんの努力の価値は?」
 私の問いに、Bは好々爺の笑みを浮かべ、
「人間はね、一生かけて認められたい生き物なのさ。身近な人から順に」
 と、言いました。

 *     *
 
 初音ちゃんのいる土手へ向かう途中、雨が降ってきました。普段は人通りの少ない歩道に人がたむろしていて、救急車の音と、パトカーの光が目に留まりました。このときの感情を不安と呼ぶなら、それだと思います。
 人をかき分けた先に、散らばった羽と、血痕が見え、少女がうつぶせに倒れていました。
「初音ちゃん!?」
 救急隊の担架に固定されていたのは、初音ちゃんと、4歳ほどの女の子でした。
 二人とも、意識はありません。
 道の脇には、ボンネットの辺込んだワゴンが停車させられていました。
「君、この家のアンドロイド?」
 救急隊の一人が、早口に言いました
「はい!初音ちゃんは、初音ちゃんは無事ですか?」
「彼女の血液型、病歴、社会保険番号、ご両親の連絡先、全部言える?」
「はい!でもご両親は関西に行ってて……」
「じゃあ一緒に乗って」
 救命士は私の背中を押して、車両に導きました。
「どうか、初音ちゃんを助けて下さい。どうか、お願いします」
 私は何度も、救命士や、医者や、看護士に言いました。

*      *

 10時間後、初音ちゃんは意識を取り戻しました。
 病室で、初音ちゃんはぼそっと私に言いました。
「翼、切っちゃったんだ」
 私は、頷きました。
「あのままでは、手術が難しいと言われて…。それに、仰向けにできないのは危険だと…。申し訳ありません」
「ナルが謝ることじゃないよ」
 と、初音ちゃんは呟きました。
「……あの子は?」
「はい、初音ちゃんのお陰で、腕の骨折だけで済んだと聞きました」
「………そっか」
 初音ちゃんは、車道に飛び出た少女をとっさに庇い、全身を強打したのでした。
「無事で、よかったです」
「そうだね」
 二人きりで話すのは、随分久しぶりでした。
 彼女はできるだけ、精一杯の笑顔を私に向けて、
「親友だもんね」
 と言って、私の手を握り返してくれました。
 初音ちゃんが寝入ったあと、病室の外である母娘と鉢合わせになりました。
「突然すみません。初音さんは、お休み中でしょうか…」
 と、その母親は思慮深く訪ねてきました。
 腕にギブスを撒いた少女は、あの時、初音ちゃんが助けた少女でした。
「まず一言お礼をと思いまして…。また後日、出直すことにします」
 母親は深々と頭を何度も下げて、部屋から遠ざかろうとしました。
 その時、少女だけは私に向かって、
「おねえさんもハネないの?」
 と言いました。
「すごかったんだよ!おねえちゃん、空からびゅーんって!」
「…………」
 少女は、すぐに母親に「そんなわけないでしょ」と窘められ、「どうもありがとうございました」と、もう一度頭を下げて、去っていきました。
 私の思考が、これほど長く止まったことはありません。
 頬や、鼻から無意味に溢れる水滴が、処理能力の限界かのようにも思えました。
 きっと、意味は存在したのだと思います。
 私はそのまま、親友のいる場所へと戻っていきました。

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更新日
登録日
2016-05-14

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