十年後の夏
○月×日 晴れ
今日、空からノートが降ってきた。
と言っても、そのノートに名前を書くと人が死ぬとかいう物騒なものではない。
それはA4サイズのノート。ひまわりの写真がプリントされ、タイトルは『絵日記』となっていた。
誰かの日記帳かと思ったら、表紙の氏名欄には汚い字で『1年1組よろずやきょーだい』と書きこまれていた。
それを見て思い出した。昔々……俺らが小学1年の夏休み、宿題に絵日記が出されただろ?
その時、確か伊吹が、
「毎日日記なんて書けないよ。何書いていいかわかんないんだもん」
なんて泣き言みたいな文句を言ったんだよな。
それに俺らは賛同して、誰かが、誰だったのかまでは覚えていないが、「五人で交換日記をやろう」って言いだした。
何をするにも五人とも一緒なんだから、日記に書く内容も五人とも被るに決まってる、だったら同じ内容の日記を五冊書くより、五人一日交代で一冊の日記を書くほうが、俺たちも、夏休み明けに宿題をチェックする先生もいいに決まってるって。
画期的な提案だと思ったんだけど、結局先生にも母さんにも怒られたんだよな。
懐かしくなって中を見てみたら、改めて納得した。
夏休み中は何をするにも基本的に五人で一緒に行動していたのにも関わらず、何故か内容は五人ともてんでばらばらなことを書いていたんだから、あれじゃあ確かに先生も怒るわけだ。
そう、例えば……俺の場合なら未来日記。
と言っても、そんなたいそうな内容じゃない。明日の天気とか近いうちに起こりそうなこととか、自分でこうだったらいいな、って思うことをつらつらと記していただけ。もはや日記じゃない。
蓮花は近所に住んでたカッコいい高校生のお兄さんのこととか、よく見掛けるイケメン郵便配達員のこととか、男に関することばっかり。ある種の観察日記みたいなもの。
豹雅はまともな日記らしく、一日の出来事を書いてた。
でもその内容は痛々しくて、ある時は石につまづいて転び、ある時は野良猫にひっかかれ、ある時は近所の凶犬に追い回され、ある時は樹里と伊吹の喧嘩に巻き込まれ・・・あいつが日記を書く日はいつでも騒がしくて、その騒ぎに豹雅はいつも巻き込まれてた。まったく不憫な奴。
そんな豹雅と対象的なのは樹里。絵と文で一ページを埋めようと一生懸命な豹雅に対し、樹里は決まって二行しか書いてなかった。
『今日も皆で遊んで楽しかった。以上』。
小学校一年生の女の子にしては冷めてるというか、ある意味男らしいというか。
樹里の性格からするにただ単純にめんどくさかっただけかもな。
なんだかんだで一番やる気があったのは伊吹だったかな。
食いしん坊らしく、その日の朝食・昼食・三時のおやつに夕飯、何が美味しかったか、どれほど美味しかったか、事細かに記していたよ。
その意欲を勉強にも発揮できればいいのに。
こうやって見てみると、俺たちは同じ兄弟で、いつも一緒にいるのが当たり前だったけど、あの頃から見ているもの、興味の対象が全然違ったんだな。
きっと今やったら、あの頃とはまた違った個性が見えるんだろう。
俺に出来て、蓮花には出来ない。
蓮花に出来て、豹雅には出来ない。
豹雅に出来て、樹里には出来ない。
樹里に出来て、伊吹には出来ない。
伊吹に出来て、俺には出来ない。
気付いてないだけで、きっとそうゆう物があるんだろうな。
一通り日記を読んでから、俺は家へ戻った。
きっと母さんが二階の押し入れの片付けでもしていて、間違って窓から落としてしまったんだろう、そう思って。
ところが母さんは押し入れの片付けなんかしていなかった。
俺たちの部屋で、いつまでも起きようとしない伊吹の布団をひっぺがすのに夢中になっていた。
もちろん、絵日記を見せて、空からノートが降ってきたことを説明をしたが、母さんは何も知らないと、不思議そうに首を傾げながら言った。
伊吹は寝ていたし、豹雅は出掛けていた。
蓮花と樹里は一階の居間でテレビを見ていたし、いったい誰があの絵日記を落としたのか。
いや、よくよく考えたら、家の裏側に面する二階の窓から、庭先にノートを落とせるわけがない。
あのノートは本当に空から降ってきたのだろうか。
真相はわからない。だけど、一つだけわかったことがある。
あのノートは見つかるべくして見つかったんだということ。
その証に、ノートの一番最後のページ、夏休み最後の日の日記は俺の言葉で締め括られていた。
『夏休みが終わり、交換日記も終わってしまいました。
僕はすごく楽しかったし、みんなも楽しかったと思います。
だけど楽しいことはいっぱいあるから、きっと交換日記のことを、僕らは忘れちゃうんだろうと思います。
それならそれで、忘れちゃうのは仕方ないから、例えば十年後、僕らが今よりもっとずっと大きくなったら、このノートを見て、みんなで楽しかったねって笑って、大きくなったみんなと、また交換日記をやりたいです。』
つまり、そうゆうことらしい。
これが当時の俺が書いていた未来日記の集大成なのか、ただの偶然なのかはよくわからない。
どっちにしろ、あれから十年、十七歳の夏休み初日にこのノートを見つけたからには、日記を書かないわけにはいかないだろう?
そんなわけで、俺は今、これを書いている。
午前2時42分。
隣の部屋からドッタンバッタン賑やかな音が聞こえる、きっと寝相の悪い樹里がまた壁にぶち当たっているんだろう。
こちらでは豹雅も伊吹も大人しく寝ているっていうのに。
これを書いたら俺も寝ることにしよう。
明日……もう今日か。朝になったらこのノートをまず、蓮花に渡そう。
強制はしないが、七歳の俺が見た、ささやかな夢に付き合ってもらえると、とても嬉しく思うのだが。
如何だろうか。
☆
「というわけだ」
「ちなみに夏休み交換日記の言い出しっぺはハツだよ」
「そうだったか?」
「俺はやりたい交換日記!あれけっこう楽しかったんでよねー。学校別れてからお互いになにしてんだかイマイチよくわかんなくなっちゃったしさー」
「私も是非参加したいわ」
「僕もいいよ。ジュリ―は?」
「本当はめんどいからやりたくないけど、皆がやるってんなら付き合うわ」
「タイトルはどうする?」
「シンプルに『交換日記』でいいんじゃないかしら?」
「面白味にかけない?」
「ノートのタイトルに面白味を求めなくたっていいじゃない。誰に見せるわけでもないんだから」
「んじゃ『今日の出来事』は?」
「交換日記は必ずしも『今日』あったことを記すものではないぞ」
「あら、いいじゃない。そこまでこだわらなくても。書くことに意味があるんだから。今日あったこと、今日思ったこと、今日見た夢のこと、今日思い出した昔のこと……」
「つまり何でもありってことなんだね」
「まっ交換日記なんてそんなもんでしょ」
「毎日書かなきゃいけないの?」
「いや、みんなそれぞれ都合があるだろうから好きな時に書けばいいよ。俺は五人で楽しく交換日記が出来ればそれでいいんだ」
「交換日記なんて久しぶりだわ」
「女の子は好きだよね、そーゆーの」
「あたしは嫌いだった。めんどくさくて、途中で嫌になるのよね」
「いいねーこーゆーの、仲良し兄弟って感じ」
「まぁ、途中で飽きるかもしれないけど……とりあえずノート一冊分は頑張ろうな。ご協力よろしく」
「「「「はーい」」」」
十年後の夏