死にたがりの猫
己が生きる意味を見出せない野良猫の話。
ハッピーエンドかどうかは貴方が決めてください。
死にたがりの猫
死にたいと思いながらも、生きながらえている猫がいた。生きる理由が分からなかったのだ。子孫を残す為にだけ傍に居るような、その時間だけでいいような雄など周りにはちっとも居なかった。どんな雄にも魅力を感じなかったのだ。
しかし、その雌猫はある雄猫に惹かれた。「どこかが他の猫と違う」なんとなくそう思ったのだ。
気付かれないよう、こっそりと数日見ていただけで、分かったことがいくつかあった。
その雄猫は他のどの猫とも群れていないこと。
人間から餌を貰わないこと。
ゴミを漁ったりしないこと。
自分で動物を捕まえて食べていること。
そして、狩った動物を、食べる前にしばらくの間見つめ、食べ終えたら違う場所へ埋めていること。
そろそろ自分も食べ物を口にしないと本当に死んでしまうかな。それでも構わないかな。雌猫はそんなことを思いながら、雄猫を追いかけることを止めようとした。
「ねえ」
背後から聞こえた声は雄猫のものだった。
「なに?」
雌猫は振り向かずに返事をした。雄猫はちょうど、その日の食べ物だった物を埋め終えたところで、前足で顔を撫でながら尾を軽く揺らしている。
「君、ここしばらく僕を見ていただろう?」
「だったらなに?」
雌猫は少し不機嫌をあらわにし、尾をかたくして答えた。
「糧も、食べずに」
「……かて?」
毛繕いを終えたのか、軽やかに雄猫が雌猫に近寄った。
「君達はなんと呼ぶのかな。餌?ごはん?食べ物?君達、は……」
「他の猫と一緒にしないで。此処には私と貴方しか居ないのに」
雌猫は雄猫の言葉を遮って言った。それでも雄猫は態度を変えずにゆるやかに尾を揺らした。そして、柔らかくふっと笑って、なだめるように言った。
「ああ、ごめんよ。つい。でも、そんなことはなんだっていいんだ、ほら、これをお食べよ」
雄猫はそっと一羽の鳩を雌猫の足元へ置いた。
「別に求愛じゃないから安心して。ただ、可哀相だろう?」
「可哀相?私が?それなら、そんな物要らないわ」
雌猫は苛立ちに満ちた目を雄猫に向けた。機嫌をあらわにしている雌猫に雄猫はゆっくりと言った。
「ああ、可哀相なのは君じゃあないよ。君達……いや、君には分からないか。可哀相なのは、この鳩だよ。糧にするために狩ったのに、糧にならずに地に還るなんて」
「糧……ね」
雌猫は怒りを忘れ、先程から聞き慣れない言葉を少し心地好く思った。糧とはなんなのだろう。食べ物のことを糧と呼んでいるのだろうか。もしそうならばその言葉を借りてみよう。そう思った雌猫が答えた。
「なら、これは私の糧にしていいのね?」
「あげるよ」
「お礼は言わないから」
「いいよ」
雄猫は可笑しそうにパタパタと尾を揺すった。雌猫は直ぐさま鳩に口をつけようとして、しばらく考え、食べ始めることを止めた。雄の方に視線を移し、真っすぐに見つめた。
「貴方、いつも食べる前に黙って、糧……を見つめている。何故?」
「それは……思っているんだ」
「思っている?」
「そう。糧が、これまでどう生きてきたか、これから糧が生きていっただろう道、糧が僕の糧になってくれて、ありがとう、ってね」
「……へぇ、分からないわ。でも、この鳩は貴方がくれた。だから、私も今日はそうすることにするわ」
雌猫はじっと鳩を見つめ、鳩がどう生まれ、育って、どうなっていったのだろうかと考えた。考えたけれど、それに何の意味があるのか分からなかった。鳩がどう生きたのかも、それを思ってどうなるのかも、分からなかった。
「君は何故そんな風に僕のしていること真似するの?」
雌猫は雄猫の質問に、答えずまた鳩を見つめながら考えた。この鳩が私のように子孫を残すためと、空腹の辛さを紛らわすためだけに生きているのではなく、生きていたい、生きていることが楽しいと思いながら生きていたとすれば……。そう考えたが、雄猫には告げず。
「これは貴方の糧だったから。それだけよ。それに、こうやって見つめるのかは何故かっていう質問は私のものだわ」
鳩を思う中に、雄猫のことも加えた。鳩を殺したこと、それを私に与えたこと、それから、もし今自分が思ったことと同じだったなら。
「ありがとう」
そう言うことに、何の意味があるのか分からなかったが、少しくすぐったくなった。お礼は言わないと言った筈だったのに、鳩にお礼を言ったつもりが、雄猫にお礼を言ったようになった気もして、なんだかこそばゆい気持ちで一杯だった。しかし、空腹のせいだけではなく、その鳩はいつも食べる物よりも美味しく感じた。
雌猫が食べ終えて、顔を洗っていると、雄猫は言った。
「何で、そんなことをするのか知りたいのかい?」
「そうね、聞いてもいいの?」
「君は、僕と同じくらい、変わり者みたいだから」
雄猫は本当に嬉しそうにゆらりと尾を振って言った。
「何で、ってことはないんだ。ただ、生きている意味が分からなくなったんだ。でも、お腹は空くだろう?だから、他の動物を殺すだろう?死んだ動物は、もしかしたら僕よりずっと生きている意味を知っていたかもしれない。それなのに僕がそれを終わらせて僕の生きるための物……糧にしてしまった。それは本当に正しいことなんだろうか。そんなことを考えても、お腹は空くだろう?だから、こう思うことにしたんだ。僕は目の前の糧の、生きてきた意味も一緒に食べよう、って。そうしたらきっと、僕が生きる意味になる筈だ、ってね。下らないことだよ」
「素敵ね」
「え?」
雄猫は驚いた表情をしたが、雌猫も同じかそれ以上驚いた顔をした。つい口をついて出てしまった言葉だったからだ。しばらく沈黙が続いたが、言ってしまったのだから最後まで言おうと、雌猫は口を開いた。
「私も、同じことを考えていたの。生きている意味が分からなくなったの。それで、死にたくなったのだけど、お腹が空くでしょう?だから仕方なくて、生きていたのだけど、この前、貴方を見て、どうしてだか着いて行きたくなったの。何故だか分かった気がするわ」
雄猫は、ただ黙って目を細めていた。
それから二匹は、なんとなく一緒に居るようになった。普通の猫のように、交尾もして、子猫を授かりもした。子猫達も独り立ちして、慌ただしかった日々はあっという間に過ぎて、二匹はまた二匹になった。
春の陽気が猫達を愉快にさせ、桜並木の土手では猫の集会が行われている。そんなぽかぽかしたある日、猫の集会からは幾分離れた場所で二匹は座っていた。
「ねぇ、私と貴方、昔同じ気持ちだったでしょう?」
「ん?なんだったかな」
雄猫はとぼけたふりをして、舞っている桜の花びらを見ていた。
「覚えてるくせに。私達、生きている意味が分からなかったじゃない」
「ああ……そうだったね」
「貴方は今もそう?」
雄猫は目を細め、雌猫にを見つめてからまた視線を移した。
「僕は、君と話した日から、なんとなく意味が分かった気がしているよ」
「そう」
「君は?」
雌猫は雄猫を見つめ、目を逸らさずに日常的な会話のように言った。
「私は、そうね。まだ分からないの。ただね、思うのよ。私には意味が分からなかった生きることも、糧を思うことも、まんざらじゃないのかしらって。だからね、私、貴方に食べられたいんだわ。他の糧にしたように、思って、ありがとうって」
死にたがりの猫
後味が悪かったらすみません。
私はたまに飼い猫のもふもふに顔を埋めては私より先に亡くなってしまうことを想像し、もふもふを涙で濡らします。